第七話 騎士団と自警団
「ここがゼニス市の中央広場っす、昼間は人通りが多いんで迷子とか結構でるんすよ。一応最低一人は部隊から置くようにしてます」
「迷子……ですか。それも騎士の仕事ですか?」
「そうすね。魔物や盗賊を討伐したり、手配犯を捕まえるって事以外にも、市民を守るためにできることはありますから。皆が細かい所に目を配れるようになれば、犯罪も減りますし」
「なるほど。確かにそうですね」
ヤーコフの話を聞いて、カトリは少し目から鱗が落ちる思いだった。
殺伐とした環境に身を置きすぎたせいか、他人を気に掛けるという余裕もなくなりかけていて、当たり前の事にも気が付かない自分が恥ずかしい。そう思ったのだ。
ヤーコフがまず始めにカトリを連れてきたのは、ゼニス市の中心、名称もそのまま中央広場と呼ばれる所。
円形に道が舗装され、囲むように市外からの商人の露店が軒を連ね、買い物や見物の市民と、商人の呼び込みの声でとても賑やかだ。
「それにしても、意外に人が多いですね……」
人の波を避けながら、カトリはヤーコフのすぐ後ろをついて歩く、半径三メートルの縛りも今この時は封印していた。
「まあゼニスは位置的には田舎っすけど、結構潤っている面もありますから」
大陸の南端近くの片田舎、港も作れないうえ山に囲まれていて交通の便も悪い、多くの者がそういう印象のゼニス市だが、市を名乗れるまでに発展したのは田舎であったというのが重要事項だった。
五十年前の大戦で多くが戦場になった共和国の中央部と違い。戦略上重要ではなかったゼニス付近の土地は、自然がそのまま残っていて、特に周囲の山々で採れる多くの木材は共和国の建国と発展に大きく貢献した。
「……まあ、貧民街なんてあるくらいなんで、皆が皆富める暮らしと言えないすけどね」
商業に偏りがあると、貧富の差にもそれが浮き出る事になる。それに月日によって中央の土地が復興した今となっては、ゼニスの発展の根幹だった林業も下火になりつつある。
そうして職を失っていく者が年々多くなっている事は、今のゼニスの一番の問題点でもあった。
言いながら歯がゆく思ったのか、ヤーコフの表情は少しだけ渋くなっている。
軽い見た目とは裏腹に、心の内は結構真面目な所のあるヤーコフは、本気で現在の世情に嘆いているようにカトリには見えた。
「……副隊長」
「ん、あ、すんません。今は職務に集中しないとっすね」
「いえ、別にそういう意味で呼んだわけではないですけど」
本当に仕事に関しては誠実な人だ、とカトリは関心した。
(これで女性にだらしなくなければ、好感も持てるのですが……)
天は二物を与えずという言葉を思い出し、少しだけ残念に思った。
「おっと、やばい」
と、突然ヤーコフが後ろを振り返って足を止めた。
バツの悪そうな表情で顔を伏せて額を掻いている。
「どうしました? もしかして恋人にでも見つかりましたか?」
カトリが冗談めかしてそう聞くと、ヤーコフは首を振り、少し真面目な顔で答える。
「ちょっと嫌な顔が見えたんで、見つからない内に……」
「おい! 誰かと思えば協会のハーレム騎士さんじゃねーか」
野太い大声が広場に響き渡り、人の波をかき分け、体格の良い男がヤーコフを呼び止めた。
ヤーコフは嘆息しながら男の方に向き直る。表情から察するにあまり友好的な関係ではなさそうだった。
「何か御用っすかダルトンさん?」
「こんな真昼間からデートたあ、景気の良い事だな。こっちは忙しくてそんな暇なんてねえのに、騎士様は羨ましいぜ」
ヤーコフにダルトンと呼ばれた大男は、腰に剣を帯びていて、緑を基調とした自警団の制服を着ていた。
顔には大きな傷跡が走っていて、体格の良さと相まって百戦錬磨の傭兵のようにも見える。しかし下卑た笑みを浮かべ、その言葉尻からも品格は感じられない。
「いえ、デートではないっすよ。うちに配属された新人の案内をしていただけです」
ヤーコフは冷静に対応する。面白がっている風なダルトンとは正反対の冷めた表情だ。
「新人? 協会騎士団はこんな小娘を使わないといけないほど人手不足なのか? はっはっはっは、こりゃ傑作だ。こんなのが騎士だなんて、協会騎士団も地に落ちたな」
