三章第十三話 室長が語る秘密
リリイ・エーデルワイスが一行を連れて来たのは彼女の自宅であった。
普段は魔窟と呼ばれる協会騎士団の研究室に籠りきりであるリリイだが、一応市街に家も持っている。
中々に広く住みやすそうな家だが、あまり家主が帰っていない為か、いたるところに埃が溜まっていた。
「ホンマにお前はいつまでたっても残念な女やな……こんなんやから嫁の貰い手もおらんのやで」
「う、うるさいな。ボクは鍛冶師の仕事に操を捧げているからいいんだよ!」
しみじみと言う室長に、むきになって反論するリリイ。
そんな二人にかつてどんな縁があったのか、気にならない訳でもないカトリ・デアトリスであったが、それ以上に優先して知りたいことがあった。
「……室長、先程の話ですが」
「おう、分かっとるよカトちゃん。おい馬鹿弟子、悪いがワシの用が先でええか?」
室長はカトリに相槌を打ちながら、リリイに確認を取る。
「まあ、論理的に考えてその方がいいかな」
会話の流れからして、リリイは無理やり連れてこられたという訳では無く、室長と同じくカトリに用があるようだ。
「よし、ならさっさと花摘みにでもいけや馬鹿弟子」
「いきなり邪魔者扱い!? ちょっと待った、ここはボクの家だよ。論理的に考えて追い出されるっておかしくない!?」
「うるさいわ。部外者に聞かれたくないから、わざわざこんな汚い所まで移動したんやろが。お前の用事の時にはこっちが気を遣うてやるさかい、少しの間我慢せいよ」
室長の家に上がり込んだ上での散々な物言い。リリイは鬼の形相で呪いの言葉を並べるが、柳に風で流されていた。
「ぐ、もうええわい!」
室長の口調が移ったのか、それともそれがリリイの地なのか、彼女は怒声を上げながらドアを蹴り飛ばして外に出て行く。
その後に風神が半開きになったドアを静かに閉めていた。
「馬鹿弟子が居なくなったところで、色々と話し始めたいねんけど……そうやなあ、まずは何でワシらが共和国に来たのか言わなあかんか」
室長はソファーの埃を払いながら腰を下ろし、正面のカトリの顔をじっと見る。
「……どうぞ」
カトリは色々な事を飛ばして聞きたいことがある様子だったが、まずは順を追って話す事にした室長の意図を汲んだようだ。
「実はさっきちょっと言うたけど、帝国特務が壊滅してもうてな」
「え、あれは嘘では無かったのですか?」
「取り潰しいうのは嘘や、現時点ではまだそこまでいってへん。やけど実働構成員がほとんどやられてしもて、再編の目処が立たなければこのまま無くなるやろて」
室長の言葉に驚き、カトリはドアの横で壁に寄りかかる風神に顔を向けた。
風神は難しい表情で首を横に振る。
「ちょっと前に王国のとある部隊とやりあってな、こっちは『名無し』三十二名、『記号一文字持ち』十七名、『記号二文字持ち』十一名のほぼ総力であたったんやけど。結果は惨敗、生き残ったのは風ちゃんだけやった」
室長は暗い表情でしみじみと語る。風神もいたたまれなさそうに顔を逸らしていた。
「その相手は、まさか……」
カトリの予想は正しい、昨日の今日で室長が現れた事が偶然でないのなら、それは当然の事であった。
「そうや、先日協会騎士団本部を襲った魔人達や。ワシはある筋から奴らが共和国に現れる情報を聞いておってな、風ちゃんと共に、調査とあわよくば仇討ちの為ここに来たんや」
そして室長は、先日協会騎士団本部で起こった全てを空間魔法で把握していると語る。正門前の惨劇、騎士団長に対する直接の強襲、そしてカトリの知らなかった宝物庫での戦いも。
「まさか協会騎士団が、あれだけ化け物の見本市とは思ってへんかったわ。大陸最強はまんざら誇張で無かったわけやね」
主に化け物なのは聖騎士と呼ばれる者達であるが。
「……私の事も見ていたんですか?」
「せやな、カトちゃんがずっと仇を討ちたいと思っておった魔人……いや魔元生命体に何を聞いたのか、そしてどんな結論に至ったのかもな」
「やはり知っていたんですね……」
カトリが室長に責めるように言うのは、魔元生命体の事。今まで隠されていた、自分自身に大きく関わる秘密。
「すまんかった、本当はカトちゃんを引き取った時に全て話すべきやったかもしれん。しかしな、ワシにはデアトリス家当代の遺志を無為にはでけへんかった」
「お父様の……遺志?」
「そうや……カトちゃんを自分の娘として、一人の人間として育てたい、そう当主は思っておった。たとえ本当の娘では無くてもな……」
「やはり私は……」
もう自分自身気付いてしまっている事、認めてしまっている事だが、少しだけカトリはそれを否定される事を望んでもいた。
しかし現実は無情である。
「せや、カトちゃんは魔元生命体や」
解っていても、室長の口から聞かされたことで完全に否定する道を失った。
「……隠せるのなら一生隠しておきたかったんやけど、もうそれは無理やから全て話すで。魔元生命体の事、デアトリス家の事、そしてカトリ・デアトリスの事」
「……」
カトリに出来る事はもう室長の話を全て聞きとどけ、その上で答えを出すという事だけ。だから今は真摯に全てを受け止める。それが自分にとって何よりもつらい真実であっても。
