三章第六話 警笛が知らせる異常
カタナが騎士団長の執務室に行くと、現在は来客中という事で秘書官から別室待機を言い渡された。
そのまま仕方なく待っていた時の事。
「どうしてリュヌさんも付いてくるのですか?」
そんな一言が火種となった。
「あら、我が君の行くところ従者の私が付いて歩くのは当然の事じゃない。何か問題でもあるかしら?」
「それはあるでしょう。騎士団長の呼び出しに応じるのに、余計な人が付いていればカタナさんが迷惑するではありませんか」
「あらあら、我が君は迷惑だなんて一言も言った記憶はないけれど。カトリ・デアトリスは他人の心が読めるという事なのかしら?」
「客観的に考え代弁しただけです」
「そう……では言わせてもらうけれど、カトリ・デアトリスも付いてくる必要が無い邪魔者なのではなくて?」
「私は騎士団長から直々に、カタナさんを連れてくるように頼まれました」
「あら、でも我が君は自分から向かおうとしているみたいだから。それはもうお役御免じゃない?」
「……う」
「だとしたら、カトリ・デアトリスに何か言われる筋合いは無いわね」
「……しかし、だからといってリュヌさんが付いて来ても良い理由にはなりません!」
そんな調子で続く言葉の応酬。
カトリは普段からリュヌに不満を抱いている様であったが、そういったケアがカタナに出来る筈も無く、今になって漏れてしまったのだろう。
(面倒だ……こういう時にサイノメが居れば、うまく仲裁するんだろうが)
思えばカタナが一番サイノメに力を借りていたのは、秘書官としてでも情報屋としてでも無く、対人関係についてであったのかもしれない。
基本言葉少ないカタナの代わりにサイノメがフォローを入れる事で、こじれるところも円滑になっており。サイノメが居なければカトリもリュヌも恐らくここにはいなかった。
(まったく、あいつは矛盾してる)
一人でいるべきだと言ってきたり、それとは逆に誰かを呼び込んだり、揚句勝手に自分だけいなくなったりと、サイノメという奴はカタナにはとても理解しがたい生き物であった。
「……もういい」
無いものねだりや、理解しがたい事を考えても埒が明かない。
今はとりあえずカトリとリュヌは放っておく、それでいい。
「お待たせしました」
そうこうしている内に秘書官が呼びに来る。流石に人前で見苦しい所は見せられないらしく、カトリとリュヌは大人しくなっていた。
「……行くぞ」
カタナは二人を伴って呼びに来た秘書官の後に続いた。
++++++++++++++
「久しぶりだねカタナくん」
整然とした執務室では、騎士団長のシュトリーガル・ガーフォークがカタナを喜んで出迎えた。
しかしカタナからすれば、かなり苦手な相手で、正直なところはあまり会いたくない相手であった。
「わざわざ呼び出して、何の用だ」
「呼び出さないとキミは会いに来ないでしょうに……特に用という用は無いけれど、キミの後見人を名乗る以上コミュニケーションはしっかりとっておきたいと、私はそう思っているのですが……」
今までも騎士団長と元老院議員を兼任する忙しい職務の中で、シュトリーガルは暇を見つけてはカタナと接する機会をこのように設けていた。
「いつも通り、俺の現状を報告すればいいのか?」
「キミには世間話と言う概念が無いようですね……嘆かわしい。そちらの御二方もそう思われるでしょう?」
嘆息しながらカトリとリュヌにシュトリーガルが話を振ると、二人も頷きながら苦笑いで返す。
「まったく、普通はこんな美人を二人も連れて来たら、真っ先に紹介するものですよカタナくん」
「ジジイが色目使うな恥ずかしい」
「いえそういう意味では無く、私はキミの社交性を正そうとしているだけです。はあ……これでも色々とキミの事は心配しているのですよ」
シュトリーガルの小言に、今度はカタナが嘆息する番であった。
「あんたに言われた事はしっかり守っているつもりだ……『許可なく本気で力を使うな』、『人間は殺すな』、『それらに反しない限りで、騎士として誰かを守る時には全力を尽くせ』、忘れていないだろ」
「どうですかね、フルールトークの一件では無許可で巨無を用いたと聞きましたが? 当主が揉みつぶしたとはいえ、私の中では無かった事にはなっていませんよ」
カタナの口答えに対応し、シュトリーガルの視線は僅かに鋭くなる。それだけでまるで空気が変わったようであった。
穏やかな人間がたまに怒るとその差異に驚かされるという話があるが、これはそれとは違い、普段気配さえ希薄なシュトリーガルが隠した気迫を見せたという事。
カタナの後ろで立っていたカトリは、それだけで一瞬息をするのを忘れた。
「……そうだな、悪かった。クビでもなんでも処分は受ける」
「そこまでの事はしませんよ。悪い事をした、もうしないと反省しているのならそれでいいのです」
カタナの謝罪でシュトリーガルは元の柔和な雰囲気に戻る。その辺りの切り替えの早さは流石というべきである。
