Prologue
テストがてらに初投稿します。よろしくお願いします
Prologue 1
その人物は旧市街の屋上伝いを飛びながら、一時的に警察の追跡をまいた。
以前は緩かった警察の追跡は、ここ最近になって一人の警部が加わってからしつこさをひと際増した。人間離れした跳躍力で逃げようとしても、近頃では着地地点に待ち伏せされることも多く、予断を許さない。
夜会の誰かが公安に知恵を与えたか、夜会の貴族が好き好んで直接指揮を執っている可能性が高い。うまく逃げ切っても、隠れ家で数日は潜伏しなければならない事も少なくない。
(?)
ふと、外の空気が変化しているようだった。追っていた群れの息遣いが変わったような静けさである。次の瞬間、外から警察の犬どもが「俺の頭がー」「どこだー」という叫びがあがる。
群れの阿鼻叫喚があたりに響いた直後、そばに現れた他者の気配に怪盗は構えた。
「隠れ家を転々とし、別人に変装するのを何度か繰り返して逃げる常套手段か」
部屋の暗がりの中から声だけが伝わってくる。
「追手には少し黙ってもらっている。適当に選んだ一人には悪いが、少しばかり首を涼しくしてもらった」
自分と似た同業者だとすでに判断される。今夜の収穫物を懐に収め、そのまま得物に手を伸ばす。
外からは場を律する絶対的な声で「リヴィングだ。奴を探せ」という命令が叫ばれる。
「今日はうるさい警部も一緒だ。まぁ、ああいう風に勘違いなさるが」
「何者だ?」
「賞金首制度の上で、貴君を討伐しに参上した」
「噂に聞く賞金首で荒稼ぎしている同業者か。ならば、ここで俺がお前に代わって倫敦の夜会を牛耳ってやる」
「やる気なのはいいが、一人の怪盗がそんな役割を果たせると本気で思っているのか?」
「ああ。第一に、多くの同業者がお前という新参者のせいで商売あがったりだ」
「だから下請で盗みを代行するか。古き良き時代のスタイルは廃れ行くのみとは古参方も嘆かれているものを。うむ、どうやら今意向は向き合ってるようだが、その大義でもない意見は責任逃れとは言えないか?」
薄明かりの中、無造作に放られた一撃が閃く。語るに落ちた人影を怪盗はナイフの投擲で黙らせた。人影は難なくそれを横へと避ける。しかし、ナイフが急に軌道を変えて襲いかかる。予測していなかった軌道の変化に人影もすかさず手にした得物で対応する。
軽快な金属音とともに弾かれたナイフが持ち主の手元に戻る。
「交わす言葉も確かにない」
肩を落としたような物言いで、人影は淡い明かりの一歩手前まで来て立ち止まる。
「こちらもそれなりの資金がいるんでね」
その首から上は、ぼんやりとしたシルエットから目深にかぶったシルクハットであるとわかる。まぁいいとつぶやきながら、人の形をした影は帽子のつばに指をかけたようだった。
「さて、あんたの首はどれだったけかな?」
人影はその場で初動を見せた。それはシルクハットを盛大に脱ぐような動きだった。
Prologue 2
三月初日。ロンドン・ヒースロー空港のだだっ広いロビーにて。
「ああ…………はああ~」
そそくさと免税店から撤退しながら、しみじみと悶絶を吐く。
こうも外国人は日本人を若く見るものなのか。そうは言っても、高校一年生一人がブランドショップでうろちょろすれば、それは冷やかしにしか見えない。態度のはっきりした店員が懐の寒そうな客を相手にしないのは当然だ。これならサンドラさんに頼むんだったと今さら後悔しても、もう遅い。
ロンドン市内のつてというつてをあたるも目的の物とはまったく巡り会わないまま。ずいぶん前から人の手を借りて探しているものであっても、ここイギリスでの約二年の生活の忙しさにかまけて帰国直前の一昨夜まで、ほったらかしにしていたのだ。
「そんなにアレって人気だったのか……」
空港の免税店だけが最後の頼みだった。だが、こんなにも手に入りにくい物とは思わなかった。いよいよ諦めるべきなのか。刻々と搭乗時刻が迫る。ふと、ロンドンのどこかにある偽物を並べた商店を思い出してみる。ならば、とは考えたくもない。偽物の購入及び所持は良くて没収、悪くて法的罰則が課される。欧州ではブランドメーカーを守るために特に厳しく、たかが、といえる代物でも用心しないといけない。
これ以上警察沙汰に巻きこまれてなるものか。
「そもそもアレは限定品なんだし」
