第五話 カタナとサイノメ(裏)
夜の隠が降りた後、カタナは駐屯所の屋上で星を見ていた。
苦手なデスクワーク、というか勤労を、やっとのおもいでこなした頃には深夜に近い時間となっていた。
「こういう時に見る星はやたらと光って見えるな、なんか馬鹿にされている気がして腹が立つ」
そういう、かなりやさぐれた思いで星が見えるのも仕方なし、といったぐらいの激務ではあったのだが。元々は自身の日頃の怠慢が原因であったので文句は言えない。言っているが。
それでも星を見続けるのは理由がある。
暇なのだ。
夜は長い、これといって趣味のないカタナには残酷なほど何もない。
「お疲れ、シャチョー」
仕方なしにぼうーっと、星を見続けていたカタナの頭の上から不意に声がかかった。
「サイノメか、気配もなしにいきなり現れるな」
「はは、職業病ってやつ? でも言う割にシャチョーは驚かないよね」
ちょこんと、サイノメは定位置であるかのように、寝転んだカタナの右側に腰を下ろす。
「何か用か?」
「用があるのはシャチョーの方だと思うけど?」
「まあな」
サイノメとの契約の上で、指定されている場所が屋上。
契約といっても、秘書官としての、サイノメの表の顔ではなく。裏の顔との契約の話。
「……カトリ・デアトリスについての情報を全部よこせ。表も裏もな」
カタナのその言葉に、サイノメは少しだけ意外そうな表情を見せるが、すぐに首を縦に振る。
「あいよ、『情報商会サイノメ・ライン』契約通りに要求にお答えさせていただきますよっと」
サイノメは裏の顔である『情報屋』として、『契約主』のカタナに応える。
だが裏の顔、表の顔といっても、特にサイノメの態度には違いはない。おどけた調子も怒りっぽいのも、それは秘書官でも情報屋でも変わりはない。
ただ少しだけ立場が変わるだけだ、ミルド協会騎士団ゼニス市駐屯部隊の隊長と隊長付き秘書官という関係から、情報屋と専属契約主という関係に。
サイノメがカタナの事をシャチョーと呼ぶのは、情報屋が契約主の個人情報を許可なしに明かさないため設けられた敬称だからだ。表の顔も裏の顔の時も例外ではないらしく、そのルールを守ることは情報屋としての誇りなのだと、以前にサイノメはカタナに語ったことがある。
「私が調べた中でカトリ・デアトリスの一番昔の情報は、彼女が十二歳だった五年前からかな」
「五年前? お前にしては最近の事しか把握してないんだな」
「まあね、彼女の家は結構な秘密主義だったみたいだね」
「デアトリス家か……」
「そう、しかも彼女は当主の娘だよ」
帝国の武門の名家として名高いデアトリス家。軍の要職に幾人も輩出していたほどで、戦後の帝国を支えた『栄華五家』にも数えられていた。
しかし別の意味でも有名だ。
「お前がカトリ・デアトリスの過去を捉えた五年前は、確かデアトリス家が没落した時期じゃないか?」
そう、それまで最高級の富と権力を誇っていたデアトリス家は、突如として帝国の表舞台から姿を消した。
「軍部に絶大な影響力を持っていたデアトリス家が、爵位を剥奪されて、要職に就いていた者は全て更迭された。しかもなぜそうなったのかの発表はないまま。当時は帝国内外で結構な混乱を招いた事柄だ」
「お、さすがシャチョー。古巣が帝国なだけあって詳しいね」
「茶化すな、その程度の曖昧な事柄くらい帝国民なら誰でも知ってることだ」
「そうだね、じゃあ私は情報屋らしく、誰もが知らない事を話すよ。実は更迭されたデアトリス家の面々は既に全員死んでいるんだよ」
「……確かなのか?」
「帝国軍部のちょっとした非公開資料を、覗いて知ったことだから間違いないと思うよ」
「……何とも、それだけで本が一冊出版できそうな事実だな」
茶化して言ったカタナだったが、実際言葉通りの衝撃的な事実だと認識している。サイノメの「ちょっとした」はかなり重要なものである事が多いと知っているからだ。
ちなみに非公開資料を覗いた、とかあっさり言ってしまう事には微塵も驚かない。それだけの凄腕だというのは認知しているし、それでなくては契約する意味もない。
「いつ、どこで、どうして死んだのかは解るか?」
「資料に載っていた死亡日は全員同じ五年前の十一月二日。場所はデアトリス家本邸で、何者かに殺されていたとあったね」
