三章第十四話 知らぬが仏
室長と風神がリリイ・エーデルワイスの家を出て、その軒先での事。
風神は室長の態度に疑問を感じ、質問をなげかけた。
「良かったのですか?」
「何がや?」
「彼女の力を、本当は期待していたんじゃありませんか?」
帝国特務の戦力は先の戦いで激減、今は猫の手も借りなければいけない時。わざわざカトリ・デアトリスに会いに来たのも、戦力として数える為である。
「せやけど、あの状態じゃ使い物にならんわ。半端もんの面倒が見れるほど、今のワシらには余裕はないやろ」
「確かにそうですが」
風神の目から見ても、今のカトリはとても危うく、戦いの場には到底出せそうにも無い。しかし疑問に思ったのはそれとは少し違うところ。
「室長があのような話をしなければ、うまく使う事も出来たのではないですか? 都合の悪い部分を隠し、騙し、誘導する。貴方がよく使う常套手段では無いですか」
室長がカトリに全て話さなければ、もしくは辻褄があうように嘘で塗り固めて話せば、欲している充分な戦力が手に入った筈だ。
「おうおう、それじゃまるでワシがよっぽどの下衆みたいやないか」
「自分自身で外道だと認めていたでしょう」
「……せやな。まあ否定はできんけど、他人に言われるのは釈然としないもんなんや」
頭を掻きながら、室長は煙草に火をつける。
同時に風神からは僅かに霊光が上り、紫煙が風で流されていった。
「カトちゃんに対して偽らずに話したのは、半分はワシのけじめみたいなもんや」
「けじめ?」
室長には似合わない言葉が出てきたので、思わず聞き返す風神。
「決めとったんや、もしカトちゃんが自分が魔元生命体だと知る時が来たら全て話そうってな」
「……何故です? どうせ話すなら五年前でも良かったのではないですか? そうすればカトリは無意味に復讐の情念を抱く事も無かった筈です」
話を聞いていた風神にはカトリのその酷な運命よりも、今聞かされるというタイミングの方が最悪だと思えた。
対して室長はそれを否定する。
「いいや、それじゃきっとあかんかった。もし五年前のデアトリス家が没落した時に全て話していたら、それこそカトちゃんは何者にもなれんかった筈や」
「あ……」
言われてようやく気付ける事。風神はカトリの特殊な生い立ちを、その時に初めて理解をした。
「解ったようやな。五年前のカトちゃんに今の話を聞かせるのは、本当の意味で全て失うという事やった。記憶は全て嘘っぱち、その身体も作りもん、そんなん言われるのは存在を否定されるに等しい事や」
人が何かを失った時にそれを乗り越える事が出来るのは、積み重ねた過去が残るからだ。職を失っても経験は残る、家族を失っても思い出は残る、そうして大切に出来るものが残っていれば、次に繋ぐことは出来るのだ。
だがそれが無ければ何も残らない。全てを失った人形が残り、やがて朽ちるだけ。
「やからカトちゃんにとってこの五年間は必要な時間やった。復讐に身を焦がしても、怨念に心を蝕まれても、それは確かにカトリ・デアトリスとして生きた人生で、決して放されへんもんや」
カトリは気付いているだろうか、自分の中に残っているものに。
「室長にしてはまともな事を言いましたね……」
「アホか、当たり前の事や、カトちゃんを作ったワシには相応の責任があるんや。道を外した外道でも、通す筋は残っとるんやで」
そう言って室長はもう一本煙草を取り出し、ついでとばかりに寄りかかった塀の上から飛び出している黒い高帽子を掴む。
「お前もちゃんと聞いとったか馬鹿弟子、あとはお前の仕事やねんぞ」
「や、やめろ、やめて下さい、帽子だけは、帽子だけはーーー」
トレードマークの黒い高帽子を引っ張られ、それを脱がされないよう必死に抵抗するリリイ・エーデルワイス。
「まったく、同じ弟子でも風ちゃんとはまるで正反対やな……そんな帽子くらいで無駄に騒ぐなや」
「これはボクの考えた最強のファッションなんだよ! 白衣に黒い高帽子、このアンバランスさは論理を超越する!」
「……おまけに何を言ってるか解らんし」
呆れながら帽子の庇に煙草を乗せる室長、そしてまた騒ぐリリイ。
風神はリリイとは初対面に近いが、もう充分なほど室長との力関係は理解させられた。
「とにかく、しばらくカトちゃんの事は頼むで馬鹿弟子」
「解ってるよ。しばらくボクの家に泊まらせて、弱っているカトリさんにここぞとばかりに調教や開発をウェヒヒ、って熱!!」
リリイの飛んだ発言に、室長は灸を据えた。もちろん煙草で。
「お前の変態妄想に付き合ってやれるほど暇やないねん。解ってんなら返事は二つでええ」
「……ハイ」
涙目になりながら額を抑えるリリイ。少々気の毒であったが、自業自得なので風神は何も言わなかった。
室長は最後の吸い殻を踏み潰し、顎を撫でながら意を決したように一息吐く。
「それじゃあ行こか風ちゃん」
「ええ」
何処へと問うまでも無く、行先は解りきっていた。
風神も室長も、帝国特務としてここに居る。今はもう機能していないも同然であるが、最後の任務を全うする為に。
雰囲気を察してか、リリイは去って行く二人に見送りも言葉も無しに、沈黙したまま家の方に向かって行った。
「相手はネズミが一匹、楽な仕事やで。居場所も次に起こす行動も割れとるしな」
「……ある筋からの情報でしたっけ」
それがどの筋かは室長は話す気が無いらしいが、風神の空間魔法でも追いきれなかった相手を易々と見つけ出した手腕は、疑念以上の一つの答えを浮かび上がらせていた。
「……」
「何か言いたそうやな風ちゃん。ワシは心が広いから遠慮は要らんで」
「いいえ、今は結構です。任務に支障が出る可能性がありますから」
風神は持ち前のプロ意識故にこの場での追及はしない。長い付き合いの室長はそれが解って言っている。
「悪いな風ちゃん。その事もいずれは話す時が来るから、それまで堪忍してや」
約束させたのならそれで充分と、納得をして風神は頷いた。
(今は集中しよう。皆の仇を取る事に、そして帝国特務の名誉を挽回する為に……)
幸いにしてか、少々残念な所もあるが目標の数は三つから一つに減っている。クリアする条件はそれほど多くない。
「あまりきばんなや風ちゃん、今回はワシも居る。いっちょ気楽にネズミ狩る気分でええ」
「解っています」
硬くなっていた肩の力を抜き、風神は世間話のていで室長に一つ尋ねた。
「そういえば、カトリに全て話したのは半分はけじめだと言いましたが、他にも何か理由があったのですか?」
「ああ、それか……何、なんてこたあないで」
カラカラと笑いながら、室長は答える。
「もう半分はただの興味本位や、研究者としてのな」
「……そうですか」
やはり、どうしようもなく狂っている。その時の室長の目を見た風神の感想はそれである。
そしてそんな外道と共に行かなければならない事を後悔できる程、風神は立派な人生を歩んで来てはいなかった。