ダルトンの大声は周囲の注目を集めている。カトリにはわざとそうしているようにしか見えない。
「……それはどういう意味ですか?」
そしてダルトンの中傷的な言葉は、今のカトリには決して聞き流せないものであった。
「どういう意味も、こういう意味も、そのまんまの意味だろ? 協会騎士なんて女のおままごとでも務まるんだなって言ったのさ」
「……ほう、おままごと、と言いましたか」
「もしくは色欲か? あんたぁ美人だから、身体使ってそっちのハーレム騎士のお情けでも頂戴したのかな?」
「――!!」
カトリの瞳に鋭さが差し、腰の剣帯に手が伸びる。
しかし柄を掴む前に、カトリの腕はヤーコフに掴まれる。
「……揉め事は駄目っす。ここは我慢してください」
小声で告げるヤーコフの表情は真剣そのもので、切実ささえ感じられる。
「ここまで愚弄されて、如何して黙っていられましょうか!」
しかし、意外と沸点の低いカトリはヤーコフの手を振り払う。ダルトンの挑発に完全に頭に血が上っていた。
「駄目っす、絶対駄目っす。僕らがこの街に駐在してるのは治安を守るためっす。その僕らが治安を乱すようなことはしてはいけないっすよ」
以外にもヤーコフは強い姿勢でカトリを窘める。それは駐屯部隊の副隊長という責任を背負う者として確固たる意志があった。
「――しかし!」
「駄目なものは駄目っす。どうしてもと言うならば、僕の権限でデアトリスさんを除隊処分にしなければならないっす。それに、その場合デアトリスさんは取り締まりの対象になってしまいます」
そうした場合どうなるか。ヤーコフは解らせるように剣帯に手をかける。
如何に部下であったとしても、切り捨てる覚悟はある。その決意だけは伝わってくるようだった。
「……わかりました」
カトリは強張らせていた全身の力を抜いた。
ヤーコフの言う事はもっともで、一時の激情の為にその正しい信念と相対するのは、自身の品格をも陥れると気づいたから。
ヤーコフもカトリのその様子に、ほっと胸を撫で下ろす。
しかしつまらなそうにしている男がいた。
「なんでえ、せっかく面白くなりそうだったのに、拍子抜けだぜ」
ダルトンは舌打ちしながらヤーコフを睨み付ける。
「あんまりうちの新人をからかわないでほしいっす。では巡回中なので、僕らはこれで失礼します。ダルトンさんがここを見回ってくれてるなら、安心して次の場所に行けますから」
ダルトンの睨みもヤーコフはどこ吹く風で、あくまで飄々と受け流す。
「まあ、待てよ」
立ち去ろうとするヤーコフの肩をダルトンは掴みあげる。
「なんすか?」
まだ何かあるのかと、少々うんざり気味にヤーコフが振り向くと、すぐそこに拳が迫っていた。
ドゴッ
「うわあっ!」
「きゃあああああ!」
殴り飛ばされたヤーコフは、露店の一つに突っ込み、その一帯の客と商人の悲鳴を呼んだ。
「貴様! 何故殴った!」
カトリは、ヤーコフを殴りつけたダルトンに向かって檄を飛ばす。
ダルトンは薄ら笑いすら浮かべて答えた。
「ハッ、そんなのあいつのすかした態度が気に入らなかったからに決まってるだろ」
それは最低の返答。
少なくともカトリにはそう断言できた。
そして思考はただ一点『今が剣を抜く時』と警鐘を鳴らしている。
「……いざ」
我慢の限界を超えたカトリの選択は一瞬。
エーデルワイスの柄を握り、ヤーコフの様子を見ているダルトンの死角に一足踏み出し、切り上げ……ようとした時。
「だから駄目って言ってるっすよ、デアトリスさん」
またしても止めるのはヤーコフだった。
殴られた片頬が赤みを帯びているが、さも平気そうに泰然と立つ姿は、その身を大きく見せている。
「僕が殴られたことを怒ってくれるのは嬉しいすけど、僕はこのくらい気にしてないっす。でも僕が気にしてない事を、デアトリスさんが怒ってしまうのは迷惑な事っす」
「……どうして、ここまでされて」
怒らないのか。非は明らかにダルトンの側にあるのに、他人ごとのはずのカトリでさえ怒りを覚えているのに。どうしてヤーコフは平気な顔をしているのか。
