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魔剣カタナとそのセカイ  作者: 石座木
第一章 聖騎士と従騎士
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第六話 ヤーコフとカトリ・デアトリス

 朝の9時20分、ミルド協会騎士団ゼニス市駐屯所では、ちょうど夜勤の者と朝の平常勤務の者との引き継ぎが行われていた。

 とはいってもゼニス市の治安は比較的良いため、引き継ぐほどの事は大してなく、ほとんどの場合は形だけに留まるが、その朝は少し違っていた。

「自警団に何かしらの動きがあった?」

「ええ、市外に出動していったみたいです二十人ほど」

 自警団とは騎士団以外の者で組織された、治安を守るための市民警察のようなものである。

 それは本来、騎士団の任であるが。駐屯させておく人員にも限りがあるため、各市町村の長の判断で自警団を持つことを許されている。

 特にゼニス市のように、首都から離れていて国境などにも面していない所は、騎士団を常駐させておく理由も薄いため、自警団を持つことが推奨されている。

 その実、騎士団と自警団の間には変な競争意識のようなものもあり、時として摩擦も起こるが、それも治安維持のためには必要なものだと多くの者が思っている。

「市外か、どこに行ったのかは分かるっすか?」

「方角で言えば南という事しか解っていません。でも遠出するようで、全員馬に乗っていたと、見たものの証言があります」

「南に遠出……」

 引き継ぎを受けていたヤーコフは考え込むように顎に手を当てる。

 ゼニス市は大陸の南端近くにあり、それより南には港にできそうな海岸もないため、あとは数個の村が点在しているだけのはずである。

 もし自警団が本当に南に出動したとなれば、その数個の村の周辺で問題が発生して、出動の要請を受けたとしか考えられない。

「でもこっちには何も連絡は入ってきてないって事っすか?」

「ええ、自警団はもちろん。その他のどこからも何事もなくいつも通りです」

「はあ、自警団が出動している以上は何事か必ずあるはずなのに、メンツでも気にしてんのかね」

 嘆息するヤーコフだが、表向きは何事もない以上、いつも通りにするしかないと思った。

「分かった、ごくろうさん。後は僕の方から隊長に伝えておくし、一応今日は巡回を多めに行っておくことにします」

「はい、よろしくお願いします副隊長。ではお先に失礼します」

 そうして引き継ぎを終えた夜勤の騎士は、少し眠そうにしながらも騎士団の敬礼を交わして退室していった。

「さて、隊長は今日も重役出勤か。でも昨日来たばかりの新人もまだ来てないってのは何でか?」

 もしかして、と不意に不安がよぎる。

「昨日は二人で出かけていたみたいだし。あれで結構隊長はモテる。ううむ、でも朴念仁の隊長がすぐに手を出すとは思えないし」

 しかし、新人のカトリ・デアトリスという少女の美しさを思い出し。あり得る話かもしれない、という悪い予感もヤーコフにはあった。

 実際ヤーコフも、副隊長という地位を忘れて舞い上がってしまったほどなのだ。隊長がそうであってもおかしくない、と考えてしまう。

「だとしたら羨ましすぎるよ隊長。月の出てない夜は背後に気を付けるっすよ!」

 あまりの羨ましさに思いっきりヤーコフは声に出していた。

「誰が背後に気を付けろって?」

 そして背後からの声にヤーコフは戦慄した。

「あ、はは。おはようございます隊長。今日もいい天気ですね」

 冷や汗だらだらでも調子の良いヤーコフに、カタナは挨拶代わりに嘆息で答えた。

 


