第11話 『後戻りできない』と書いて『高城淳平』と読みます。
1.
気が付くと、俺はベッドに寝かされていた。えーと、左手の違和感は点滴の針とチューブで、股間のは、これカテーテルとかいうやつだよな。んじゃ、右腕に感じる重みはと見ると、魅琴ちゃんが傍の椅子に座ったまま、俺の腕の上にうつ伏せになって眠っていたのだった。
身じろぎが伝わったのだろう。彼女は起きて、いきなりぽろぽろ涙をこぼし始めた。
「淳平君! 淳平君! ほんっとにもう、危ないことして……!」
俺が気を失っている間に検査が行われ、痛みによって気絶しただけで脳に異常はないらしい。リオのグーパン食らってたから耐性が付いてたんだな頑丈だな俺。そう言って魅琴ちゃんにまた泣かれた。ごめん。
メグ、ゲンゾウ、ジョータロー、タケヒロはこことは違う病院に入院。皆全治2週間以上の重傷だが、特にメグの左肩の刺創は深刻で、最悪左腕が動かなくなるかもしれないとのこと。タケヒロは、赤いユー・ピーに引き剥がされる時の駄賃として右腕を折られていた。
眼を閉じ深く沈む俺に魅琴ちゃんは精一杯フォローしてくれるが、養育者に申し訳ない。俺があの記者の誘導に乗らなければ、こんなことにならなかったのに。
「考え過ぎだよ。わたしだって、なつめちゃんがあいつに捕まるまで、そんなことまったく考えられなかったんだから」
その後医者と看護婦が来て、1時間ほどしてから再検査した結果は、もう2日ほど絶対安静。泊まり込んで看病すると言い張る魅琴ちゃんをなだめる。根負けした彼女は俺と軽く唇を重ねると、名残惜しそうに帰っていった。静かになった個室で、鎮痛剤が効いているうちにアマネたちのことを考える。
アマネたちが成体化したトライロードは、あの後、警察の関係各所への通報により迅速に保護されて、今はクァンロン日本支部の建物に宿泊している。そう魅琴ちゃんは言っていた。このまま軍に引き渡されるのかもしれない。
これで、よかったのだろうか。
昨日の夜、意識を失う前に見たアマネたちの眼が思い出されてならない。あんなに悲しげな眼をする子たちじゃなかった。なのに、俺は。
『高城さんなら絶対大丈夫だってクァンロンが言い張るんですよ』
3体同時養育という無理難題。あれはトライロードを俺に育てさせる伏線だったのか。
そもそもなんで俺なんだ? 確かに意気込みはエライさんに語った。でも、意気込みだけでうまくいくなら、世の中に失敗なんて存在しなくなる。
俺が退院したら、クァンロンから何か話があるって魅琴ちゃんが言ってた。それを待つしかないか。
2.
3日後のお昼過ぎ。1日延長されて退院した俺は、魅琴ちゃんや猿渡さん、石松とともにクァンロン日本支部の会議室にいた。
事前に、ここでの会話は他言無用であることをエライさんに約束させられた後、空調の調子がおかしいのか暑くなったり寒くなったりする不思議な部屋で待つこと15分。エライさんを先頭に、4人の背広や制服を着た大人が入ってきた。
「まず、あなたがたに謝らねばならない。『ドラゴンジャーナル』の記者を重要参考人として追っていたのだが、行方をくらまされてしまった」
そう言って頭を下げたのは、自己紹介によると警視庁の広域犯罪関係を担当しているという警部。続いて警部による一連の事件に関する説明が始まった。
それによると、事件の黒幕は国外に本社を持つ精肉会社であるという。その会社は容疑を否認しているらしいが、
「滋養強壮にドラゴンの肉や内臓を食べるといい、という話を聞いたことがあると思うが、そういう信仰が強い国の会社でね」
と彼が口にしたのは、公共放送や一部民放で"経済発展著しい"と枕詞が付く某国。その業者があの記者を使って肉集めをやらせていた。
リーパーを現場に投入して標的を誘拐した後、近くに停車してあるトレーラーに積み込んで、記者自身が探して手配した解体加工場へ運び込んで殺害後解体。冷凍豚肉のコンテナにブロックで混ぜて、その国に出荷していた。石松が手をあげて発言する。
「でも、リーパーって軍事専従契約種ですよね? まさか国防軍の……?」
「いや、そうじゃないんだ」
そう苦笑い気味で否定してきたのは、国防軍幕僚部の少佐殿。彼によると、あれから3日間の捜査で判明したからくりはこういうことだった。
