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第二章 ポセイドンの書 一

 

 第二章 ポセイドンの書

 

 八月十五日。クーが現れてから二日目の日の午後、クーと雄也は地元の図書館へと来ていた。家から徒歩で十五分ほどの場所にあり、雄也もよく利用している場所だ。

 雄也は現在ここへ調べものに来ていた。

 一体何についてか。

 『ポセイドンの書』についてである。

 当然、クーもついてきた。

 雄也が図書館へと行く事の発端となったのは、雄也が、自身に起きたある変化に気が付いたことだ。

 変化と言うのは、雄也が『ポセイドンの書』を読むことが出来たというものである。

 英語で書かれている内容であるにもかかわらず、その内容がまるで日本語で書かれているかのように読むことが出来たのだ。

 今現在、雄也たちをとりまく環境は、この『ポセイドンの書』を中心にして回っていると言っても過言ではない。

 クーの正体についても、『ポセイドンの書』の中に何かヒントがあるのではないか、というのが雄也の考えだった。

「まさか俺が、特に何の勉強をすることもなく『こいつ』を読めるようになる道理なんてないわけで、多分、昨日の『契約』とか言うのに関係あるんだろうな」

 重要なのは『ポセイドンの書』を読むことが出来たという事実である。もし、『ポセイドンの書』の中からクーに関する記述を見つけ出すことが出来れば、状況は大きく前進することになるのだ。

「文章が読めた。なら内容が理解できるか? 世の中そう上手くいかねーもんだよな」

 雄也は確かに『ポセイドンの書』に書かれている内容を読むことが出来たが、理解することが出来なかったのだ。

 そもそも魔導書というものは暗号や難解な表現、複雑な図形や記号その他諸々によって表されているのが常であり、文字が読めれば内容が理解できるか、といえばそんなことはない。

 そもそも、こういったことは何も魔導書だけに限ったことではない。例えば法律の知識のないものが六法全書を読んでも内容を理解できないのと同じように、一般的な専門書にも言えることだなのだ。

「そもそもギリシャ神話なんてそこまでよく知らねーよ」

 『ポセイドンの書』に書かれていたことは、最初の数ページだけでも、ギリシャ神話の神『ポセイドン』を中心にしたこの地球と宇宙の起源、さらには未来の予言など様々であり、支離滅裂な上に意味不明なのであるが、そもそも雄也のギリシャ神話に対する知識が少ないせいで、理解できる出来ない以前の問題なのである。

 というわけで、図書館へと出向き、まずはギリシャ神話の解説書的なものを数冊探すと、館内の自習室へと行き、一通り目を通した後、『ポセイドンの書』と照らし合わせて内容の解読を行おうとしていた。

 わざわざ図書館まで行かなくてもネットで調べればいいのに、と思うかもしれないが、予備知識の少ない人間が「一定の信頼のおける情報」をネット上で調べるのは実はなかなか難しいことなのだ。さらに、「何となく紙の本の方が読みやすい」という雄也の個人的な感覚が混ざった結果、図書館に足を運ぶこととなったのだ。

「まあ、たぶん解読でいいんだろうな。たぶん何かしらの暗号化が施されているとみて間違いないだろ」

 そんな独り言をぶつぶつと呟きながら雄也と『ポセイドンの書』との戦いが始まった。


×××


「……予想以上に意味不明だな」

 二時間近く『ポセイドンの書』と格闘した雄也が抱いた感想がこれであった。

「タイトルと出てくる単語からギリシャ神話絡みだろうと思って調べてみたが、……むしろよくわからないことになっちまった」

 『ポセイドンの書』の内容は、多少わかりやすそうなところだけ挙げたとしても、『アトランティスの城の中、死せるポセイドンは悠久の夢の中、復活の時を待ち続ける』、『すべての星が正しい位置へと揃った時、長き眠りよりポセイドンは目を覚ます。自らの子と、その血族を正しき未来へと導くために』、『カオスは宇宙の始まり。世界はカオスの夢なり。カオスから、無名の霧あるいは門すなわちガイア、闇あるいは母すなわちエロース、這い寄る混沌あるいは無貌すなわちタルタロスが生まれた』、『ポセイドンの血族は年三十半ばにして海の底にある神の国へと誘われる』などといった調子である。