カトリには理解できない。理解できないながらも、有無を言わせないヤーコフの強い意志に負け、剣を収める。
「『我が剣は我が為に非ず』」
ヤーコフはどこかで聞いたことのあるフレーズを口に出した。
それは協会騎士団が掲げる憲章の中の一説。
私闘を禁じ、自身以外の余人の為にのみ剣を振るうという、騎士道の理想であった。
「僕はこれでも騎士の端くれ。どんなふうに呼ばれても、思われても、その誇りは一時も忘れることはないっす」
ヤーコフは静かに宣言した。そしてその言葉はこの騒ぎでできていた周囲の人だかりに静寂を与える。
皆、一人の騎士の清廉な誓いに只々感服し、そしてそれはカトリ・デアトリスも同じだった。
しかし、ただ一人その誓いを侮蔑する者がいた。
「結局はやられてもやり返さねえだけの腰抜けって事だろ。それで格好つけてるつもりかハーレム野郎」
ダルトンはヤーコフを陥れようとしてるつもりなのだろうが、それが自分を陥れていることになっていることに気付かない。
「いい加減にしましょうダルントンさん。もう気が済んだでしょう? これ以上の騒ぎは個人同士ではなく、自警団と騎士団の問題にも発展しかねませんよ」
「……てめえのそういうすかしたところが大嫌いなんだ」
ヤーコフの正論も、ダルトンには通じない。正しい言葉は時として、向けられた者の感情を逆なでしてしまう事もある。
「……いいぜ、あくまでてめえが騎士の誇りってもんを守る気なら。俺はそれを捻じ曲げてやるよ」
ダルトンはヤーコフの胸ぐらを掴みあげ、拳を振りかぶる。
ヤーコフが反撃しないのをいいことに、まだ暴力を振るう気でいるのだ。
「副隊長!」
「大丈夫っす。耐える精神を養うのも騎士の務めっすよ」
「――ぐっ!」
カトリの心配も、ヤーコフには不要だと言われ。踏み出しそうになった足を引っ込め、奥歯を噛んで耐える。
「どうぞダルトンさん、殴りたいだけ殴ってみるがいいっす。でも僕の信念は貴方には屈しない」
「そうかい。なら言葉通り、好きなだけ殴らせてもらうぜ!」
ダルトンはその大きな拳を遠慮なく振るう。そこには一切の手加減もない。
誰もが目を背ける中、ヤーコフは自身に迫る拳から目を離さなかった。
「ちょっと待ちな」
まるで狙ったようなタイミング。英雄が誰かのピンチを救う時に現れるように、ヤーコフが殴りつけられる寸前で誰かの声がかかった。
反射的に動きを止めてしまったダルトンは、忌々しげに邪魔をしたその声の方に顔を向ける。
「何だお前は、こいつらの知り合いか?」
そこには騒ぎで出来た人垣から進み出る男の姿があった。
長身で痩せぎすというより引き締まったという印象の痩躯、燃えるような赤い髪を逆立て、服装は上がシャツ一枚に下が皮のズボンという出で立ち。
だが外見で突出して目につくものがある。それは刺青、見えている皮膚のほとんどに不思議な紋様が刻まれていて、それだけで男がとても異質に見えてしまう。
「俺はただの通りすがりさ。なんとなくあんたらの喧嘩のやり方が気に入らなかったから止めただけさ」
通りすがりと称した刺青の男は、確かにその通り、ヤーコフもカトリもダルトンとも見知った中では無い。
「下がってくださいっす。これはあくまで僕らの問題で、関係ない方を巻き込むわけにはいかなっす」
「騎士のにーちゃんは黙っててくれ。俺は巻き込まれるんじゃなくて、割り込むのさ、あんたらの喧嘩にね」
「け、喧嘩?」
「そ、男の意地と意地がぶつかってんのなら、それは喧嘩だろ?」
確かにそうなのかもしれないが、喧嘩の一語で済ませられると、ヤーコフの誓いとかも少し安く感じてしまうから不思議だ。
「……喧嘩ね。それでもいいが割り込むってことは、お前は俺の邪魔をする気だって事でいいのか」
ダルトンは刺青の男を睨み付けながら問う。しかし刺青の男は首を横に振り、否定を示す。
「いや、俺はあんたと無性に喧嘩がしたいだけ。別に邪魔をするつもりはないさ」
「……それを、邪魔だって言うんだよ!!」
ダルトンは掴みあげていたヤーコフの胸ぐらを放し、腰に付けた剣帯から得物を引き抜く。
