二章第十四話 情報屋の助け
フランソワが何者かにより連れ去られた事は、次の日には当主をはじめとしたフルールトーク家の者に知れる事となり、ちょっとした騒ぎとなった。
しかしフランソワ誘拐の事実は箝口され、フルールトーク家は独自に調査し対処する事を決める。
恐らく他家に弱みを見せたく無かった事がその理由だろう。近年飛躍を続けるフルールトーク家は敵も多く、常にその動向は周囲の注目となっている。その為、当主は賊の侵入を許した今回の事を大きな恥として、独自に捜索するだけの財力がある事もあり公表はしなかった。
当事者であったカタナへの対応は当主のその方針に沿ったものであり、聴取を取った後は客室から外出を禁じ見張りを置くなど、いわば監禁状態になった。
それでもフランソワの警護という名目でいたにも拘らず、それを全う出来なかったカタナに対しての叱責は無く、あくまで客人として扱れたのは当主に負い目があったからなのだろう。
当主自身、兆候を聞きながらも無視した事の結果であると認めているのかもしれない。
そしてフランソワが連れ去られてから五日後、フルールトーク家の客室で朝を迎えたカタナは、ドアの外の気配に気を配いながら現在唯一の頼りである情報屋の報告を受けていた。
「残念だけど、今回も良い報告はほとんど無いよシャチョー」
いつものように空間を超越して(本人曰く企業秘密)現れたサイノメは、前置きにそう告げる。
「……そうか」
期待していなかった訳ではないが、サイノメの腕は信用している分、どんな報告でもカタナは受け止めるしかない。
嘆息しながらも、カタナはサイノメに促した。
「フランソワ・フルールトークを連れ去った者達の足取りは、ほとんど掴めなかったよ。いくら調べ始めたのが数日遅れだったとはいえ、こんなに痕跡も残さず逃げおおせられると、あたしの情報網をもっても捉えるのはキツイね……」
いつもの本心を隠すような笑顔で無く、不機嫌そうな仏頂面でサイノメは言う。
「フルールトーク家も財力にものをいわせて腕の良い探偵や情報屋を動かしてるみたいだけど、今のところは収穫無しみたいだよ。こうなると、もう相手からのアクションを待つ方が早いかもしれないね」
「……そうか、お前がそう言うなら本当に無理なんだな」
サイノメが匙を投げるような事を言うのはそうそう無い。それだけに説得力がある。
「まあ、時間を掛ければ調べられない事も無いだろうけど、一週間っていう期限を考えると難しいかな実際」
一週間というのは、フランソワを連れ去ったソレイユが言い残した事。
一週間後に手紙か何かで知らせるからここで待っているように、そういう申し出を一方的に交わされている。
(奴らの狙いが俺である事は間違いない。フランソワを人質にしているのも目的を容易に達成する為の取引材料の筈)
ならば、その間のフランソワの安全は保障されている。人質とは命があってこそ価値があるのだから。
それが希望的観測だとしても、今のカタナには他にすがるものが無い。
あの場で決断できずに、完膚なきまでに敗北を喫してしまったカタナには、勝者の気まぐれを願うしか道は無いのだから。
「あ、でもカトちゃんについては良い報告かな、盛られた毒は無事に抜けて後遺症も特にないみたい。今はシャチョーと同じように、フルールトークの監視付きで別の客室に居るよ」
「……そうか」
そういえば一度も顔を合わせていなかった事を思いだし、カタナは自分自身が随分と余裕が無かったのだと自覚した。
そしてそれを知っても、出来れば今はカトリ・デアトリスと顔を合わせたくないとも思う、そんな自分自身の狭量さに辟易した。
「ついでに侍従長のロザリー・ローゼンバーグについて。カトちゃんに毒を盛った事の真意については、フランソワ・フルールトークを連れ去った侵入者に操られて行った事という話だけど。それを証明する手立ては無いから……まあ、フルールトーク家は表沙汰にしたくないみたいだから、どうなるかはカトちゃん次第ってところかな」