「全員が同じ日にデアトリス本邸で殺されていた? 使用人はどうしていたんだ?」
「私の調べによると、使用人は全て殺されているみたいだね。いや、それだけじゃない……」
それだけで十分な惨事であるのに、まだあるという。
「デアトリス家に連なるすべての者はその日、何者かに殺されているみたいだよ」
「……」
そこまで聞いて、カタナは少しだけ後悔していた。
思っていた以上に荷物になりそうな情報ばかりが聞こえてきたからだ。
情報の一番厄介なところは、捨てることができない事だろう。
一度知ってしまったら、相応の責任が一生ついて回る。
「それだけの事があって、よく隠し通せたな。普通なら大事になるだろ」
「そこは他の栄華五家が頑張ったみたいだね。どんな汚いやり方を使ったのかは知らないけどさ、そんな事件があった事なんて世間はもう誰も知らないよ」
そう、世間が知っているのはデアトリス家が権威を失って没落したという事だけ。しかし民衆にとっての権力者なんて、代わりの者が置き換われば、それだけで興味が移る程度のものなのかもしれない。過去となった者の動向を知ろうとする者は少なく、せいぜい噂話を勝手にするくらいだろう。
「それで、その件にカトリ・デアトリスはどのように関わっている?」
前置きは充分といった様子で、カタナはそもそもの本題について尋ねる。
「おうおう、美人の事だからか、今日のシャチョーはグイグイくるねえ」
「……茶化さないでさっさと言え」
「わかりましたよー。それでカトリ・デアトリシュ…………ねえシャチョー、フルネームじゃ長いからカトちゃんでいいかな?」
噛んでしまった腹いせなのか。サイノメは本人のいないところで、勝手に際どいニックネームをつけようと試みる。
「……好きにしろ」
面倒なのでカタナは受理した。もっともそれで呼ぶ気はないが。
「それでカトちゃんがその件にどう関係しているかだけど……私はさっきデアトリス家に連なる者は全て殺されたって言ったよね」
「ああ、言ったな」
確かに全ての者と言った。例外に関しては一言も漏らさずにはっきりと。
それはつまり。
「実はカトちゃんことカトリ・デアトリスも、その日――五年前の十一月二日に死んだ事になっているんだよ」
フルネームで呼び直すのならならニックネームなんて必要ないだろ。という指摘も咽から出かかったカタナだが、そんな事は後回しにすべきだと流石に思った。
「それはお前の見た『ちょっとした非公開資料』の情報か?」
「いや、公開非公開を問わずに、その日にカトリ・デアトリスという十二歳だった少女は死んでいるよ。ちなみに十一月二日は彼女の十二回目の誕生日だったみたい」
デアトリス家の本邸に一族郎党集まっていた理由は、当主の娘の生誕祝いだったという事らしい。いや正直、それすらカタナにとってはどうでもいい事。
「……なあサイノメ、幽霊って信じてるか?」
「ううん、信じてないよ」
「安心した。俺も信じていない」
今日見たカトリ・デアトリスが実は幽霊でした、なんて言われたら反応に困るところだった。
「今日、俺の前にカトリ・デアトリスと名乗る女が現れたが、あれは誰だ?」
「さあ? 本人がカトリ・デアトリスって言ってるんだからそうなんじゃないの?」
「なんだそれは、からかっているのか?」
「いや、実際のところ解らないんだよ。彼女がカトリ・デアトリスなのか、名を語る偽物なのかね。何せカトリ・デアトリスの動向は、記録的に死んだ事になっている五年前の後にも先にも情報が少なすぎてね。生年月日くらいしか知らないんだよ」
「……なあ、どうしてそんなに情報が少ないんだ? 他のデアトリス家の人間もそんな秘密主義で守られていたのか?」
「いいや、カトちゃん以外ならそこそこ集まるんだよこれが。交友関係やどんな教育を受けたか、好きな食べ物や愛した芸術、出産時の身長体重なんかもね」
「それはそれでキモいな」
いまさら言っても仕方ないがプライバシーの侵害も甚だしい。
「うるさいな! 仕事なんだからしょうがないだろ!」
半分趣味でやっていそうな、サイノメの言い訳としては説得力に欠けるが、カタナにも若干の責任はあるため追及はしない。
「だがそうなると当主の娘とはいえ、カトリ・デアトリスだけ解らないことだらけってのはおかしい話だが」