++++++++++++++



「申し訳ありません、遅れました」

 カトリ・デアトリスが駐屯所にやってきたのは、本来の出勤時間より一時間遅れてのものだった。

「昨日の今日でいきなり遅刻とは良い身分だな」

「……いや隊長も遅れて……すいません何でもないです」

 ヤーコフの指摘は視線で黙らせてカタナは続ける。

「うちは遅刻に対して罰則は特に決めてないがな。しかしそれだと他の者に示しがつかない」

 だからどの口が言うのか、というヤーコフの視線も完全に無視してカタナは続ける。

「だから今日はこのヤーコフが、巡回を兼ねてお前にこの街を案内させようと思う。異論は認めない」

「い、異議あり!?」

 流石に聞き捨てならない事だったので、ヤーコフは声高に異議を唱えた。

「……なんだ? 新人の案内がそんなに嫌なのか?」

「いや、嬉しいですけど……そうじゃなくて! どうして僕が案内するのが罰則代わりみたいな言い方なんですか!?」

「……それを俺の口から言わせるのか? 酷な奴だなお前も」

 やれやれと言ったようにカタナは肩を竦める。表情はかなり意地の悪い時のものだ。

「え、いやちょっと、何を言う気ですか? そんな酷な事を言われるんすか?」

「そうだな。年中盛っているお前の生態を話せば、大抵の女は近づきたくなくなるだろうな」

 それを聞いたヤーコフは顔を青くする。

「すいませんでした。異論はありません」

 流れるような綺麗な土下座だった。しかも地面におでこを完全につける土下座の完成系をヤーコフはマスターしていた。

 そんな様子を見て困るのはカトリだった。

「あの……隊長」

「ああ、大丈夫だ。ヤーコフは重役達の娘を四股にかけてたのがバレて地方に飛ばされてきた程度で、別に犯罪を犯したわけじゃない。仕事に関しては誠実な男だし」

「言ってる!? 完全に言っちゃってる!?」

 仕事に関しては誠実、という最後の褒め言葉が強調されている分、前半の誠実じゃない部分が余計に際立っている言い方だった。

「もういいから行けよ面倒だな」

 あっさりとばらしておきながら鬱陶しげに手を払うカタナが、ヤーコフには悪魔に見えた。

「もう駄目だ……おしまいだあ」

 地面に手をつきもはや顔も上げることができなくなったヤーコフ。

 しかし、手を差し伸べる者がいた。

「……え?」

「私は気にしませんよヤーコフ副隊長」

 手を差し伸べるカトリの笑顔が、その時ヤーコフには天使ように感じられた。

「私、自分の身は自分で守れますから」

 しかし、その言葉で絶望に立たされた。時として優しさは人を不幸にするものらしい。

「いや、いいだ。どうせ脈なんてなかったし。はは」

 乾いた笑いをもらしながらヤーコフは自力で立ち上がると、私生活はともかくせめて副隊長としての威厳だけは保とうと表情を作った。もうだいぶ遅いが。

「それじゃ行きましょうか。仕事に関しては誠実な所を見せてやりましょう」

 何か変な意地みたいなスイッチが入ったのか、妙に胸の張った態度でヤーコフは出て行った。

 続いてカトリも出て行こうとするが、ドアの前で思い出したようにカタナに向き直った。

「……あの隊長」

「何だ?」

「もしよろしければ、後で稽古をつけていただきたいのですが?」

 稽古の申し出、騎士団では特に部下と上司の間では珍しくはない。

 だが、基本面倒臭がりなカタナは大体断る。そもそも駐屯所では相手が務まるほどの者が居ないため、所望されること自体少ないが。

「……後でならいいぞ」

 それでも断らなかったのは昨日、カトリやサイノメと話した事が気になったからか。

(……おかしなもんだな)