 まさに暗号だった。

 確かに、一見して意味が通るような場所も多く存在する。

 例えば、『カオスは宇宙の始まり~』のくだりなどは、ギリシャ神話の視点から見たときには正しそうに見える。しかし、カオスから生まれた三柱の神々、ガイア、エロース、タルタロスに関してはいささかイメージと違った言葉で表されている。

 全体の中でも比較的『まとも』なカ所ですらこの有様なのだから、読み進めていくうちに破綻してくるのだ。特に、一番多く書かれているポセイドンに関しては、一般的なギリシャ神話のイメージとはまるでかけ離れたものだった。

 この本によればポセイドンという神は、オリンポスという外の世界より地球へと飛来しした神であるという。その後、ポセイドンとその臣下たちの軍勢は、原初なる人の軍勢と戦い敗北。アトランティスへと身を潜めるが星の力が弱くなったことによりアトランティスは水没する。ポセイドンもアトランティスの中で終わること無き夢を見続けることになる。しかし、ポセイドンの血族の祈りにより星の力が取り戻された時、アトランティスは浮上しポセイドンは本来の力を取り戻す。そして自らの子とその血族を正しく導き、世界をあるべき形へと作り変えるそうである。

「……あーチクショウ、わかんねえ!」

 そう言いながら雄也は立ち上がった。

 本当ならば、大声を出して、訳の分からないもやもや感を払拭したいところだったが、図書館という場所である手前、そうするわけにもいかなかった。

(多分この『ポセイドンの書』は何かを隠してる。ギリシャ神話を隠れ蓑にして何かを伝えようとしている。多分、いや、絶対にそうだ)

 そんな確信を胸に抱きながら雄也は自習室を見渡した。

「……お、見つけた」

 壁にもたれながら床に座り込み、巨大な百科事典を物珍しそうに読む緑の髪の少女の姿。すなわち、クーのことである。

 他人から認識されないのをいいことに、まるで自分の部屋であるかのようにくつろいでいる。

「帰るぞ。クー」

 雄也はクーの下へと歩み寄りそう声をかけた。

 雄也と一緒に図書館へと来たクーは、雄也が『ポセイドンの書』について調べている間、ずっとこうして本を読んでいた。

 「記憶が欠落している上に、『現代』というものに対する知識がないため、知識を得るという行為に対しては貪欲」であるということ。さらには、「知識を身に着けるのは高貴なるものの務めである」とのことである。この二つはクーの自己申告だ。

 百科事典を読んでいたクーは雄也の声に対してゆっくりと顔を上げた。

「うむ。了解した」

 そう言うとクーはゆっくりと立ち上がった。


×××


「それでユウヤよ、ワシのことについて何かわかったか?」

 雄也とクーは図書館を後にし、帰路についていた。

「いや、すまん。実はほとんどわからなかった。というか、余計にわからねーことが増えちまった」

「……む、……やはりそうか。……そう簡単にはいかんかのう」

「? 珍しいじゃねーか。そんな反応の仕方」

「……ワシとて常に楽観的なわけではない。おヌシがワシのために努力し、苦戦しておるのは傍から見ておってもよくわかるのじゃよ」

「そうか、すまないな。ほんとならもっと手際よくいきたいところなんだが」

「……気にするな、と言っておるのじゃよ」

 日が落ち始め空はオレンジ色になり始めている。

 吹く風はまだ冷めることなく、湿気と熱気を含んでいる。カナカナと鳴くヒグラシの声がどこか物悲しい雰囲気を作り出す。

「……ユウヤよ」

「ん? なんだ、クー?」

「……変なことを聞く様で悪いんじゃがな、その、……ユウヤにとって、ワシは……、今のワシは、邪魔な存在なのかのう」

「いきなりどうしたんだ?」

「答えてくれユウヤよ。ワシはおヌシに何か危害を加えるつもりもないし、加えようとも思ってはおらん。何かお主の迷惑になるようなことをしているつもりもない。しかし……」