周囲の人垣から悲鳴が上がった。今の今まで注意を集めているに留まっていた騒ぎが、刃傷沙汰にまで発展したことで、広場に軽いパニックを引き起こし、逃げ惑う人に溢れた。
「切られたくなかったらさっさと失せな」
ダルトンは鉄剣の銀光をちらつかせ、刺青の男に向かって凄む。
対する刺青の男は丸腰であるが、なんら動じた様子もない。
「いいぜ、あんたのそのクズっぷり。喧嘩するには最高の相手さ」
むしろ喜んでいるように、獣のような獰猛な笑みを浮かべていた。
一触即発、そんな空気の中、静かな怒りを燃やす者がそこにいる。
「……駆身魔法発現」
「……え?」
ヤーコフの全身に白い霊光が上がるのを、カトリ・デアトリスは見逃さなかった。そして彼がその場を制圧する、一部始終を見た。
ヤーコフは右手に引き抜いた長剣で、ダルトンの持つ剣を叩き落とし。左手に取り出した短剣を、ダルトンの首筋に押し当てる。
ハイレベルな駆身魔法の発現を、目の前で見せつけられたカトリは驚きで言葉を失う。
ダルトンはいきなりの形勢の逆転に動転し、刺青の男は目の前で起こった出来事に苦笑していた。
「……てめえ、卑怯だぞ」
やっと状況を理解したダルトンが口にしたのは、程度の低いそんな恨み言だった。
「騎士が常に正々堂々と戦うとは思わないでほしいっす。守る者の為なら僕はどんな手でも使うっすよ」
ヤーコフは怒りさえ滲む口調で、捲し立てる。
「あんたはやっちゃいけない事をしたっす。自警団員であるあんたが帯剣を許されているのは、喧嘩に持ち出す為じゃない。市民を守るために許されている権利を、市民を傷つけるために持ち出すなんてあってはならない事っす」
「う……」
僅かにダルトンの首の皮を裂いたヤーコフの短刀が、血を滲ませ滴り落ちる。
ダルトンの額に脂汗が流れる。ようやく気付いたのだ、自分の命が今は他人に掴まれていることに。
「僕に突っかかってくるのはまあいいっす。自警団と騎士団の摩擦も、切磋琢磨につながるなら許容できる事っす。しかし、許された権利を逸脱して、間違いを犯すのは許されない事っす」
「……わ、分かった。分かったから殺さないでくれ」
全身が硬直するほどの緊張を見せるダルトンの訴えは切実で、これでは説教どころじゃないと判断したヤーコフは短剣をゆっくりと首から離した。
ダルトンは膝から崩れ落ちる、そしてヤーコフは遠慮なくその手に手錠をかけた。
「話の続きは所でするっす。自警団に引き渡すのはその後で、それまではじっくりと聞いてもらうから覚悟するっす」
「……」
返事する気力も無いのか、ダルトンは首を縦に振るだけで肯定を示す。
「貴方はどうするすか?」
思い出したようにヤーコフは刺青の男に問う。
なんというか出番を根こそぎ奪われて、微妙な表情だった刺青の男は、一瞬カトリの方に視線を送った後に、ヤーコフに向かって言った。
「俺は帰るさ。面白いものも見れたしな」
そう言って背を向けて去っていく刺青の男。結局彼は何だったのか、その背中に訝しむ視線を送りつつも、ヤーコフはカトリに確認する。
「知り合いじゃないっすよね?」
「はい、初めて会う方で間違いないです」
もし、あんな特徴のある刺青を一目でも見れば、記憶から抜けることはないだろう。
「まあ、それならいいんす。それよりすいません、市内を案内するはずがこんな事になって」
「構いません。副隊長のせいではありませんし」
ヤーコフからすると、結構自分せいでもあった気がしたが、気を使ってくれているのかもしれないので、素直にそのまま受け取っておいた。
「それじゃ、行くっすよダルトンさん。いつまでも座り込んでないで立ってくださいっす」
「わ、分かった。分かったから殺さないでくれ」
もはや、ヤーコフが話しかけるだけでビクついているダルトン。余程さっきの事が恐怖を感じたのだろう。ヤーコフもこのままの方が色々と楽だろうからと、特に訂正する気もなかった。
そうして小一時間ほどで終わってしまった巡回を兼ねた市内案内だったが、カトリ・デアトリスにとってヤーコフという男を知る機会となったのは、結果的に自身の目的に添うものとなった。