三章第三話 従者が感じる気配
「中々面白い人だったわね」
魔窟からの帰り道、リュヌはリリイ・エーデルワイスをそう評した。
「どこがですか……」
カトリ・デアトリスは苦虫を噛み潰したような顔で聞く。協会騎士団で悪名轟く変態を、面白いなどと言えるリュヌの神経を真っ向から疑って。
「そうそういないわよ、ああやって自分の好きな事に没頭して内面をさらけ出せる人は。少し、憧れてしまうわ」
「……周りはかなり迷惑だと思いますけど」
「ふふ、それも許せる範囲でなのでしょう? 彼女もそれを弁えているからここに居られる。その一線を越えて罪を犯してしまう者なら、そうはならないもの」
しみじみと言うリュヌ、その言葉がこれまでの彼女の生き方を指しているのだとカトリにはすぐ解った。
「流石、その一線を越えてきた人は言う事が違いますね」
「あら、嫌味ねカトリ・デアトリス。薄々知ってはいたけれど、私の事嫌いなのかしら?」
「嫌いと言いますか、信用はできませんね。毒を盛られた事も忘れた訳ではありませんし」
リュヌ本人がやった事では無いが、カトリは同じ轍を踏まぬために警戒を怠らないようにしていた。
「それを言われたら言葉の返しようも無いわね。それについては私のこれからの行動で許してもらえるようにしましょうか」
「……行動って、リュヌさんはカタナさんとダラダラしているしている所しか、私見た事ありませんけど?」
「これでも一応秘書官の仕事とか、騎士団の炊事洗濯その他雑用を手伝ったりしてるのよ? まあそれ以外は我が君と一緒に居る事が多いのは認めるけど」
そうやってリュヌがカタナと行動を共にしようとしているのは、二人の間で決まっている取り決めに殉じているから。
「仲が良い事で結構ですね」
「そうでもないわ、むしろ我が君は煙たがっているみたいね。私を監督すると言った手前、渋々一緒に居るという感じだから」
それも当然だと受け入れているようなリュヌであるが、カトリにはどこか寂しげにしているように見えた。
「……リュヌさんはカタナさんの事をどう思っているのですか?」
流れのままにそんな問いを向けてしまった事をカトリは後悔するが、すでに遅い。
「好きよ」
どんな返答が返ってきても困る結果になるのに、その中でも最大級に困る返答が返ってきて、カトリは頭が痛くなった。
「そんな顔をしなくても大丈夫よ……好きと言っても、今はただ興味がある相手というだけだから。取って食べたりしたいわけでは無いわよ」
「別に誰も取って食べるとは思ってませんけど……」
「もちろん冗談だから、本気にさせてしまったかしら?」
リュヌが吸血鬼であるという事を再認識させる発言であった。
「やはり貴方を野放しにするのは危険ですね……カタナさんもあれで結構抜けている所がありますし」
「ふふ、そうかも。ならカトリ・デアトリスがしっかり私を見張らなければいけないかもしれないわね」
「……何で嬉しそうなんですか」
「私はカトリ・デアトリスの事も結構好きだからよ。似てるの、上の妹に」
「いや、そんな事を言われても困りますけど……」
リュヌがどこまで本気なのか、結局それで会話を終わらせた二人であったが、突然カトリは何かに気付いたように足を止める。
「どうしたの?」
「いえ、道を空けましょうリュヌさん。あまり関わりたくない人が前方からきています」
そう言って端に寄るカトリと、訳も分からずにそれに倣うリュヌ。
程なくしてそのカトリが関わりたくないと言った人物が、二人の傍を通り掛かった。
「……チッ」
カトリを一瞥して舌打ちし、そのまま通り過ぎて行ったのは聖騎士のランスロー。
金髪碧眼で貴公子然とした整った容姿や、彼が傷ついた事を誰も見たことが無い事から、協会騎士団一と噂される剣の腕を持つ別名『無血騎士』。
(相変わらず感じの悪い人ですね)
ただそれ以上に、女性に対して嫌悪の態度を示す人物としても有名であった。
「今のはどなたかしら?」
「……あの方は聖騎士ランスロー。カタナさんには面識があって好意的ですが、私達には良い感情を持っていないようです。見かけたら因縁をつけられないように気をつけましょう」
ランスローの後ろ姿を眺めていたリュヌを制し、カトリは不本意そうにそう指南する。
「申し訳ありません。主の非礼を、代わりに謝罪させて頂きます」
「うあ!? と、確かメイティアさんでしたか……びっくりしました」
いつの間にか傍で頭を下げていた侍女服姿の女性――ランスローの従者であるメイティアの気配の無さはカトリを驚かせた。
メイティアは顔を上げ、少しだけズレた銀縁の眼鏡を直しながらカトリに笑顔を向ける。
「お久しぶりですカトリ様。そしてそちらはリュヌ様ですね、初めまして。私はランスロー様の従者を勤めるメイティアと申します」
「あ、あら、どうも初めまして」
リュヌもメイティアの気配には気付いていなかったらしく、少し警戒するように挨拶を返した。
「リュヌ様はカタナ様の従者だとお聞きしております。ここでは同業の方はあまりおりませんので、機会があれば色々とお話をお聞かせ頂きたいのですけど……主の後ろを遅れる訳にはいきませんので、今日の所はこれで失礼させていただきます」
もう一度深く頭を下げた後、メイティアはランスローの後ろを一定の感覚を空けながら追って行った。
(背後を見せているのに、隙が無い)
以前はそこまで気を付けていなかったからか、カトリはメイティアを改めて見てみると、その足取りや動作に只者では無い雰囲気が混じっている事に初めて気が付いた。
それはメイティアが、侍女服とは不釣り合いな剣を腰に帯びている事を違和感に感じさせないくらい自然な、騎士に通じる風格。
「あの子、本当にただの従者?」
リュヌもカトリと同じものを感じたらしく、不思議そうにしていた。
「どうでしょうか……私も良く知りませんので何とも言えませんが」
本部内ではランスローを含めて見かける機会も無かった。だからカトリにとっては顔を見るまでは思い出す事の無い相手であったのだ。
「結構な使い手のようだったわね」
「そうですね、でも見込みのある侍女に戦闘の訓練を受けさせる貴族の家もありますから、気にするほどでは無いでしょう」
カトリの結論としてはそこで落ち着いた。敵であるという訳では無いので、それ以上の詮索は無意味だと判断したのだろう。
「……そうね」
しかしリュヌは違っていた。言葉ではそう言っても、この偶然の出会いは彼女の胸の奥に引っ掛かりを残す。
それはメイティアから向けられた僅かな敵意に、気付いていたからであった。




