聖なる夜に
行き交う人の群れ。
賑わう街。
降り積もる雪。
今宵はイエス誕生の日である。
「遅いなぁ……」
そんな日に私を待たせているのは、向こうから走ってくる人。
「ごめん!待った?」
と言う、私の彼氏。
「待ったも何も、15分の遅刻だよ?」
「本当にごめん!電車に乗り遅れちゃって……」
それが言い訳なのか、本当のことなのかは知らない。
「でも、いいよ。ちょっと寒かったけど」
「ありがとう」
そう言って、彼は手を差し伸べてくる。
私は躊躇うことなくその手を握る。手袋の生地を通して伝わってくる、温もり。
私たちの出会いは、高校生活初めての夏。
どういう訳か私は、よく言う特進クラスに所属していて、クラスを見渡せばそこには秀才ばかり。
いくら勉強しても勝つのは難しく、いつもクラスで下から2,3番の位置にいた。
数学の時間。まったくやる気のなかった私と違って、彼は先生の言うこと一つ一つに耳を傾けていた。
彼は、常にテストで8割以上を簡単に取ってしまうような優秀な人で、私はその正反対。
彼と私との学力は天地の差があるから、彼と私が釣り合う筈もなかった。でも、それがそうではないと気づく。
選択授業。私の学校では、一年次は理系、文系に分かれることなく総合的に学習をする。
二年次に理系に行くと決めた人も、強制的に文型科目を受ける。選択授業は、筆記教科ではなく、実技教科。
書道・美術・音楽の三つから一つを選んで受講する仕組みだ。私も彼も、音楽を受講した。
『特進クラス』という集団は、確かに頭脳は優れている。だから、理系に進む人がほとんどだ。
でも、実技教科に優れているかと言ったら、それはそうでもないみたいだった。
自慢できることではないけれど、選択授業での成績はクラスでも群を抜いて良かった。
小さい頃から習っていた音楽のスキルをフルに活用して、点数を稼いだ。
こういうところだけでもいい成績を取っておかないとまずいと、直感的に思ったからだった。
彼は、頭も良くてスポーツも万能だったけど、だた一つ、美術系のことは苦手だった。他の人と比べても特に、彼は苦手らしかった。
歌を歌えば音痴だし、楽器を演奏すると、決して滑らかとは言えない演奏しか出来ない。
必死に歌っている時に声が裏返ってしまったときは、失礼だけど、本当に笑ってしまった。
それでも必死にやるその姿が、なんか可愛く見えた。
彼は私より頭脳が優れている。でも私は彼よりも美術センスが優れている。
今までなんの勝ち目も無いと思っていた人と、初めて対等になれている気がした。それ以来私は、自然と彼を意識していた。
夏休みになって、補講が始まった。私は少しでも彼に近づきたいと思って、彼が出る補講には全部出た。嫌いな数学も、我慢した。
私は吹奏楽部で、彼はサッカー部。私がパートで練習している時に窓からグランドを見ると、たまに彼が見えた。
その時はちょっとうれしかったけど、その所為で部活に身が入らなかった。
彼が出るサッカーの試合には、可能な限り行った。ルールなんて全然知らなかったけど、彼が得点を入れた時のあの嬉しそうな顔を見ると、わたしも嬉しくなった。
そうしている内に夏休みはあっという間に過ぎて、いつの間にか10月の後半。
その日は休日で、サッカー部は他の高校との練習試合があるらしく、一階にある吹奏楽部の練習場所のすぐ横に荷物が置いてあった。
パート練は三階で、グランドが見えない部屋だったから結果は知らない。その日は部活に打ち込んだ。
部活終了時間が迫り、私がパート練から戻ってきたとき、他の部員から一通の手紙を渡された。そのとき、だいぶ冷やかされたのを覚えている。
手紙の差出人は書いていなかった。でも、誰からの手紙からは直感的にわかった。私のクラスには、サッカー部は一人しかいなかったから。
私は、家に帰ってからその手紙を開いた。男性らしい太くて、荒っぽい字が便箋三枚に渡って書かれていた。
手紙を読み進めていくうちに、やっぱり彼は彼だな。と思った。
手紙の内容は予想通りで、文章の最後に、メールアドレスが書かれていた。私は迷わなかった。
即座に携帯を取り出し、そこに書いてあったメールアドレスを打ち込み、手紙の返事を打って送信ボタンを押した。
30秒ほどすると、私の携帯が鳴った。やけに返事が早いと思いつつも、携帯を開く。文面を見ると、そこには私が送った文面がそのまま載っていた。
どういうことかと画面をメール選択画面に戻すと、送られてきたのは、自動送信のメールだった。
『Title:送信先が見つかりませんでした』
私は吹き出してしまった。彼は、自分のメールアドレスを書き間違えたのだ。しかもこんな大切な文面において。
私は困ってしまった。彼の質問に対する答えを伝える方法が、無くなってしまった。その日は、膨らむ気持ちを抑えながらも、次の日を待つしかなかった。
次の日の昼休み、私は彼を、一番人の来なさそうな地学室に呼び出した。一階の隅にある地学室付近は、生徒は普段、ほとんど近づかない。
彼にメールアドレスのことを伝えると、顔を真っ赤にしながらも、この世の終わりみたいな顔をした。
彼の本性が見えた瞬間だった。意外とドジなんだと、初めて知った。
でも、声を震わせながらも、手紙の返答が聞きたいと言って来た。
私は、前日メールに書いた本文そのものを彼に返した。
数秒間の静寂があって、彼は男なのに泣き始めた。男って意外と弱いのだと、その時知った。
彼は震える声で、『ありがとう』と言った。私と彼とが繋がった瞬間だった。
それ以来、彼と私は互いを補い合っている。
分からない数学は彼に教えてもらうし、彼が苦手な音楽は、私が可能な限り教えている。
付き合い始めてから分かったこともたくさんある。中でも、彼が意外にも時間にルーズだったことに対しては驚いた。
だから今日もこうして彼の到着を待っていた訳で。
「さて、今日はどこに行く?」
そうそう。彼が他人任せだということも、付き合い始めてから分かった。
実は、どこに行こうかは考えていない。今日は、すべてが他人任せの彼にすべてを任せるつもりだ。
こんなに特別な日に、そういうことをあえてしてみるのも、悪くないと思ったから。