三章第十話 復讐だけが生きがいだった
カトリ・デアトリスは、心が芯から冷え切っていく事を自覚していた。
もしその時が来れば、頭に血が上って普段通りに動けないかもしれない。そう思っていた不安が杞憂だったと冷静に思えるくらい、身体は的確に動いている。
毎日続けていた鍛練がそうさせるのか、最高の状態で待ち望んでいた相手に剣を向ける事が出来たのだ。
「……父と母、そしてデアトリスに連なる者全ての仇」
五年前に命を奪われた家族の恨み、その復讐を果たすため、霊光が上る手が魔法剣をカトリは抜き放つ。
「――お前は、どうしてここに!?」
相手もカトリの事を憶えていたようで、突如として割り込んだ剣先を回避しながらも、驚いた表情を見せた。
その顔を一度として忘れた事は無い、見間違える筈も無い。
「ここで復讐を果たす!」
迷いなく、カトリは家族の仇であったゼロワンに対して剣を向けた。
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(……ゼロワン。せっかくまた会えたのに)
家族だと認め合った過去は何だったのか、何も言わずに姿を消し、ようやく再会した今も何も言ってくれない。
結局のところ失敗作である自分はゼロワンにとってただの邪魔者であったのか、一緒に居るという約束は最初からどうでもいいものであったのか。そのような思いに、揺れていたカタナの感情は徐々に固まっていく。
思えばカタナがゼロワンとの再会を望んだのは、ただはっきりさせたかっただけかもしれない。
自分がゼロワンの事をどう思っているのかを。
(……最悪だ)
そして出た答えがそれだった。
気付いてしまったのだ、カタナがゼロワンに対して抱いていた暗い感情に。
魔元生命体の成功作であり優遇された扱いを受けていたゼロワン、それとは真逆の拷問のような実験を受け続けていたカタナ。それをカタナが不条理だと思わなかったのは、その心を抑える拠り所が他ならぬゼロワンであったからだ。
しかしそれが破綻した時、思いのほかすんなりとカタナはゼロワンを敵視出来てしまっていた。
五年前は世界の全てだと思っていた存在に対して、今はもう信じ切る事が出来ず、まして自分の平穏を乱す存在だと認識している。
何よりカタナが最悪だと思ったのは、その弱い心と誰からも必要とされない無価値さを、自分自身が受け入れてしまえる事であったのだ。
「……殺しはしない。捕まえてもう一度、いや何度でも同じ事を聞いてやる」
カタナは自分の弱さを否定しない。如何に最悪な結論でも、そうやって生きてきたという事がもう染みついてしまっている。
ゼロワンが自分の居場所でないならば、今の自分の居場所を守るだけ。
だから真意の不明なゼロワンが、協会騎士団とシュトリーガルに対して行う戦闘行為を看過するような事はせず、それと戦う意思を見せた。
しかし事態は更に混迷する。
カトリ・デアトリスが現れ、ゼロワンに対して攻撃を仕掛けたのだ。
「――待て! そいつはお前の敵う相手じゃない!」
一も二も無く剣を抜いたカトリを、カタナは制止する。
カトリの腕が立つことはカタナもそれなりに認めてはいる、しかしそれは所詮人の域であるという事もまた事実。
魔元生命体として完成されているゼロワンに、万が一にもカトリが敵うはずが無いのだ。
「――くっ」
カタナのその見通しは正しく、剣を全て見切ったゼロワンがカトリを壁に跳ね飛ばす。
それでもすぐに体勢を整え、カトリは再度剣を構え直し突撃の姿勢を取る。
「待てと言ってるだろカトリ、ここは……」
「申し訳ありませんがカタナさん、今だけは私の好きにさせて貰えませんか?」
声音は落ち着いていたが、カトリは全身から殺気を滲ませていた。
カタナの言葉は邪魔だと振り払うように、その殺気をと鋭い視線をゼロワンに対して向けて言う。
「待ち望んだ相手なのです。ようやく……ようやく巡り合えた、このどうにもならない感情を剣に込めてぶつけられる相手なのです」
「……どういう意味だ?」
「それは……」
カトリの言葉には何かの因縁を感じさせるような意図が感じられ、それは今見せている尋常では無い殺気からも連想される。
(いや、まさか……)
その答えをカタナは以前に聞いた事があった。
そして今、もう一度カトリの口からそれは語られる。
「この男は、私が復讐の為に追い求めていた仇です」
