二章第二十二話 誰が為の騎士
館に足を踏み入れたカタナを出迎えたのは、ドレスを着た大勢の女性達であった。
このトークス村の住人であろう、彼女達に表情は無く。扉を蹴破って現れたカタナに対しても不気味な程に無反応。
まるで人形のように無反応な女性達は、入口からすぐ正面の大広間に並列に並び立ち、見方によってはカタナを出迎えているようにも見える。
しかしカタナはそんな光景よりも、その奥の階段の上に居る、ただ一人に目を奪われた。
「おにーさま!!」
フランソワ・フルールトークは椅子に縛られ、恐れと不安が入り混じった表情でカタナを呼んだ。
「……フラウ」
カタナはその呼びかけに応えるように、一歩一歩踏み出す。館を照らす蝋燭の火が、その影を揺らした。
「はいはーい、そこまで。それ以上近付くのは許しませんよ、何でかは言わなくても解るよね?」
しかし再会に水を差すように、赤い髪の童顔の美女が場違いなまでに底抜けに明るい声で、カタナの歩みを止めさせた。
吸血鬼三姉妹の末娘であるソレイユが、フランソワの隣から笑みを浮かべて、カタナを見下ろしている。
「どーも凶星さん、今宵のパーティーにわざわざ御足労頂きありがとうございまーす。きゃはは、でもでも折角の宴にそんな格好は無粋ですよー」
「……何を言っている?」
「あれ? 招待状、ちゃんと届いたからここに来れたんですよねえ? ……ここは貴方の処刑パーティーの会場でーす。あ、その黒い服装は喪服的な意味で用意してくれてたのかな? きゃはははははは、それは用意良すぎだよ」
ソレイユは心底楽しそうに笑みを深めた。それをカタナは見上げ、しかし何の感情も抱かない。それよりもフランソワを注視して、その無事を確かめていた。
(……外傷は見た所は無いようだな。心神も、侍従長の時のように喪失してはいないな)
ロザリー・ローゼンバーグに聞いた話によると、ソレイユには精神に異常をきたさせる何らかの力があるらしく。周りの、人形のように無反応な女性達もその影響によるものだと、カタナは仮定していた。
「フランソワを解放しろ」
「いやいや、少しは空気読もうよ凶星さん。解放しろ? この状況でそんな要求が出来る立場にあると思ってるの? 馬鹿なの? このお嬢様を死なせたいの?」
当然のようにソレイユは、カタナの求めを拒否する。
「おにーさま、わたくしの事は気にしなくて結構ですわ! この者達の話を聞く必要もありません!」
「ほらほら、お嬢様もお約束みたいに、こんな健気な言葉を貴方の為に言ってるよ? まさか、見捨てるような事は出来ないでしょう?」
「……」
カタナは眉を顰める。フランソワを人質に捕られるという事は解りきっていたが、いざ目の前でやられると、やはり何もできないという事がよく解った。
不意をつけばあるいは、という可能性も監視の目によって潰えていたし。ソレイユから感じる気配には迷いが無く、妙な動きをカタナが見せた次の瞬間にはフランソワの命は無いだろう。
そうなれば、カタナは考える必要も、迷う必要もない。
「……何が望みだ?」
「おにーさま!?」
肩を落として諦めたようなカタナを見て、フランソワは耳を疑ったように叫び声を上げた。そしてソレイユは、それを聞いて満足そうに口元を歪める。
「私の望みは、凶星さんをこのお嬢様の目の前で惨たらしく殺す事、今はそれだけかな? それが終わればお嬢様は解放してあげてもいいよ」
ソレイユの目的は既に、カタナに対してというよりもフランソワに対して苦しみを与えるように、優先順位が置き換わっていた。
死そのものよりも、生きる事の方が苦しみが多いと、吸血鬼としての生が彼女にそこまでの歪みを与えていたのだ。
「……良いだろう」
どうあれ、そうなる事も解りきっていたカタナは、あっさりとも言えるていでそれを受け入れた。
「きゃはは、かっこいー。命を懸けて誰かを守るなんて、凶星さんは騎士の鏡だねえ。ねえねえ、お嬢様もそう思うでしょ?」
ソレイユは、フランソワがどんな表情をしているのだろうかと、顔を覗き込む。深い悲しみか、それ以上の絶望か、何にしても見物だとそう思っていた。
「おにーさま!!」
「――!?」
しかしソレイユが見たのは、悲しみでも絶望でもなく、鋭い目つきでカタナを睨むフランソワの姿。
それはいつか垣間見せた筈の、怒り。
「おにーさまは……聖騎士カタナは!! わたくしの騎士だと誓いました!! わたくしだけの剣になると、あの時誓ってくれました!!」
「……フラウ」
従剣の誓い――カタナは略式の真似事とはいえ、フランソワに対してそれを確かに誓った。
その気持ちは嘘ではないし、嘘にするつもりも無い。
「それが何という体たらくですか!! このような者達に屈するなど、わたくしが信じ、わたくしが身も心も捧げた、誰よりも強く、誰よりも気高い貴方はどこへいったのですか!!」