記者のネットワークで、金に困っているドラゴン・オーナーを探す。近々リーパーになりそうな幼体を養育しているオーナーと親しくなり、いい契約先があると囁く。先の業者が作ったダミーのPMC(民間軍事会社)との間を取り持ち、成体化後に契約させるが、"PMC側の都合"で引き取りを遅らせオーナーをさらに困窮させたうえで『いい仕事があるんだけど。もちろん報酬は出る』と持ちかけてリーパーを渡してもらう。
「リーパーに対しては、お前が断るとオーナーが首をくくらなきゃならなくなるぞと脅していたようだね。もちろん業者差し向けのドラゴンが締め上げてたようだ」
以上が記者の自供と、生き残ったドラゴンたちからの聞き取りにより明らかになったことだった。
再び話し手が警部に戻る。
「君たち、特に高城さんは彼や業者からマークされていたようだね。アマネさんやリオさんは、まあ私は失礼ながら詳しくないが、それなりに有名だったようだし」
能力の高いドラゴンほどよく効くという考え方らしい。あやうくアマネたちは食肉にされちまうところだったのか。嫌悪感しか湧かない。
あの、と手を挙げたのは猿渡さん。
「今までの手口だと、ドラゴンを1体ずつしか襲ってなかったように思うんですけど」
それについても警部から説明があった。
警察ににらまれ始めたことを察した記者が、精肉会社に今後についてお伺いを立てようとした。だがのらりくらりと返事を引き延ばされて、『こうなったらもう一稼ぎして、それを土産になんとか国外逃亡』と自棄になった末の行動だったそうな。もっとも、俺にあれほどの数のヒトとドラゴンがくっついてくるとは想定外だった、とも自供しているようだ。
「つか、俺たちまで殺したら処理がめんどくさくね?」
「もうそんなこと考える頭回ってなかったんじゃねえの?」
俺と石松の会話に「いや、それは」と言いかけて、警部が口ごもる。なんだろう。すごく話しにくそうだが、石松が続きを促したため、渋々といった様子で口を開いた。
「さっき言った解体加工場で、第4の事件で行方不明になっていたブリーダーの所持品が発見された」
……つまり、
「その人も肉として……」
魅琴ちゃんの想像は正解だったようだ。ドラゴンの端肉と一緒にミンチに加工して出荷したと推測されるため、現在解体加工場の機械に残った肉片をDNA鑑定中、らしい。
猿渡さんが口元を抑えてうつぶせ、石松が気遣わしげに背中をさすりだした。悪寒に支配された会議室の空気のまま、説明は続く。今度は、フードの男について。
「あれ、仲間割れじゃないんですか?」
俺の問いに答えたのは、国防軍諜報部の所属とだけ自己紹介のあった壮年の男性。あのフードの男は外国籍で、反日活動の一環として『日本軍国主義の復活を阻止するためにドラゴンを殺す』ことが目的だったと供述しているようだ。これだけで説明は終わって、無表情なまま男性は沈黙してしまった。
「あの、それで――」と聞きかけた俺を魅琴ちゃんが遮る。
(諜報部の人が説明してるんだから、それ以上は察してくれ、ってことだと思うの)
魅琴ちゃんのひそひそ声が聞こえたのか、口の端だけを一瞬吊り上げて笑う男性。なるほど。ここで真相を聞き出した結果、国際的謀略に巻き込まれる俺たちカッケー……無理だな。
警部が咳払いを一つして、話し出した。
「第1、第2、第4は記者の犯行、第3と第5はフードの男。第5、つまりウォルトランド近くで発生した事案の場合は、記者とフードとの不幸なニアミスと表現するべきだね。被害者だけでなく記者にとっても不幸だった、という意味だが」
記者が呼び出したブリーダーとドラゴンに、フードの男たちが先に襲い掛かってしまった。少し遅れて現場に到着した記者たちは手が出せず、そこへ警邏中のパトカーが通りかかるアクシデントも重なって、フードの男は止めを刺せず、記者は"収穫"できず。ブリーダーの携帯を回収するのが精一杯だった。
なんというか、会議室内の重苦しい雰囲気は変わらない。フランクな会話にならないことは分かってるんだけど、さ。するとエライさんが俺を見て微笑んだ。
「記者を重要参考人としてマークするかどうかの決め手は、高城君がくれたんじゃよ」
俺? そんな場面がまったく思い出せない。するとエライさんは自分の背後にあった音響機器のスイッチを入れ操作した。会議室に流れたのは、俺と記者の声。どうしてこんなものが。
みんなと一緒になって聞いていると、エライさんが人差し指をすっと立てた。ここに注目?
