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魔剣カタナとそのセカイ  作者: 石座木
第三章 私が私として
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断章 風神と魔剣

「少し休まれてはどうですか?」

 銀髪の女が、大股で風を切って歩く長身の男の後を、駆け足で追いかける。

「……」

 男は振り返らず、答えもしない。女の事を完全に無視した態度である。

「待って下さい『剣』。私は貴方をサポートするように室長から言われています。今後の連携を円滑にするためにも、せめてミーティングの時間だけでも……」

「必要ない。俺の事は気にせず、あんたは自分の身を守る事だけ考えていればいい」

 女の言葉に、男はそんなそっけない返答を返す。

「いいえ、これでも私は試験において一等級の評価を貰っております。足手纏いにはなりません!」

 いい加減追いかけているのも嫌になったのか、女は本気で走り抜き、男の正面に立ち手を広げる。

「……何の真似だ?」

「貴方の負担を減らすのが私の役目です。少し大人しくしていて下さい」

 鋭い男の視線に負けじと、女も精一杯睨み返して食って掛かるように言う。

「この程度の任務は負担にもならない。いい加減にしろよ女、あまり邪魔になるようなら病院に送るぞ」

 男は視線に殺気すら滲ませていて、病院に送るという言葉も脅しの類には聞こえない迫力があった。

 それでも女は意地でも男の前から退こうとはしなかった。

「邪魔する気はありません、絶対に役に立って見せると誓います。貴方が一人で行動しようとする理由は室長から窺いました、組んだ人間が死ぬのが嫌なのだと。だから効率や危険を度外視にしてまで、一人でいるのでしょう?」

「……あんな耄碌してるおっさんの言葉を本気にするとは、ほとほと馬鹿な女だな。俺は殺しが好きなだけだ、獲物を取られるのが嫌だから一人で戦う。それだけだ」

「嘘です、私が見た貴方の過去の任務記録では対象を故意に殺傷しようとはしていません。魔獣や魔人等の特例を覗き、全て捕縛を前提に動いていました」

 まるで悪人のように振る舞う男の態度が、女にはどうしても無理をしているように見えた。

 それが解ったからこそ、どんな言葉や態度を取られても退かないと女は決めている。

「私は空間魔法の才能を見込まれてここに居ます。貴方なら、その利用価値も方法も見出せる筈です」

「……要らん」

「では、私に死ねと言うのですね」

 あくまで拒絶する男に対して、女は最後の手段に出た。

 それは命を盾にして良心に訴えるというよりも、身の上話をして自分の事を理解してもらう為、そういう単純な意思の疎通。

「私はこの帝国特務で功績をあげなければ処分される身です。貴方が私を不要とすれば、上層部からその判断は即刻下されるでしょう」

「何を言っている? 嘘を吐くな……いくらここが帝国の掃き溜めであっても、そんな簡単に命の処分はされない筈だ」

「そうでしょうね、唯の名無しであるのなら……しかし、これを見て下さい」

 女は自身の銀髪を右手でかき上げて、更にその下の眼帯で隠していた右目を男に見せつける。

 それは隠していなかった左の目とは全く異なる色彩、大陸では忌避される黒色をしていた。

「……」

 五十年前からの魔人との因縁により、髪や目といった身体的特徴に黒い色が混ざれば、赤子の時点で捨てられてしまうような世情。

 男はそれを知っていたので、眉根を寄せて少し困るような表情をしていた。

「この目のせいで私は名前も与えられませんでした。今日まで生かされてきたのは魔法の才能が他よりも優れていたからです。しかしそれも使い道が無いと判断されれば、簡単に処分は下されるでしょうね」

 自嘲気味に女が語るのは芝居では無く、そんな境遇に心底呆れていたからである。

「……功績をあげればどうなる? どう足掻いてもここに入った時点で死ぬまで使い潰されるだけだ。それでもいいのか?」

「いいんです、誰にも必要とされない人生よりは遥かに良いですから。それに、私は少しでいいから自分が生まれた意味を見出したい……こんなたった一つの目だけで私を蔑んだ人達を見返してやりたいんです」

