二章第二十九話 サイノメの望む先
協会騎士団にはいくつか逸話があった。
騎士団長は実は影武者であるとか、祀られている勇者像が夜になると動き出すことがあるとか、そんな噂話の類に尾ひれがついたものから、まったくの出鱈目なものまで数多くの。
その中に一つ、『誰も知らない聖騎士』というものがある。
協会騎士団には現在八人聖騎士の称号を持つ者が存在しているが、その中の一人だけは誰も名前も知らないし、姿を見たこともないという噂が広まったのだが、実際には誰もという訳ではない。
ただその人物は一部の者しか知らず、一部の者にしか知られるべきではないという人物であっただけ。
おそらく聖騎士と呼ばれるには一番遠い存在。汚い裏の仕事を担わされる特殊な人物。
それが偽りにまみれた存在の、偽りの姿の一つである。
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サイノメは薄暗い部屋の中で、ある人物を待っていた。
その人物とは週に一度、決まった場所決まった時間に会う約束をしており、それが守られなかった事は無い。
今サイノメが待っているのは、少しだけ早く到着してしまったというそれだけの事。
(……そろそろかな? 3、2、1、はい来た。嫌味なくらい時間通り)
その部屋に置いてある時計の針が二つ、ちょうど十二の位置で重なった時に、サイノメの待ち人は扉を開けて入ってくる。
「お待たせしたようですね。もうしわけない」
入ってきたその人物は、見た目でいえば初老くらいの男性で、落ち着いた物腰と柔らかい表情が周囲に常に親しみやすさを与えている。
しかし、それだけではない事をサイノメは知っている。実際の年齢よりも若く見えるその裏側の年輪、柔らかい動作の中に窺える隙の無さ、そして遠くを見るような視線の先に何が見えているのか。
「あたしを待たせるなんて十年は早いね。これは罰金ものだよ」
「はは、お手柔らかにお願いします。これでも不慣れな政治に振り回されて、くたくたなのですから」
サイノメの正面に座った彼こそ、ミルド共和国の建国者の一人であり。ミルド協会騎士団の団長にして、国の元老院議員も兼任するシュトリーガル・ガーフォーク。
彼が歩んできた波乱に満ちた人生には数々の逸話があり、『ハイエンドナイト』『剣聖』『共和国の狸』などなどの異名は、国内外を問わず通用するシュトリーガル自身のアイデンティティでもある。
「狸ちゃんの言う事は信用できないからなあ、本当は何処か別の場所で他の女と会って来たんじゃないの?」
「ははは、まさか。私はサイノメさん一筋ですよ。大事な数少ない同志ですから」
「どうだか……本当は金でしか動かないあたしの事なんて対して信用してないんじゃない?」
シュトリーガルの人柄は多くの者に好かれる事からも、良い人という括りにいれて間違いないのであるが、サイノメからすればそれはあくまで表の顔。
人間の本質を決める裏の顔、それが全く見えないこの人物の事を、サイノメはある意味でこの世で一番怖いと思っていた。
「持ちつ持たれつ、ギブアンドテイク、そういう関係だけならサイノメさんの事は誰よりも信用していますよ」
「……そりゃどうも」
「ところで、既に報告を受けた件についてですが。少しサイノメさんらしくない事をされているようでした、何か心境の変化でもありましたか?」
「何の事かな? あたしは普段通り、でしゃばらない裏方を徹しきったつもりだけど?」
「いえ、普段なら私を通すところを、今回はサイノメさんが一存で動いた事が多かったようなので。判断には特に問題はありませんでしたし、こちらとしてはむしろ手間が省けて助かるので言及する事ではないかもしれませんが」
「ああ、その事ね。まあ今回は大事の前の小事だったから、許されている程度に好きにやらせて貰おうと思ってさ。何せもうすぐシャチョーとはお別れかもしれないからね」
「……なるほど」
サイノメの言葉を重く受け取ったシュトリーガルは、神妙な顔で頷いた。
「あたし、気に入ってるんだシャチョーの事。恋愛感情とはきっと違うけど、相棒として支えてあげたいって思うくらいはね。だから結構心が痛い時もあるんだよ」
「彼を騙している事がですか?」
「それもだけど、シャチョーがあたしを信じてくれてるのがかな? 狸ちゃんみたいに、何考えてるのか解りにくい器用な相手なら、こんな気分にはならないんだけど」
いつも本当の表情を隠すように笑顔を作っているサイノメにしては珍しく、どこか落ち込んだような顔で気弱な事を言っていた。
「私としては別に、サイノメさんが彼に肩入れをしても構わないのですよ?」
「あはは、それじゃ駄目だもん。あたしが距離感間違えると、絶対にシャチョーが勝てなくなっちゃうから……汚れ役はらしく生きるという事で、他に肩入れする子はいっぱいいるから大丈夫でしょ」
「殊勝な事ですね。涙が出そうです」
「うわ、腹立つー」
そう言って無理なく笑えるのは、サイノメが自分自身の身の程と役割を理解しているから。
シュトリーガルがそれを不安に思っていたのかどうか定かではないが、何にしてもサイノメにとって心配は無用の物だった。
「……王国が動き出しています」
突然の話題の転換は今までが本題に入る為の複線であったように、シュトリーガルは口火を切った。
「そりゃそうだよね、そうさせるつもりでこっちも動いてるんだから」
「ええ、ですが帝国も同時に動くようです。これは意外でした、前皇帝なら傍観を決める所なのですが」
「帝国の獅子なんて言われて調子に乗ってるんだよ当代は。慎重派の先代や栄華五家が築いたものが、下手したら一気に吹っ飛ぶかもね。あたし達には概ね関係ないけど」
「そうですが、その結果如何によっては『凶星』の有り様に変化があるかもしれません。サイノメさんにはその時が来れば、決断を下して頂くことになるでしょう」
「それは心配ご無用」
じっと見つめるシュトリーガルの正面からの視線を、サイノメは軽い調子で受け止めて平然と見返す。
「多くの報酬が待っているからね。そうなれば守銭奴の王者であるこのサイノメちゃんが躊躇う理由はないよ」
「……解りました。期待しています」
頷いたシュトリーガルが、サイノメの言葉が本音ではないと解っているのか否か。サイノメの偽りが、シュトリーガルを誤魔化せているのか否か、両者とも知る術は無い。
ただ、サイノメに限ってはいえば、それはどちらでもいい。
(どうだっていい……他人の命も、この世界も。金も、心も、何もかも、全部なくなればむしろすっきりする)
いつだってそんな虚しいあってないような心と共に歩んできたサイノメには、今更理解者など必要ない。
(でもさ、あたしにも許せないものがあるんだよね。誰かが死ぬとしても、それが決まってるなんてのは許せない。世界の行き着くところが決められるなんて許せない。あたしがあたしとしてしか生まれなかった事は絶対に許さない)
一つ心に燃やす憤り、それは運命と呼ばれるものに対する怒り。
情報屋としての顔も元はそれを変える為のもの、サイノメに宿る力も今はその為に使うと決めたもの。
(時空を超える力、『夢幻』。あたしはこれで、いつか運命すら乗り越えて見せるよ)
人知れず消えていく定めであったとしても、それは自分自身で決めた望んだ結果だと思いたい。
どこにあるのか解らない虚構のような体に、ようやく見つけ出した心。サイノメが望むのはそれに忠実でありたいと、ただそれだけであった。




