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夢CⅡ


夢CⅡ


 『私』の意識は、暗く深い海の底にいた

 『私』の名前は『クティーラ』。

 大いなる父『クトゥルフ』の娘であり、人類が『邪神』と呼ぶ存在。

 父、クトゥルフの姿は、人類を基準に考えれば異形そのものだろう。

 常軌を逸した巨体。巨大な頭部。髭の様に生えた無数の触腕。背中から生えた巨大な翼。鋭い鉤爪。ブヨブヨとしたゼリー状の皮膚。

 その姿形に加えて、圧倒的な凶暴性と、膨大な知識、強大なカリスマ、そして何よりも他者の追随を許さない絶対的な強さを持つ彼は、確かに人類から『邪神』と呼ばれるに相応しい存在だ。

 『私』の意識は今、海の底にある神殿を彷徨っていた。

 神殿の名は『ルルイエ』。

 クトゥルフとその眷属たちの居城であると同時に、彼等が封印され、永劫ともいえる時を眠り続ける深淵の牢獄であり、忘却の流刑地だ。

 『私』の意識はルルイエのさらに奥へと進んで行く。

 『私』の意識は、ルルイエの奥にある巨大な壁の前にたどり着いた。いや、これは厳密に言うのであれば壁ではない。

 これは『扉』なのだ。

 この扉の奥には、父クトゥルフを含めた、多くの『邪神』が封印されている。私も、かつてはそこにいた。

 指一本すらもまともに動かすことの出来ぬまでに力を奪われ、時間が死んだかのような底知れぬ暗黒の中に私はいた。

 何故私たちが封印されたのかはわからない。

 星の力が弱まり両者痛み分けとなった『古のもの』との戦いの後、傷をいやすためにルルイエへと戻った私たちは、ほとんど何の抵抗もできないまま『彼等』によって幽閉された。

 『彼等』はただ、己のことを『正義』だと言っていた。この宇宙の秩序を守るものと言っていた。

 『彼等』は私たちを『扉』の向こうに封印し、己の証である奇妙な五芒星を『扉』に書き込んだのだ。

 『私』は『扉』へと意識を向けた。かつてはそこにいくつも描かれていたであろう奇妙な五芒星の内一つが消滅している。その五芒星が、恐らく私を封印していた鍵なのだろう。

 今の時代において『彼等』は『旧神』と呼ばれているらしい。

 『私』の意識は、『扉』にもたれかかり、目を閉じ、うつむいたまま佇む一人の少女へと移動した。

 年は恐らく十代半ば。見る者を畏怖させるほど整った顔立ち。左右非対称に肌の露出した体に張り付くような奇妙な服。透き通るような白い肌と、緑色の光を放つ長い髪。

 『私』の意識は自然と、その奇妙な少女の方へと向かっていく。

 不意に少女が顔を上げた。緑の髪がそれに合わせてゆらゆらと揺れ動く。

 『私』は知っているはずだ。この少女が『誰』であるかを。

 『私』の意識が少女の顔を見つめる。少女もまた、それに応じるようにして、こちらへと顔を向ける。そして、今まで閉じていた目をゆっくりと開いた。

 その瞳は美しい赤色だった。

 焔のように、鮮血のように赤い瞳だった。

 その瞳を『私』は誰よりも知っているはずだった。

 少女は『私』に向かって笑いかけると、緑の髪を揺らしながら神殿の奥へと泳いで行った。

 今ならわかる筈なのだ。何故、この海の中にあの少女が存在できるのかを。

 『私』の意識が少女の後を追いかけ、ルルイエの中を進む。

 無数の彫刻群を越え、相対的な位置関係が幻影のように変化する道を進み、鈍角の中とは鋭角の外を潜り抜けたその先で、少女が進むのをやめた。

 少女はあるものを背にしていた。

 背にしているであろうことを『私』は予測していた。

 少女は私に笑いかける。

 『私』はこの少女が『誰』であるか知っている。しかし、それを認めたくはなかった。それを認め、少女を直視した時、少女の背後にあるものを『私』は見る事になるのだから。

 そんな私の心を見透かしたかのような少女の声が『私』の中に響いた。

「認めるのじゃ、おヌシが何者であるのかを。すべてを知ってしまった以上、最早引き返すことなど出来ん。こうなることは予測できておったじゃろ?」

 ああ、そうだ。認めざるを得ない。

 この少女は『私』だ。

 この少女は『私』の一部だ。

 この少女は、記憶と力を失ったことによって作り出された『私』の虚像だ。

 『私』は『私』の虚像を直視する。

 『私』の虚像の背後にあるもの、巨大な鏡を直視する。

 認めたくなどなかった。知りたくなどなかった。

「ヴヴゥゥゥヴゥゥアアアアアァァァアアアァァァ――――」

 悍ましい叫び声が聞こえてくる。

 これが私の本当の声だ。

 醜悪な化け物が映る。

 これが私の本当の姿だ。

 無数の瞳が鏡の中に揺らめく。

 赤く、紅く、朱く、血のように赤い瞳が、理性を失い、本能を解放し、獣のように、血を求め、生贄を求め、破壊を望み、終焉を望み、炎のような輝きを放った。


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