三章第四話 情報屋が示す明日
カトリとリュヌが魔窟を出るのと同じ頃、カタナは協会騎士団本部を出て首都レーデンの商店街を歩いていた。
通り歩く人の隙間を縫うように進むのは、目的地に向かう為では無く、それが目的であるから。
「お待たせシャチョー」
いつの間にか当然のように隣にいるサイノメ。いきなり現れたそれに周囲の誰も気付いた様子も無く、最初からずっとカタナの隣にいたような自然さであった。
「……報告を聞かせろ」
慣れきった事であるので驚きも無いカタナはサイノメにそう促す。
ここを歩いていた目的はサイノメに集めさせていた情報を聞く為であり、歩きながらそれを聞くのは、周囲の雑踏を利用して誰かに聞かれる事を防ぐためだ。
「いつもながら、身を粉にして働くあたしに労わりの言葉も無いとはね……」
「まともな報告が聞ければ考えてやる」
「うわー偉そうに、今回はそんな尊大契約主様が腰をぬかすような情報を、三つも仕入れてきたから聞き逃すでないぞい」
いつになく自信満々のサイノメに対して、カタナはさして期待するでもなく耳を傾ける。
「それじゃいきなりだけど悪い情報から聞いてもらうかな、実は帝国特務が王国のある部隊と交戦して壊滅したそうな」
「……本当か?」
「その問いかけは禁止。私は本当の事しか言わないよ、少なくとも自分でしっかりと調べた事についてはね。それで帝国特務の現状だけど、主力の約六十名を失って今は活動を停止しているみたい」
「王国のある部隊といったな、それについては掴んでいるのか?」
「うん、帝国軍の報告記録を漁った限りで導き出されたのは、オルトロス部隊……」
サイノメのその言葉を聞き、カタナは眉根を釣り上げた。
(オルトロス部隊……俺が帝国特務に所属していた時に戦った、魔人だけで構成された部隊)
カタナとしてはその戦いの事よりも、その後の事の方が鮮明に記憶に残っている。
何せオルトロス部隊との戦いで功績を挙げすぎた事で、カタナは帝国の上層部から危険視され、処分されそうになったのだから。
「シャチョーにとっては大きく人生が変わった所だよね。シャチョーがあの時あたしの言葉に乗って共和国に来て、この二年で聖騎士になったり、辺境に飛ばされたり、美人な従騎士と従者が出来たりと色々あったね」
「……余計な事はいい。その従者の面倒を従騎士が見ている間に、報告を済ませなければいけないだろ」
「はいはい申し訳ありませんよって」
情感もへったくれもみせないカタナに呆れるように、サイノメは報告を続ける。
「過去に壊滅した筈のオルトロス部隊が存続していたのか、それとも新たに立ち上げられたものかは不明。でも帝国特務の手練れがやられちゃったとなると、相応の戦力が集っていると考えられるね」
「構成人数は?」
「不明だよ。帝国もそれを掴む前にいきなりの敗北だったらしくてね、もしかしたら王国側は意図的に情報を流して罠にはめたのかね。まあ、どんな形でも負けは負け、出足を挫かれた以上は、もう自分から動く様な事は無いかもね」
「……」
「あと、シャチョーが気になっているであろう風ちゃんについてだけど、戦いには後方支援で参加してたけどしっかり無事に帰還してるみたいだね」
「……そうか」
風神が生きているという事を告げるサイノメの報告に、とくにそれ以上の感想を述べないカタナ。
しかし否定しなかった事から、風神の安否が気になっていたのがバレバレであった。
「これで一つ目の報告は終わりだけど、何か質問は?」
「それに対しての、王国の動きについては何か掴んでいるのか?」
「まあね、でもそれは二つ目の報告にも含まれる事だから一緒にしちゃおうか。王国についてはかなりキナ臭い状態でね、戦争を仕掛けるのではないかとの噂も立っているくらいなんだ」
「……本当に今回は随分と掴んできたみたいだな」
「言ったでしょ、腰抜かすなって。でもそれは、別に今回私が特別に動いた訳じゃなくて、それだけ各所で大々的な動きがあった結果だよ。事件や事故が多ければ、人や噂も多く流れてくるのが必然だから」
