二章第二十話 死の先
地面に深く突き刺さった巨無。この場においてカタナが求めるのはそれを手にする事だけだが、問題はそう単純では無いようだった。
真紅のレイピアをサイノメに向けるリュヌ、そしてサイノメはあえてそれを向けられたまま何かを企んでいるように見えた。
面倒な予感がしたが、カタナはサイノメに説明を求める事にした。
「サイノメ……限りなく短く解りやすく」
「あいあい」
カタナのものぐさな言葉だけで、示唆するところを察したサイノメは説明を始める。
「シャチョーに頼まれていた巨無は、リリイ・エーデルワイスとカトちゃんの協力によって、こうして届けることができたよ。だけどさ、転送魔法は知っての通り大がかりな陣で発現するから、霊光を抑える事ができなかったんだよね。これでも見つかりにくい座標点をしたんだけど、案の定敵側に見つかっちゃったのだ」
何故か胸を張って言うサイノメだが、当然威張れる事では無い。
「お前ならいつでも逃げられるだろ」
「まあ、そうなんだけどさ……」
言うが早いか、サイノメはリュヌの間合いから一瞬にして消失し、気配無く誰も気付かぬ内にカタナの背後に立っていた。
「……何をしたの?」
リュヌは目の前で起こったその光景に困惑したように身構える。カタナからしたらもう慣れた光景だが、初めてサイノメのそれを見たものは驚く事が当然である。
「へへへ、それは企業秘密さ……リュヌ・エクセレーヌさん」
そして返したサイノメの言葉に、リュヌは更に驚きを見せた。
「どうして貴方が私の姓を知っているの? 名乗った覚えは無いわ」
「シャチョーから貴方のリュヌという名は聞いていたからね。他にも『吸血鬼』や『三人姉妹』といったキーワードも貰ってたし、そこからその程度の情報を割り出すのは、あたしにとっちゃ容易な事さ。たとえそれが、五十年前に死んだ事になっている相手でもね」
情報屋のサイノメからしたら、死人にすらプライバシーというものは無いらしい。もっとも、死人にプライバシーというものが最初から存在しているのかどうかは謎であるが。
「リュヌ・エクセレーヌ――かつては王国の近衛騎士団にその名を連ねた騎士。記録上では大戦で負った傷を癒すために、故郷の村で療養していたところで重い病にかかり、そのまま死亡した事になっている」
リュヌの表情が驚きから、懸念を帯びたものに変わっていく。カタナはサイノメの語りにどのような意味があるのか量りかねたので、そのまま黙っていた。
「でも記録上は死んでいても、リュヌ・エクセレーヌはこうして生きていた。『黒死病』によって魔人の力を得て、『吸血鬼』として不老の身体でこの半世紀ほどを生き抜いていた」
サイノメは埃が被っていそうな情報に、自身の推測を混ぜた言葉をリュヌに聞かせる。
情報屋としては完璧主義であるサイノメが、そういう曖昧な話をするのはリュヌの反応を見る為か。
「そしてリュヌ・エクセレーヌには二人の妹がいた、宮廷魔法士のエトワールと病弱なソレイユというね。赤い髪に赤い瞳という特徴も解りやすい共通点だったし」
しかし憶測ではあったが、サイノメはそれが真実だとも確信していた。集めに集めた膨大な情報から紡いだ自身の結論に、確固たる自信を持っていたからこそ口調にもそれが表れている。
「……あなた、何者なの?」
リュヌは驚きと警戒心が入り混じった表情でサイノメに問う。それがサイノメの言った事が真実であったと認める事だと、傍で聞いていたカタナも理解した。
「ふふん、私はここにおわす聖騎士カタナ様の、一の子分さ。名乗る程の者でも無いよ」
何故かカタナの背に隠れたまま恰好をつけるサイノメ、名乗る前に既にカタナによって名前が割れている事は、気にしてはいけない暗黙のもの。
「でも美人さん、あたしが知り得たのはそれだけ。あんた達の素性は解っても、どうしてシャチョーにちょっかいをかけてきたのか、その理由はてんで解らない。半世紀もの間、表舞台にも裏舞台にも現れなかったあんた達が、どうして今になって動き出したのかもね」
サイノメがカタナにリュヌ達について掴んだ情報の進展が無いと伝えていたのも、古い情報で曖昧だという他に、素性を知ったとしてもそれがなんら意味の無い事であるというのが理由であった。
カタナが知るべきはリュヌ達の目的であり、彼女らが何者であるかというのはどうでもいい事なのだ。
「……それを私が話す理由があるのかしら?」