そして小言の途切れたその時をついて、カタナは尋ねた。
「実は今日は俺の方にも用があるんだ。サイノメの事なんだが」
「……ふむ」
そこでシュトリーガルは、カトリとリュヌを一度見てカタナに目配せした。
「この二人はサイノメの事を知っている、だから連れて来ても構わないと思った……もし邪魔なら出て行かせるが?」
「……いいえ、構わないでしょう。それで、私にサイノメさんの何を聞きたいのですか?」
シュトリーガルは逡巡したようだったが、結局は現状のままでカタナの質問に答える意思を告げる。
それに対しカタナは珍しく慎重に言葉を選ぶ、聞きたい事をなるべく明確に聞き出せるように。
「あいつは昨日、俺との契約を打ち切ると言って姿を消した。俺が何よりも知りたい情報を掴んでいた様子だったが、中途半端な事を言い残しただけだった。その事で何か聞いていないか?」
「なるほど、サイノメさんがね……そうですか」
カタナの尋ねた事に、シュトリーガルは含みのある頷き方をする。
「何か知っているのか?」
「……元はサイノメさんは私の密偵です。条件付きでカタナくんにお貸ししていましたが、先日私の下に復帰したいと言ってこられましてね。私が知っているのはそれだけですが」
「本当にそれだけか?」
「むしろ私がカタナくんに聞こうと思っていたんですよ。サイノメさんと何かあったのではないかとね……」
聞かされたカタナには正直落胆するような事実である。
「そうか、それならば……ん?」
ピーーーーーピーーーーーーーーー
遠くで警笛の音が鳴ったのをカタナの耳は聞き逃さなかった。
それはカトリとリュヌにも聞こえたようで、それぞれ反応を示した後にカタナに窺いを立てる。
「我が君、今のは?」
「……練兵場の方からじゃなかったから、おそらく訓練ではないだろうな」
そうなるとこの協会騎士団本部において、警笛で応援を呼ばなければいけない何事かが起こったという事だ。
「どうしました?」
シュトリーガルには警笛の音は聞こえていなかった様子で、カタナ達の物々しい雰囲気に不思議そうにしていた。
「警笛が聞こえた。おそらく正門の方向から」
「警笛ですか……」
「急ぎ、向かった方がいいのでは?」
そのカトリの提案にカタナは応じようとするが、シュトリーガルはかぶりを振った。
「待って下さいカタナくん。キミが行く必要はありません」
「……いいのか?」
「ここは協会騎士団ですよ。何事かは解りませんが、近くに居る者が対処できるでしょう。それに万が一大事になるような事ならば、むしろここに待機している事の方が得策だと思われます」
シュトリーガルが言っているのは、何かあれば誰かが騎士団長のいる執務室に報告に来るという事だ。
そういう時の為に上に立つ者は居所を定めておかねばならず、そしてカタナをうまく使えるシュトリーガルは一緒に居るべきだという事。
「あと、カタナくんが行けばこじれる可能性もありますし。先程も少し触れましたが、無許可で巨無を使った事に対してです。謝罪は受けましたが、それだけで信用が戻ったとはよもや思っていないでしょうね?」
それを言われればカタナに反論の余地は無い。余地は無いのだが。
(……おかしい)
協会騎士団の本部内で警笛が鳴るという異常、その中で何事かの違和感をカタナは感じていた。
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協会騎士団本部の正門前、そこを守る門衛は今日も欠伸を噛み殺していた。
それが騎士としての任とはいえ、一日中出入りする人達を眺めているだけの毎日。飽きが来て、気が緩むのも仕方のない事だと言える。
しかしそれでも、必要になる時というのは来るものである。
「ちょっとそちらの方、止まって下さい」
門衛が目を付けたのは、頭から汚らしいマントを被った背の高い人物。
見た目からして怪しい者であったが、呼び止めたのは他にちゃんと理由があった。
「ここから先は通行証が必要になります。提示していただかなければお通しする訳には参りません」
「……」
「お持ちでなければ役場に騎士団専用の受付がありますので、まずはそちらから……」
忠実に職務を全うしようとした門衛は、言葉の途中で息を呑む。呼び止めた人物のマントの中から、大きな手が伸びるのが見えたからだ。
「ひ……おが」
グシャッ
門衛は突き出された拳と背に向けた壁に挟まれて潰される。
「ふん、脆い」
絶命する門衛。
ほんの一瞬の事だったが、マントを被ったその不審者も元々目立っていた為に、それはすぐに広まった。
「ひ、人殺し!!」
「誰か来てくれーー!」
道行く人が叫び、近くに居た騎士が警笛を鳴らす。マントを被っていた不審者は、その混乱の中で悠然と自分の姿を衆目に晒した。
黒い髪、黒い瞳、鍛えられた騎士達を更に上から見下ろす体躯。
「さて、こちらにはどれだけの強者がいるのかな」
集まってくる騎士達を前に巨躯の魔人・ギルダーツは、ただ一人その身を以って戦争を開始した。