二章第十五話 戦いのない前哨戦
「旦那様がお呼びです、聖騎士殿」
フルールトーク家で軟禁状態であったカタナを連れ出したのは、執事長のバークレー。
フランソワが攫われてから一週間が経ち、予定としては節目を迎えた日。カタナは何が起ころうとも出立する気でおり、その準備もサイノメに進ませていた。
そんな折のツヴェイク・フルールトークによる呼び出しは、あるいは必然か。
大人しくバークレーの言う通りに付いて歩き、通されたのがツヴェイクの執務室。
(ここも、無意味に広いな……)
机と本棚が置いてある以外は余剰スペース。その余っている部分だけでカタナが寝泊まりしていた客室分くらいはある。
そんなに広くて運動でもするのかとカタナが呆れていると、座り心地の良さそうな椅子に寄りかかっていたツヴェイクが立ち上がった。
「わざわざ呼び出してすまないな、聖騎士殿」
「前置きは要らん」
まずは社交辞令を述べようとしたツヴェイクに向け、カタナがそう言い捨てると、紳士然とした態度にあっさり亀裂が生じた。
「フン、平民は余裕が無くて困るな。野蛮な騎士には私達の社会通念が理解できないと見える」
「そういう皮肉も要らん。さっさと本題に入れ」
更に言い捨てると、ツヴェイクは歯軋りが聞こえそうな程噛み締め、何かまだまだ言いたそうな目を向けていたが。カタナが相手にしていない事をその目で悟ると、諦めてバークレーに向けて手を伸ばした。
「あれを出せ」
「はっ」
バークレーが何かを取り出しツヴェイクに手渡す。そしてそれをカタナに見えるように掲げた。
それは一見何の変哲もない紙面。というより、唯の白紙と言うべき何も書かれていない一枚の紙。
「……これは」
しかし、カタナの目には文字が浮かび上がったのが見えた。
その技術は知っている。以前にフランソワにも届いたという事を聞いていたから、カタナはすぐにピンときた。
『隠呪文字』
魔術により、特定の者にしか文字を読めなくする技術。
そこに書かれていた内容から、おそらくそれがカタナにしか読めないようになっている事が予想できた。
「やはり、聖騎士殿には何か書いてあるのが見えるのだな?」
「……ああ」
少しだけ誤魔化すべきか考えたが、カタナはツヴェイクに正直に言う事にした。
カタナの個人的な感情はどうあれ、フランソワに関わる事は父であるツヴェイクに隠さずにおくべきだと考えたからだ。
「それには連れ去られたフランソワの居所と、その場所に俺一人で来るようにという旨が書いてある。他に書いてあるのは、それを破った場合の罰則事項は死だという事くらいだ」
書いてあるのはただそれだけ。以外にも場所は、国境付近ではあるが共和国内であった。
王国内にしなかったのは国境の検閲や、カタナが場所を知らないかもしれないという問題を相手側が憂慮したのか。
「ふむ、隠呪文字と言ったか。バークレーから聞かされた時は寝耳に水だったが、本当だったとはな」
以前にカタナがフランソワに隠呪文字について話した際に、その場にバークレーも居た。ツヴェイクが知っていたのはそれでらしい。
「これはどこにあったんだ?」
「侍女の一人が持っていたよ。何でも、今日聖騎士殿に見せなければならない物だと言って見張りと揉めたらしい。本人はその理由は解らないと言って不思議に思っていたようだが」
本人の意思とは無関係に不可解な行動を取る。それは侍従長がカトリに毒を盛ったり、屋根から飛び降りた事に関連がある事かもしれない。
「それよりも、フランソワの居所だ。書いてあるのだろう? 早く教えたまえ」
当然というように、ツヴェイクはカタナにそう促す。
「知ってどうする気だ?」
「これはフルールトークの問題だ。ならばフルールトークが対処するのが当然、そしてそれが何よりも確実だろう?」
案の定、雲行きが怪しくなってきたのを感じながら、カタナは食い下がる。