「あはは、そりゃそうだよね。あたしとしても知りたい事は自分で調べるタチだから、教えてくれなくてもそれはそれで構わないよ」
やはり口が堅いリュヌからは何も聞ける様子が無い。カタナにはそう思えたが、しかしサイノメにとっては違っているようだった。
「でもさ、ここが話せる最後の機会になる。もしそれが理由になるとしたらどう? 何か言い残す事は無い?」
「……まるで、私がここで死ぬような口ぶりね」
「そう言ったつもりだよ。それに、それは美人さんも解っているんじゃない? むしろそのつもりでここに来たんじゃないの?」
「――!?」
サイノメの言葉に、リュヌはまた表情を変えた。しかし、それも一瞬、次の瞬間には取り繕ったように無表情を貫いていた。
そしてどういう心境か、リュヌはその背に守っていた巨無から離れる。まるでカタナに拾えと言っているように。
「何のつもりだ?」
サイノメとリュヌの会話の中、隙あらばそれを奪うタイミングを計っていたカタナは、相手の警戒が既に解かれている事にいち早く気付く。
「余裕があるのね、こうしてここで足踏みしているなんて。貴方はフランソワ・フルールトークを助けに来たのではなくて? こんな所で無駄な時間を使っていていいのかしら?」
それはカタナとしても本義なのだが、あえて今それを強調するリュヌの言葉に違和感を覚えないわけでも無い。
しかし、カタナは構わず足を踏み出した。リュヌの間合いからは充分外れている、そしてフランソワの名を出された事も退けない理由になっている。
「……シャチョー」
サイノメは何か言いかけた様にカタナを呼ぶ。
だが結局、それ以上何も言わずにサイノメはその場から居なくなった。何を言いたかったのかカタナには解らなかったが、居なくなったという事はそれが本意でも不本意でも、サイノメがこの場での役目を終えたという事だと、そう理解していた。
カタナはそのまま無造作に巨無を引き抜く。落としただけで固い土に深々と埋まるその重さは、カタナでしか扱えない一因であるが、やはりそれはあくまでも決定要因という訳では無い。
(『魔元心臓』起動)
カタナの意思により、体内に魔力が満ちていく。そしてその魔力に応じるように、巨無も普段眠っている機能を目覚めさせた。
それがカタナにしか扱えない決定要因であり、魔術武装の中においても他には見られない異常とも言える破壊力の源。
カタナに満ちた魔力を根こそぎ奪い、魔力によって力を成す魔術剣・巨無は、刃を黒く輝かせて所有者を歓迎した。
「それが貴方の本当の得物……なるほど、圧倒的だわ」
カタナがこの場で剣の力を目覚めさせたのは、リュヌの気配の変化を察しての事であった。
戦闘態勢に入っており、今にも斬りかかってくるような気配。どちらかが動き出せば、そのまま命のやり取りが始まる事を、充分に察する事が出来る。
「……あんたも解らん奴だな。どうして俺にこの剣を拾わせた? 丸腰相手の方が、断然優位だろ」
もはやリュヌに負ける要素は無いというように、カタナは疑問を呈した。
罠がある訳でもない、そもそもリュヌの行動や発言には不可解な点が多く、まるで一貫性が見られない。
そんな相手に剣を向けるのに躊躇は無くとも、少々の違和感はカタナも感じていた。
「貴方の本気を見たかった……そう言ったら貴方は信じるかしら?」
「いや……そうだな。何にしても意味の無い事か」
どんな理由があろうと、どんな目的があろうと、リュヌはカタナから大事なものを奪った相手という事は変わらない。
そして今も、剣を向け合い、殺し合いを始める相手であり、そうなってはそれ以上もそれ以下も、望める関係は無いのだ。
戦場で他の一切は不要、カタナは魔剣として培ったものを発揮し、感情を一転に絞り出した。
(……殺す)
静かに、そして感じる者には荒々しい程の気配をカタナはリュヌに向ける。
「――っつ」
カタナの殺気は、それだけでリュヌを動き出させた。まるで斬りかかられたように、レイピアを払ったそのリュヌの動作は怯えにも似ているよう。
相手にそう思わせた時点で、力量差と勝敗は既に決まったものだった。
「リュヌ・エクセレーヌ、いざ参る!!」
「……」
気迫によって奮い立たされたリュヌの最速の一閃、その後に待っていたのは斬り飛ばされた右腕。
「う、っく!!」
真紅の刀身のレイピアと共に宙を舞う右腕を見つめながら、身体の中心を貫かれた感覚に、リュヌは身悶えた。
