三章第七話 聖騎士が立つ
正門前は既に惨劇となっていた。
倒れた騎士達が血だまりを作り、まるで一本の道のように本部の建物に向かって続いていく。
その中心を悠然と進むギルダーツは、未だかすり傷の一つも負っていない。
「はあああああ!!」
正面から騎士が全身全霊をかけた剣の一撃を、ギルダーツに向け振り下ろす。
「……工夫の無いつまらん攻撃だな」
避けるまでも無いと、無防備な体に正騎士が与えられる上質な魔法剣が叩きつけられるが、粉々になったのは剣の方であった。
「そ、そんな」
「得物を失っただけでその有様か、いつもならばそちらのようなゴミは放っておくのだが、今日は少し事情が違うのだ……」
そう言って、絶望した表情で見上げる騎士にギルダーツは拳を振りかぶる。
「ノルマは皆殺し、これが戦争だ」
グシャリ
脳天から鎧ごと、騎士であったものは人の形すら留めずに赤く染まった。
「……しかし弱い」
ざっと見て二十程の死体が転がっていたが、ギルダーツは何の達成感も得られていなかった。
「主力は東部の未開拓地に駐屯していると聞いていたが、まさか協会騎士団の力がこの程度とはな……」
かつての大戦で相まみえた者達と比べると、格段に質が低い。一人一人の実力は大差無いように思えるが、士気には格段に差があった。
戦時中の決死の覚悟を平時に持てというのが無理な話ではあり、それを知ったギルダーツは思っていた以上に簡単な任務になりそうだと思い至った。
しかしその見立ては間違いであった。
「貴様は何者だ?」
そう問いかけたのはルベルト・ベッケンバウワー、協会騎士団の副騎士団長にして聖騎士の称号を持つ者。
誰よりも自分に厳しく、誰よりも他人に厳しい故、付いた異名が『鉄血騎士』。厳めしい表情でギルダーツに前に立ち、剣は構えずとも堂々とした態度でルベルトは相対した。
「ほう、マシな者も居るようだな……私はギルダーツだ、そちらは?」
ギルダーツは初めて名乗り、ルベルトも騎士の礼に則りそれに応える。
「私はミルド協会騎士団の副騎士団長、ルベルト・ベッケンバウワーという者。して、ギルダーツといったな……何用でここに来たのだ?」
「戦争だ」
ギルダーツの短い、ただそれだけ返答。たった一人でこの惨状を作りあげたものだからこそ、その言葉には現実味があった。
「……そうか、ならば」
ルベルトは唐突に胸の前で手を合わせた。これから戦いを始めるようには全く見えない様子に、ギルダーツは面食う。
「何をしている?」
「今ここで散った英霊達に祈りを捧げたのだ。これから少しこの場が荒れるのでな、けじめとしての弔いだ」
「――!?」
ギルダーツの周囲に上る霊光、しかしそれはルベルトのものでは無い。
既に配置は終了していた。ルベルトと共に演習を行っていた一個中隊が、離れた位置からギルダーツを囲んでいる。
「私には他の聖騎士のように優れた力はない、奇をてらった得物も持ち合わせていない。だがそれでも恵まれていない訳ではない」
しっかりと自分の意思に応えてくれる部下がいる、それがルベルト・ベッケンバウワーの強さであった。
「戦争をしにきたのならば、敵を目の前にしてのその余裕、傲慢さ、全部捨ててくるべきだったな」
ルベルトの合図によって『戦術魔法・千変万火』が発現する。そのいくつもの火線と爆風は、容赦なくギルダーツを包み込んだ。
「ぐ、小癪な!」
しかし、戦術魔法に晒されてもギルダーツはほぼ無傷。
魔人という種の中でも、特別丈夫な部類である彼。普通の人間ならば塵となる様な火線の中でもそれは揺るがない。
そんな常識外の事を、驚くべき事にルベルトは想定範囲にしていた。
「……む」
ギルダーツは気付く、発現した戦術魔法が自分を殲滅する為だけのものでは無いという事に。
火線による煙と爆風で巻き上げられた粉塵により、ギルダーツの視界は奪われ。ルベルトはその隙をついて部下を動かした。
「一番隊、五番隊、突撃!!」
視界が悪いのはルベルト達も同じ事だが、何が起こるか解っていなかった者と、あらかじめ知っていて対象を見定めていた者とでは雲泥の差がある。
その僅かな主導権を無くさぬ為に、曇った視界の中で揺らぐ大きな影に向けて騎士達は波状攻撃を仕掛けた。
「ぐっ、鬱陶しい!! 貴様らのちんけな武装では、私に傷一つ付けられんというに!!」
一撃離脱を繰り返す騎士達に、的を絞れないギルダーツは苛立ちを見せた。
騎士達の士気が足りないと見たギルダーツを翻弄するのは、ルベルトの的確な指揮。凡人であるからこそ、圧倒的強者と戦う為に必死で得た知恵。
(魔法剣も通じず、戦術魔法にも耐えうる常識外の肉体……しかし、どうやら欠点もあるようだな)
ルベルトがギルダーツにみたその欠点とは、魔術を使えないという事。僅か数度の攻防でその事実を看破していた。
(『魔人に常識は通用しない』、だが『人の形をしている以上、何から何まで完全では無い』だったか……)
ルベルトは自分に戦いを教えてくれた師の言葉を思い出し、その教えが今になって生きた事に喜びすら覚えていた。
(逃げ腰のバシリコフよ……貴方が興した騎士団とその教えは、私の中でこうして生きているぞ!)