「クーは俺に気にするなって言っただろ?」

 雄也はクーの方へと向き直りながらそう言った。

「そうじゃな。確かにそう言った」

「俺もクーへと同じことを言わせてもらうぜ。気にするな。別にクーのことが重荷になってたり、邪魔に思ったりはしてねーよ。確かにいきなりクーが現れたことには驚いてるし、訳のわからないことだらけだし、これから先もどうなるのかわかんねーけど、それども俺は、今のこの状況に、クーがいる今に不満はない」

 雄也のその言葉に対して、クーはどこか安心したような表情を見せた。

「……そうか、それはありがたいことじゃ、ユウヤ」

「いや、それは別にいいんだが、いきなりそんなこと言ったりして、クー、何かあったのか?」

「……いいや、なんでもないんじゃ、特に気にするでないぞ。ただの戯れじゃよ」

「それならいいんだが、……まあいいや。話は変わるんだが、俺からも一つ質問させてくれ」

「質問? 何のことじゃ? 答えられる範囲であれば答えるぞ」

「クーは、海とか、神殿とか、何かそういった物に関して覚えていことはないか?」

 雄也の質問に対して、クーは困惑したような表情になった。

「…………どういうことじゃ? 質問の意図がよくわからんが」

「クーの記憶か、あるいは正体についてのことさ。多分、何か関係あるはずなんだ」

「……関係と言うと?」

 クーの言葉に対して、雄也は手提げ袋に入れていた『ポセイドンの書』を指さしながら言った。

「こいつを買う前日から今日まで、俺の夢の中には繰り返し同じようなものが現れた。深い海、巨大な神殿、得体の知れない化け物、それにこいつ、『ポセイドンの書』。そしてこの本自身にも、俺の夢に出てきたものと関係ありそうなことが沢山書いてある。例えば、この本に書かれている『アトランティス』っていう場所は、夢に出てきた神殿と一致するところが多いんだ。そう言うところを考えていくと、俺の見た夢とこの本は無関係じゃなくて、何かの因果関係にある。そういう考えに行きついたってわけだ」

「……なるほど。ちなみに、おヌシ、夢の内容は覚えておるか?」

「いや、残念ながらほとんど覚えてない。覚えてるのは断片的なイメージだけだな。後はまあ、たまに何かのショックで思い出したりするけど」

「……何かのショックと言うのは何なのじゃ?」

「たとえばこいつさ」

 そう言うと雄也は、再び袋越しに『ポセイドンの書』を指さした。

「初めて古本屋でこいつを見つけて、それで表紙に触れた瞬間、夢に出てきたものが一気にフラッシュバックした。それから後は……」

 そう言うと雄也は足を止め、『ポセイドンの書』へと向けていた指を、ゆっくりとクーの方へ向けた。

「……ワシが、現れたとき、じゃな?」

「ああ、その通りだ。『ポセイドンの書』が浮かび上がった時に聞こえてきた声、クーが現れる瞬間に見た強烈なイメージ、……そして何よりも、クーの姿」

「……ワシの姿、じゃと?」

「俺は、夢の中でクーのことを見てる。それも、クーに会う前の日に。海底にある神殿で、そこにいるクーを俺は見ている」

「…………なるほどのお」

 そう言うとクーは黙りこくると、顔を伏せ、目を閉じたまま何か考え込むような仕草をした。

「何かわかることか、それとも思い出せることはないか?」

 雄也の質問に対して、クーは長い沈黙の後、首を静かに横へと振った。

「…………わからぬ。思い出せぬ。……しかし、……確かに興味深い話じゃな。おヌシの見た夢が、ワシやその本と何らかの因果関係にあるということは間違いなさそうじゃ。しかし、…………何とも奇妙な、このようなことが……だとすると、やはり、いや、そんなことは…………」

