三章第二話 鍛冶師が求める物
協会騎士団の魔法士が集う法士棟、その一角にある魔窟と呼ばれる研究室に、カトリはリュヌを半ば強制的に引連れてやってくる。
そこでは変態こと、天才鍛冶師であるリリイ・エーデルワイスの熱烈な歓迎が待ち構えていたのだった。
「凄い、凄いよこれは! ボクは今、猛烈に感動している! かつてこれほどまでに凄いモノを持ち合わせている者が居ただろうか? ――否! 断じて否! 論理的に考えるまでも無く、ボクは英知を超越した存在を目の当たりにしている!!」
鼻息荒く語るリリイの視線の先に居るのはリュヌ。呼び出したからには用がるのだろうが、その視線を細かい部分まで追ってみると、がっかりするような理由が返ってくるようにカトリには思えた。
なにせリリイが目を輝かせて見ているのは、リュヌの胸の部分であるのだから。
「ああ、そこには何が詰まっているのだろう……もしかしたら夢、希望、愛といった人が生きていくうえで必要な全てが集約されているのかもしれない。何にしてもこれは、揉んでおかねば末代までの恥……」
そう言って手を伸ばしだすリリイ。
ゴン
「恥は貴方です」
拳骨をもってリリイの暴挙を止めるカトリ。自己紹介すらままならずに、目の前でそんな光景を見せられたリュヌは複雑な表情をしていた。
「はっ!? ボクは一体何を……そうか、あまりの視覚的衝撃に我を失ってしまっていたようだ。貧乳派を謳うボクを一瞬とはいえ自失させるとは、何とも恐ろしい魅力だ」
「……それじゃ、もう帰りますね」
あまりに馬鹿馬鹿しくなり、そのまま出て行こうとするカトリ。
「ああ、待ってくれカトリさん。もう大丈夫、ボクは正気に戻った! カトリさんの貧乳から流れ出すオーラが、今はこの身の全てを癒してくれてるよ」
「……」
正気とは何なのだろうか。少なくともカトリからすればリリイは正常とは程遠い。
「あらあら、中々個性的な人のようね。我が君が変態と評価するだけの事はあるわ」
天然なのか心が広いのか、そんなリリイを笑って済ませるリュヌも相当なものである。もしかしたら個性的な妹をもっていた彼女だからこそかもしれないが。
「そういえば自己紹介がまだだったね、ボクはリリイ・エーデルワイス。エーデルワイスの名を継ぐ鍛冶師だよ」
「これはどうも。私はリュヌ、今は聖騎士カタナの従者よ」
ようやく挨拶を済ませる二人。一定の周期で突然真面目になるというのが、最近カトリが知ったリリイの特性でもある。
「それで、何の用ですか?」
まともな会話が出来る状態の内に早く用を済ませてもらおうと、カトリは本題を急かすように促す。
「カトリさんに来てもらったのは、前にした剣を打つという約束を果たすために必要な細かな採寸と、もう一つ大事な確認をしたかった事があってね。それとリュヌさんにも来てもらったのは、カタナから聞いたある事が気になったからなんだけど……」
「ある事?」
「うん、実はリュヌさんが、ボクの名前と同じ銘が入った剣を持っているって聞いてね。ちょっと見せてもらいたかったんだよ」
そう言ってリリイは徐に、リュヌの胸に手を当てた。
ガン
あまりに自然な動作であったので、カトリの拳骨による対応は大分遅れる形となった。
「いい加減にして下さいリリイさん。リュヌさんも、もう少し警戒して下さいよ」
「あら、女同志なんだし、そんなに神経質にならなくてもいいのではないかしら? 減るものでも無いしね。それにこのリリイという方が触ったのは、おそらく別の理由よ」
「別の理由?」
「やっぱりそうか……ボクの作った剣を裂いたという話だったから、そうじゃないかと思ってたけど」
後頭部をさすりながら何か納得した様子のリリイ。疑問の表情を浮かべるカトリに説明するように、リュヌは胸元から一本の剣を取り出した。
「え!?」
霊光の滲む真紅のレイピアが抜かれ、細くとも長く鋭い剣先がそこに現れる。カトリの驚きは、リュヌの服の中にどうやってそれが収まっていたのかであった。
「レイピアに施された錬金魔法の一種だよ、概念的には錬装に近いかな? このレッドリリイは、暗器としても働くように作ってあるからね」
カトリに対して説明を始めるリリイ。
「実はこのレイピア、鍛冶師の修業時代にボクが打った物なんだ。使い手の事も考えずにお遊びで作ったから適当な店に売り払ったんだけどね」
「ああ、それでこの銘……」
レイピアにはリリイと読める銘が刻まれている。
「でもこうしてみると恥ずかしいね。こんな駄作に名前を刻んでしまうなんて」
「そうかしら? 今まで私が見てきた魔法剣の中でも、これは別格だと思ったけど」
褒めたリュヌの言葉が受け付けられないように、リリイは首を振って否定する。