以前にサイノメは、王国の情報は掴みにくいとカタナに話している。今回掴んでいる事が多いのは、それを隠しきれないくらいの動きがあったという事だろう。
「それにしても、戦争か。それは国家レベルでの話になるのか?」
「恐らくはね、王国がそんだけの動きを見せるなら、大戦以降の歴史の裏で行われた小競り合いとは訳が違うものになるだろうよ。大陸史ではまさに五十年ぶりの人同士の争いだあね……いや、魔人が関わる可能性も極めて高いだろうけどさ」
そんな大事を、あくまでいつもの軽い調子で言ってのけるサイノメ。情報屋である故か、どんな事でも他人事に思えてしまっているのかもしれない。
(まあ、俺もそれがどんなものかは今一つピンとこないがな)
カタナとしても、記録では知っているが大勢が入り乱れる戦場というのは想像が出来なかった。
それなりに戦いを知っているカタナでもそうなのだから、戦いを知らないほとんどの国民達は考えもしないだろう。
それだけ今の世が曲がりなりにも平和であるという事なのだ。
「それと、王国宰相のラスブートが吸血鬼を使って、シャチョーにちょっかいをかけた事だけど、未だに真意は不明だね。リュヌちんは依頼を受けただけで理由は解らないって言うし、フルールトークの方にもあれ以来異常は無いみたいだし」
「お前にもリュヌの監視を頼んでおいたが、それの収穫はあるか?」
「特になし、リュヌちんが誰かと繋がっている可能性は今のとこ全然見えないよ。信じ難いけど、本当に個人の意思でシャチョーのとこに来たのかもね」
「それならそれでいい。俺個人の問題はこの際どうでもいいからな」
用があるなら向こうからアクションがあるだろうと、カタナはそんな受け身な考えであった。サイノメが掴めないならそれ以上は望めないし、動きようも無いという事もある。
「そういやリュヌちんは目を離して大丈夫なの?」
「ああ、今はカトリ・デアトリスと一緒に居る筈だからな。そうそう簡単に問題は起きないだろう」
サイノメの報告を聞くのにリュヌは邪魔だったので、カタナがカトリに面倒を押し付けたのはそれが大きな理由であった。
「へえ、カトちゃんの事けっこう信じてるんだね。誰かを信頼するのは、シャチョーにしては珍しいんじゃないかな? ゼニスに居た時だって部下とかなり距離を置いてたし」
「……あいつは単純だから利用しやすいだけだ。それに今だって、充分距離を置いているつもりでいる」
「そうかなあ? シャチョーのそういうとこ少し心配だよ」
何か引っかかる様な物言いのサイノメ。
「何が心配なんだ?」
「無関心なのか、意識してるのか、それとも無意識なのかって事さ。カトちゃんの事も、リュヌちんの事も、そしてあたしの事も……」
「もっと解りやすい言葉で噛み砕いて言え」
今のサイノメの言い方は、カタナに何かの気付かせたくてヒントを出した様な言い方であった。まるで試されているようで、聞かされた方は気に食わない。
「前に言ったよね、シャチョーは一人で居る時が一番強いって。誰も気に掛けず、如何なる物も視界の端に置いて我が道進む、それが出来る状況がシャチョーの強さを一番発揮できるとあたしは思うんだ……」
サイノメはまるで否定するような語感で言う。
「まるで今の俺は一人じゃないような言い草だな」
「うん、だって一人じゃないじゃん。今のシャチョーの周りは前に比べて随分と賑やかになったよ。単純な利害関係じゃなく、認め合い気に掛けあうような相手がもう居ないとは言わせないよ」
「どうかな、俺にはさっぱり浮かばないが」
カタナが言うと、サイノメは真顔で首を振る。
「ふーん……やっぱりね、シャチョーならそう言うよね。そう言われればあたしはシャチョーが無関心を装っているのか、意識してるがゆえの強がりなのか、それとも本当に無意識なのか断定できない筈だからね。でもあたしには確実に解るよ、今のは本心からの言葉じゃないってね」
伊達に二年も近くで見ていた訳では無い、とサイノメは自信を持って言い切った。
「そしてあたしの心配はそれだよ。シャチョーは本心を語らない、特に自分自身に関わる事には滅多にね」
「……今のは、説教が始まる流れだったのか?」