「どうしたんだ、クー?」

「いや、なんでもない。ただの独り言じゃよ。たいしたことではない。ワシだって物思いにふけることぐらいある」

「? そうか、まあいいや。ともかく、そういうわけだ。クーも何かわかったらすぐに教えてくれよ」

「……うむ、……心得ておる」

 クーはそう言いながら静かに頷いた。


 唐突に、それはあまりにも唐突に起こった。


「………………!」

 突然、クーが雄也の前へと出る。

 明らかな臨戦態勢。

 その直後、低空飛行で黒い影が雄也へと突進してきた。

 漆黒の翼、漆黒の体、二本の角、細長い尾。

 迫る鉤爪。

 雄也へとめがけて伸ばされたその腕を、クーが掴む。

「っ! まさか、夜鬼だと!」

 雄也が驚愕の声を上げた。

 クーは奇襲を仕掛けてきた夜鬼の腕を、単純に握力だけで握り潰す。

 夜鬼が怯んだ。

 その隙を逃さず、クーは夜鬼を上空へと蹴り上げる。

 蹴り上げた夜鬼に対して、クーが右手を向ける。右手の前には、サッカーボールほどの大きさの水の塊がクーの能力によって作り出されていた。

「墜ちるがいい!」

 クーの叫びと共に、水の塊が蹴り上げられた夜鬼へと放たれる。

 命中。その直後、貫通。

 夜鬼が霧散する。

「一体どうなってやがる!」

 周囲を見渡した雄也が叫んだ。

 雄也たちが現在いる場所は、夕暮れ時の閑静な住宅街である。

 辺りに人影はない。今この場に居るのは雄也とクーの二人。

 それに加えて、大量の夜鬼。

「……ユウヤよ、夜鬼とは、一度に、これほどまでに現れるものなのか」

 クーの言葉に対して、雄也は注意深く周囲を見渡しながら、首を横に振った。

「いや、そんなはずはない。絶対とは言い切れねーけど、少なくとも、俺は一度もこんな光景に出くわしたことはねーな」

 屋根の上、塀の上、電柱の上、地上、上空。

 音もなく、前触れもなく、突如として具現化した無数の夜鬼。

 その総ての夜鬼が明らかな敵意を放っていた。

「……クー、突破できるか?」

「……出来ぬということはない。その気になれば、こいつらを全滅することもたやすい。じゃが、ここら一体は壊滅するじゃろうな」

 クーの言葉は、ハッタリなどではないだろう。雄也も、そのことは昨日の戦闘で理解していた。

「……多少加減してくれ。被害は最小限に、突破するだけでいい」

「おヌシ、何か策があるのか」

「……多少ある。いったんこの場を抜けて、近くの公園まで奴らを誘導してくれ。そこで一カ所に集められれば、被害を最小限に抑えて、人に見つかることなく始末できる」

 雄也とクーが話している間にも、夜鬼たちはじりじりと距離を詰めてくる。

「……心得た」

 そう言うとクーは、雄也の一方後ろまでゆっくりと後退した。

「……奴らに一撃お見舞いした後、おヌシを抱えて飛ぶ。方向の指示を頼むぞ」

 クーが背後から雄也の腰へと手を回す。

「……っ! ……り、了解した」

 クーの服装はレオタードのように体にぴったりと張り付いたものであり、腕や足、腹部、背面などを左右非対称に露出させているという奇妙な代物である。未知の素材でできた服はクーの全身のラインをくっきりと浮かび上がらせていた。

 そんな恰好で雄也を背後から抱きかかえるような構図となるのだが、この際、必然的にクーの体は雄也と密着することとなる。

 そして、それ故に雄也は、クーの体温やら肌の感触やら体の凹凸やらを背中からほぼダイレクトに味わうことが出来るのだが、残念ながら状況が状況だけに、今の雄也にそんな余裕はほとんどなかった。