 過酷な境遇の中、女が選んだのは逃避ではなく抗いであった。

 少ない方法で望む未来を掴むためとはいえ、更に過酷な境遇に身を投じるという行為は愚行そのもの。

 だが、だからこそその思いが誰かに認められることもある。

「はあ………………解った」

 男は観念したように、長い溜息の後に了承した。

「いいだろう。あんたの馬鹿さ加減に免じて俺と組む機会をやる……ただし、これは要らんだろ」 

「あ――何を!?」

 男は手を伸ばし、女の黒い右目を隠している眼帯を掴み、そのまま引きちぎった。

 女は咄嗟に手で右目を覆い隠す。

「蔑んだ奴らを見返すんだろ? だったら隠さないで堂々とすればいい。少なくともここでは誰もそんな事を気にしない」

「――本当、ですか?」

「多分な、俺が気にしなければ他の奴は何も言わないだろう。それに、本当に俺の後ろを務めるならば、あんたもそんな事を気にしている暇は無いだろ……両の目開いてしっかりと見ておけ」

 その時女は、男の本当の表情と心を垣間見た気がした。

「は、はい!」

 それがこの時、まだ『魔剣』と呼ばれていなかった男と、後に『風神』と呼ばれる事になる女の出会いであった。



+++++++++++++++



 女が風神と呼ばれるようになった日、最初に祝福の言葉をかけたのは魔剣であった。

「……おめでとう」

 風神が通達を受けてすぐのこと、わざわざ廊下で待っていた魔剣は少し照れくさそうに告げる。

「ありがとうございます。これも魔剣のおかげです」

 二人が組むようになって一年半、任務の失敗は一度も無い。

 あらゆる場面で最高の戦力を遺憾無く発揮できる魔剣と、あらゆる場面の状況把握が可能な風神は、帝国特務では無敵の組み合わせであった。

「誰かのおかげだなんて思わなくていい、全てお前の実力だ。それだけの実績があると上層部が評価したからこそ、持てる二文字だろ」

「ふふふ、変わりませんね、先輩のそういう謙虚な所は。でも私も、今の自分があるのが自分一人の力だとは思いません。貴方と一緒だったからこそ、一度の失敗もなくここまで来れたのです……だから何と言われようと感謝させて貰います」

