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夢Ⅰ


夢Ⅰ


 目の前には一冊の古びた書物があった。

 紐によって裏表の黒く分厚い表紙が閉じられており、中を見ることは出来ない。表題の文字は金色の箔押しとなっている。表題は奇妙な言語で描かれており解読することが出来ない。その表題の下には、いくつもの様式化された水棲生物のシンボルが描かれていた。

 その中でもとりわけ目を引くのが、中央に描かれている生物である。

 頭部は体と比較して異様に大きく、無数の触腕のようなものが顎に当たる部分から髭の様に生えている。

 手足の鉤爪は肉食動物のように鋭く、胴は醜く肥大化している。

 背中からは蝙蝠を連想させるような翼が生えており、その全体像からは悪魔か、あるいはドラゴンを連想させる。

 あるいは、タコやイカの類を豊かな想像力で醜悪に擬人化した存在であろう。

 少なくともこれが、ほかに描かれている水棲生物同様に実在するものであるとはとても思えない。

 一切の音も光も遮断された暗黒の中にあるただ一冊の奇妙な黒い本。

 その本が突然、何の前触れもなく開いた。

 表紙を閉じていた紐が解けるとともに勢いよく本が開き、音を立てながら物凄い勢いでページを進めていく。

 古びた紙に描かれた解読不能の文字と、いくつもの奇怪なシンボル、そして非ユークリット幾何学的な図形。

 それらを見つめている『私』の意識は徐々に本の中へと消えていく。そしてすべてのページが送られ、再び本が閉じられたとき、『私』の意識は本の中へと吸い込まれていた。

 

 『私』は水の中にいた。広く、そして暗い水の中。

 恐らくはどこかの海なのだろう。

 『私』の意識が徐々に海の底へと沈んでいく。『私』の意識がたどりついた場所は海底にある巨大な神殿だった。

 底知れぬ混沌を内包した、巨大且つ異様な、穴蔵とも渓谷ともつかない巨大な石の塊。

 自然物では決してありえない、形を整えられた独立石。

 奇怪な文字を用いて記された碑文と、様々な水棲生物を象ったと思われるグロテスクな彫刻。

 おおよそ地球上のいかなる民族すらも持ち合わさないであろう、禍々しくも荘厳且つ不可思議なこの神殿からは、決して拭い去ることの出来ない宇宙的な恐怖を放っていた。

 そのどれもが尋常ならざる巨大さと、現存するあらゆる建築方式からかけ離れた手法によって成り立っており、物理と遠近の法則がことごとく狂っていた。すべてのものの相対的な位置関係が幻影さながらに変化しており、凸面が凹面に、鈍角は鋭角に、狂ったようにあやふやになっている。

 『私』の意識はこの海底神殿をひたすら奥へ奥へと進んで行く。

 やがて『私』の意識は巨大な壁の前へと辿り着いた。

 本能的恐怖を感じるほどに巨大、且つ非自然的な石の壁であった。壁には本の表紙に記されていたものと同じような数多の水棲生物のシンボルたちが描かれている。

 それらの中には人類有史以前に絶滅したはずの生物や、神話上の生物、あるいは、おおよそ存在するはずもない奇妙な形状の生物、果ては水棲生物を思いつく限りもっとも醜悪な形状へと擬人化した想像上のもの以外では在り得ないような生物までもが含まれていた。

 それらが奇妙な文字と共に壁一面に掘り込まれているのだ。

 さらに、それら彫刻群の上から奇妙な光彩によって、奇妙な図形がいくつも描かれていた。それは、中央に燃える柱と目をあしらった五芒星だった。

 『私』は、ふと壁の前へと意識を向けた。そこには、この場所にあまりにも似つかわしくないものが存在した。

 そこにいたのは一人の少女だった。

 年は恐らく十代半ば。見る者を畏怖させるほど整った顔立ち。左右非対称に肌の露出した体に張り付くような奇妙な服。透き通るような白い肌と、緑色の光を放つ長い髪。

 おおよそ普通という言葉からは離れかけたその外見。人間離れした奇妙な魅力を持つその少女は壁にもたれかかり、目を閉じ、うつむいたまま佇んでいた。

 『私』の意識は自然と、その奇妙な少女の方へと向かっていく。

 不意に少女が顔を上げた。緑の髪がそれに合わせてゆらゆらと揺れ動く。

 ああそうだ。此処は海の中なのだ。

 しかし、ならば何故、この少女はこんなところにいる。此処は人間が存在できるような場所ではないはずなのに。

 『私』の意識が少女の顔を見つめる。少女もまた、それに応じるようにして、こちらへと顔を向ける。そして、今まで閉じていた目をゆっくりと開いた。

 それは赤い瞳だった。夕焼けのように、炎のように。

 あるいは、そう。

 血のように。

 人の体から流れ出る鮮血のように、どこまでも紅く、朱く、赤く輝く瞳だった。

 『私』はその瞳を見つめた。少女の白く透き通るような肌が、その赤さをより際立たせる。『私』は少女の瞳に魅入られた。

 不意に少女がほほ笑んだ。

 次の瞬間、『私』の目の前には一面に赤色が広がり始めた。そして、私の視界にただ一色の赤色以外が映らなくなったとき、『私』の意識は再び何処とも知れぬ場所へと吸い込まれていった。

 

 『私』は水の中にいた。広く、そして暗い水の中。恐らくはどこかの海であろう。

 『私』はあたりを見渡した。先ほどの、奇妙な少女を、緑の髪を揺らし奇妙な服を纏った白い肌の、赤い瞳の少女を見つけるために。

 辺りにあるのは神殿だった。先ほど私がいた海底神殿だ。前方には遠近法が狂ったかのようにあまりにも巨大な石造りの柱。そして背後には、それらを凌駕するほどの巨大さで本能的な恐怖すらも呼び覚ますような壁が存在した。

 『私』は不意に前の方へと意識を向けた。そこから奇妙な気配を感じたのだ。

 光すらも届かないはずの深海の闇。

 その先に在ったものは眼だった。

 無数の血のように赤い瞳が、光を放ち闇の奥深くに蠢いていた。

 『私』の本能が警告する。

「駄目だ。その先を見てはならない」

 と。

 しかし、私の好奇心がその警告を踏み越えた。

 『私』の意識が闇の中へと潜る。

 次の瞬間、私が見たものは、この世界に存在するはずがなく、存在してはならないものだった。

 老木の幹のように太い触手が無数に絡まりながらのた打ち回る。

 鮫の様に鋭い牙が貪欲に被捕食者を求めてきらめく。

 鱗にまみれた巨大な腕が闇をかき分ける。

 肥大化した頭部からは、髪の毛のように生えたいくつもの細い緑色の触手が、それぞれ固有の意思を持っているかの様に蠢く。

 蝙蝠に似た巨大な翼が海中をはばたく。

 そして、その顔に並ぶ無数の赤く輝く瞳が、はっきりと『私』を捉えた。

 想像しうる限り、否、想像など遥かに上回るほどに、醜悪に水棲生物を掛け合わせ、そして擬人化したかのような戦慄的存在。

 地球上のいかなる文明、文化、宗教においても想像されることのなかった、禍々しく悪魔的で、冒涜的存在。

 あらゆる神性、聖者、祭司を嘲り笑い、唾を吐きかけ、侮辱するために存在するかのような、究極の背信的存在。

 この忌まわしく悍ましい混沌とした深宇宙的あるいは本能的恐怖を呼び起させる存在が『私』の目の前に存在した。

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