二章第十八話 エーデルワイスの拘り
協会騎士団本部に帰って来たカトリ・デアトリスは、愕然とする現実に直面していた。
「これは聞いてませんよ、サイノメさん……」
「ごめんなさい」
謝るくらいなら事前に言っておいて欲しかったと、カトリは思う。
なぜなら既に目の前には、黒い高帽子に白衣という奇抜な格好のリリイ・エーデルワイスが立っているからだ。
「どうかしたのかい? そんなに見つめられると濡れてしまうじゃないか……」
恥ずかしそうな顔でそう言うリリイを無視し。カトリはサイノメにもう二度と関わり合いたくないと思っていたこの変態と、引き合わされた事への理由を問う。
「何故この人がこの場に居るのですか?」
「どうしてもこの変態の手を借りないといけない理由があるんだよ。『巨無』を手に入れる為にね」
サイノメは渋々といった感じで、カトリに説明を始める。
現状の問題点は二つ。
まず巨無は協会騎士団本部の法士棟にある宝物庫に保管されており、警備の状況はかなり厳重。それを理解しているものが居なければ、まず到達する事が不可能である事。
そしてもう一つ、巨無がカタナの手に渡るようにする為、今回もゼニスの時と同じように転移魔法で送らなければならないのだが。その魔法式を理解し発現出来る者の助力が、当然ながら必要になる。
「その二つの条件をクリア出来る者が、本当に残念極まりない事にこの変態しかいなかったんだよ」
性格に難はあっても、天才と呼ばれる人種でもあるリリイの優秀さは、サイノメも認めるところ。
そして今回に限っては、その正確に難のあるところも有益に働いている。常識ある者ならば、こんなコソ泥のような真似に加担するわけがないからだ。
「そういう訳さ、カトリさん。論理的に考えてサイノメの選別に間違いは無いし、ボクも手を貸したいと思っているよ……手取り足取り腰取りね」
「……貴方は少し、黙っていて下さい」
カトリは座った目つきで剣帯に手をかけた、結構本気混じりの気迫である。それだけ冗談を流す余裕が無いという事なのだが、サイノメも引け目がある手前それを指摘はしなかった。
「……本当に他に居ないのですか?」
「居たらこんな変態に頼まないよ。本来ならあたしも顔だって見たくないんだからさ」
カトリにとっては妥協するにしても厳しい相手だったのか、珍しく食って掛かっていたが、最後にはサイノメの言い分を信じて首を縦に振った。
「ハハハ、何をそんなに不安がっているのか解らないが、ボクに任せてもらえればきっと望む通りの結果が得られるさ」
当の本人だけはやけに自信満々であったが、カトリからの信用は全く無いらしく半眼で睨まれていた。
「大丈夫だよカトちゃん、リリイ・エーデルワイスは確かに変態だけど、天才と呼ばれるだけの腕は持っている。それに関しては不安がる必要は無いよ」
「私にとっては変態であるというだけで、充分に拭いきれないくらいの不安対象です」
「……あはは、まあそうだよね」
汗を拭うサイノメも、実際には同じ事を思っていた分否定はできなかった。そして当のリリイ本人も否定しない事が不安に拍車をかける。
「でも時間はそんなに無いんだ。予定に間に合わせる為に、不毛な話は止めにして打ち合わせをしようか」
「……サイノメさんがこの事をあらかじめ教えておいてくれれば、それで済む話だったのではないですか?」
「あはは、まあそれには事情があったという事でここはひとつ」
サイノメがこの時までリリイの事を隠していたのは、カトリが知れば拒否反応を示すだろうと思っていたから。実際にその通りであったので間違いでは無かったのだが、カトリは隠していた事自体に納得がいかない様子である。
「ふーむ、カトリさんには随分と嫌われてしまっているようだ。なんでだろう、サイノメは解るかい?」
「さりげなく近づいてくんなや。あ、コラ、撫でるな!! 揉むのはもっとダメだ!!」
ちょっと気を抜いただけで接触を図ってくるリリイ。女同士だから許される体裁のギリギリをついてくる、そういう所がサイノメが苦手にしている所であった。