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その時をこんな気分で迎えられる日が来るとは、少し前までならリュヌは夢にも思っていなかった事であった。
「……どうして笑っている?」
不思議そうに見下ろすカタナ言われ、久方ぶりに心の底から笑えている事にリュヌは気付いた。
「安心したから……貴方なら妹達も殺してくれるって」
その言葉に、カタナが眉を顰める。そんな事を言われれば誰でもそうなるだろうが、リュヌはこれまでと違い、最後に与えられた時間で全てを話す事を決めた。
「私達は居場所が欲しかっただけ、人でなくなっても、この世界に生きていたかっただけ……それだけだった」
「その身体は……」
斬り飛ばされたリュヌの右腕の傷口も、風穴があいた胴体からも、血の一滴も流れてはいない。
代わりに霧消するように、傷口からは黒い霧が僅かに揺れている。
「どうしてこんな身体になったのか全部を理解している訳では無いけれど、これが吸血鬼の正体。魔力によって形作られた、人でも魔人でもない何か……」
故郷の村が滅び去った赤い雨は、それによって息絶えたリュヌとその妹達に新たな生を与えた。
「他者の血を求める、吸血鬼と呼ばれる理由はそれ。世界を構成する力を取り込むために、人の体内で血と共に循環する霊力を奪う為よ。そうして他者の命を奪わなければ、この身体は維持できない」
しかしその新たなる生が幸福なもので無いという事を、リュヌは程なくして知る。
「……あんたからは、血の匂いがしない。これはどういう訳だ?」
「ふ、ふふ……まさかそんな事まで解るなんて驚きだわ。私だけは元になった身体が良かったのか、妹達と違って血を欲する事は無かったの。近衛騎士として鍛えたつもりの力と精神が、この日までそれを自戒させてくれたのかもしれないわね」
それでも徐々に、リュヌは自身の限界は感じていた。
残った魔力で命を繋ぎ、渇きと戦う苦痛の日々。その生がもういくばくもないという事は、本人が一番よく理解していた。
「でもそんなのは欺瞞でしかなかったわ。私は妹達を止められなかったのだから」
リュヌが生き続けてきたのは、妹達の為。
生きていくためとはいえ、人を殺さなければいけないという事は、人としての人格を狂わさなければ耐えられない重みであり。それに押しつぶされ、本当の意味で吸血鬼という化け物にならなければいけなかった妹達を、リュヌは残して死にたくはなかった。
「エトワールもソレイユも、本当は優しい子達なの。人を殺す事になんて耐えられるわけない……その時が来る前に、全てが狂ってしまう前に、私が殺してあげるべきだった」
もはや叶わぬかつて犯した罪を悔い、リュヌはそれをカタナに託す。
「貴方ならきっと、それが出来る。その力なら妹達を……」
かつての戦いでその可能性を垣間見て、今まさにその身を以って確信とした。
だからリュヌは、満足なままに死を迎えられている。
「……俺を狙った事も、フランソワを攫った事も、その為なのか?」
「いえ、違うわ。あの子を巻き込んだことは私の意思では無いとはいえ、申し訳なく思っているの。貴方を狙った事も、ラスブートという人物に頼まれた偶然によるもので、元々はそれだけだったのよ」
妹達を止められないならば、その居場所を作る為にと受け入れた、その依頼。
「ラスブート? 誰だ、聞いたこともない」
「王国の宰相よ、そして人間ではなく魔人」
リュヌが明かした事実は、あっさりと受け入れるには突拍子もない事だったのか、カタナは半信半疑のまま飲み込んだようだった。
「……貴方はその男から危険視されているわ。この世界を揺るがす『凶星』であるとね、だから私達に貴方を捕縛して王国まで連れてくるか、無理なら殺して首を持ってくるかと命じたの」
「世界を揺るがす『凶星』か……それが本当なら、ずいぶんと大袈裟に評価されたもんだ」
「信じられないかもしれないけど、一応私が知っている事はこれで全て話したわ」
「まだだ、大事な事が抜けている」
「なにかあったかしら?」
カタナへのせめてもの誠意として、リュヌは全て話したつもりであった。
しかし、カタナにとっての一番重要な事は全く別である。
「フラウは無事なのか?」
「……ふ、ふふふふ……いえ、ごめんなさい、笑ったのは馬鹿にしたわけじゃないのよ」
鋭く睨み付けるカタナには、どうやらそれ以外の事には興味が無いようで。リュヌが笑ってしまったのは自分自身に対してであった。