 面倒だからとサイノメに任せたり、ヤーコフに押し付けたりしていても。なんだかんだで自分にもお鉢が回ってくるあたり、世界は都合よくできていないのだなと実感した。

「ありがとうございます」

 カトリは去り際にそう言い残してヤーコフに付いて行った。

「……とりあえず寝ておくか」

 カタナは椅子に背を預け、腕を枕代わりに眠りに落ちる。

 窓からは陽光がありありと差し込んでいた。



++++++++++++++



ヤーコフに対するカトリ・デアトリスの印象は、軽い男というのが本音だった。

 先日初めて会った時は、自己紹介代わりに歯の浮くような台詞を言われたし。見た目も流行を意識した髪型やアクセサリ等が目につく。

 雰囲気やしゃべり方はとっつきやすさがあるが、それも軟派目的ではないかと思えてならない。

 カタナに聞いた話と相まって印象はよろしくないと言える。

「ハハハ、ではデアトリスさん。僕がこのゼニスの街を案内しましょう。なあに、ここは僕の庭みたいなもの、あらゆる道を完璧に案内して見せましょう」

 しかしこんなに無理に空元気を見せる人を放っておくほど、カトリは人でなしではなかった。

「あの、副隊長。そんなに無理しなくても、私は隊長の言ったことは気にしてませんから。普通にしていただいて結構ですよ?」

「……そんな事言って、僕の事を最低のゲス野郎だと思っているんでしょう?」

「そんな風には思っていません」

 そう、最低だとは少し思ったが。ゲス野郎とまでカトリは思っていなかったから、嘘はついていない。

「……副隊長がこんな奴で、先が思いやられるわ、とかも思っているんでしょう?」

「思ってません。大体さっきの話は本当なのですか? その……重役達の娘を四股にかけていたとかというのは……」

 正直、目の前でいじけているヤーコフという男が、そんな大それた事をしでかす様には、カトリにはまったく見えない。

 ついでに言えばそんなにモテるようにも……。

「……若気の至りで、本当の事っす」

 しかし、ヤーコフはあっさりと認めた。

「どうしてそんな事に?」

 その問いは完全に興味本位だった。一応カトリ・デアトリスも一端の女性であり、そうした話に全く興味が無いわけではないのである。

「……実は僕、ちょっと前までは将来を有望視されていた騎士だったんっすよ」

 ヤーコフは眩しそうに空に向かって顔を上げると、懺悔するように語りだした。

「……?」

 疑問符。

人は見かけによらないという言葉があるが、中背でそこまで逞しくも見えないヤーコフが、将来を有望視されるような騎士だったとは信じがたい事だった。

「誇張ですか?」

「キミもたいがい酷いな! 本当の事っすよ!」

 ちょっと必死過ぎるようにも見えるが、信じない事には話が進まないとカトリは判断した。

「それで……将来を有望視されていたはずの副隊長は、どうして四股などを?」

「……上司には目をかけてもらっていて。縁談とかも結構来たんすよ」

 優秀な者には子種を残してもらいたくて、若いうちから縁談を持ちかけるというのはよくある話だ。

 実力主義的な思想を持つ共和国ではなおの事。後継ぎを自分の身内とするために、権力者は政略結婚に近い縁談を部下に強いる事もある。

「もしかして……」

「うん、次々舞い込んでくる縁談を断れない内に四股してることになってたっす」

「それは……どちらが悪いかは微妙なところですね」

 共和国の法では一夫多妻制度は認められていない。

なのにそれだけ同時に縁談が持ち上がったというのは、権力者達が派閥間でヤーコフを取り合っていたからで。

その煽りをヤーコフだけが受けた様にも考えられるし、しっかりと断らなかったのが悪いともいえる。

「お蔭で世間からは『ハーレム騎士』の二つ名を頂いてしまったっつうわけっす」

 一人の騎士のスキャンダルを聞いて、カトリは協会騎士団というものに不安を覚えた。

 現在のミルド共和国を支えているのは、ミルド協会騎士団という軍事力に他ならない。

 五十年前の大戦以降、国家間の戦争が表向きは一度も行われていないのは、バスティト王国とガンドリス帝国に匹敵する軍事力を持つ、ミルド共和国が中立を誓っているからなのだ。

 それはかつて聖剣で世界を救った勇者の平和への志が、五十年もの間受け継がれていたからであり、そのための力がミルド協会騎士団である。

 しかし、その想いがもし一枚岩ではないというのであれば、いつか欲を持った者が制度を、国のあり方を変えてしまうかもしれない。そしてそれは大陸すべてのバランスを壊して、大戦前の戦乱の世が戻ってくる事を意味するかもしれない。

「……人と人が争う事は悲しい事ですよね」

「? 何の話っすか?」

 何の話でしょう? と、作り笑いで誤魔化したカトリは、今感じた不安は胸に秘めておくことにした。

(些細な事で考えすぎですね。もしそうだとしても、私には如何する事も出来ないこと。そんな余裕すらありません)