同じふざけている印象でも、狙っているのでなくあくまでそれが素であるから、サイノメとはむしろ真逆。
「いけずな事を言うのだなサイノメは、小さいものを愛でたいというのは必要な本能だというのに。赤子を可愛いと思う事が出来なくなれば子育てなどできないし、それによって人類は滅んでしまう。ボクのサイノメへのスキンシップはそれくらい崇高なものだと思ってほしいね」
「嘘吐け、変態の屁理屈にしか聞こえないっての。あんたにだけはいくら積まれても触られたくないわ」
お金大好きなサイノメがそう言い切るほどであった。
「……サイノメさん」
そしてそれを見ていたカトリに弁解するのに、また少し時間を費やす事になってしまったのであった。
++++++++++++++
法士棟の宝物庫の入口からやや離れた所で、カトリ、リリイ、サイノメの三名は立ち止まっていた。
「あそこに見えるのが宝物庫の入口ですか? 外の見張りは二人だけなのですね」
「そうだが、実際はお飾りの様なものさ。本当なら人を置く意味はあまりない」
宝物庫の警備に人を使っているのは入口の見張りの二人だけ、それ以外は外にも中にも誰も居ない。
それでも厳重な警備と言われる由縁は、建物自体に施されている付加魔法にある。
「不用意に一歩入れば丸焼き、凍結、串刺し、等々の付加魔法で施された罠が侵入者を歓迎してくれるから。むしろ中の警備を人間が行う方が危険なんだよ」
サイノメが言ったその事実が、リリイ・エーデルワイスに手を借りなければならない理由。
巨無の所まで進むのに、その付加魔法を解呪して進まなければならない為、その知識が深い者が必要不可欠であった。
「半分ほどはボクが施したものだから、解呪にはそう時間もかからないだろうさ。さしあたってはあの見張りの二人だが……」
リリイは名案が浮かんだかのようなしたり顔で言う。
「カトリさんが色仕掛けで籠絡するのが良いだろう。なあに、騎士なんてウブな奴が多いから下着姿で誘うだけで充分さ」
「……その舌、もう要らないのですね」
座った眼で剣帯に手をかけるカトリ、もはやそのやり取りがリリイとの間で慣例化し始めていた。
「論理的に考えて良い方法だと思うのだが……それが駄目なら予定通りの方法でやるしかないかな」
そう言ってリリイは、ゴツゴツと色々な物が入っていそうな袋を取り出した。
「それは何ですか?」
「ああ、必要な物を研究室から持ってきたんだが、さっそく役に立ちそうだ。まあ見ててくれたまえ」
そしてリリイは、無造作に見張りの騎士に近付いて行った。
サイノメとカトリは不安げな表情でそれを見守る。ある程度の打ち合わせはしてあるが、宝物庫の潜入については中を良く知るリリイに一任している。
「やあ君達、今日もお勤めを真面目に行っているようだね」
「な、何だ貴様? それ以上近づくな、ここは立ち入り禁止だ」
まず出で立ちからして怪しい人物であるリリイに、見張りの騎士の反応は予想通り厳しいものであった。
「いやいや、それは解っているよ。ただボクは君達に差し入れを持ってきただけさ」
そういってリリイは袋から瓶を取り出した。
「何だこれは?」
「テキーラさ、一杯如何かな?」
「酒じゃないか!? 自分達は職務中だ、そんな物はいらん!! それ以上近付くと捕らえるぞ」
追い払うような仕草で言った見張りの騎士だが、もう一人の見張りは青ざめた表情で近づくリリイを警戒していた。
「おい、待てコイツは……」
「どうかしたのか?」
青ざめた表情の見張りはリリイを指差しながら言った。
「『魔窟の天才』だ……黒い高帽子に白衣、きっと間違いない。やばいぞ、噂どおりなら俺達の手におえる相手じゃない」
見張りの騎士は怯えにも似た格好で、剣帯に手をかける。
「嘘だろ……あのリリイ・エーデルワイスか!? 先輩達から絶対に関わり合いになるなって念を押されたあの変態か!?」