「いいや、コレは思いあがった過去の自分が、独りよがりで打った最低の剣だよ。だって人間が扱えるように作ってないんだから」
その言葉に、カトリとリュヌの表情は凍りつく。
リュヌが吸血鬼である事実を知るのは、カタナとカトリとサイノメだけである。無用な問題に発展させない為に、それは硬く口止めされている筈であった。
「そのレイピアに施された魔法振動剣の法式は、魔法で起こす振動で切れ味を高めるけど、それは一定の振りで決まる振動数に大きく影響される。それを見極めるには、視覚か聴覚のどちらかが人を超えていなければならないんだ」
場の空気は気にせずに説明を始めるリリイ。
「更に言えば強度を上げる付加魔法もその振りに依存させてるから、下手な物を下手な腕で斬ろうとすればあっさり折れちゃうし、試し斬りもそうそう出来ない。そんな物でブルーウーツを切り裂くなんて、理論上は不可能ではないけど論理的に考えるとまず不可能だね」
リュヌはそれを聞き、何かに観念したように一息吐いた。
「……それが人間が扱えるように作っていない、という理由なのね。それで、リリイ・エーデルワイスは私をどうするつもりかしら?」
「どうするつもりも無いよ、したい事といえば感謝くらいかな?」
その返しがリュヌにとっては意外であったようで、意図を計り兼ねたような訝しげな表情になっている。
それに対してリリイは、少し嬉しそうに笑っていた。
「自己満足で打った恥ずかしい品だけど、それを使いこなせる人の手に渡ったのならこれほど嬉しい事は無いよ。だからボクにとってリュヌさんが何者かなんてのはどうでもいい事で、変に追及しようとも思わないさ」
やはりそこは変わり者のリリイ・エーデルワイス。他の者が知れば騒ぎになりそうな事でも、どうでもいいの一言で済ませてしまう。
「ボクはただ、そのレイピアを使いこなしたというリュヌさんを、一目見たかっただけさ。特に意味がある訳では無いけど、それが鍛冶師としてのケジメみたいなものだと思ってくれていいよ」
「そういえば私も、そんな理由で引き合わされましたね……」
カトリとリリイが初めて会った時も、エーデルワイスの使い手が見たかったというような理由であった。
つまり武器に関係した事がリリイの興味の基準らしい。
「それと、以前の自分が打った作品を見て刺激にしたかったというのもあったかな。このレッドリリイは自己満足の産物だけど、型にはまらない発想があった……これは今度カトリさんに打つ剣に生かせるかもしれないね」
「……ところで先程、私に大事な確認があると言っておりませんでしたか?」
「ああ、そうだった。実はある霊鉱石をカトリさんの為に打つ剣の素材にしたいと思ったんだけど、それでいいのかどうか聞きたくてね」
「聞かれても私は鉱石に詳しくありませんが?」
「そうだろうけど……いや、見てもらうのが早いかな。ちょっと持ってくるから待っていてもらえるかな」
そう言ってリリイは研究室の奥に行ってしまう。
「……どこへ置いたかな。論理的に考えてこの引き出しだと思ったんだが」
魔窟と呼ばれるだけあって、相変わらず研究室の中はごちゃごちゃしており。そこの主も何処に何があるのか把握しきれていないようで、少々探し物に時間をかけた。
「あったあった。これだよ、見てくれたまえ」
「……なるほど」
それを見せられ、カトリはリリイがわざわざ確認を取った理由がすぐに理解できた。
霊鉱石に詳しくないカトリでも一見して解る変哲さ、それは単純に見た目の問題であった。
「黒色の霊鉱石ですか……」
「そう、素材としてはこの上なく優秀なんだが、何せこの色だ……黒は大陸では忌避されているからね、見るのも嫌だという人間も多いんじゃないかな?」
過去の大戦で、人間の敵であった魔人の特徴を表す様な黒色は現在はあまり使われない。
縁起の悪い物として扱われたり、そもそも黒色というだけで嫌われたりするのだから、それを身に付けようとする者は、余程の変人か目立ちたがり屋くらいである。カタナのように人避けの意味を込めて進んで身に付ける者もいるが。
「どうだい、やはりカトリさんも黒色には抵抗を感じるかな?」
「……抵抗はあります」
カトリは少し悩んでそう口にした。
「ですが、もし出来得る限りの最高の物ができるなら……」
「うん、それ以上は言わなくて結構さ。色なんて気にならないくらいの最高の剣を打つと約束するよ。久しぶりに自分からやりたいと思えた仕事だから、これでもいつもより張り切っているんだ」
そう言って胸を張るリリイは、鼻息荒く宣言した。
「この霊鉱石で、今までの人生で最高の剣を打つことを約束するよ!」




