三章第十九話 此処がいわゆる正念場
巨無と阻無、共に霊子断の性質を持つ破壊の剣。
ぶつかる度にせめぎ合い反発するその力は、不協和音と共に空間の歪みすら生み出し、その衝撃の波は使い手に傷を負わせていく。
だがゼロワンもカタナも、如何に皮膚が裂かれ血を流そうとも剣を引こうとはしない。
本当にせめぎ合っているのは、刃では無く二人の意思と意地。
「なあ、解らないか? 別々の道を歩みながらも、俺達は同じような得物を手にしてる。それが何を意味してるのか」
ゼロワンは余裕のある表情で、逆手の阻無の持ち手をもう片方の手で支えながら言う。
「……何を言っている?」
対するカタナにはそれほど余裕が無い。
魔元心臓を起動しているその負荷は、互角の力を持つ魔元生命体が相手だからこそ響くもの。
体を蝕む事で魔力を生み出すダークマター、その力に対しての抵抗力はより適応しているゼロワンの方が上なのか、カタナの方は徐々に押されつつあった。
「俺達はまだ、試されてるのかもしれないって事だ。自分の意思で動いているつもりでも、それが誰かの思惑に乗っている可能性は否定できないだろ?」
「そんな事、今はどうでもいい」
カタナはゼロワンの言葉を切って捨てる。
どんな可能性が他にあったとしても、今やるべき事はたった一つだからだ。
「あんたを止める、それ以外の事は二の次以下だ」
「ハッ、止めるって言うけどな。俺は死ぬまで止まる気は無いぜ? お前に俺を殺す事が出来るのかカタナ?」
カタナの心中を察するかのように笑い飛ばすゼロワン、その意味するところは単純な実力差とは違う所にあった。
「さっきから防戦に徹してるだけじゃないか。付かず離れずで立ち塞がっているが、一度だって殺気は感じてないぞ」
見透かすように、ゼロワンは指摘する。
だがカタナはそれに対する返答の代わりに、ドレッドノートを構える位置を変えた。
下段に構えた剣、狙うは足。
カタナは攻勢に転じ、斬り飛ばすつもりでドレッドノートを振り抜く。
ゼロワンの表情から余裕が薄れ、身を躱した後に抉られた地面の痕から一歩だけ間合いを開けた。
「……何も止める方法が、あんたを殺す事に限られている訳じゃないだろ」
「そりゃそうだな」
更に張りつめる空気。
得物の威力から考えて、拮抗しているようでも勝負がつく時は一瞬。
神経を研ぎ澄ました戦いにおける間にある、先の先を奪い合う読み合い。
「……なあカタナ」
その空白においてゼロワンから投げかけられた言葉に、カタナは眉を潜める。
「何だ、まだ何か言い足りなかったのか?」
呼吸は一定、感情も一定に、集中力を保つ事を最優先にしながらも、カタナはゼロワンの言葉を聞き流す事はできない。
「まあ、言い足りないって言えば全然まだまだ、お前には言いたい事が山ほどあるけどな。俺の中に刻まれた術式は、俺の今の雇い主の不利になる様な言葉を封じているし、それ以外にも本当は、言いたい事が沢山ある……でもな、とりあえず聞きたい事は一つだけだ」
ゼロワンがカタナに語れる事は既に底をついている、本当なら無意味な問答だが、それでもこの先を見据える前に聞いておきたい事があった。
「お前はこの世界が好きか?」
「は?」
その言葉の意図する所を問うように、カタナはゼロワンの目を見据える。
しかし返す視線は、それ以上何も言う事が無いかのように、静かに見返すだけ。
だがそれでも、どうしても答えなければいけないかのような迫力は、ゼロワンからカタナに伝わっていた。
「……好きか嫌いかで言えば、嫌いじゃない」
漠然とした問いに対する、曖昧な答え。
だがゼロワンは満足したように頷いた。
「俺も同感だ、きっと今のお前とは、意図するところも見ているものも違うだろうがな。それでも、今まで見てきた汚いものが帳消しに出来るくらいの価値を、この世界には見出してる……」
ゼロワンにとってそれはカタナそのものであるが、わざわざ強調したりはしない。
これから自分が行う事が、それに対してどれだけ矛盾を孕んでいるのか解っているから。
だから代わりに宣言する。
「……だからこそだ、お前には負けられない」
圧倒的な魔力の奔流がゼロワンを包む。
魔元心臓の真価を引出し、発現する魔術は戦術級とは違う、たった一人に対して効果を得るもの。
人間があらゆる面で劣る相手に対抗するべく生み出した魔法を、ゼロワンなりに工夫して魔術式を編み出した『駆身魔術』である。
「――な!?」
カトリ・デアトリスが得意としていた魔法と同じく、ゼロワンのそれも外側から自分の身体に負荷をかけて無理やりに動きを速めるというもの。