 クーが雄也の顔の真横から、前へと向かって右手を伸ばす。

「行くぞ。……五、……四」

 クーがカウントダウンを始める。

 それと同時にクーの右手の先に、巨大な水の塊が作り出されていく。

「……三」

 夜鬼たちが間合いを詰める。

「……二、」

 クーの全身に力が入るのを雄也は実感した。

「……一」

 突如、正面にいた一体の夜鬼が地面を蹴った。

 羽を広げ、猛スピードで雄也たちの下へと接近する。

 ほかの夜鬼達もこれに続くかのように戦闘態勢に入った。

「……ゼロ!」

 クーが叫ぶ。

 同時に、クーの右手の前に集められた水の塊が、激流となって前方の夜鬼を襲った。

 迫りくる夜鬼が直撃を受け砕け散る。

 射線上にいた夜鬼がすべて消滅した。

「おまけじゃよ!」

 クーがそう叫ぶと同時に、放たれた水の塊が拡散し、小さな水の粒となって周りにいた夜鬼達を襲う。威力は低く、夜鬼達を仕留めることは出来ない。しかしそれで十分だった。

「今じゃ!」

 クーが雄也を抱えたまま地面を蹴り宙へと浮く。そして即座に背中から羽を展開し、夜鬼達のいなくなった正面を高速で駆け抜けた。

 少し遅れて、夜鬼達が追従する。

 威力の低い攻撃だからこそ、飛び立つ瞬間の僅かな目くらましと、敵を追従させるための挑発としては最適なのだ。

 クーは雄也を抱きかかえ飛翔した。


×××


「それでユウヤ、これからどうするつもりなんじゃ?」

「奴らをまとめて倒すのにちょうどいい場所がある。そこまで上手いこと誘導して欲しい」

 クーは雄也の指示に従って飛んでいた。

 クー曰く「飛ぶのはあまり得意ではない」らしいが、それでも夜鬼を遥かに上回る速度での飛行が可能であるらしい。

 しかし、それでは意味がないのだ。

 夜鬼達から一定の距離を保ち誘導すること。

 これが、雄也がクーへと出した指示。

 そして、その速度を守りながら、雄也の指示に従って方向を変える。

 ちなみに現在のクーは、雄也を後ろから両手で抱きかかえるような体勢で飛んでいるため、夜鬼達へは思うように反撃できない。

 また、雄也は現在呪印による身体強化等を行っていないため、ほぼ一般人なのである。もし飛んでいる途中にどこかへぶつかったり、クーが無茶な軌道をとったりすることがあれば命に係わるのだ。そのため、雄也にとってはまさに命がけであり、一切気の抜けない状況だった。

「クー、この先、左側にある階段の、登った先にある広場で停止! 反転して、そこで迎え撃つ!」

 雄也は、風圧をこらえながらクーへの指示を出す。

「了解じゃ!」

 指示を受けたクーが方向を変え、目的地を目指す。

 クーが雄也の指示で向かった場所は、近所にある公園だった。

 五メートルほどの階段を上った場所にあり、周囲はフェンスと木に囲まれている。

 入り口付近にはバスケットボールのハーフコートほどの大きさの広場があり、奥には滑り台やブランコなどの遊具がある。

 公園へと入ったクーは、そこで一八〇度方向を転換すると、自分の背中と羽をエアブレーキ代わりにして停止し、広場へと降り立った。

「ここでいいんじゃな」

「ああ、完璧だ。……すまないなクー、運んでもらっちまって」

「なに、これぐらいはどうということはない。……で、この後はどうすればいいんじゃ?」

「悪いが、あと一仕事頼みたい」

 雄也がこの場所を選んだのには理由があった。

 この公園は後ろと左右がフェンスと高い木で囲まれており、夜鬼が攻めてこられる場所は正面か上空しかない。

 また、そうした場所であるがゆえに周囲から見えづらく、万が一にもこの光景を誰かに見られてしまう可能性が低い。

 通常、超越的存在が知覚されることはめったにないが、あくまでも『めったに』であり絶対ということはない。さらには、雄也はいつものマントを着ていないため、少なくとも雄也のことは見えるのだ。