リリイのそういった悪名は、特に法士棟においては有名らしく、見張りの騎士達からも恐れられているらしい。
「参ったな、興味本位で見たかった下着を脱がせた事かな? それとも、鎧を新調する騎士の身体を、採寸と偽って触りまくった事か?」
リリイの口から出たのは、悪名に相応しい変態的な所業の数々。清廉潔白な協会騎士にトラウマを植え付けるのには充分なものだろう。
むしろ、今まで捕まっていなかったのが不思議なほどである。
「くそ本物だ……とにかく、お前はここに応援を呼べ。俺はここで食い止める」
青ざめた表情の見張りはもう一人の見張りに指示を出し、意を決したように剣を構えた。
「そんな、お前を置いて行けるわけ……」
「いいから早く行け!! じゃないと二人ともこの変態の毒牙にかかって終わりだぞ!!」
そんな二人の見張りを前に、リリイは気まずそうな顔で口を開く。
「あー、盛り上がっている所で恐縮だが。どうやら、その心配は不要なそうだ」
「「え?」」
ゴッ、ゴッ
衝撃に揺らされ、きっと訳も分からない内に気を失ったであろう見張りの二人は、間抜けな顔で床に崩れ落ちた。
「……最初からこのつもりだったのですか?」
駆身魔法を発現させ、霊光を上らせたカトリは問いかける。リリイに任せていては騒ぎになると判断しての手荒な真似だったが、後でカタナに知られた時に短慮だと責められそうで少し気が重くなった。
「そうさ、色仕掛け以外でここを通るには手荒な真似が必要不可欠なのは明白だからね」
リリイは悪びれなく、仕方ない事だとそう言った。
「貴方という人は……」
「ま、まあまあカトちゃん、とりあえず通れるようになったのだから良しとしようよ。この後始末はあたしがうまくやるからさ、ね?」
「……解っています。ただ、何度も色仕掛けなどと言う事に呆れただけです」
「あ、そっちか」
カトリとしては、本当にリリイに任せて大丈夫なのかという不安がまた強くなったのだろう。サイノメもまた苦笑した。
「む、しかし色仕掛けをするにしても、この見張り達の性的趣向を予め調べておかないといけなかった訳か。カトリさんの貧乳の良さが解る派閥の者でないと、成功するとは限らないからな……」
更に畳み掛けるように意味の無い考察を始めるリリイ。
呆れ果てたカトリは、怒る気も失せた様に嘆息した。リリイが実は、怒られれば怒られるほど喜んでいるという事に気付いたのだろう。
「行きましょう、こんな所で立ち止まっている理由はありません」
「ふむ、では行こうか。入口の見張りの交代は二時間だ、それまでに巨無まで到達しなければならない」
少しつまらなそうにしていたリリイは思い出したように足を進め、カトリはその後に続く。
「じゃあカトちゃん、その変態の見張りは頼むね」
「……賜りました」
サイノメには他にやる事があるらしく、別行動を取るという事はカトリも聞いていた。だが当然ながらそれは、リリイと二人きりになるという事で、一抹で済まない不安がよぎる。
「宝物庫の中では必ずボクの後ろに居るようにね。後、基本は付加魔法で施された罠の解呪はボクが行うけど、カトリさんにも手伝ってもらう場面もあるだろうからそのつもりで」
「……了解です」
いきなりリリイが真面目な事を言いだす事が、何かの前触れのように感じるが、それでもカトリは立ち止まらずに宝物庫に足を踏み入れた。
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巨無のある場所は、宝物庫の地下最深部。カトリとリリイは暗がりの中を松明の明かりだけで進んでいく。
霊鉱石で作られた宝物庫の通路は頑丈であり、そして魔法の媒体としても優秀。
その中を地道にではあるが、リリイは付加魔法の罠を解呪して進んでいく。
何度かカトリが手伝う場面もあったが、ほとんどは理解すら難しい法式であり。リリイの付加魔法に関する知識と実力は、相当なものであるのが窺えた。