「まず、デアトリス家の主導の下、帝国特殊技法技術研究所――通称『帝国特技研』が作られた。目的は魔人の力の解明と運用の為、武門の名家でありながら当時は落ち目であったデアトリス家はそれに手を染めたんや」
帝国栄華五家に数えられながらも、他の四家に比べ新しい風を生み出せていなかったデアトリス家は、老害として地位を追い詰められていた。
「武門を二分していたゼルグルス家は魔法戦技を次々生み出し、法を司るディルキリス家は革新的法案で国の地盤を固め、経済のミアアリス家は大戦の後に狭くなった国土を最大限使う物流を構築した。それに焦っていたデアトリス家当代は、それが人の道を踏み外す行為だとしてもそうせざるを得なかったんや」
その結果が帝国特技研で行われた非道な実験、そして魔元生命体の誕生である。
「そん中でも成功例は限りなく少ない、験体501と502……一人はデアトリス家を没落に追い込んだ犯人で、もう一人が今は協会騎士団でカタナと名乗っとる。五年前まで続いた実験の中で、魔元心臓に適合したのはその二人だけや」
「……私は何のために?」
仇であったゼロワンとカタナについては、サイノメからある程度の話は
「験体501と502が実験の為に作られた存在なら、カトちゃんはデアトリス家の為に生み出された存在。万が一験体が暴走する事になった場合、その対抗しうる力を傍に置いておく為……まあそれは結局当主の甘さによって、無意味になってもうたけど」
当主は自分の遺伝子によって作り出したカトリを、子宝に恵まれなかった事が原因か、それともそれまでの非道の罪の意識によってなのか、我が子のように愛していた。
「当主はカトちゃんを、ホンマに後継者にする気やったんやろな。そうでもなければ、誕生日に親戚連中集めて顔見せさせようなんて思わんやろうしな」
「……それが本当なら、少し救われる気がします」
死んだ者の気持ちは量る事ができない。しかし信じる事は可能だ、カトリは偽りに塗れていたカトリ・デアトリスという存在に、少しだけ光が指したように感じた。
「これでデアトリス家の事は大体話したな、後はカトちゃん自身の事やけど……結構ショック受ける様な話になるけど聞くか?」
「ええ、勿論です」
「後悔するで?」
今までの話でも充分衝撃的だが、わざわざ確認をとるあたり、室長が知るカトリ自身の事というのは余程の秘密らしい。
だがカトリは迷わず頷いた。
「今は、後悔できるくらい前に進みたいんです」
「……解ったで」
室長は深々と嘆息し、気重たげに口を開く。
「カトちゃんは自分の事を十七歳くらいやと思ってるやろうが、実は幼い時の記憶はほとんど作りもんで、実際は生み出されて五年と半年くらいしか経ってへん」
「――!?」
室長は言葉を飲み込んだカトリの様子に、もう一度嘆息する。
「カトちゃんの成長は他の験体と同様、身体能力を劣化させない為に意図的に止めてあった。法式によって刻んだ記憶の中に紛い物を用意したのは、それを気付かせない為や」
これまでカトリが自身の身体が成長していない事に疑心を抱かなかったのは、医学の常識と用意された過去の記憶のせいであった。
女性の身体は平均して十歳前後に第二次性徴期が訪れる、だからカトリは自分が十二歳だと思っていた時より成長が止まっていても、それほど不思議には思わなかったのだ。
記憶についても、普通の人間は幼い時のものなど断片的にしか思い出せない。だから他の知識で自我さえ確立してあれば、疑いも持つことは難しい。
「魔元生命体だと聞かされた時に、もしかしたらとは思いましたが……」
思っていたより厳しく心にのしかかってくる事実に、カトリは聞いてしまった事を早速後悔した。
「それともう一つだけ、カトちゃんの身体には重要な秘密がある」
室長が最後に持ってきたその秘密には、カトリのこれからを大きく左右するほどの意味があり、全てはその選択の為に今の話を聞かせたと言っても過言では無かった。
「カトちゃんの本来の力は、他の魔元生命体と同等かそれ以上のものをもっているんや」
「え? いや、しかし……」
室長のその言葉は、カトリにとっては信じがたい事であった。なぜならゼロワンやカタナを相手に本気で戦った事のある彼女には、その力量差が歴然である事が明白であったから。
「……それが秘密にしていたという事や。今のカトちゃんには体内の魔法印によって枷が付いていてな、全力を拒否するように制限してあるんや」
「制限……ですか」
カトリが自分の力に限界を感じながらも、それより上があるように感じていたのはそのせいであり。時折あった鍛練の中で気を失ってしまったり、不意に身体が動かなくなることもそれが理由だと室長は語る。
「本来は付ける必要がなかったものやけど、デアトリスの当主は娘が人として生きられる様にと考えてそうしたんや」
「勝手な話ですね……偽りの記憶で塗り飾った娘なのに。揚句にそれで死んでしまっては、何の為に私がいたのか解りませんよ。本当に、私の復讐とはいったい何だったのでしょうか……」
やりきれない思い、行き場の無いそれを抱えたカトリはとりあえず憎まれ口を叩くしかなかった。
それでも誰も憎まない、憎めるはずもない、そうしてしまえば今度こそ本当にカトリは今までの自分を捨てる事になるのだから。
(あの人たちは、私をどうしたかったのでしょう?)