 さらに、この公園は前にある建物よりも高い場所に存在する。そのため、クーの攻撃を正面や上空に放つ分には周囲への被害を気にする必要がないのだ。

「ここで夜鬼を迎撃してほしい。存分に派手な奴をかましてくれ」

 雄也のその言葉に対して、クーは犬歯をのぞかせながらニヤリと笑った。

「了解じゃ」

 そう言うとクーは広場の真ん中あたりまで前進した。同時に、雄也は遊具のあるあたりまで後退する。

 足を止めたクーは両手を公園の出入り口の方へと向けた。

 直後、両掌の間に水の塊が出現した。

 水の塊は瞬く間にその大きさを増していく。

 公園の出入り口から夜鬼の大群の影が見えた。

 クーの作り出した水の塊は、すでに半径一メートルほどの巨大なものへと変化していた。

 夜鬼達が公園の敷地内へと入ってくる。

「くらうがいい!」

 クーのその声と共に、水の塊の中から、圧倒的な圧力を伴った水による『砲撃』が放たれた。

 轟音と共に放たれたそれは一撃で十体近くの夜鬼を飲み込み粉砕する。

 しかし、まだ敵は残っている。

 砲撃を避けた夜鬼が上空から猛スピードで飛来する。

「無駄じゃよ!」

 クーは即座に砲撃を中止。直後、水の塊からいくつもの細い水の柱が出現し、飛来した夜鬼を水圧によって切断し迎撃する。

 砲撃が止んだことにより再び正面からの襲撃。

 これに対してクーは水の塊から野球ボールほどの大きさの水の弾を放つことによって応戦する。

 正面から襲撃した夜鬼達が全身に穴を開けながら次々に消滅する。

 第一波、二十体以上の夜鬼を一瞬にして撃破。

 この間、わずかに十数秒たらず。

 遅れて第二波の影が見える。

「ふっ……何度来ようとも同じことじゃよ」

 攻撃によって水を放出したことにより小さくなった水の塊が、再び急速に巨大化する。

 夜鬼が再び公園内へと入ってきた。

 直後、先ほどの倍ほどまでに巨大化した水の塊から、最初のものよりも巨大な『砲撃』が放たれる。

 これにより、やはり一撃で大量の夜鬼を粉砕し迎撃した。


「……す、すげえな、これは」

 雄也は目の前で繰り広げられる光景に、圧倒されていた。

 クーの放つ常識はずれの攻撃に、思わず見とれていたのだ。

(クーのあの自信も納得できるな。確かにこんな攻撃を街中でやられたら、それこそ大変なことになる。……それにしても、やっぱり規格外だな、クーの戦闘能力は)

 夜鬼の第一波が瞬く間に全滅する。

 通常、一体の夜鬼を斃す為に雄也が必要とする時間が約一分。それも、完全に武装した状態での話しだ。今の状態の雄也では斃すことはおろかダメージを与える事すらも難しいだろう。

 しかし、クーはそれを一瞬でやってのけたのだ。

 現れた第二波の夜鬼が『砲撃』によって粉砕されていく。

(……クー、……お前は、一体何者なんだ?)