(聖騎士カタナ、良い人ね。この人ならきっと間違わない……フランソワ・フルールトークも、エトワールもソレイユも、皆任せられる。私が望んだ結果を得られると信じられそうね)
卑怯なやり方であると理解している。これからリュヌがカタナに託すのは、どうあっても後味の悪い結末であるのだから。
「フランソワ・フルールトークは無事よ」
「……そうか、それだけ聞ければ充分だ」
「あの子の事、幸せにしてあげてね。貴方の事が本当に好きみたいだから」
赤の他人の事をそんな風に気に掛けたのは、おそらくフランソワに昔の妹達を重ねて見てしまったからだろう。
リュヌは致命傷を受けたはずなのに、まだそんな余裕がある自身の生に別れ告げる為、カタナに最後の頼みをした。
「とどめを刺してもらえないかしら? もう朽ちるのを待つしかない身だけど、出来ればもう楽にしてほしいの……」
「……いいだろう」
「ありがとう」
そうして穏やかなまま最後の眠りにつくため、リュヌは瞳を閉じる。
最後に感じるものはきっと冷たい刃の感触で、それによって長く苦しめられたしがらみからようやく解放されると、そう信じていた。
しかし、何事も自分が信じた様にいかないという事を、リュヌはこれまでの人生で気付くべきあり。今回も、運命は彼女の思惑に乗る事は無かった。
なぜなら、リュヌが次に瞬間に感じたものは冷たい刃の感触などでは無く、暖かな唇が触れる感触であったのだから。
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唇を交わす人工呼吸というものがあるが、カタナがリュヌに行った事も言い換えればそれに近い。
違う所といえば、人工呼吸は空気を送り出すのに対して、カタナはリュヌに血を口移しで送り出した。救命という意味では、その目的は同じである。
当然ながらリュヌはカタナのその行動に驚き、閉じた目を見開いて見せたが。身体を押さえつけるカタナを除ける程の余力は無く、それが戻る頃には既に傷が治りきった後であった。
「……ぷは、あ、貴方!! なんてことをするの!!」
「悪いな、見えてる場所から血を流すと心配する奴がいるんでね」
カタナは口にの端に付いた血を拭いながら言った。舌を歯で噛み裂いた場所から流れていた血だが、それもすぐに魔元生命体の再生力で治る。
「そういう事では無く!! どうして私を生かすような事をしたのか聞いているの!!」
リュヌの傷は人間ならばまず助からない致命傷であったが、カタナから与えられた純然たる魔力を含む血は、常人から得られる僅かな霊力とは比べるべくもないほど、その力を取り戻させていた。
それほど簡単に治るとはカタナも予想外であったが、それは吸血鬼の再生能力が高いという事と同時に、魔元心臓が生み出す魔力がどれ程規格外であるかも知らしめる結果である。
そしてその行動の理由を、カタナはあっさりと答えた。
「勝手な事ばかり言われて、勝手に死なれるのは迷惑だ。俺は変な期待をかけられて面倒を背負わされるのが一番嫌いなんだよ」
「面倒って……」
「ああ、面倒だ。俺はフラウの事だけでも手一杯だってのに、あれもこれもと……とりあえず、あんた馬鹿だろ」
「……でも、私にはもうどうする事も出来ないわ。だから貴方に託したのに」
俯くリュヌを見下ろして、カタナは深々と嘆息した。
「だからって、なんであんたが死ぬ必要があるんだ?」
別にカタナとしてはリュヌが死のうが生きようが、割とどうでもいい事であった。結果的に助けるような形になったのは、それが気に入らなかったのと、納得できない事であったから。
「……死んで自分の過ちを償えると思ったのか? 甘いんだよ、面倒を人に押し付けて断られる前に死のうなんてな。本当に命をかけてまで大事に思う事なら、誰かに頼らず自分で解決しろ」
何事も、面倒な事からは逃げ出すカタナだが、本当に大事な事からは決して逃げる事は無い。
怠惰な騎士の唯一の信念。
「もし本当に何も出来ないのだとしても、せめて見届けろ。その時なって死にたくなったらいくらでも殺してやる」
「……」
カタナの言葉が聞こえているかどうか、俯いたままのリュヌからは窺い知る事は出来なかったが。それ以上構っているほどカタナに余裕はない。
途方に暮れるようにその場に座り込んだリュヌを置いて、カタナはその場を後にした。