ない物はないんだ。そう自分を諦めさせるべく独りごちっていると、目の前を一組の母娘が通り過ぎる。
一瞬で視界が鮮明になった。どんなに忠実な犬でもお預けを食らえば、「よし」の「よ」の瞬間に、がっつきたくなるもの。
「ちょちょ、ちょっとごめんよ、お嬢さん」
反射的に、少女を追いかけ呼び止めた。五歳くらいだろうか、ちょこん、という擬音がぴったりの西洋人形のような少女が振りかえる。
「おにーちゃん、なーに?」
少女と同じ視線にしゃがみこんで、抱きかかえられた胸元のそれを指差して問う。
「その、君の持ってる、それってどこに売ってるのか教えてくれないかな?」
少女の胸元には目的の物が抱かれているのだ。
「何か用?」と警戒を漂わせた母親が訝しげに応じ、戸惑ってしまうが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「ああ、いやいや、そのですね。これをずっと探してるんですけど、どこを探しても見つからなくって」
本当はここ三日ほど、保護者不在で軒並み店員に相手にされなかったのだ。
「この機を逃すと、もうこっちに来れなくなるかもしれなくて」
切羽詰っているので自制がきかなくなっている自分がわかる。
少女に視線を合わせるために膝をつき、両手を合わせて懇願している図は人目をはばからない命乞いのように見える。もしくはこっちではプロポーズだろうか。
「これはねこれはね、パパから貰ったの」
想像の範囲内のものだが、母親の代わりにあっさりと少女が必死に答えてくれた。望んだものではない答えに情けない表情をしてしまったんだろう。警戒心を解いた母親は、すまなそうな顔をする。
「ごめんね。どこで主人が買ったのか私も知らないの」
場所さえ分かれば、電話一本でサンドラさんに頼めるのに、現実は甘くない。
「ええっと、気にしないで下さい。しょうがないです。いいな、お兄ちゃんも欲しいな」
「お兄ちゃんもパパから貰えばいいんだよー」
「ちょっと難しいな。僕のパパはちょっと遠くにいて、あんまり帰ってこれないんだよ」
「ええー! それじゃ、お誕生日もクリスマスも一緒じゃないの?」
ハードルを上げてくれるか。これくらいの年の子ならそう返してくるのは予想できるはずだった。表情に出さず、激しく後悔する。そんな純粋さが過剰に可愛さ余って憎い。けど、やっぱり可愛いから許す。はてさて何と言えばいいのやら。
「うんとねー、僕のパパはサンタさんの国よりも、ずーっと遠い国にいるからだよ」
「すご~い!」
そうかなと答えると、さらに少女は「すごいすごい」を連発し、感激で爆発しそうに小刻みに跳ねる。そういう風に感激されても困るのだが。目をキラキラ輝かせる少女に笑顔で合わせるしかなくなる。その向こうで母親の眼差しが悲しみと共に向けられる。どうやら意味を汲み取ってくれたようだ。もういないという事を何と表せばいいのか。それを自分がこの子に教えてもいけない気がするので、話題を変える。
「これからどこ行くの? 旅行?」
「うん。けどね、さっきまで、パパが、パパがね、いたのに、どこかいっちゃった。先に行っててって。そしたらママおこっちゃって。お兄ちゃんもパパにおいてかれたの?」
何やら墓穴を掘った質問だった。無理矢理頷く自分を哀れ三昧に自嘲していると、母親が「時間は大丈夫かしら?」という風に腕時計を指でとんとんと叩く。
「おっと、そろそろお兄ちゃんも飛行機に乗んなきゃ。それでは二人のプリティーなレディー、どうもありがとうございます。よい旅と出会いを」
「あら、どういたしまして」
お世辞は師のようにキザにはいかなかったが、少しだけ満足げに母親は娘の背中を押す。少女も「バイバーイ」と手を振りながら去った。
最後の希望も幻に終った。しばし、その場で立ちすくむ。このままイギリスを去る事になろうとは、今になって現れた後悔に自噴する。
「うーん、嗚呼……どうしよ」
挙動不審に唸りながらも搭乗口に向かうしかない。
これから半日以上の長旅の間、この後悔と明日以降に味わう惨めな顛末に悩まされるのだろう。それを思うと、恐怖で日本に帰る気がなくなりそうになる。機内の映画はそういうのを忘れるものにしよう。バイオレンスとかホラーとか、特に絶対に愛憎ものは見ない。カンフー映画辺りを見ないと無理だ。
と、タタタと背後から駆け足が迫り、子供の気配と匂いで背後の温度が上がる。
