二章第十九話 強さの定義
深夜の暗い空の上を羽ばたく飛竜の姿、シュプローネとカタナをその背に乗せたライガーは、これまでと違いゆったりと高度を落としていく。
大陸最速の呼び声は伊達では無かった竜騎長に助力により、カタナは目的地であったトークス村にたどり着く。
ここまで来るのに経過した時間は、出立から僅か半日の事であった。
「ここでいいんだな?」
「ああ充分だ。助かった、礼を言う」
トークス村の郊外に降り立った飛竜から飛び降り、その後、カタナはシュプローネに別れを告げる。助力を受けるのはここまでと決めており、これ以上の迷惑はかけられないと思っていたからだ。
しかしシュプローネは、何を言っていると肩を竦めた。
「アタシが居ないと帰りも困るだろが。何の用でこんな所に来たのか知らねえが、終わるまで待っててやるよ」
確かに帰りの事を想定してなかったわけでは無かったが、カタナはここまで連れて来てもらっただけで充分だと思っている。
何せシュプローネにはその理由すら話していない、その上で罰則確実の任務外での飛竜の持ち出しまでしての事だ、これ以上の迷惑はかけられないだろう。
「だからそれは別にいいって言ってんだろ。アンタには借りがあるから返すだけだって、このまま片道だけの中途半端な行いじゃアタシの気が収まらんよ」
「……充分だと思うがな」
どこまでもお人好しな事を言うシュプローネ。どうあってもそれは曲げるつもりは無いらしく、最終的にカタナはその厚意を受ける事にする。
「じゃあ帰りも頼む。だが、退屈になったら帰ってくれていい」
「その点は心配無用だぜ。星座を眺めていれば、時間なんてあっという間さ」
空の上で狂いがちな方向感覚は、主に太陽や星の位置で把握できるようにするのが、竜騎士として必修らしく。シュプローネは星座についてかなり詳しいという事は、ここに来るまでに散々聞かされていた。
「そういう事だからさっさと行けよ。急いでいるんだろ?」
急かすわけでなく、シュプローネはカタナの挙動からそれを見抜いていたのだろう。背を押すように送り出した。
「……夜明けまでには戻る、もしそれまでに戻らなければ一人で帰ってくれ」
「うわー、まさかそんな在り来たりの台詞を、カタナから聞けるとは思わなかったぜ。そういうのって、死んじゃう予兆なんじゃねえの?」
「縁起でもない事を当たり前のように言うな」
「はは、冗談だっつーの。そもそも、先に縁起でもない事を言ってくれてんのアンタだろ? なんだよ、『もし戻らなければ……』とかマジな顔で。何があるのか知らねえけど、帰りもアタシがアンタを連れ帰る、それでようやく借りが返せるんだ。いくらでも待っててやるから、ホレさっさと行け!」
今度は背を押すどころか、突き飛ばす勢いのシュプローネ。
無粋だったと悟ったカタナは、もはや何も言わずに背を向ける。
「星が見えなくなったら、ライガーの鱗の数でも数えてるから。アタシの事は心配しなくていいぜ」
後ろから聞こえたシュプローネの言葉により、カタナが急がなければならない理由がもう一つだけ増えてしまった。
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カトリ・デアトリスは独房の中で佇んでいた。
協会騎士団の禁を犯し、魔術武装である巨無を転送魔法で持ち出した事で、駆け付けた騎士に取り押さえられる事になったのだ。
「無事に届いたでしょうか……」
しかしカトリの心配は自身が受けるかもしれない罰に対してではなく、初めて行った転送魔法が成功したかどうかに向けられていた。
「大丈夫だよ、カトリさんの発現した転送魔法はボクの目から見ても完璧だったさ。サイノメの指定した座標が間違えでなければ、理論的に考えて失敗はありえない」
答えたのはリリイ・エーデルワイス。彼女は自信満々に、カトリの心配は無用の物だと独房の外から諭した。
「……それは結構な事ですが、どうして貴方はそちら側に居るんですか?」
手足を拘束されて独房に放り込まれたカトリに対して、一緒に捕まった筈のリリイはその身の自由を保障されているようだった。
「言った筈さ、美女が泣いて謝れば大抵の事は許されるとね」
「……本当ですか?」
「いや冗談だよ。実際の所は、全て脅されて行った事だと供述して、カトリさんに罪を全部なすりつけたから、罰を受けずに済んだだけさ」