『それで、あれを見たリオさんの反応は?』
ん? 今のが何かあるのか? こういう時に早いのは石松だ。
「そうか、"あれ"って言ってるんだ……」
魅琴ちゃん、解説プリーズ。
「"あれ"って言い方は、あの黒いドラゴンを知ってるってことだから」
あ、そうか。なんで俺、あの時気付かないかな……ていうか、なんでこの会話がスピーカーから流れてくるの?
諜報部の男性が言った。相変わらず表情は変わらない。
「君には申し訳なかったのですが、記者が君と接触するという情報を掴んだので、録音させてもらいました。あの時点では、記者とフードの男は共犯の可能性があったのです」
さらに警部曰く、
「第4、第5の事件で事件に巻き込まれたブリーダーたちの通話記録から、記者の関与が疑われていたのだがね、決定打がなかったんだよ。かといって警察が盗聴はまずいし、ね」
いや、ウィンクされても。
解体加工場の捜索でさらに証拠固めをして、記者とドラゴンたちは起訴されるだろう。警部はそう締めくくった。
3.
コーヒーか紅茶をと言われて、魅琴ちゃんは紅茶、俺を含む3人はコーヒーを選んだ。今後開かれる裁判で証言を求められることを俺たちに言い置いて、警部は退室していった。
「さて、実は高城君には1つ、2時間後にお仕事があるんじゃよ」
せっかくインスタントじゃないコーヒーを味わって飲もうとしたのに、できなくなった。
トライロードを産み出したドラゴン・オーナーとして、記者会見がセッティングされているという。そしてその前に、と背広の男性――国防省の事務官が、俺の前に書類を一束差し出してきた。
「契約書……」
俺のそう一言つぶやいたきりの無言を説明の催促と判断したのだろう、事務官は話し始めた。ベスプッチやソレンポーでは、トライロードは国軍にしか所属できないという法律が存在する。だが、この日本にはそれは存在しない。事務官はちょっとひねた笑いを顔に浮かべながら言った。
「トライロードが出現するなんて誰も想定していなかったし、そんな想定を政治家や我々がしただけでマスコミや野党の格好の餌食になっただろうね、以前なら」
「ということは、俺が契約しなかったら、あいつは軍に行かなくて済むんですか?」
俺の言葉に、大人たちは様々な反応をした。事務官はきょとんとし、少佐は眉間にしわを寄せて威嚇の構え。諜報部の男性は変わらず無表情。エライさんは目を伏せて首を振ったあと、神妙な顔で話し出した。
「残念ながらその選択肢はないのじゃよ。トライロードが出現したという情報は、あの事件現場の野次馬からすでに世間に広まっている。ツィートや現場を撮影した動画でな」
現在は『オーナーが入院中のため、詳細発表は後日』としてある。それは俺も病室のテレビで見たから知ってる。だからって、なんでその選択肢がない?