リリイいわく、付加魔法を極める事が今の時代の『鍛冶師』に最も必要な事であり、エーデルワイスの名を継いだ者にとっては当然の事らしい。
破綻した性格などの問題があるとしても、協会騎士団がリリイを置いておく理由を、カトリは少し理解した気がした。
「うん? 何かボクに対しての失礼な事を考えていないかい? 駄目じゃないか、口に出して罵ってもらわないと嬉しくないよ」
「……余裕がありますね、解呪する気力も霊力も相当なものの筈ですが」
リリイの口調からは疲労を感じられない。似たような通路が続き、どれだけ進んだのかカトリにはよく解らないが、一時間は通して解呪の繰り返しを行っているのは間違いない。
「ああ、まだまだ余裕だよ。霊力に関しては、知っている法式の解呪ならそれほど消耗は無いし。気力に関しては、だてにいつも部屋に籠って研究に明け暮れている訳では無いという所かな」
「なるほど、では遠慮は要りませんね。急いで進みましょうか」
「そう焦る必要は無いよ、ほら」
そう言ってリリイが指し示す先には扉。
ここまで来る途中にも似たような扉はいくつもあったが、その先には通路が続いていない事から、そこが最深部である事が容易に想像できる。
そして中に何があるのかも。
「この扉とこの中には細工は無いよ。さあ入ろうか」
おもむろにリリイは重たげな扉を押し、二の足を踏んだカトリの手を引いた。松明の火がその暗い保管庫の中を照らし出す。
本来は色々な物を収納できそうな広さであったが、その中にあったのはたった一つの台座と、それに鎖でぐるぐる巻きに縛られた一本の剣。
闇の中にあって更なる存在感を放つ、『魔術剣・巨無』がそこに置かれていた。
「美しい……」
「え?」
何かに酔いしれるようなリリイの声して、カトリがそちらを見ると、気味が悪いと思ってしまうような笑みがそこにあった。
「大丈夫ですかリリイさん?」
「美しいな、圧倒されるな、妬ましいな。いつ見ても敗北感を感じさせられるよ、流石はこのボクの指標だ……」
カトリの声など聞こえないように、リリイはぶつぶつと独り言を漏らす。
「リリイさん?」
「……どうすればこんな物が作れるのかいくら論理を重ねても決してたどり着かない、論理が間違っているのか、知識が足りないのか、いやそもそも通用する論理が存在しないのか、魔術だから可能なのか、、魔人だから可能なのか、どうしてこんな物が存在するのか、存在していいものなのか……」
「リリイさん!!」
「そんなに叫ばなくても聞こえているよカトリさん。悪いがもう少し浸らせてくれ、これを見る機会はそうそうないんだ」
リリイはそう断りをいれて、またぶつぶつと呟き始めた。
巨無を見つめる彼女の瞳は、まるで子供が玩具を眺めるような無邪気さをはらんでいる。
単純に手にしたいという欲求では無く、未知に対する追及。興味という言葉だけがリリイにそうさせている。
「これ、分解してもいいかな?」
「何をいきなり言うのですか!? 駄目に決まっているでしょう!!」
カトリが全力で止めると、リリイは口を尖らせた。
「解っているさ、冗談だよ。やってみたいというのは本気だけど、組み直せない物を分解してしまうのは流石に職人失格だからね」
そういう問題でもないのだが、とりあえず今はリリイにその気が無いようなのでカトリはほっとした。
「それにこれはカタナの剣だしね。彼にしか扱えず、彼の為にある、いやむしろこの剣の為に彼が在るというべきかな、悔しい事にね……」
「悔しい?」
「そうだよ。彼は最高の素材なのに、既に組み合わせが決まっている……鍛冶師としてこんなに悔しい事は無い」
「やめて下さい素材なんて言い方、カタナさんをまるで物のように……」
「うん? ああ、失敬。でもこれは別に、カタナに限っての事じゃないよ。ボクが――というかエーデルワイスの教えがそうさせるんだ」
そう言って、リリイはカトリを宥めるように、自身が学んだ鍛冶師の論理を説く。