「おにーちゃんっ!」
振り向くと、先ほどの少女がロザリーを胸に抱きながら一枚の洋封筒を差し出した。
「これね、あのおじさんがおにーちゃんにって……、あれ?」
後ろを指差したまま少女は首を傾ける。
封筒を受け取って、その指差した方向を見るが、搭乗時刻が近づいたロビーは珍しく閑散とし、それらしい人物はいなかった。
洋封筒を裏返す。そこには馴染み深い『the Night』の文字があった。ふと、封筒の向こう側で少女が何やら言いたそうにしている。
「どうしたの?」
「うん、私のロザリーだかせてあげるっ」
無垢な笑顔に魔がさした。ほんと純心なのは罪なので嫌がらせをしたくなってしまった。
「うわ、ありがとう。でも、おにいちゃんが持ってちゃうかもしれないよぉ~?」
「ふぇ」この世の終わりに絶句し、半泣きになりかけて少女は硬直する。
「だっ、だい、大丈夫、うそうそ。気持ちだけで嬉しいよ。そうだ。アメをあげるからさ」
あわてて手品師のように手の内からアメ玉一粒を少女の掌の中に忍ばせる。一転して、その頬をほころばしそうになるが、
「ママには内緒?」
少女は切々と訴える。この子くらいの年齢なら歯は清潔にとうるさく注意されているのだろう。母親には内緒にしてあげると約束した途端、少女は即座に飴玉を口の中に放り投げた。すると、あどけない満面の笑みでその両脇を抱えてロザリーを前に差し出した。
「じゃあじゃあ、ロザリーをナデナデしていいよ」
それくらいならとロザリーをなでる。実は抱くのは何か気が引けていたのだ。
しかし、つい「ほほぉ」と声を上げてしまう。職人の手で丁寧に作られたのだから安物とはやはり感触がまったく違う。材質は糸に至るまで一級品なのだろうか。一生ものと言っても過言ではない。普通の素材ではなく、まだざらついた新品の革の手応えがある。幼児なら邪険に扱うものだが、その都度、なめされて年季が入ってくる感触と共に愛着も増すはずだ。
「ところで、ママは?」
「お手洗いー。でもね、ぜったい、パパと電話でケンカしてるんだよー」
「あはは、そう、なんだ」
おませさんは得意げにだが、少女から成長する片鱗ともいえる呆れ顔を浮かべる。対して、その間も自分の手はずっとロザリーの頭をなで続ける。
そして、二人してロザリーのよさににやけてしまうのであった。そんな幸せな顔を見て、この約二年の英国修行が綺麗に締めくくられる気がした。
独りトランク片手に神流木の地を飛び出し、英国修行が始まった頃は長く辛かったが、手にするものは大きかったと思う。
でも、この英国修行を決断した直後、ある犠牲を払ったのだから―――それがどんなに辛い思い出として苦しめられた事だろう……が、がですよ、やはりこの品ならと姑息な考えをめぐらせてしまう。どうして汚い我が心のどす黒さだろう。日本に残った仲間とは後味悪い別れだったのだ。特に、あの人にはこれから修行に向かう人間をズタボロにする決定打を打ちこまれたのだから、物で釣って何とかなるはずがない。あの人の性格からして、どのような感情で脚色されていても自分の事を覚えているのならまだいいが、なかった事にされているとさらにつらいんだよー。
そうやって過去を振り返りながら熱心になでていると、弱きさに負けて、ぽろりと口から酷い言葉がこぼれた。
「やっぱり、お兄ちゃんにこの子ちょうだい?」
「あ、あげないよーー」
少女が不安げな声をあげ、必死に胸の中にロザリーを抱き戻す。
「……ロザリーじゃないとだめなの?」
「いやいや、そうじゃなくって。うーん、実はさ、お兄ちゃん、ケンカしたままの子と仲直りしたくてさ。まぁ、いいや。大丈夫だよ、ロザリーは君と一緒の方が幸せなんだし、ね。そうだ、ママが待ってるよ」
そして、もう一つ飴玉を掌か出して、お詫びをする。元気いっぱいを取り戻し、手を振りながら走り去る少女をこちらも手を振って見送る。
相手がどう思おうと、自分は諦めきれないのだから仕方がない。多くの人がその事を未練がましいと言うものだが、独善的になれば、数ある内の一つくらいはいい話のまま続いてほしい。
暦では立春をすでに迎えた日本。三寒四温の晩寒のままか、少しは暖かい初春か。暖かい事を願おう。
さてと、と腕時計を見る。搭乗時刻だが、少女が振り向かなくなったのを確認し回れ右。出口へと足を向けた。
続く