「そしてその情報を喜ばない日本人も存在する。彼らの一部にとってトライロードは戦争と虐殺の象徴であり、別の一部にとってはスポンサーでもある"心の祖国"のご機嫌を損ねる厄介な代物じゃ。よって君の手元に置いておくと、彼女だけでなく君にまで危害が及びかねない。いや、今君の横にいる彼女にも」
「それは、脅しですか?」
俺が精一杯の虚勢を張った低い声を、エライさんはあっさりと受け止めた。
「そうじゃ」
くやしい。でも、まだ確認したいことがある。
「エライさんと2人だけで話がしたんですけど、いいですか?」
そう言って案内されたのは、先ほどの会議室と廊下を隔てた小部屋。机や椅子がそれなりにまとまって積んであるところから察するに、倉庫代わりに使っている部屋のようだ。
その山から椅子を2つ取って勧めてくれたエライさんに従って、俺も座る。聞くことは1つ。
「俺がトライロードを育てたいと言ったから、アマネたちを預けたんですか?」
対するエライさんの回答は、「それもある」という中途半端なものだった。続きを待つこと数分、ため息を一つついたエライさんが口を開いた。
「意気込みだけで成功するなら、この世に失敗など存在しないことになるのぅ」
俺が入院していた時に抱いた感想そのままを口にした後、エライさんは独り語りを始めた。
時は20世紀。欧州がまたそろそろきな臭くなり始めた頃。ベスプッチの東海岸にあるとある街に、ナポリア移民の家族がいた。当時の米国は禁酒法全盛期。酒類の密造でもうけた家族は、ドラゴンの養育に事業を広げた。が、数年して禁酒法は廃止され、その後の変化の波に上手く乗れなかった家族は破産して夜逃げをすることになった。家族の嫌われ者だった15歳の少年と、彼と仲の良かった、産まれたばかりの3体のドラゴン稚体を残して。
少年は他のナポリア移民のお情けで回ってくる仕事をして、日銭を稼ぎながらドラゴンを育てた。といっても自分が生活するのに精一杯の少年は、ドラゴンの食い物まで買ってやれない。そこで少年は港に目をつけた。街の東にある漁港で毎朝待ち構えて、漁船が持ち帰る雑魚をもらい、それをドラゴンに与えた。
ドラゴンは稚体から幼体へ成長し、長じて能力を見せ始めた。飛翔速度が近隣のドラゴンよりもずば抜けて速い大柄なドラゴン。夜な夜な繁華街のバーで開かれる地下格闘技場で腕を磨くドラゴン。そして手先が器用で内職をして家計を支える病弱なドラゴン。試合の報酬と内職代で、ドラゴンたちの食事は海産物オンリーではなくなった。遠かったこともあってトレーニングセンターには通えなかったが、その代わり郊外の荒野が訓練の場だった。
急変は、思わぬ時に起きた。地方のスピードレースに出て優勝した帰り道、賞金で久しぶりに腹いっぱい食べてねぐらに帰ろうとした少年と3体のドラゴンに、日頃ナポリア移民と反目しあっていたケルトランド移民のゴロツキが襲い掛かった。スピードレースで少年のドラゴンに負けた腹いせだったらしいが、病弱なドラゴンをかばった少年の腹にゴロツキのナイフが突き立ち、少年は絶命する。
3体のドラゴンは怒り狂った。その勢いで成体化を果たしたとき、そこには1体のドラゴンが立っていた。それが――
「のちにトライロードと命名される突然特別変異種じゃった」
「あの……初めて聞くんですが。そんな話」と俺が言うと、エライさんは笑った。
「そりゃそうじゃ。ベスプッチの国家機密の1つじゃもの」
!!――俺、もしかしてとんでもないことを聞いちゃったんじゃ。
「ま、今の話を聞くまでもなく、君はもう狙われる存在なんじゃ。なんせ、トライロード育成の経験者なんじゃから。君を利用したい者、君を消したい者、双方から狙われるのじゃよ。ゆえに、さっき君の前に並べられた契約書の中には、君と君が指定した人たちの身体保護契約も入っとる」
もう1つ、聞いていいですか。俺は胸に重いわだかまりを持ったままエライさんを見つめた。
「記者やフードの男に、俺たちを襲わせたんですか?」
エライさんはかぶりを振った。
「それなら、前の5件の意味がないじゃないかね? わざわざ世間を騒がし、有望なドラゴンを殺すなど、クァンロンが、いやこのわしが許さん」
エライさんの静かな剣幕に押されて、小部屋に沈黙が訪れる。しばらくして、エライさんが気を取り直したように笑っていった。
「そういえば、彼女の名前はどうするね? ちなみに、さっきの話に出てきたトライロードの名前『トニオ』は、養育した少年の愛称だそうじゃ。以後慣例になっとる。『淳平』では男名前だから、『淳子』とでも付けるかの?」
そういえばベスプッチのトライロードって全部人名だな。あれ養育者の名前なんだ。理解できんぜヤポンスキーには。ヤポンスキーって言えば、ソレンポーも人名だっけ? エゲレスは"勝利"とか"無敵"とかだしな。アマネ、リオ、スミ、やっぱアマネが主なんだから。でも、うーん……
しばらく悩んだ俺は、エライさんとともに会議室に戻ると、居並ぶ関係者の人たちに向かって言った。
「釈然としないけど、契約はします。そのかわり、俺はもう2度とトライロードは育てません」
憮然とした表情を隠さない少佐。無表情の諜報部。事務官は手早く書類一式を俺の座る机に展開し始めた。
「それから、彼女の名前ですが――」
やっぱここは日本式に、彼女らの頭文字をいただいて。
「アリスでお願いします」