「ボクの師匠のそのまた師匠の時代から、エーデルワイスが目指しているのは最強最高の武器。カトリさんの持っているミスリライトの剣も、その志の道の途中から生まれた物だけど、本当はキミが持つのは大間違いな物だと言えるね」
「この剣に、私が相応しくないと?」
「いや、どちらがどうという事じゃない。エーデルワイスは使い手の為に剣を打つ、一人一人の用い方や癖は違ってくるのだからそれに合わせてね。だからキミにはキミの、その剣にはその剣に相応しい組み合わせというものがあるんだよ。エーデルワイスの目指す最強最高とはそういう意味――最強の使い手の力量を引き出す為の最高の武器という事さ」
カトリの持っている剣は、デアトリス家の家宝として伝わっていた物。それは大戦を戦い抜いた名剣である前に、それを用いて戦い抜いた誰かの為の物らしい。
「エーデルワイスの教えでは、使い手も武器の延長上にある素材として見極めろと言われている。それが出来なければどんな物を作っても鈍だとね、ボクも真理だと思っているよ。もっとも、ボクは未だかつてエーデルワイスの銘を刻んだことが無いのだけども」
それがリリイの鍛冶師としての価値観であり、カタナの事を素材と言った事も他意はないと語る。
結局それも人間扱いしているのかどうか怪しいニュアンスであったが、感情を持てあます事が解りきっているカトリはそれを聞かなかった。
「キミは、カタナの事を良く知っているんだね」
「……何ですかいきなり?」
いきなりの話題の転換の意味は、少しだけ悔しげなリリイの顔から窺えた。
「ボクは彼を良く知らない、初めてエーデルワイスとして仕事をしてみたいと思った素材なのにさ。いっそカタナの事も分解してしまえばと何度思った事か」
比喩的表現なのだろうが、さらりと物騒な事を言うリリイ。その言葉にカトリは、今までとは別の意味で危険を感じた。
「巨無に対する妬ましさ、それと同種の感情をエーデルワイスとしてのボクはキミに持っているよ。なんて言ってもキミは困るだけだろうが、彼の隣にいられるという事が珍しく幸運であるという事はキミは自覚するべきだよ」
「……」
それこそ反応に困る事を言われ、何と言って良いか解らなくなるカトリ。それを見て、リリイは口元だけで微笑した。
「フフ、ここに来るまで順調だったから気が抜けたかな、少し話し過ぎてしまったようだ」
「そ、そうです。誰か来る前に巨無をカタナさんの元へ送らなければ」
忘れていた訳では無いが、転送魔法を発現するリリイの準備が整うのをカトリは待っていたのだ。
流れで話し込んでしまったが、のんびりしていられるほどの余裕がある訳でもない。
「ではカトリさん、初めての転送魔法いってみようか」
「は?」
しかし、まさかとも思っていなかった言葉をリリイが発し、カトリは耳を疑った。
「転送魔法もリリイさんが担当するのではなかったのですか?」
「いや、ボクの立場上それはできない。ここまで来て何を今更と思うかもしれないが、この一線は超えてはいけない。解らないかな? ここの警備が厳重と言われるのは複雑な付加魔法によって守られているからだ。しかしね、ボクなら一時間足らずでここまで来れる、半分がボクの組んだ法式であるからだけど、これは鍵屋が他人の家に侵入するようなものだろう?」
これは法律に背いた罪という問題だけでなく、それ以上に周囲から危険だと認知される要因となる。
「実際、協会騎士団はボクがこんなに簡単にここまで来れるとは思っていなかっただろう。今回の事はカタナに渡した鈍のお詫びとして協力したけど、これ以上は後々の事を考えて任されるわけにはいかないな」
協会騎士団が魔術武装を所持している事は秘中の秘、それを簡単に持ち出す事が可能という事が知られれば、どんな処分が待っているか容易に想像できる。
目先の目的に囚われすぎていて、カトリにはそれがちゃんと見えていなかった。サイノメやリリイの態度があまりにも軽かったというのも、その理由であったが。
「……確かに、そうですね。勝手を言って申し訳ありませんでした」
