8 第2の事件発生
春本はいつも朝食は食べないが、9時過ぎにはダイニングに来る。
小嶋の出勤が9時で、それに合わせて起きて来るようだ。
普段の小嶋の朝は、ダイニングで春本にコーヒーを入れて、春本がコーヒーを飲んでいる間に、新館の春本の書斎を掃除することから始まる。
この日は、全くその気配がなかったので、小嶋が起しに行ったが、鍵が掛かっていた。
「先生!起きてますか!」
ノックしても、返答がない。
ドアノブをガチャガチャ回してみたが、中から鍵をかけているようだ。
小嶋は1階に戻り、ダイニングにいる村上らに、事情を伝えた。
「先生も寝過ごしているだけじゃないか」という意見もあったが、今日は、春本の蔵書の整理・分類・分別の為に声を掛けて前夜から集まって貰った訳で、春本も、昨夜はいつもより早めに部屋に引き揚げている。
寝過ごすとは思えない。
小嶋が「いつもダイニングに掛けてある鍵束が無くなってます」
村上と錦戸が、様子を見に行くことになり、小嶋と共に3階の春本の書斎部屋に行った。
やはりドアには鍵が掛かっている。
「先生!起きて下さい 」
ドアをノックして、声を掛けても返事がない。
この木製ドアは、春本の特別注文で造らせたもので、2cm×10cmのスリット式覗き窓や郵便受けがついている。他にも羽目板に1mm程度の隙間があったり、ドアノブも直ぐに取り換えられたり、ドアノブによって押して開けるか、引いて開けるかの切り換えることもできるというシロモノ。もっとも先日ノブを取り換える時にビス頭を潰してしまってノブはそのままになっている。ドアの横の壁にもスリット式の小窓があったり、機械的トリックを色々考える為の工夫がしてある。
旧館の時に、全員が各自でそれぞれ思いつく限りのトリックの実験をしたことがあったが、どれも失敗に終わっていたとのこと。
但し、成功しても言わなかっただけかもしれない。
ドアのスリットからも小窓からも中は覗けなかった。
「小嶋、他にスペアキーはないのか」
村上がドアノブをガチャガチャ回しながら聞く。
「ありません。先生が持っているものとダイニングにあった合鍵しかなかったんです」
庭に面しているが3階であり、光や風が入っても人間は入れないことは全員が知っている。
「ノブのビスはつぶれたままか…仕方がない。錦戸、ドアを破るから手伝え」
錦戸と交代で体当たりを二度三度繰返したが、細身の二人ではビクともしない。
「何してるの?先生起きて来ないの?」
いつの間にか丸山と前田もきていた。
「なんか変なんだ。マル、ドアを破ってくれ」
ガタイのデカい丸山が二度三度繰返すことで、やっと羽目板二枚を破ることが出来た。
隙間から手を入れて、中からドアノブを回してドアを開けた。
机の側で春本が倒れていた。
「キャー」思わず悲鳴をあげたのは、以外にも何があっても冷静なキャリアウーマン然としているだろうと思われていた前田であった。
目立った外傷は無かったが、首にスカーフのようなものがまきついており、一目で死んでいることが分った。
しかも、身体の右側を下にして横たわり、右腕を頭から回して伸ばし、左腕は肘までを身体に添わせて伸ばし、まるで「小さく並べ」とするときのよう。
村上は他が入らないように身振りで示して、ゆっくりと春本の側に近付いた。
後の4人は、ドアのところから、目を皿のようにして部屋の中をしっかりと記憶した。
推理小説を書こう会のメンバーだったから、現場保存の重要性はよく分かっている。
村上がドアの方を見ると、4人の顔がサイコロの4の目のように綺麗に並んでいた。
「小嶋、警察に電話だ、春本先生が殺されていると」
「ハイッ!」
はじかれたように返事して、ドタバタと走り去った。
村上は立ち上がって、その場から、あたりを見回した。
「なんだ?ダイイングメッセージか?」
村上には、春本の死体は歪な「F」にみえた。
それだけでなく、掌に薄くFの文字が書かれていた。
犯人は何かを捜していたらしく、ゴミ箱がひっくり返され、書き損じなどが軽く伸ばされていた。
春本の机の引出しが全て引出されてごちゃごちゃに掻き回されていた。
机の上の書類は、一枚づつ調べたように散らばっており、春本が、メモを上へ上へと綴じているボードから、メモが外されて散らばっていた。
修理に出していて3日前にピカピカに磨き上げられたパソコンは電源が入ったままで、待機モードになっていた。
村上は、マウスにハンカチをかぶせてクリックしたが、反応がない。
いつも持ち歩いているゲーム用のタッチペンで画面をタッチすると、浮かび上がったのは「春本メモ」の最終ページであった。
春本邸の防犯設備は、めちゃめちゃ厳重というわけではないが、ブロック塀に囲まれており、尚且つ有名セキュリティ会社と契約している。
昨夜はセキュリティも正常に作動しており、庭や塀も警察が調べたが、なんの異常もなかった。
昨夜外部から侵入した人物はいない。
つまり、内部にいた人物の犯行であり、換言すれば、昨夜宿泊した5人の内に犯人がいるということである。
この中なら誰でも犯行に及ぶことは出来た。
各部屋は同じ造りで、壁は防音材が入れてあるしドアの開閉はまったく音がしない。
廊下には、毛足は短いが分厚い絨毯が敷かれている。
誰かが出入りしても、部屋に居れば外の音はまったく聞こえない。
春本の殺害時のアリバイは、全員各自与えられた部屋で、ひとりで寝ていたというもので、確たるものは一人もいなかった。