疑問に答える相手はもう居ない。そんな相手を恨んでも、憎んでも意味のない事はカトリが一番よく解っている。
「さて、これで大体ワシの知っている事は話したな……ここまで聞いてもう解っているかもしれけど、ワシは魔元生命体の実験に関わっとった。いや、そもそもその中枢を担う立場にあったっちゅうのが本当の所や……」
深く関わっていなければ知る由もない事ばかりであり、大陸一の魔法士を自称しそれに見合う実力を持ち合わせている室長が、魔元生命体という本来未知の領域の技法に通じていたのは疑う余地の無い事。
「ワシは外道や、非人道的な実験は数えきれない程行ってきたし、それに対して後悔の念もあらへん。カトちゃんの事を引き取ったのも、世話になった当主へのせめてもの恩返し程度で、ワシ自身の私心は皆無や」
ある意味で、カトリの複雑な運命の元凶といえる室長は、悪びれなくそう言った。気重たげだった表情をわざわざ直してまで。
「やから、もしやり場のない怒りを憶える様な事があればワシの所にきいや。ぶっ殺されても文句は言わへん、好きなようにしてくれてかまへん」
「……そんな事」
「今は色々と気持ちが立て込んでて、そんな気になれないだけかもしれへんやろ? 気持ちが落ち着いたら解らんよ」
そんな時が来るとは思いたくは無い。そう思うカトリの今の感情は、果たして変わる時が来るのだろうか。
「それと、もし望むならカトちゃんの身体の枷も外す事も可能や。体内に刻んだ人体魔法印によるもんやから、ワシ以外には無理やと思うけど」
「――え、それは本当ですか?」
「ああ、せやけどそれは同時に、人間である事を捨てる事になるかもしれんで? 魔剣の……カタナの傍におったんなら、その生き難さが少しは理解できるのとちゃうか?」
力を持つ者の末路、あるいは室長はそれを見せる為に、カトリを協会騎士団に遣わせたのかもしれない。
「理由なしに強い力を持っても持て余すだけや、今のカトちゃんにはそれが必要になる事があるんか?」
「……私は」
カトリは躊躇した。以前までなら迷わず手にしていたに違いない選択を前にして。
ならばそれが今出ている答えだと、室長は言った。
「焦ると碌な事にならんよ。ワシは逃げへんし、考えがまとまってからにしたらええやん。ゆっくりと、自分自身が納得いくようにな」
そう言って、室長はソファーから立ち上がる。
「それじゃ、ちょっと出てくるわ。馬鹿弟子も追い出したまんまやと可哀想やし、ちょっとばかし他に用もあるしな」
言った後、室長は思い出したように一言付け加えた。
「ああ、あとカトちゃんは外に出ない方がええかもしれん、さっき見つけた時に見張っている奴がおったからな。おそらくは協会騎士、一応ここに来るまでに巻いたけども」
余裕が無かったせいか、カトリは全く気が付いていなかった。室長は少し笑って背中越しに手を振る。
「まあ昨日の一件で協会騎士団もゴタゴタしとるやろから、考えがまとまるまではここにいたらええ。汚い所やけど、川辺で一晩明かすよりマシなはずや」
「あ……すみません」
なんと言っていいか解らず、とりあえず適当な言葉を選んだカトリ。それに室長は笑顔で頷きながら、風神を伴って外に出て行った。