カトリは断言する。五年前にデアトリス家に連なる者を皆殺しにして没落させた魔人は、目の前のゼロワンであると。
「私が今まで生きてきたのは、剣を振ってきたのは、この男の喉元に突きたてる為。絶対に逃すわけにはいきません」
そのカトリの言葉にカタナがゼロワンを見ると、何かに気付いたように表情を曇らせていた。
「……あの狸、今のどさくさで逃げたのか」
ゼロワンの呟き通り、カタナの背後に居たはずのシュトリーガルの姿はいつの間にか消えていた。
それと同時、大勢の足音が響いてくる。騒ぎを聞きつけてか、それとも姿の見えないリュヌかシュトリーガルが応援を呼んだのかはさておき、騎士達がこの場に駆けつけるようである。
「ちっ、まさかギルダーツの失敗がここにきて響くとは……いや、これは俺のミスか」
そう呟きながらゼロワンはカトリを一瞥し、そして深く嘆息する。その次に重心を僅かに下げながら、カタナに向かって尋ねる。
「お前は俺が憎いか? お前を置いて行った俺が、約束を踏みにじった俺が許せないか?」
「……俺は」
問われて、カタナは僅かに頷く。出ていた答えはゼロワンにどう伝わったのか、複雑なそうな表情からは読み取れない。
「本当は、俺はもうお前には会わないつもりだった。それが最悪の事態を引き起こす事に繋がるのを知っているから……だから」
言いながらゼロワンが飛び退き、隙を窺って仕掛けたカトリの剣をかわす。
そして続いて駆けつけてきた騎士達が何かを叫んでいたが、カタナはゼロワンの言葉に耳を傾けていた。
「追ってくるなよゼロツー。今の居場所が大事ならな……」
カタナに対して言い残し、ゼロワンは窓を割って本部の外に飛び出す。
その時一度だけ振り向いたゼロワンの表情は、以前のカタナが心の拠り所にしていたものと同様であり、絆の象徴であった優しげなもの。
「――待て!!」
すぐさまカトリはゼロワンを追いすがり、そこで僅かな躊躇を見せたカタナはその動きを阻まれてしまう。
(なんだって……言うんだ)
駆けつけた騎士達の半分はゼロワンを追い、そしてもう半分はカタナを囲んで剣を向けていた。
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「はあ……はあ……」
ゼロワンを追跡するカトリは、駆身魔法の限界まで駆使してどうにか見失わずにいた。
協会騎士団の本部を抜け、首都レーデンの街を駆け、人通りの無い小道に差し掛かった時にゼロワンはようやく足を止めた。
それはカトリの追跡に降伏したというよりは、余裕を持って待っていたかのよう。
「……どうやら、まだのようだな」
何を指して『まだ』なのか、ゼロワンはカトリを眺めながらそう呟いた。
「はあああああああああああ!!」
カトリはそんなゼロワンに対して何の躊躇も無く、気合と共に構えた剣を上段から振り下ろす。
全霊を込めた魔法剣の一撃、カトリは頭を叩き割る気持ちであった。
「少し落ち着け、それじゃ話もできないだろ」
しかしゼロワンは容易に、魔法剣の白刃を指の隙間で受け止める。
カトリの遠心力と体重、そして躯身魔法を乗せた一撃は、たった二本の指で無効化される。それはどうしようもないくらいの地力の差であった。
「く、うううう」
「お前じゃ俺は殺せない。それが解ったら無駄な事は止めて俺の話を聞け、わざわざこうやって場を設けたのはお前の為なんだからな」
殺気を向け歯軋りすら聞こえてきそうな程、剣を握る手に力を込めるカトリに、ゼロワンはまるで戦うつもりが無いように気の抜けた事を告げる。
「話す事など、無い。私は貴様を殺す、それだけだ」
「それはデアトリス家の復讐の為か? だったら尚更止める事だ、あんな奴らの為にお前が命を賭ける必要は無いだろ」
「貴様に何が解る。家族を殺された者の痛み、苦しみ、悲しみ、憎しみ……私はこの感情をただ堪えるだけの女では無い!」
殺された家族の事を『あんな奴ら』とまで言われ、カトリの怒りは頂点まで達する。
しかしどれ程力を込めても、ゼロワンに受け止められた剣はビクともせず、またカトリの霊力は追跡を全力で行った事で尽きかけていた。
「へとへとの癖に、まだそんな目を……」
気力だけで立ち向かおうというカトリに、そこでゼロワンは追い打ちをかける。
「魔元心臓起動」
ゼロワンの体内に圧倒的な量の魔力が生み出されの、その奔流はカタナのものとよく似ている、しかしゼロワンのそれは荒れ狂うというよりも一定の秩序が保たれていた。