サイノメからの報告を聞いていた筈が、明らかに話題が脱線している。このままでは、カタナには面白くない流れになりそうであった。
「あはは、いや説教したかったわけじゃないよ。ただ……最後くらいは、本心で語りたかったかもなんて思っちゃったから……まあ、今更の話だったね」
段々声のトーンを落とし、それに伴って何故か笑顔を作っていくサイノメ。その様子よりも、カタナには『最後』と言ったサイノメの言葉が気に掛かる。
「何が最後なんだ?」
「あたしがシャチョーの専属で動く事がさ。今日をもって契約は解約させてもらう事にしたからね」
別れの言葉は突然に、そして脈絡も無く伝えられる。
「……随分といきなりだな、それは契約違反じゃないのか?」
「あはは、契約書も読まないで適当な取り決めだけ口約束させた人が良く言うよ。これでもシャチョーの要望はしっかり果たしているっていうのにね」
サイノメは裏の顔の情報屋として、カタナと専属契約を結んでいた。結んだのはカタナが帝国を出て、共和国に移ったその時からであり、それは元々カタナが望んだ事だ。
カタナにはどうしても知りたいことがあり、サイノメとの契約の本来の目的はただ一つの為。
「――まさか、見つかったのか!?」
解約を言い渡してきたサイノメの言葉からその考えに至った時、カタナはいつもの平静さを完全に失っていた。
それはまるで信じていなかった宝の地図から本物の宝が見つかったような、そういった類の驚きが見受けられる。
「うん、それが解約の条件だったからね。ある人物の情報を掴む事――生死は問わず、とにかく確実な情報を掴む事がシャチョーからのたった一つの要望だったよね」
「ああ、そうだ」
語気は少し落ち着いたが、カタナのサイノメに向けている視線には、大きな期待がありありと浮かんでいる。
カタナがサイノメに捜索を依頼していたのは、それだけ彼にとって特別な人物であった。
「では始めに言った三つ目の報告も含めて最後の報告を始めるよ。帝国特殊技法技術研究所の験体501……通称は末尾の数字をそのままとって『ゼロワン』、記録上では魔元生命体の唯一の成功作。シャチョーにとっては同じ場所、同じ時に生まれた兄の様な存在であり、そして探し人だったよね……」
「……」
サイノメは尋ねる口調だが、それがただの確認であると解りきっていた為、カタナは何も答えずに続きを促す。
「研究所で行われていた魔元生命体の実験が、五年前に凍結された事で消息は不明と。記録にもほとんど残っていないし、ましてや本来この世に居ない筈の存在だ、凍結された時点で処分されるのが当然……でも、おめでとう彼はちゃんと生きていたよ」
それを聞いたカタナの表情は、かなりの喜びに満ちているとサイノメには読み取れた。普段無表情気味な分こういう時にはとても解りやすいのだ。
(……浮かれすぎだよシャチョー)
サイノメは嘆息を堪え、顔をわずかに伏せた。
「それで、今どこに居るんだ?」
「明日……」
「何?」
「……シャチョーが協会騎士団本部に居れば、明日必ず会える筈だよ。それがあたしの提示できる確実な情報」
確実というなら引き合わせる事が一番確実である。カタナが望んだ事であるが、それがあまりに都合が良かったからか、渡りに船だとは思わなかった様子。
「どうして騎士団本部に? お前が呼ぶのか?」
当然の様にサイノメに質問がかけられるが、しかしその問いに対してまともな返答は無かった。
「それじゃあね。もし明日シャチョーが探してたゼロワンに会えたなら、私達の契約もその時に終了するって事で」
「おい、待て」
軽い調子の言葉だけ残し、去ろうとするサイノメをカタナは止めようとするが、もうそこには拘束力はない。
「報告するべきは全て述べたよ、あとはシャチョー次第。悪いけどこれ以上は、もう話していられないんだ」
そう言って神出鬼没の情報屋はカタナの目の前から消え失せた。一部の証跡も残さずに、まるで最初から存在していなかったかのように。
「……サイノメ?」
しかし最後に見せた少し悲しげな表情が、残されたカタナの脳裏からはどうしても離れないでいた。