三章第九話 待ち人が現れる
場所は騎士団長の執務室、シュトリーガルとカタナ達は正門前で起こった戦いの報告を、ルベルトが寄こした伝令の口から聞いていた。
「……現れた魔人と思われる男は、聖騎士ケンリュウの手で倒されました。こちらの死傷者は、正騎士と従騎士を合わせて約八十名程です」
伝令はやりきれない表情で報告を伝える。それほど多くの同僚が命を奪われた事と、それがよりによって協会騎士団本部で起こった事に、心の清算がまだついていないからだろう。
「そうですか……ルベルトにはそのまま現場の後始末をお任せすると伝えて下さい。それと、関係各所への通達は私が引き受けるとも」
シュトリーガルがそれを伝えると、伝令は下がっていく。
しかしそんなやり取りを横で聞いていたカタナは、その伝令を呼び止めて問いかけた。
「暴れていた魔人と思わしき男の特徴を教えてくれ」
「あ、はい。先程申し上げた以外では、背丈はかなり大柄でした。肌も浅黒く、髪は長めでぼさぼさ……思いつく限りではこの程度でしょうか」
カタナに対して伝令は、少し緊張した態度でそう伝える。
「……大柄だという背丈は、俺と比べるとどの程度違う?」
「ええと、おそらくは見下ろせるくらいは大きかったかと思われます。部隊で一番背の高い重装騎士よりも大柄でしたから」
「そうか……解った、行っていいぞ」
「は、失礼します」
敬礼を残して今度こそ伝令は去って行った。
「何か気になりましたか?」
わざわざ伝令を呼び止めたカタナの事が気になったからか、シュトリーガルは問いかける。
「……いいや、別に」
カタナはそれに対して首を横に振り、嘆息した。
カタナが気に掛けた事は探している兄の事であり、正門前で魔人が暴れていたと聞いた時はもしやと思ったが、話を聞く限りでは別人であるようだった。
一応後で死体を確認しておこうと思いつつ、カタナはシュトリーガルに向き直る。
「思っていたよりも大事だったみたいだが、大丈夫なのか?」
「その問い方は不適切です。既に八十名の死傷者が出ていると聞いていたでしょう? 大丈夫だと言えるわけがありません」
「……悪かった」
言葉を選ばなかったのは、いつもの悪い癖だとカタナは反省する。
戦う立場にある者が死ぬのは当たり前、誰しも死ぬ時は死ぬと、そう思っているカタナだからこその失言。
そんな内心を見抜いてか、シュトリーガルはカタナに言い含める。
「カタナくんは未だに自分の命を軽く見積もっているようですね。だから他の命も軽く見えてしまうのです、どんな命も重く尊いと教えた筈でしょう?」
「……解っている」
「キミは一人じゃない、私は勿論の事ながら……他にも多くの方がカタナくんを大事に思っている筈です」
「……それはどうだろうか」
「ああ、それがいけないのです。そうやって自分の価値を自分で貶めては、いつまでたっても私の教えを理解したとは言い難いですよ。そもそも……」
説教する形態になったシュトリーガルの言葉を流しながら、カタナはリュヌとカトリに視線で援護を求める。
しかし返ってきたのは呆れるような溜息と、否定の首振り。わざわざ付いて来た割に、置物のように突っ立っているだけのその二人に少々言ってやりたい事が出来たカタナだったが、下手な事を言えばシュトリーガルの説教が長くなりそうだったので今は我慢である。
(それにしても……ここに魔人が乗り込んでくる、か)
逃避の為にカタナの思考は自然と、今さっき伝えられた事件に向かっていた。
白昼堂々、たった一人で騎士団本部に襲撃をかけるという大胆な行動。普通なら呆れる所だが、騎士団が被害を被ったのは事実であり、魔人の力を再確認させられた事態であろう。
そして、もしルベルトやケンリュウが居なければ、その被害は更に広がっていたに違いない。
(……気持ちが悪いな。昨日の今日で、いったい何が起こっているのか)
サイノメが居なくなった時からしていた嫌な予感、そんな漠然とした不安が的中した形になった事こそが、カタナの気分を更に害している。
「……聞いていますかカタナくん?」
説教を続けるシュトリーガルもいつもより気が立っている様子であり、きっと今後はこの件の対応や対策に追われる事で、更に余裕がなくなる事だろう。
「騎士団長も大変だな……」
「そうですか、それを解ってくれているなら説教は充分ですね。代わりにその大変な騎士団長の仕事を、いつも暇そうなカタナくんに今日は手伝ってもらう事としますか」
「……う」
考えている事が咄嗟の問いかけで声に出てしまい、それが藪蛇となってしまったカタナ。
背後からも呆れるような声が聞こえてくる、だがそれはすぐに叫び声に変化した。
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「火が!!」
最初に反応したのはリュヌだった。
そしてその叫びにカタナが反応を見せるのを確認したと同時、リュヌはカトリ・デアトリスを抱え、執務室の入口ドアを蹴破って飛び出す。
それは暗闇に包まれるようであった。