「いやいや、それはいいんだ。それよりカトリさん、キミに出来るのかい?」
「……いえ、残念ながら転送魔法の知識は私にはありません」
「だろうね」
転送魔法は便利な響きの魔法であるが、実際には一定の硬度を持つ無機物以外で行うと、空間を超えるという負荷に耐えられず潰されるという特質により、使用がかなり限定される。
それゆえ、カトリは今まで必要性を感じなかったという事と、一般的にはその危険性の為に法式の公開はされていないという事で、知る機会が無かった。
「転送魔法の法式は今この場でボクがレクチャーしよう。魔法書を読んだだけで戦術魔法を習得できたという、キミの魔法の技量なら難しくないだろう。霊力についてもこの通り」
リリイはそう言って、入口に立っていた見張りの騎士達に渡そうとしていた瓶を取り出した。
「お酒?」
「ああ、あれは嘘さ。本当はこれはテキーラなんかじゃなくて霊水、他にもほら……」
リリイが必要な物だと言って持ってきていた袋から出てきたのは鉱石。暗がりで光を帯びていて、カトリにもそれが霊鉱石であるとすぐに解った。
「これだけあれば魔法陣の霊媒としては充分だろう。心配しなくても必要なお膳立てはしてあげる。ただ、ボクが『出来るのかい?』と聞いたのは、単純に可能かの確認ではないよ」
リリイはカトリの目を真っ直ぐに見つめ、真面目な面持ちで問いかける。
「もしここでキミが一線を越えてしまえば、協会騎士団そのものを敵に回す事になるかもしれない。サイノメが何と言ったか知らないが、巨無を持ち出す事がどういう事か、何度も言う必要は無いだろう?」
脅しでもなんでもない、リリイなりの気遣いなのだろう。真剣な目を向けられ、カトリは若干の躊躇を覚えた。
「しかし、ここまで来て……」
「別にこのまま帰っても良いだろうさ。何も盗らずにここを出て知らん顔すればいい。もし誰かに見つかっても、ちょっとした不法侵入くらい美女が二人で泣いて謝れば大抵は許されるものさ」
リリイがそうしてカトリの逃げ道を示すのは、ちょっとした好奇心と嫉妬心からであった。
最高の素材の隣に立つ彼女がどういう人物であるのか、その価値が彼女にあるのか。
鈍か否かをその目で見定める。リリイというよりエーデルワイスの鍛冶師としての部分がそうさせた。
「……」
カトリは一度リリイから目を逸らし、巨無の方に視線を向けた。
その剣が何か言う訳はない。使い手のいないその剣は、ただ静かに台座に縛り付けられたままそこにある。
まさに唯の置物。禍々しい外見もそうして見慣れると惨めにすら思える。
「……なるほど、協会騎士団がこうしておく理由が解ります」
安心するのだろう、危険を抱えているとは感じぬように、蓋をしておけば誰も恐れずに済むと。
しかしそれは間違いであるとカトリは知っている。
「転送魔法で送りましょう。迷う必要などありませんでした」
「……ほう、何故だい?」
「一人の少女の為に戦うと決めたカタナさんに、正義があると思うからです。巨無がどんな物でも、どう扱われていても、今この時にここで眠らせておくべき物ではない。たとえ協会騎士団が認めなくとも、私はこの行いが正しいと信じられます、絶対に」
これで罰せられることになっても、後悔は無い。
「ですからリリイさん、もう少しだけ力をお貸しください」
「……」
リリイは首を横に振った。それは否定の意味では無く、自身の鑑定眼もまだまだだと自嘲してのものだった。
「解ったよ、その代り条件をのんでもらおうかな」
元々カトリがどう決断しても、巨無はカタナの元に送るつもりであったリリイだが、ちょうど良いこの立場を利用しようと考えた。
「条件――ってまさか!?」
「違う、前みたいに下着くれなんて言わないさ。ただ、別の欲求が上って来てね……」
リリイは鍛冶師のエーデルワイスとして、カトリ・デアトリスに申し込む。
「……終わったらキミの為に、剣を打たせてくれないか?」
いざ言ってみると意外と気恥ずかしい一言だと、リリイは笑いを自重できなかった。