フランソワの猛りは、ソレイユの横槍を許さない程の迫力であった。今のこの空間、この時間は、この幼い少女によって支配されていた。
「あの誓いがわたくしを守る為の枷になるというのなら――そんなものは、わたくしは要りません!! わたくしを守るために、おにーさまが犠牲になるくらいなら……こんな命は要りません……」
涙を零しながら、フランソワ・フルールトークは胸の内の全てを吐き出した。
「……わたくしが求めるのは、わたくしが見ていたいのは、いつだって誰にも負けない……そんな貴方です。だから、勝って!! 勝って下さい!!」
たとえここでその短い一生を終えても本望だと、フランソワは最後の命を輝かせるように、カタナに必死に訴える。
その言葉だけが、静かな館の中で鳴り響いていた。
「おにーさまの勝利こそわたくしの喜び……わたくしが望むのは、ただそれだけですわ」
そう言って、泣きながらフランソワは笑って見せた。
これが最後になるなら、怒ったり泣いたりした顔ではなく、せめて笑っている顔を憶えていてもらいたいという、フランソワの精一杯の見栄であった。
「……茶番は、もう充分でしょ?」
カタナは圧倒されていた。
フランソワの言葉を聞いて、ある意味で感動すら覚えていた。
ソレイユですらその時は、フランソワに呑まれていた。
だからこそ、その隙を見逃さない者がいた。
「――おにーさま!?」
フランソワが気付いた時にはもうすでに遅い。魔光が上がり、カタナは館の中心に現れた歪んだ空間の中に囚われ、その中で轟音が連続して鳴り響く。
『魔術陣・六道爆腑』
閉じた空間の中で、数千にわたる連鎖爆発を生じさせる怨嗟の魔術。
発現させたのは吸血鬼の次女エトワール。人間であった時に学んだ魔法士の知識と、吸血鬼として高めた魔力、そして幾人ものこの村の住人を生贄として、その魔術は完成した。
準備に数日を要しただけあり、その術式は強固。カタナの絶大な魔力による干渉を受け付けないように、そこまでのものを組み上げていた。
「はーはっはっはっは、悪いわねソレイユ。あまりに待ちきれなかったものだから」
「ああ、エトワール姉様。これがむさい男達を材料にして作った魔術陣なの?」
「そう、今までで最高の出来よ」
エトワールは仕留めた獲物を自慢するように、得意げな顔で自身が発現した術式を眺めた。
こうしている間にも、連鎖爆発は続いている。
「脱出不可能、回避不可能、ただ一人の為にこんな贅沢な術式を組んだのよ。あの世で感謝しなさい凶星」
光、音、熱、衝撃を封鎖した閉じた空間の中で、カタナがいまどのようになっているか、エトワールはそれを想像し、喜びを露わにする。
「残るのは精々、灰くらいなものでしょうね」
「そんな……おにーさま……嫌……嫌よ」
エトワールの言葉を聞き、顔色が青ざめていくフランソワ。それを見て、ソレイユはここぞとばかりに煽りをいれる。
「あらー? お嬢様の愛しい人は誰より強いんでしょ? だったら大丈夫なんじゃないのー? 信じてるんじゃなかったの?」
「……貴方は……貴方達は!!」
キッと、睨み付けるフランソワ。しかし先程までの迫力は消え失せ、ソレイユにはもはや強がっている子供にしか見えなかった。
「きゅはは、それほど心の拠り所にしてたんだ。でも、もう終わりかな……ねえ、お嬢様、特別に選ばせてあげるよ。すぐに貴方の愛しい人の所に行くか、それとも私の玩具になるかをね」
フランソワに対して絶望を味あわせるという、ソレイユの目的は既に達していた。もう既にそれ以上の興味は失せていたが、あえてそのように言ったのは、一時でも強い心で自分を黙らせた少女に敬意を表したからだろう。
「……わたくしは、屈しません。わたくしの最期を選ぶのは、わたくしでは無い。勿論貴方でもありませんわ」
「はあ、なんていうかもう見苦しく聞こえてきちゃうね。まだ誰かが助けてくれるなんて思ってるわけ?」
歯を噛み締めて、じっと耐えている様子のフランソワ。ソレイユはその様子を馬鹿馬鹿しそうに眺めた。
それでも何か、胸騒ぎが起こるのを看過しなかったのは、ソレイユもまだカタナの死を完全に決めつけていなかったからか。
「ねえ、エトワール姉様」
「なに? 今とても良い気分なの、後にしてもらえる?」
自分に酔っていたエトワールは気付いていなかった。その差が、僅かな命運を分けた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオン
魔術陣によって閉じていた空間が開き、爆発の轟音と爆風が漏れ出す。
しかし実際には、それに先んじて飛び出したものがあった。
全てを破壊する黒い刃『魔術剣・巨無』が、閉じた空間を切り裂いて、所有者と共に現れた。
「え? う……」
黒い外套を翻し、魔剣はその刃を振るう。
エトワールが気付いた時には、切り離された上半身が階段を転がり落ちていた。
全くの無傷でそこに立つカタナを、視界の端に収めながら。