非効率であり、なおかつ一歩間違えれば自分自身の身体を破壊してしまう程の危険をはらんでいる
だがうまく扱えれば、一対一の戦いにおいては大きな優位性を生む。
身体能力はほぼ互角であるゼロワンとカタナの戦いにおいては、それが全てを物語っていた。
「……やっぱり、お前に俺は止められない」
倒れたのはカタナ。
人の身の限界を超えた魔元生命体の限界を更に超え、まさに人智を超えた速さで動くゼロワンに必死で追いすがるも、僅か三合の斬り合いの後に両足の腱を斬られたのだった。
「まだ、だ……」
カタナは腕の力で体を持ち上げるが、足は動かず。
ゼロワンに殴り飛ばされ、再度地面に這いつくばることになる。
「もう充分だ、お前が傷付くのはこれで最後でいい。俺が絶対にこれを最後にしてやる……もう立つな、向かってくるな」
ゼロワンの顔には隠していた悲痛な思いが滲む。
カタナが傷付かない為に戦っている筈が、自分が一番そうさせている事実をゼロワンは解っている。
解っているからこそ、これで終わりにする為にカタナを突き放す。
「どんな大切なものだって傷付けて捨ててしまえる俺は、奴らニンゲンとそう変わらない。だからお前と一緒に居ることは絶対に無理だ……せめてその贖罪として、お前の敵は全部この世から消してやる」
あるいはその中には、ゼロワン自身も含まれているのかもしれない。
後悔は無く、そしてこの先も手段は選ばずに進み続ける。
正念場を勝ち抜いたゼロワンにはもう迷うものは無い。
そう、思われた筈だった。
「――待て、何してる!?」
もう立てないカタナを置き去りに立ち去ろうとしたゼロワンは、驚くべき光景に足を止めざるを得なかった。
「……俺は、どんな手を使ってもゼロワンを止める」
カタナは自身の首に巨無の凶刃を向けていた。
迷うものが無くなったのは、何も勝ったものだけでは無い。
大切なものを守る為に手段を選ばないのも、ゼロワンだけの特権では無い。
「正気か!?」
「もちろんだ、もう終わりにしようゼロワン。俺達の戦いも、他の人間に向ける敵意も何もかも、ここで全て……」
カタナの求め、そして信じたかった答えはここにあった。
失敗作であった自分が誰かから必要とされ、そして想われている。
それが解っただけで、もう充分なものを得た。
「……俺の為に戦ってくれているというゼロワンの言葉、その想い、今なら信じられる。だから俺もあんたの為に命を捨てられる……これで気付いてくれ、誰が死んでも残る悲しみと虚しさを」
「止めろ!!」
心残りは数多く、抱えている問題も責任も同じ数ほどある。
だがカタナにはそれを全て解決できる程、格好良くはできていなかった。
だからこそ敗北したから、我儘を通すためにあてつけのように自害するという、そんな最低の無様で格好悪い行為も平気で行える。
(……まあ、ある意味これが一番らしい最期かもな)
そんな事を思いながら、カタナは自分の首を落とすために巨無の持ち手を横に引いた。
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「常々思っていた事ですが、いい機会なので言わせてもらいます……貴方は馬鹿です、それも真性の」
静寂の中で、女の声だけがやたらと響いている。
予期せぬ事態に体を止めていたゼロワンと、そしてその女に実際に体を止められたカタナ。
上る霊光の白い輝きが残る手、長かった金髪を短く切りそろえられ、細まった金眼はカタナに対して睨むように向けられていた。
「……お前、カトリか?」
一瞬判別できなかったが、自害しようとしたカタナを止めた女は、カトリ・デアトリスに間違いない。
だが容姿はともかく、雰囲気が何処かカタナの知っている者とは別人のように思えた。
「カトリに見えませんか?」
だが半眼でじとりと睨む、慣れ親しんだその視線はカトリに間違いないと、カタナは妙に納得してしまった。
何でここにカトリがここに居るのか、いつの間に現れたのか。次々にカタナの頭に疑問は浮かぶが、それを問う前にカトリから先に告げられる。
「もう少し、貴方は欲張って生きるべきです。手助けできる者も、少なからず居るのですから」
「……ああ、悪い」
窘められて素直に頷いたカタナに、カトリは少し驚いた様子だったが、その後すぐにゼロワンの方に向き直る。
「ここは私に任せて下さい」
そう言ったカトリには、以前まで何処か自信を持ち切れていなかった雰囲気は払拭され、別人の様な頼もしさをカタナが感じる程であった。