全ての酸素を燃やし尽くすように部屋いっぱいに広がった黒炎、リュヌより一瞬遅く気付かされたカタナには、もう迷う暇など残されていなかった。
シュトリーガルを抱えて、遠くなった執務室の入口では無く、最短の逃げ道をその手で作った。
「らあ!!」
分厚い壁をぶち壊し、炎が燃え広がる騎士団長の執務室から隣の部屋に逃げ延びる。
転がりながら体勢を整え、燃え広がる黒炎からシュトリーガルを庇うように立ち上がるカタナ。
(……今のは、まぎれも無く魔術の攻撃)
リリイ・エーデルワイス自慢の外套が防いだが、一瞬で逃げ場が無くなるほど燃え広がる黒炎など、魔術以外で考える方が難しい。
(だとするなら、正門で暴れた魔人は陽動か……いや、あるいはこちらも陽動という可能性もあるな)
そこまで考えて、カタナはシュトリーガルの様子を窺う。
「大丈夫か?」
「ええ、助かりました」
流石に肝が据わっているのか、一歩遅れれば灰になるところだったという状況であっても、シュトリーガルはさほど動揺した様子は無い。
それどころか、条件反射のように既に剣を構えていた。
「……誰だか知らんが出てこい」
カタナは自分があけた大きな壁の穴から、執務室に向けて呼びかけた。
執務室の中を一瞬で燃え広がった炎だが、消える時もまた一瞬、既に残ったのは燃えカスと煙だけである。
その煙の中に見える人影を、カタナは敵と定め身構えていた。
「誰だか知らんとは、御挨拶だなゼロツー……」
だから見定めた先から聞こえたその声も、自分に対してのその呼び方も、カタナとしては予想外も甚だしく、ましておおよそ敵と認識できる相手では無かった。
「まさか、忘れたなんて言わないよな」
瓦礫を除けながら壁の穴から出てきたその男は、カタナにとっては再会を何よりも望んだ相手であり、そしてかつて世界の全てであった者。
「本当に……ゼロワン、なのか?」
「そうだ」
優しげに頷いたその顔は、どうあっても見間違いようのない五年前と全く同一のもの。
カタナにとってただ一人の家族であり、ただ一つの希望だった、兄という存在がそこにいた。
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(覚悟はしていたつもり、だったんだが……)
カタナと相対したゼロワンは、捨てたと思っていた感傷に、自分の心が揺らぐのを感じていた。
灰色の髪と灰色の瞳を始めとする五年前と変わらぬ容姿、顔つきはあまり似てはいないのだが、病的に白い顔色と同じくらいの体格だけはゼロワンとカタナの共通点であった。
そしてそのただ一人の家族であり、ただ一つの希望である弟という存在の大きさは、ゼロワンにとってかつてと変わらずそこに在った。
(……狸め)
その弟を盾にするように後ろに居るシュトリーガル・ガーフォークに対し、ゼロワンは敵意を注ぐ。
(全てを知った五年前から今日まで、お前を殺すこの時を待ちわびたぞ)
五年前、それはゼロワンが自分が作られた意味を知り、そして弟との別れを決断せざるを得なかった全ての終わり。
帝国特技研の研究者達を殺し、それに関わった者達と、凶星という言葉に踊らされる者達を全て血祭りにあげると誓った時。
「そこをどけゼロツー、俺はその狸を殺しに来た」
戸惑っている様子のカタナに、ゼロワンはそう告げた。
「……どうしてだ?」
「それが、お前の為だからだ。今はそれしか答えられない」
むしろそれは答えたくない、という方が正しい。
「五年前も同じ事を言って、ゼロワンは俺の前から居なくなった。もう一度会えたら、その理由が聞きたかった……」
カタナはゼロワンに向けて真摯に訴える。ずっと一緒だと言った約束を破り、一人で去って行ったその理由が知りたいと。
「……理由は言えない。悪いがそれは、今も昔も同じだ」
知らないのなら知るべきでは無い。弟が何も知らず安穏と暮らす事が、ゼロワンの望みであるのだから。
「それなら俺も、ここはどけられない」
「どいてくれゼロツー。全てが終わればその時には俺から話す、だから今は俺の邪魔をしないでくれ」
そのゼロワンの言葉にカタナは首を振る。
「今の俺はカタナだ……ゼロツーじゃない。ゼロワンが何も言わないならば、俺はあんたを襲撃をかけた敵と扱う」
そう言ったカタナの顔には、まだ戸惑いは充分に残っている。しかし、その気が全く無いようにも見えない。
「俺と戦うのか?」
もうゼロツーでは無いと言い切った弟に対し、一抹の寂しさを感じながらゼロワンは問う。
「……殺しはしない。捕まえてもう一度、いや何度でも同じ事を聞いてやる」
それがカタナの返答で、雰囲気はもう揺るぎ無い。
そうなるであろう事はゼロワンの予想内であった、シュトリーガルがカタナを囲っている以上、戦わざるを得ない状況になると。
だがゼロワンにとっての予想外は、もう一人戦いたくない相手がそこに居た事だった。
「――お前は、どうしてここに!?」
遅れて現れたカトリ・デアトリスに、ゼロワンはカタナとの再会以上に心揺さぶられる事になった。