「何を以って確実と言うんだ。相手が指定するのは俺一人、フランソワが人質になっているのに下手な事をして危険にさらす気か?」
「だからといって、フランソワが攫われるのをまんまと許した聖騎士殿が一人で行ってどうするのかね? 確実に助け出す自信があるのか?」
「……」
ツヴェイクの指摘はもっともではある。一度失敗している以上、何を言っても信用は得られないだろう。
だがそれはツヴェイクにも同じことが言える。
「フルールトークの警備も、侵入者に簡単に倒されて役に立たなかっただろ」
「それについては遺憾だが。単純に準備が足りなかっただけだ。フルールトークの財力をもってすれば、たとえ魔人が相手でも戦争を行うだけの兵力を集められる」
誇張混じりだろうが、それだけの自信はあるように、鼻息荒くツヴェイクは言う。カタナからすれば、それは戦いを知らない机上のものに他ならないが。
しかし、そこまではまだ良かったとも言える。次に信じられない言葉をカタナが聞くまで、ツヴェイクのそれはあくまでフランソワの身を案じての事だと思っていたから。
「そして、今はフルールトークの前代未聞の危機だ。なにせフランソワは事業の全てを知っているから、他家にそれが漏れるかもしれないとなると、どんな損害が出るか計算するのも恐ろしい」
「……何?」
「聖騎士殿には解らないだろうが、非情な手段を選ばなければいけない事態なのだよ」
そう言って、ツヴェイクが机に置いてあった呼び鈴を鳴らすと、武装したフルールトークの私兵達が執務室に押し寄せる。
そして私兵達はカタナを取り囲むと、得物の切っ先を八方から向けてきた。
「……何のつもりだ?」
それでもカタナは落ち着き払い、円陣の外のツヴェイクに向かって訪ねる。
「見て分からないか? 聖騎士殿は脳まで筋肉で出来ているようだな。これに書かれているフランソワの居所、早く言わなければこちらもそれなりの対応を取らせてもらうという事だ。私も暇では無いのでな」
ぺらぺらと隠呪文字の書かれた紙を揺らしながら、苛立った様子のツヴェイク。
カタナは周囲を軽く見回しながら、冗談なら許しても良いと内心で決めた。
「……そういえば、前に聞いた問いに答えてもらってなかったな」
思い出したかのように呟いたカタナに向け、周囲の緊張が走る。ツヴェイクは不思議そうな顔で様子を窺っていた。
「何か言ったか?」
「いや、いい機会だから改めて聞いておこうと思ってな。あんたにとってフルールトークの危機とやらと、フラウの身の安全、どちらが大事なんだ?」
カタナの問いに、ツヴェイクは鼻を鳴らす。
「何かと思えば、決まっているだろう。共和国を支えるフルールトーク家と唯の一人の子供、比べるまでも無い」
「……それは、親としての意見も含めてか?」
「フン、親だ子だと言っているのが青いのだ。貴族として生まれたからには相応の責任を負って当然。フランソワ一人によって多くの者に被害が及ぶのなら、切り捨てるのもやぶさかでは無い事だ」
キッパリと言い切ったツヴェイクの言い分は、全くと言っていいほどカタナには理解できない事だった。
娘の才能によってその地位を高めた者が言う台詞がそれ。責任などと言葉に出しているが、それを負わせたのは誰で、その誰かはいざという時に言うような責任を果たして取るのだろうか。
「……たとえ嘘でもフラウを選ぶと言えば――いや、言えるだけの情があるならそもそもこんな事にはならないか」
結局解ったのは、ツヴェイク・フルールトークとは根本的に相容れないのだという事。
そしてそれが解ったのならもう遠慮はいらない。
「何をぶつぶつと言っている。気が済んだのなら、早く教えたまえ」
ツヴェイクの言葉に合わせ、私兵の一人が威嚇するように一歩分剣をカタナに突き出した。