「そうだね。でもきっと、どうしてカトちゃんだけ特別なのかが解れば、すべてが見えてくると思うんだけどね。情報ってそういうものだから」
そういうものらしい。他はどうか知らないが、情報商会サイノメ・ラインにとってはそういう事なのだろう。
「ところで、今の話は協会側も知っているのか?」
「知ってると思うよ。デアトリス家の事はともかく、カトちゃんが既に死んでる事については公開情報だから」
「……なるほど、俺のところに送られてくる訳だ」
「それも穿った見かただと思うけどね、カトちゃんは自分で志願したって言ってたしさ」
サイノメも言いながら、半分はカタナを疎ましいと思っている人達の嫌がらせだろうと思っていたが、一応依頼主が暴走しないためのフォローを入れておく。
「ところで、お前はどう思う? あの女はカトリ・デアトリスなのかどうか」
「う~ん、一応は周辺情報から、デアトリス家の人間は金髪金眼が多かったという事で身体情報の一致が見られることと、彼女の持っている剣が第一世代の魔法剣『エーデルワイス』なのが、本人であるかもしれないと見れるところね」
「エーデルワイス?」
「そう、純正のミスリライトで作られた名工エーデルワイスの作品で、白く輝く刀身の美しさと、五十年前の大戦を戦い抜いたほどの実用性を併せ持った、一部で世界最高峰の剣と言われているらしいよ」
「……お前、変なことに詳しいな」
「いやその言葉、情報屋にとって侮辱だから。武芸祭の時の観客にその道のマニアがいたんだよ」
「それはいいとして、そのエーデルワイスとカトリ・デアトリスに何か関係があるのか?」
「腑に落ちないけど、いいわもう……魔法剣エーデルワイスはデアトリス家の家宝だったの。ただそれだけ」
サイノメは半ば投げやりに締めくくったが。なるほど、そうなると見方も難しくなる。
関わりのあるものが一つなら偶然で済ませるが、二つ重なれば必然にも思えてしまう。
「あたしとしては、カトちゃんが本物でも偽物でも、どちらでも構わないけどね」
「どうしてだ?」
「だってどちらにしても、丸裸になるまで調べるんだからさ」
そんな事をサイノメは楽しそうに言う。やりがいのある仕事を見つけた事を喜んでいるようだ。
「充分に調べてほとんど何も出なかったんだろ。このままずっと何も解らないかもしれないぞ?」
「それならそれで、最高に嬉しいよ。あたしが自分の実力を極限まで発揮して、解らない事があるんだって信じられるから」
「……理解できないな、徒労に終わるくらいなら何もしない方が楽でいいだろ」
「結果が出ない過程を、徒労と吐き捨てるか、それとも新たな糧にするかは本人次第だよ。あたしは何もしないより、何かをしてる方が楽しいと思うからそうするだけ」
そう言ったサイノメの表情は輝いているようで。カタナには少し眩しく見える。
「シャチョーはどうなの? カトちゃんが本物か、偽物か。はっきりさせたい?」
その質問にカタナは逡巡なく答える。
「……正直どうでもよくなってきた。まあとりあえず面倒だからカトリ・デアトリス本人として接していくがな。お前が調べるなら俺が何かする必要もないし」
「うん、シャチョーはそれで良いよ。というかそれが良いよ。シャチョーが本気で動けばあたしの出る幕なんてなくなっちゃうからさ」
「んなわけあるか。俺にお前の代わりなんて無理に決まってるだろ」
「ん、まあそういうことにしておくか。っと、そういうことでカトちゃんについては今のところ以上。新たに何か解れば随時報告するってことでいいかな?」
「構わない」
「そう。じゃあ、ほれほれ」
サイノメは右手の指を三本立てて、左手をカタナに差し出した。
それは報酬の請求。大したことが解ってないような、解ったような微妙な情報だったが、取るものはしっかりと取るらしい。
「いつも通り、給料から勝手に引いとけ」
「うしし、毎度あり♪」
その時のサイノメの顔が本日一番のいい顔であったのは商売人としての本質なのだろうか。
「ああ、そういえばサイノメ」
「ん、なあに?」
預金残高を思ってホクホク顔だったサイノメに確認しておくことがあった。
「お前今日の昼、俺とカトリ・デアトリスの話を盗み聞きしてたろ」