「……でしょうね、尋問の際に聞かされました。その時に私が否定しなかったのも貴方の計算の内ですか?」
「計算という程のものでもないけど、予防線はいくつか張らせて貰っていたからね。スケープゴートにするようで申し訳は無かったけど」
会話の中でカトリがリリイに対して負い目を感じるように誘導し、他にも状況証拠として入口の見張りを気絶させた事や、転送魔法を任せた事もその内であった。
「それでも一番はボクの演技力によるものかな。『~泣いて謝れば』というのも適当を言っている訳では無いさ」
「なぜ私は卑怯な行いを自慢されているのでしょう?」
リリイの言っている事は結局最低な事に変わりない。カトリの中で色々と手伝ってもらった分を差し引いても、印象はマイナスに傾いていた。
「ハハ、卑怯と言うならカトリさんも大概ではないかな。その余裕の姿勢が何処からきているのかボクには解っているよ」
「……何の事を言っているのか解りかねますね」
そのカトリの演技の下手さを見て、リリイは逆の立場じゃなくて本当に良かったと思った。
「カトリさんも案外抜け目がないね。独房に囚われているように見えて、その実いつでも出られるようになっている」
「……」
カトリは手錠を繋がれて鋼鉄製の独房に入れられている、しかも魔法を使えなくする魔封錠のおまけ付きで。そんな中から自力で出る事は、独房というものの性質上からも不可能であってしかるべきである。
しかしリリイの指摘した事は間違いでは無かった。
「魔封錠は、霊力の流れをせき止めて魔法の発現を阻止する物だが。霊力を極限までうまく操って、その仕組みの穴を突けば用を成さなくする事も出来る。一般的には知られていないし、特殊な訓練も必要だから普通は出来ないけど」
リリイが言う一般的や普通とは、それほど狭い範囲である訳では無い。例えば協会騎士団では、それが出来るのも、それを知る者も合わせてただ一人、つまりはリリイ・エーデルワイスだけであった。
これまでは、だが。
「女は皆したたかという事かな。ね? カトリさん」
「……」
カトリは答えず、だが少しだけリリイに対して警戒心を強めた。油断ならない鋭さと、探りを入れるかのような言葉選びは、敵愾心を呼び起こされるのに充分である。
「そんなに身構える必要は無いさ。ボクはただカトリさんの事をもっと知りたいだけ、『鍛冶師』としてキミの剣を打つためにね」
「それ……本気で言ってたんですか?」
「本気さ。ボクがそうしたいと思ったんだ、たとえキミが何処の何者であろうとも、この気持ちが変わる事は無いよ」
「……どうして、そうしたいと思ったのですか? 貴方が言ったエーデルワイスの理念には、私は当てはまらないのに」
鍛冶師としてのエーデルワイスが求めるのは最強最高であるとリリイは言った。それは最高の武器と最強の使い手の事であると。
しかしカトリは、自身を最強の使い手であると思える程傲慢では無い。だからリリイが言う言葉の矛盾に戸惑いを覚えるのだ。
「それは少し違うね、確かにキミは現時点では最強とは言い難い。解りやすい比較対象としてはカタナに劣っていると、ボクも認めるところさ。でもね、強さと言うのはそう単純なものじゃない。色んな要素が組み合わさって成り立つものだとボクは思っている」
武器もその一つの要素であると、リリイは言う。それ次第ではカトリはカタナより強くなる可能性があるとも。
「カトリさんにあってカタナに無いもの、それをボクが存分に引き出せればキミが最強になる事も夢じゃない。そう思ったからこそリリイ・エーデルワイスとして宣言したんだ、これは道楽でもなんでもなく、正真正銘の本気さ」
「私が……カタナさんによりも強くなると?」
「可能性としては充分にあるとボクは思うね。まあ、それはキミ次第であると同時に、ボク次第でもあるんだが、それは追々にね……」
強くなりたいという思いにかけては、誰よりもそう望んでいるカトリにとって、リリイのその言葉は一縷の希望でもあった。
「……まあそれも、カタナ次第かな。彼が帰ってくるまでは、カトリさんも独房から出してもらえないだろうからね。今は座してその時を待とうか」
あるいは、その結末次第では色々なものが揺らぐ可能性もリリイには考えられたが、それだけは口に出す事は無かった。