 風神がそう返すと魔剣は肩を竦めたが、その様子は少し嬉しそうにも見える。

 感情の変化が乏しいのは見た目通りだが、そういう魔剣の刹那に垣間見せる癖が風神には解るようになっていた。

「ところで、どうだ何か変わったか?」

「え?」

「……前に言ってただろ。自分が生まれた意味を見出したい、蔑んだ奴らを見返したいって。その為に、こんな場所で必死にやってきたんだろ?」

「あ……」

 まさか初めて顔を合わせた時の啖呵を、魔剣が憶えているとは思わなく、風神は不意を突かれて言葉に詰まった。

 そもそも誰かさんの背を追うのが、やっとであった毎日で、風神はそんな事を考えている余裕は無かったのだ。

「……そういえば、その事に関係することかもしれませんけど。実はさっき室長室に叔父上……ゼルグルス家の当主が来ていまして」

「ゼルグルスって、確かお前が生まれた家か?」

「はい……正確には忌み子として扱われ、存在してない事になっていますが」

 相談するべきか迷っていた事だったが、風神は話の流れが幸いだと思い魔剣に話す事にする。

「今回までの帝国特務での実績を買い、叔父上は改めて私をゼルグルス家に迎え入れ、正規軍への編入まで推薦すると言ってくれているのです」

「それは……よかったじゃないか」

 そう、それだけ聞けば風神にとってとてもいい話だ。だがまだ続きがあった。

「ええ、しかしその為にはやはりこの右目が邪魔だと……条件として摘出手術を受ける事を言い渡されました」

 風神にとっては、生まれた時から忌避される理由だった黒い右目。

本来はそのような手術を受けたとしても、体に染みついた厄は落とせないと敷居を跨がせない家は多い。

ゼルグルス家のような名家では、そもそもそのような手術すら認めていないので、今回の事は異例の措置でもあった。

「私は……この話を」

 帝国特務の過酷さは正規軍の非では無い、いつ任務の中で命を落とすかもしれない場所だ。

だが風神はこの場所に、それと引き換えにしても良いくらいの何かを感じており、それが決断できない迷いとなっている。

「その話、受けるべきだ」

「え?」

 風神の迷いを看破したのか、魔剣は率直に告げる。

「お前がここでやるべき事はもうない。その目のせいでお前を蔑んだ奴らを見返す事が出来たんだ、だったらもう目的は達成しただろ?」

「それは……」

「今までお前の人生を邪魔してきたその右目一つ失うだけで、ゼルグルスの名を得られるんだ……こんないい話は二度とない。俺なら絶対迷わないな」

「……そうですよね」

 この目さえなければと、風神が自分の生まれを呪った事は一度や二度では無い。だからそれを捨てられる事はむしろ喜ばしい事の筈なのだ。

(その筈なのに……なんだろう、この気分)

 腑に落ちない、何も嬉しくない。戸惑いだけが溢れてくる。

 それがどうしてなのか、その答えは意外とすぐに出た。

「まあ、俺には関係ない話か――ところで、もう飯は食ったか?」

「いえ、まだですが……」

 何故ここでご飯の話なのかと、脈絡のない魔剣に風神は首を傾げる。

「昇進祝いだ、奢ってやる」

「……それは珍しいですね。支給の魔法剣を任務の為に折りまくって、常に金欠の貴方が」

「珍しいから祝いなんだろが、それとも嫌なのか?」

「いいえ、それは勿論……」

 嬉しい――そう言いかけて風神は気付く、ゼルグルス家ではどうあっても持ち得ないこの場所の価値に。

(ああ、なんだ……そんな事か)

 思えば常に隠していた右目を、堂々と見せられるようになったのは誰のおかげか。目的を持っていた事など忘れる程に、毎日に没頭していたのは誰と居たからか。

 その背が随分と近くなったから、気付き難くなっていたらしい。

「その、嫌です」

 だから勇気を出して風神は言った。

「……ならいい」

「あ、違います! その……私が嫌だと言ったのは、普通の食堂とかではちょっと、という意味で……お祝いならば帝都にあるお店でどうでしょう? なんならワリカンでも構いませんし!」

 言ってみて、かなり図々しい事を言ってる事に恥ずかしくなり、赤面する風神。

 だがこういう約束をするチャンスは今後訪れないだろうと、今までの経験上悟っていたから必死になっていた。

「別に良いが、あまり高い店は無理だぞ……それと、しばらくは待機任務が続くから、帝都までとなると結構先の話になるが、いいのか?」

「ええ、折角なので二人とも休みの日に行きましょうか」

「いや、俺が聞いたのは……」

 魔剣が先の話になってもいいのかと尋ねたのは、ゼルグルス家に風神が戻るかどうかの兼ね合いも含まれている。

 風神もそれを解っていたから、今度は迷いなく答えられた。

「大丈夫です。私、ゼルグルス家には戻りませんから」

 そう答えた時に、魔剣が見せた刹那の癖は少し嬉しそうであり、それに気付いた風神はそれ以上に嬉しさを表す。

「解ったんです、私にとってこの右目はもう忌まわしいものではなく、むしろ何より大事な証だって事……だから絶対に失いたくはないです」

 そのせいでゼルグルス家が一生自分を受け入れなくなっても良い、それだけの絆を風神はこの右目に感じているのだから。

「……そうか」

 魔剣は呟きながら溜息を吐く。それにどんな感情が籠っていたのかは解らかったが、風神はこれからそれも理解していけばいいと思う。

「まあ、なんでもいいが……ところでその言葉使い」

「え?」

「もう階級は同じになったんだ、敬語はもう止めろ風神」

「あ、そうか……いや、それでも先輩なのは変わりませんし」

だが魔剣は有無を言わせぬ態度であった。更には祝いの事でお前の我儘を聞いてやるんだからと、そう言われれば風神が断り続ける事は不可能である。 

「……了解した、魔剣。これでいいで……これでいいか?」

 ぎこちなくも、風神は魔剣を真似ながら染みついた敬語を矯正していく。

 その瞬間を以って、背を追いかける者から並び立つ者へ、風神はようやく魔剣の無二の相棒となる。


 しかしその時間は長く続かない、そしてその時に交わされた食事の約束も、結局果たされる事は無かった。



++++++++++++++


 