「え!? 嘘、あの尾行に気づいていたの!?」
「やっぱりか」
カタナは半信半疑だったが、誰かに付けられている気がしていたのだ。
だからこそ人通りの少ない場所を選んだ。
まあ、半分以上はただの勘だが。
「周囲の雑踏の少ない場所だと気配は探りやすいからな」
「うう、流石はシャチョー。あたしの洗練されつくした尾行を捉えるなんて……」
まあ、あの時に尾行してくるものがいるとすれば、確実にサイノメだと思っていたので捨て置いていたが。
「それで、話はしっかり聞いていたか?」
「……はい。ごめんなさい」
素直に頭を下げるサイノメ。
「いや、聞いていたのならいい。説明する手間が省けるからな」
どちらにしろ、カトリとの会話はサイノメに落としておくつもりだった。
「それで、まずはどうしても解せない事があったが、どうして『魔術剣』の事が漏れていたかだ」
「うん、それについては私も同意。カトちゃんは小耳にはさんだ噂話だって言ってたけど、それは普通じゃありえないよ」
そう、だから解せない。
魔術剣は本来協会に――いや、ミルド共和国にあってはいけないものだ。
それを存在させておくことが事態がミルド共和国の元々の理念や信仰に反するから。だからこそ秘匿され、その機密レベルは最高に近い形だ。
そのため使用者であるカタナも、おいそれと許可なく持ち出す事は出来ない。
共和国や協会騎士団の関係者が漏らすとは到底思えない、デメリットしか考えられないからだ。
「あるとすればスパイが紛れ込んでいるか、しかしそんな深部の情報を掴んで民間に流すとは思えないな」
「うん、あたしもそう思う。というか民間に流れていたら、サイノメ・ラインの網に引っ掛かるはずだしね」
大陸有数の規模の、情報網を持つサイノメ・ラインならそれを豪語することも許されるだろう。
「だとすれば、後は俺の古巣か……」
「帝国だね。それだと的は絞ることはできそうだけど」
そこでサイノメはカタナの顔色を窺うような仕草を見せる。センチメンタルな何かを気にしているのだろうか。
「帝国が仕掛けているなら、それに対して遠慮はしなくていい」
「……でも愛着はあるんでしょ」
「もう捨てた……いや、捨てられたのは俺か」
そう言って自嘲気味に笑ったカタナは、サイノメの目には無理をしているように見えた。
「なんにしろ、カトリ・デアトリスの事も含めて帝国に動きはありそうだ。そっちもしっかり調べておけ」
「ういっす、了解」
あえておどけた調子を出すのは、少しだけ遠くを見つめだしたカタナを、いつもの調子に引き戻したかったからか。
「ねえ、シャチョー。もうちょいここに居てもいい?」
本来ならサイノメの役目はこれで終わりで立ち去るべきなのだが、今日は気分が違った。
それは秘書官でも情報屋でもなく、サイノメという個人の問題で。
「……子供はとっくに寝る時間だぞ」
「年上を子供扱いすんな! むしろ年齢だけでいえばシャチョーの方が遥かに子供だ!」
背が低いことで幼く見えるサイノメは、よくカタナにそれをからかわれる。
元々コンプレックスであったが、それをズケズケと遠慮なくついてくる無礼者のおかげで、最近はあまり気にならなくなってきたが。
「好きにしたらいいだろ。この場所は俺の所有物じゃないんだ、誰が居たって文句は言わない」
カタナの顔に感情は窺えない、でもそれは隠しているだけのように感じられる。
「ふふ、じゃあ遠慮なく好きなだけ居るよ。明日は秘書官の仕事は休みだしね」
そうと決まれば、とサイノメは立ち上がる。
長い夜にはピッタリの良い飲み物がこの世にはあるのだ。
「コーヒー淹れてくるけど、ミルクと砂糖はいる?」
「……どっちもいらん。ミルクは俺の分も自分のほうに入れていいぞ」
それも優しさではなく、暗にサイノメの低身長を皮肉っている。
「だ・か・ら、少しはデリカシーを持てっていつもいっているだろ!!」
そう言って肩を怒らせながらコーヒーを淹れに行くサイノメから、カタナは視線を夜空の星々に向けた。
「今日は星を数えずに済みそうだ」
夜は長い。眠らない者にとっては時間が止まったかと錯覚するほどに。
でも、誰かと過ごす時間はそれを忘れていられるから不思議だ。
カタナは心の内だけで感謝を述べ、思考のなかでサイノメをからかうネタを模索し始めていた。