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トークス村郊外の、木々が茂る森の中をカタナは進む。
初めてくる場所だが、その先に何があるのかは解っている。と言うよりも、その先に何があるのかしか解らないが、今はそこに向かう事が最も重要な事であった。
(巨無が呼んでいる……)
胸がざわめく様な気配、それはカタナの体内にある魔元心臓が呼び寄せられている合図であった。
巨無は使い手の魔力によって、魔術武装としての力を発揮する。それがかつて『魔神殺し』とまで言われた剣の特徴であり、真の意味でカタナにしか扱えない事の理由。
そして巨無がカタナと引き合うのはそれが理由。あの剣はまるで意志があるかのように魔力を欲し、魔元心臓はその源としてまるで対になっているように反応を示すのだ。
(……餌として呼び寄せられているようで微妙な気分だが、そんな事を言ってる場合じゃないな)
何にしても、カタナにとって巨無が最高の武器である事に代わりは無い。
(使えるかどうかは大して期待してなかったが……サイノメの奴、うまくやったようだ)
厳重に保管されているそれをどうやって持ち出したのか、カタナには想像も出来ないが、今は何にしても手に入れる為にカタナは足を進める。
しかし森の奥により一層の気配を感じた時、カタナの足は止まった。
(……二人、一人はサイノメか? もう一人は誰だ?)
巨無の近くに感じた気配、その中に特定できないものが混じっており、カタナは慎重に足音を消して進む。
木々の合間を縫い、夜の暗闇をものともしない夜目で見渡し、その場所にたどり着くと予想外の光景が飛び込んできた。
「やっほうシャチョー。待ってたよ」
カタナが気付いた時点でその気配に気付いていたサイノメが笑顔で出迎え。
「ここまで早く来るとは……どういう手品を使ったのかしら?」
そのサイノメの首筋に、真紅の刀身のレイピアを突きつける美女の姿。
その美女とは、フルールトークのパーティー会場と、そしてカタナがあらゆる意味で敗北を喫した屋根上に次ぐ、三度目の邂逅。
「……確かリュヌといったか」
カタナが警戒を怠らずに木の陰から出ていくと、リュヌは口の端をつり上げ、うっすらと笑ったようだった。
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いつもならとっくに眠りについている時間、しかしフランソワ・フルールトークは何も見えない窓の外を一心に見つめていた。
カタナが来るかもしれないと聞かされ、それに対する期待と不安の気持ちに揺さぶられながら、待つ事しかできない事を不甲斐なく思いながらも。
(わたくしの為におにーさまが来てくれる。嬉しい事の筈なのに、今はそれがどうしようもなく辛い)
きっと昔読んだお伽話の本を思い出すからだろう。
悪魔にさらわれたお姫様を助ける為に騎士が旅に出て、自身の命と引き換えに悪魔からお姫様を救い出すというお話。
最後の最後には、騎士は蘇りお姫様と結ばれるハッピーエンド終わっていた物語であったが。フランソワが思い出すのはその直前、愛する騎士を失い絶望に身を寄せるお姫様の描写。
(……こんな事ばかり思い出して、おにーさまを信じていると言ったのは何処の誰? これではまるで、何の価値もありませんわ)
お伽話のお姫様は悪魔の囁きにも耳を貸さず、最後まで強い心で騎士を信じていた。
そうでなければ救ってもらう価値は無い、フランソワはそう思う。
(強い心。何の力も持たないわたくしがおにーさまの隣に立つ為に、せめてそれだけは貫きなさい。いえ、たとえもう隣に立てないとしても……)
自分自身に価値を見出す為に、そして一番大切なものを守るために、フランソワは心を奮い立たせる。
涙が溢れてきたが、ドアが開く音が聞こえると同時に、それを強く拭う。
かつて誰も味方の居なかった時の事を呼び起こし、フランソワは最大限に心を律する。
「何か御用?」
心を閉ざし、欠片も弱さを見えぬように繕いながら、フランソワは悪魔のように見える笑みを浮かべた美女を迎えた。
「きゃはは、こんな夜更けまで起きているお嬢様を、最高のパーティーにご招待しに来ましたよ」
絶対に負けるわけにはいかない。少女が決意した瞬間に、もう一つの戦いがその幕をあけた。