亡き師を思いながら、ルベルト・ベッケンバウワーは存分に采配を振る。
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「さてさて、ギルダーツのおっさんも暴れ始めたようだし、俺も仕事すっかね」
ネズミ顔の魔人・グリシルクは、人知れず協会騎士団本部にある地下宝物庫に入り込んでいた。
彼の役割であるその仕事の内容とは、最奥に安置される魔術剣・巨無の奪取である。
「いやそれにしても、楽な仕事だわなこれ」
入口の見張りをあっさり殺して進むグリシルクを、阻むものはもう何もない。
本来はその建物には強力な付加魔法によるトラップがはられており、ネズミ一匹侵入を許さない作りになっているのだが、今は全て解呪されていた。
同じような作りでなおかつ入り組んだ通路も、全てどの道を進めばいいかもグリシルクの頭に入っている。
それは全て、協会騎士団内に潜む内通者がお膳立てした事であった。
「は~ダセー、もうついちまった。これなら後でギルダーツのおっさんを、からかいついでに手伝いに行ってやってもいいかな……」
あまりに簡単に行き過ぎた仕事に、愚痴を零すグリシルク。
そして最後の分厚い錠扉をバラバラに崩し、巨無の安置されている筈の部屋に侵入する。
「……はあ、あまりに簡単なのは嫌だけどよ。一杯つかまされるのも、それはそれでやる気なくすぜ」
グリシルクが到達したその場所には巨無は既に無く、代りに一人の男が彼を待っていた。
「やあ、遠路はるばるご苦労様」
爽やかな笑顔を見せるのは協会騎士団の聖騎士である、『無血騎士』ことランスロー。
今日の為に騎士団の様々な情報を王国側に流していた内通者、それは彼の事である。
「騙すなんてよ、なっかなかダセー事してくれるじゃねえか。その上こんな所で待ってるなんて、わざわざ死にてえって事でいいか?」
グリシルクはそれだけで人を殺せそうな殺気をランスローに向け、身体からは黒い魔光を上らせる。
「はは、別にキミ達を困らせたくて巨無を動かしたわけじゃないんだけどね。その方が後々都合がよかったっていうだけでさ」
「ああ?」
「解らなくてもいいよ。死人に口なし、死して屍拾う者なし、どうせキミはここで終わる」
そう言ってランスローは腰に帯びた剣を抜く。
しかし、刃を先に走らせていたのはグリシルクの方であった。
「ダセーな……」
グリシルクの武器は糸、細く長いだけのただの裁縫に使う様な糸である。
しかし魔人の武器としてはそれだけで充分。魔術によって付加される強度と切断力で、人間を一人バラバラにするくらい容易く行える。
両手の指から伸びる十の刃は既に、ランスローの全方位から迫り逃げ場をなくしていた。
「はああ、どうすっかな。探すにしても何処にあるのかわかんねーし、このまま帰ってもおっさんや新入りにでかい顔されるのもダセーし」
指先から伝わった肉を裂き、骨を断つ確かな感触。グリシルクはランスローをバラバラにしたというその手応えに、思考は戦いから遠ざかっていた。
いや、そもそもグリシルクは戦いを行ったという感覚すらない。ただ目の前に現れた馬鹿なニンゲンを、身体に付いたゴミを払ったという程度の感覚で殺しただけだ。
だからそれが失敗であった。
「そんな心配は要らないよ。死人に口なし、死して屍拾う者なし、もう僕が言った事だよ」
「あ?」
確かに指先にあった殺した感触がまるで嘘であったかのように、ランスローはグリシルクの目の前で平然としている。
その姿は血の一滴も流さずに、完全に無傷の状態で剣を振り抜いた後であった。
「そんなダセー事あ……」
『無血騎士』ランスロー・ブルータスと戦った者の常として。確かな勝利の手応えに惑わされたグリシルクは、奇妙なその感覚をして最後に思う。
どうせなら自分の首を切り落とされた感覚も嘘であってほしいと。
「……ふう」
ランスローは一息吐き、剣を収める。
そして余韻に浸っていた彼だが、近づいてくる者の気配に気づき表情を鋭くした。
「それ以上来るな、僕は平気だ」
「……申し訳ございません」
ランスローは近づいてきた従者のメイティアに対して、厳しく言い放つ。
「お前に心配などされなくても、こんな程度の相手に敗北などしない。そんな事は許されない……」
「はい……存じております」
「なら今は、一人にしてくれ」
冷たく突き放すように言ったランスローに従い、メイティアは深く頭を下げて去って行った。
ランスローの貴公子然とした美形の顔には、今は些かの余裕も無く。その原因が目の前から去っても、しばらくは苦悶の表情が続いていた。
(まったく、不死身の身体となっても……未だにこんな事を克服できないなんてな)
『魔術剣・無血』に選ばれたランスローがいつも苦しむのは、戦いよりも自分の従者に対しての想いであった。