 第一波の時と同じように、上空から夜鬼が襲来する。

「…………! ――――」

 突然、雄也を強烈な頭痛が襲った。

「――……っ、いったい、何が……」

 視界が暗くなり、強烈な立ちくらみにも見た感覚が雄也に襲い掛かる。

 全身が硬直し、感覚があやふやになっていく。

 視界が明滅し強烈な吐き気に見舞われる。

 大音量で耳鳴りが響く。

「……つ……――――」

 声を上げることもままならないまま、雄也はその場に倒れこんだ。


「……っ?」

 クーが、上空より飛来した夜鬼を迎撃しようとした瞬間、異変は起こった。

 クーが作り出していた水の塊が、突如として消滅したのだ。

「っ! いったい何が――」

 驚いている余裕などなかった。

 迫りくる敵の迎撃が今は最優先である。

 急降下し攻撃を仕掛けてくる夜鬼の攻撃を避け、カウンター気味に拳を叩きこむ。

「何っ」

 攻撃を仕掛けてきた夜鬼は吹き飛ばされたが、消滅はしない。

 逆に、クーは右手に痛みを感じた。

「なんじゃ? 急に、力が……っ!」

 動揺を隠しきれないまま、転がるようにして他の夜鬼の攻撃を避ける。あまりにも無様な回避方法だったが、今のクーにはこの方法が精いっぱいだった。

 それほどまでに今のクーは、急激に弱体化していた。

「いったい、……いったい何が起きているというのじゃ!」

 何がどうなっているのかわからない。ひとまず雄也の指示を仰ごうと振り向く。

「……っ!ユ、ユウヤっ!」

 クーが目にしたのは、衰弱し、地面に倒れた雄也の姿だった。

 クーは現在の優先事項を敵の殲滅から雄也の保護へと変更する。

「ユウヤっ! 今、ワシがっ――!」

 クーは地を蹴って雄也の下へと走り出す。しかし、数メートルも進まないうちに、背後にいた夜鬼達に捉えられ身動きが取れなくなってしまった。

「くっ、離せっ、離さぬかっ!」

 クーは必死の抵抗を試みるが、夜鬼達の腕力によって組み伏せられる。

 空より舞い降りた他の夜鬼達が、倒れている雄也の下へと舞い降りた。

「にっ、逃げろ、雄也! 逃げるのじゃ!」

 雄也は動かない。

 夜鬼の漆黒の爪が、夕焼けに反射する。

「ユウヤ――――――――っ!」

 絶叫。

 クーが残りの力を振り絞って叫ぶ。

 夜鬼の鉤爪が、今、雄也へと向かって振り下ろされた。


 刹那、幾筋もの閃光が走った。

 公園の外から放たれたその金色の閃光は、雄也の近くにいた夜鬼達を一撃で貫いた。

 光線を受けた夜鬼が消滅する。

 「何……じゃ……、今の、攻撃は?」

 残りの夜鬼達が一斉に出入り口の方を振り向く。それと同時にクーを組み伏せていた夜鬼のその力が僅かに弱まった。

 クーはその隙を逃さず、這い出るようにして夜鬼達の拘束から抜け出すと、雄也のところへと駆け寄った。

「ユウヤ! 大丈夫なのかユウヤ! しっかりせい、目を覚ますんじゃ!」

 倒れていた雄也をクーが抱き起こす。

「――…………ああ、大丈夫だ」

「ユウヤっ!」

「……すまない、いきなり、こんな……。……それよりも、さっきの攻撃は……」

「……わからん、分からんが、しかし……」

 雄也とクーは、閃光の放たれた公園の外へと視線を移した。

 誰かが階段を登ってくる音がする。

 階段を登り終え姿を現したのは、左手にキャリーバッグを持ち、右手に杖を持った、長身痩躯の男だった。

 トレンチコートに山高帽子という夏には合わない異様な格好。

 一目で外国人とわかるような高い鼻。

 年齢は、二十代後半から三十代前半ぐらいといったところだろうか。

 白い肌がどこか病弱そうな印象を与える。

 いや、特徴というのであればそんなことよりも、一目見たら忘れないほどに印象に残りやすい面長の顔を上げるべきだろうか。

 男は、手にしていた杖を夜鬼達の方へと向けた。

 次の瞬間、杖の前方に黄金の光を放つ巨大な魔方陣が出現する。

 そして、出現した魔方陣から夜鬼達へと向けて無数の光の筋が放たれた。

 あるものはこの男に反撃しようと、またあるものはこの場から逃げ去ろうとする。しかし、そのどれもが無駄に終わった

 放たれた光線は、この周囲にいた全ての夜鬼へと向かって放たれ、一体たりとも逃すことなく命中する。その一撃で夜鬼の体を貫通し、消滅させた。

「…………」

「…………」

 雄也とクーは言葉を失っていた。

 驚異的な光景だった。

 クーの戦闘能力であっても、これほど確実に、その上素早く夜鬼を仕留めることは不可能だろう。

 男は杖を降ろすと雄也たちの方へと歩み寄ってきた。

「よくない気配がしたので来てみたが、まずは無事そうで何よりだ」

 外見はどう見ても外国人だが、彼が口にしたのは流暢な日本語だった。

「二人とも怪我はないかね?」

「……!」

 男の言葉に、雄也の思考が即座に反応した。

 若干頭痛が残っていたり、体が思うように動かなかったりしたが、倒れた直後よりはだいぶましになっていた。

(……クーのことが認識できている。……いや、そんなことよりも、さっきの夜鬼に対する攻撃の時点で既に確定だな)