そして魔元心臓によって生み出された魔力は、ゼロワンが片手で懐から取り出した短剣に集約されていく。
『魔術剣・阻無』。
一見してただの歪な短剣であるが、魔術武装らしく小さな刀身に大きな力を秘めている。
使用者の超大な魔力によって成る、霊子すら切り裂く程の完全無欠の破壊の力。それは奇しくも、カタナの持つ巨無と同じ力が発現していた。
振るわれた阻無の凶刃は、次の瞬間にはカトリの目の前で止まっていた。
「これが『阻むもの無し』だ……見えたか、力の差が」
「そんな……」
カランと音を立てて地面に落ちたのは、カトリが握っていた魔法剣の柄。
五十年前の大戦で武名を馳せ、デアトリス家の家宝となっていたその剣の刀身は根元から断ち切られ、最早剣としての役割は果たせない。
復讐を誓った時からその手にあった剣の死に、カトリの心もまた折れる。
「……殺しなさい」
力の差を見せつけられ、得物の差まで見せつけられた揚句、魔法を発現する霊力も尽きた。
今の自分がどれ程惨めかを実感し、せめて命乞いはしないと潔く死を望むカトリ。
対してゼロワンは向けていた阻無を引き、その力を消失させる。
「……どうして」
カトリは力なく膝から崩れ落ち、ゼロワンを見上げる。向けられた視線から感じられるのは憐れみ、無力な自分への嘲笑かと思ったがそれは何処か悲しさも滲んでいる様であった。
「……どうしてそんな顔を私に見せるの、あの時も同じ顔をしていた」
「すまなかった」
ゼロワンから返ってきた謝罪の言葉に、カトリはかぶりを振る。
「どうして……どうして私を殺さない! 父も母も! 幼い子供も! 老いた老人も! 使用人すら皆殺しにしておいて! どうして私だけを残した! 復讐の為に生かされるくらいなら、私はあの時に死んでしまいたかった!」
カトリは五年間溜め続けていた恨みの言葉を吐き出した。涙を流しながら、自分が否定していた本心まで全て。
本当は復讐の為に強くなるなんて、その為に生きているなんていうのが嫌だった。
だけど夢に出るのだ、少しでも立ち止まれば脳裏に刻まれた家族の死の瞬間が、仇を討てもっと強くなれとカトリに呼びかけるのだ。
その苦しみを断ち切る為には、復讐に生きる道しか残されていなかった。
「すまない、やはりあの時に話しておくべきだった。あいつらにお前がそれだけの想いを抱いていると知っていれば、苦しめなくてすんだんだが」
「何を……言っている」
思いの丈を吐き出したカトリにはもう何も残っていない。だからこそゼロワンの言葉をを邪魔するような事せずに、意味ありげに呟いたその続きに耳を傾けていた。
「魔元生命体の事は知っているか?」
「……カタナさんの事でしょう。どうして今、その話を? いや、そもそも何故……」
ゼロワンの事を魔人だと認識していたカトリは、どうして魔元生命体の事を知っているのかと訝しむ。
「知っているなら話は早い。俺はゼロツ……いや、カタナと同じその魔元生命体だ。あいつとは同じ時、同じ場所で作られた兄弟みたいなもんだった」
「……え?」
ゼロワンから告げられた事実を、カトリが理解するのには数秒の時間を要した。だがそれは序の口である。
「そして俺達が作られたのは帝国特殊技法技術研究所――だがな、そこを管理運営していたのは当時の『帝国栄華五家』の一家……俺が潰した『デアトリス家』だ」
「う、嘘……よ。だって私、そんな事知らなかった」
カトリが魔元生命体の事を知ったのは、カタナと出会い、サイノメに話を聞いたおよそ三ヶ月前。
それまではそんな実験が帝国内で行われていた事も知らなかったし、ましてやそれを行っていたのが他ならぬ自分の家だったなんてにわかには信じ難い事だ。
「知らないのも当然だ、奴らも他ならぬお前にだけは言えなかっただろう。俺も本当は言うべきではないと思っていた、知らない方が幸せだろうと……だけどそれがお前を苦しめたのならば、隠すべきでは無かったか」
目の前の男は家族の仇、そう思っているカトリは何を言われても惑わされない、信じないという気持ちがある。
しかしゼロワンが告げるのは、そんなカトリの思いも記憶も、まるで今までの全てが崩れ去ってしまう様な残酷で最悪の一言。
「カトリ・デアトリス……お前もまた、デアトリス家の実験で作り出された魔元生命体だ」
その真実を理解した時、カトリ・デアトリスは何もかも失った。