カタナはそれを掴み、その行動に驚いた周囲を更に唖然とさせる行動に出た。
バキン
「う、嘘だろ!? 魔法剣だぞ」
素手で剣を握り砕かれ、得物を失ったフルールトークの私兵は、目を見開いてカタナから後ずさる。
「随分粗末な物を使ってるな、フルールトークの力が聞いて呆れる。うちの変態が作る物の方がいくらかマシだな」
その言葉により、一番最初に我に返ったのはツヴェイク。余程フルールトークという言葉に思い入れがあるのだろうか。
「ぐ、もういい!! 全員かかれ!! だがフランソワの居所を聞くまでは絶対に殺すな!!」
その号令により、唖然としていたフルールトークの私兵達も我に返り、その任を思い出したように武器を持つ手に力を込める。
だがこの程度で驚いている時点で、既に勝負は決していると言っても良かった。
「……まあ、これが一番解りやすい方法か」
カタナかフルールトークか、どちらがフランソワの未来を決定付けるのに相応しいか。
それを戦いとも呼べないような、一方的なもので決めるのは公平とは言い難いが。あるいは正義とは、そういうもので決定されるのかもしれない。
何はともあれ前哨戦とは名ばかりの、人が唯の暴力に屈するというだけの時間が流れ、そして終わる。
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無意味に広いというカタナの感想は既に一変し、フルールトーク家当主のツヴェイクの執務室は随分と狭く感じるようになっていた。
剣の破片や槍の折れた柄等が床に散らばり、更に人が折り重なるように倒れ、窓の外にも何人か放り出されている始末。
次々と押し寄せたフルールトークの私兵通算五十人程を撃退し。その惨状の中で唯一立っているカタナは、息も切らさず、衣服のほつれすらも許さずに無傷のままであった。
「ば、化物め!!」
そう言ったのはツヴェイク・フルールトーク。無傷なのだが、腰が抜けているらしく立ち上がる事が出来ないでいるらしい。
「化物か……久々に言われたな、それ」
意外と誰かにそういう風に言われる事は少ないなと、カタナは思ったが。それは単純に自分の周囲に、変人と強者しかいないからだったと思い出した。
「一応協会騎士団の名誉の為に言っておくと、あんたの私兵は誰一人死んではいない。ちゃんと丁寧に病院送り程度に痛めつけただけだ」
カタナがその強い力を御する為に、騎士団長にひたすら仕込まれた手加減。戦いにもならない相手になら、非常に有用な不殺の業である。
こういう時にはそれがとても役に立つ。
「フランソワの元へは俺が行く。異論は無いか?」
「……ぐ」
ここまでの差を見せつけられ、異論を挟めるほどツヴェイクは愚かでは無いらしいが。悔しげに首を縦に振らないでいるのは、無いに等しい体裁を守っている気でいるのか。
もはやカタナとしてはツヴェイク・フルールトークのその姿は、滑稽を通り越して哀れであった。
本当はこのまま立ち去り、もう顔も合わせたくないが、その前に言うべき事が残っている。
カタナはあえて片膝をついて、腰が抜けて座り込んでいるツヴェイクの目線に合わせる。
「なな、なんだ」
「フラウは連れ戻す。どうあっても、何としてでも、俺が巻き込んでしまった事の責任は絶対に取って見せる」
「ぁ……」
決意を口にするカタナの迫力にむしろ恐怖したのか、ツヴェイクは震えながらコクコクと頷く。
「だが、帰ってくる所がフラウの望まない場所ならば……望まない場所に誰かがするのならば、俺は……」
そう言ってカタナはツヴェイクの頭に手を乗せた。それだけで流れてくるツヴェイクの滝のような冷や汗はカタナの手を濡らす。
「……いや、今はいいか」
心なしか随分と老けように見えたツヴェイクに、少しやりすぎだったかと思い。言いかけた言葉はその時まで取っておく事にした。