 男は雄也の下へと歩み寄ると、雄也の額へと熱を測るように手を置いた。

「貴様、一体ユウヤに何を――」

 詰め寄るクーを片手のジェスチャーだけで制す。そしてクーの方を向き話しかけた。

「君は、彼の使い魔かね?」

 突然の問いと、状況の変化に若干対処しきれずに動揺しつつもクーは答える。

「わ、ワシは使い魔などでは無い。確かにユウヤの召喚に応じ現界したが、断じて使い魔などという下賤な存在などでは無いぞ」

「……まあいい。安心しなさい。どうやら、少し負荷が掛かり過ぎていただけのようだ。彼はすぐに回復する」

「そ、それは本当のことか!?」

「本当だとも。それに、君の力も、だ。彼が回復すれば、君の力も元通りになる」

 男の言葉を受けたクーは少しの間黙りこくった後、雄也の方を振り向いた。

「ユウヤ――――――! よかったのう、おヌシ、大丈夫だそうじゃよ! まったく、心配させおって。一体何があったのじゃ? 一時はどうなることかと――」

「わかった、わかったからいったん離れろ、くっつくな、抱きつくな!」

 雄也は、何とかクーを引きはがすと、ゆっくりと立ち上がり、男へと頭を下げた。

「さっきはありがとうございました。あなたの援護がなければ、今頃俺たちは夜鬼に斃されていました」

「礼には及ばないよ」

 男は、雄也の言葉にそう答えた。

「君たちこそ、あれだけの大群を相手によく頑張った。……そう言えば、まだ自己紹介をしていなかったね」

 そう言うと、男は帽子を手に取り、改めて雄也たちの方へお向き直った。

「私の名前は、ハワード・カーター。魔術結社アーカム・ハウス所属の退魔師だ。君たちのような有望な退魔師に出会えたことを、私は誇りに思う」

 ハワード・カーターと名乗った男に対して、雄也も自己紹介で応じた。

「俺の名前は、新上雄也。駆け出しの退魔師です。こいつは――」

「ワシの名はクーじゃ。先ほどは取り乱してしまって悪かったのう。おヌシには心の底から感謝しておる。改めて礼を言わせてくれ」

「クー君と新上雄也君か。……新上雄也、……どこかで聞いたような気がするが……」

 ハワードはそう言った後少しの間思案していたが、何かを思い出したらしく、手を叩くと雄也の方を向いて口を開いた。

「君は、もしかして新上恭一君の息子さんじゃないかね?」

 ハワードの口から出た思いもよらぬ言葉に、雄也は驚いた。

「父のことをご存じなのですか、ええとミスター――」

「ハワードでいい。――それで、新上恭一君のことだが、ああ、知っているとも。一応、私は彼の先輩ということになるか。もっとも、年は私の方が下だし、お世話になっているのはお互い様だから、友人といった方がいいのかもしれないね」

「先輩? それは一体どういうことなんです?」

「話せば長くなるが、時間はあるかね? ついでに、いくつか君たちに尋ねておきたいことがあるんだが」

「構いませんよ。俺も、いくつかあなたに尋ねてみたいことがあるんです。クーも、それでいいか?」

「ワシは別に構わんよ。それよりもおヌシ、もう体の方は大丈夫なのか?」

「ん……、ああ、そう言えば、もう大丈夫みたいだ。あの時は、いったい何が起こったんだ?」

 雄也のその言葉に対して、ハワードが答えた。

「そのことについても、私から説明しよう。それに立ちっぱなしというのも疲れる。とりあえず座らないかね?」

 そう言ってハワードは公園のベンチを指さした。


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