 どうにもできないのであれば、放っておく。それがカトリがこの五年で培った処世術なのだ。

「ゼニス市の駐在騎士になったのも、それが理由なのですか?」

 カトリが話を戻すと、感傷に浸っている風だったヤーコフもそちらに意識を向ける。

「そうっすね、本当は騎士勲章を剥奪されるところだったんすけど……まあ、そこで今の隊長に拾われまして。割に合わないと思うほどこき使われる毎日っす」

「心中お察しします」

 配属されて二日目だが、なんとなく部隊の力関係というか役回りというものを、カトリは理解していた。

「まあ、恩もあるし。暇なよりは忙しい方が、嫌な風評を気にしないでいられるって意味で、ここに来てよかったって思えてるっすけどね」

 言葉はどこか皮肉げだが、そう言ったヤーコフの表情は少しだけ晴やかだった。

「……昔に戻りたいとは思いますか?」

 カトリ・デアトリスのその問いは誰に向けたものだろうか。あるいは、自分自身に向けたもので、答えなど欲していなかったのかもしれない。

 しかしヤーコフは応えた。

「思わないっすね」

 即答だった。

 あまりの即答にカトリは疑問すら覚えたが、ヤーコフは続けて言葉を発した。

「だって思ったところで過去は戻ってこないっすよね。だったら昔をいつまでも引きずるよりも、未来の不安について頭を悩ませたりしてる方が、ずっと建設的っすから」

 少しだけ自嘲気味に言ったヤーコフの言葉は、現実的で面白味のないものだった。

 しかしカトリには、その答えこそがヤーコフの人柄を表しているのだと感じられた。

「夢のない話ですね」

 何か気の利いたことを聞きたかったわけでも無いが、カトリは思ったままを口にした。

「二十の半ばにもなってくると夢なんて見てられないんすよ。夢を見るのは十代の特権ってね」 

 ウィンクを交じえて冗談っぽくヤーコフは言った。

「私は夢なんて見ませんが……まあ人生経験豊かな副隊長がそう言うのならそうなのでしょうね」

「デアトリスさん……たまに手厳しいっすね」

「現実的な意見です。あ、それとデアトリスではなくカトリで結構です。家名で呼ばれるのは好きではないので」

「おっと、これは失礼しました」

「……何故嬉しそうなのですか?」

 ヤーコフの口元が若干緩んだのをカトリは見逃さなかった。そんな反応を見せられれば、勘違いされたのかと不安になってしまう。

「いや、僕としても貴族姓を持つ人とあんまり接した事が無くて、実は少し戸惑っていたんすけど。でもなんとなく、カトリさんとは仲良くやれそうな気がしたもんで。あ、上司と部下でって意味っすよ」

「……そういうことならいいですけど」

 何をもってそう思われたのかはカトリには理解できなかったが、そういうことにしておいた。

「じゃあ二人の距離も近づいたところで、そろそろ行きますか」

「別に近づいてはいませんが、確かにここに立ち止まっている理由はありませんね」

 気づけば結構話し込んでしまったかもしれないと、今更ながらに思った二人は本来の目的のために足を向ける。

「おや、ヤーコフさんじゃないか。こんにちは」

 と、正面からすれ違ってくる女性から声がかかった。おそらく近所に住む市民だろう、恰幅の良いその女性の両手には買い物袋が下がっている。

「あ、どうもこんにちはキョーコさん」

 ヤーコフは知り合いらしいその女性に挨拶を返す。カトリも一応会釈をすると、キョーコというその女性は、にんまりと嬉しそうに笑った。

「ヤーコフさんは、今日も違う女の子を連れてるんだね」

「ちょ、ちょっとキョーコさん! 何言うんすか!」

 あわてた様子のヤーコフを面白がるようにキョーコは声を上げて笑う。

「かっかっかっか、まああんたが真面目な人で、彼女達とも誠実に付き合っているのは分かっているから大丈夫。でも本命は早いうちに決めてあげなさいよ」

 ひとしきりからかって満足したのか、そのままキョーコは去って行った。

「……」

「……」

 残されたヤーコフとカトリの微妙な空気を残して。

 どうやら『ハーレム騎士』の二つ名は過去の件だけでついたものではなかったらしい。

「……あのカトリさん」

「デアトリスで結構です副隊長。なんとなく、副隊長に名前で呼ばれるのは汚らわしいと感じました。あと可能ならば半径三メートルは離れていただけると嬉しいです」

「……ですよねー」

 そうして結局元通りのような間隔で、二人は再び歩き出した。


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