 かつてあった風神と魔剣の別れの時、それはどうあっても避けられない事であった。


「……どうして……どうしてだ魔剣!!」

 風神は怒りの滲む表情で、目の前の二人を見ていた。

 一人は幼い外見の女で、見た目は童女や女児という表現が似合う。しかしその隙の無さは只者では無い雰囲気を醸し出している。

 そしてもう一人が、風神にとって憧れであり無二の相棒であった魔剣。

「ありゃー、このルートを先回りされてるなんて流石に予想外だわ。中々優秀な子が居るのね」

「誰だ貴様は?」

 風神は身体に霊力を巡らせながら、幼い外見の女に問いかける。

「あたしはサイノメ。知らないかな? サイノメ・ラインのサイノメだよ」

「……そうか、貴様がサイノメか。帝国情報部の悩みの種、貴様が魔剣を誑かした張本人か!!」

 風神は猛る風を纏いながら、平静であるべしという魔法士の基本を無視して吼える。

「あはは、誑かしたなんて人聞きが悪いね。あたしはただ一緒に来ないか誘っただけ、選んだのはこの人さ」

「嘘を吐くな!!」

「うひゃ!?」 

 風神は風の刃を発現させ、サイノメに向かって複数飛ばす。

 だが、それで結果的に傷を負ったのはサイノメを庇った魔剣であった。

「――!?」

「……コイツの言っている事は本当だ風神。俺は俺の意志で帝国特務を抜ける」

 そして、投げかけられたのは絶対に信じたくなかった言葉。

 生まれて初めて受けた裏切りは、風神にとって何よりも大切に想っていた者からであった。

「そんな戯れ言は聞きたくない!!」

 侮蔑を受ける事には慣れていても、失う事には慣れていない風神にとって、それは何よりも心を乱す。

 魔法が暴発し、周囲の木々を薙ぎ倒す。風神は自身の霊力の制御も困難な状態となっていた。

「よせ、風神!」

 感情に潰されるような風神を見るのは魔剣も初めてであり、戸惑いながらも一歩ふみ出す。

 だが殺到する風に全身を刻みつけられる。

「ぐ……」

「はあ、はあ」

 ここは一歩も通さないという風神の意思だけが宿るように、風は荒れ狂る。

 曝された魔剣はそれでも一歩一歩、傷を増やしながらも風神の元にたどり着くまで足を止めない。

「……風神」

 血塗れになりながらたどり着いた魔剣だったが、決死の表情の風神を前にして立ち竦む。

 その時の刹那に見せた表情は、辛く悲しげであった。

(どうして、貴方がそんな悲しそうな顔をする。辛いのは私の方だよ)

 風が収まっていく。法式を無視して発現される魔法が、それほど長く維持できるはずが無い。だけどその時は、そういった法則とは少し違うものが原因であった。

「魔剣……」

 抱きしめられた腕の中は、温度をそれほど感じない。

だけど風神は確かな温もりを感じていた。

「俺はもう帝国特務には不要な存在だ、戻っても処分されるのを待つだけの失敗作……」

「それは絶対に私が何とかする! ゼルグルス家にこの身を売っても、どんな事をしても必ずするから、だから……」

「解ってくれ風神、今の俺にとって何が一番辛いのか……」

 解らない、魔剣が何を考えてそんな事を言うのか。

 風神にとって一番辛いのは、この別れなのだ。

故に二人は立場も生き方も相違する、持っている想いは同じはずなのに向ける方向が交差して重ならない。 

 どう足掻いても必然の別れである。


「……俺が居なくても、危ない真似はするなよ」

 その魔剣の言葉を最後に、風神の意識は遠のいた。


 次に風神が目を覚ましたのは病院のベッドの上。

 最初に出会った時の魔剣の言葉が実現し、すぐに置いて行かれた事を知る。

 その後には虚しさと怒りだけが残った。


 消息を絶った魔剣が、カタナという名を得て協会騎士団に所属している事を風神が知るのは、それから二年を経ての事であった。




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