「カトリはなんて言ってるんだ?」
「シャチョーの意見も踏まえて考えるってさ。侍従長は部屋で塞込んでいるらしいし、検討する材料が今は少ないから、全て終わってから答えを出す事にするみたい」
「全て終わってからか……」
何を以って終わりとなるのか。それすらも今は考えられない。
「……なあサイノメ」
「何?」
「俺はどうすればよかったんだろうな……」
沈むベッドに横たわり、虚ろに天井を見上げながらカタナは零した。
「どうすればフラウを守れたんだ? どうすればカトリを、侍従長も巻き込まずにできた? なんで俺は無傷なのに他の奴が傷ついてんだ……」
「……」
情けない、それは誰よりも自分自身が解りきっている事なのに、その答えを誰かに問わずにはいられない。
そんな弱音をサイノメに向かって吐いてしまったのは、何を期待しての事だったのか。
「……」
サイノメは何も言わず近づき、枕元に腰かける。背中越しで表情は窺えないが、おそらく呆れているのだろう。小さな肩は溜息を吐いたように一度だけ下がったのが見えた。
「どうしようもなかったよ」
そしてサイノメの口から出たのは、辛辣とも言える一言。突き放すようにその語調には感情が見えなかった。
「シャチョーがフルールトークのお嬢を守れなかったのはどうしようもない事さ。元々シャチョーは、誰かを守ったりするのに向いてないんだから。自分でも解ってるでしょ? シャチョーは守る側じゃなく、壊す側なんだって事を」
「……」
誰よりもカタナ自身が知っている事実。
どんなに騎士のように振る舞おうとしても、本質はその真逆であるのだ。如何に心得を理解しても、取り繕っても、結局はできそこないの模倣にも劣る。
それでも自分を偽る事を選んだのは、フランソワの期待を裏切れなかったからか。
「今回のシャチョーを凡人足らしめているのは、結局はそれさ。フランソワ・フルールトークという重荷を背負ってしまった事。彼女に好かれた事で僅かでも情が移ってしまっている事、失敗の理由はただそれだけだよ」
そう、そんな事は解りきっている事だった。
フランソワさえ居なければ、カタナが敗北を味わう事は無かった。実際にあの戦いの場でも、正面からでは負ける要素は何一つ無かった。むしろフランソワさえ居なければ戦う理由すらなかったくらいだ。
「いつも通り、協会騎士団の檻の中で昼寝してればよかったんだよ。誰にも構わず誰にも構われずにいれば、シャチョーが迷うような面倒な問題は起こらないんだから。いや、今からでも遅くないからそうすればどう? フランソワ・フルールトークを見捨ててさ、全部終わった事にして帰るって選択もあるんだよ?」
まるで悪魔の囁きのように、サイノメの無感情に落ち着いた声はカタナの耳に残った。
「守れなかったのならその時点で切り捨てればいい。いや、切り捨てるくらいなら最初から守らなければいいんだ。シャチョーだって完全じゃない事は、失敗作だと定義された時から解りきっている事だろう? 割り切ればいいんだ、他人は他人で自分は自分、関係ないと。そうしてればシャチョーの問題が誰かに飛び火する事も無い」
酷い言い分のようだが、カタナはそれを完全に否定できない。
それは今までに何度も見てきた事であり、実際に自分自身で選んだ事もある道でもあるのだから。
(他人から逃げ、自分からも逃げ、そして大切な物を投げ出して不要な物とする……か)
何も持たない身軽さは気が楽だろう。
誰の目も気にしない奔放さは自由そのものだろう。
それでも。
(……それでも、俺は)
『おにーさま』
浮かんだのはあまりに単純な言葉、あるいはそう単純なものでもないかもしれないが、自分で笑ってしまう程には単純だとカタナは思った。
そしてその単純さと、誰かの口を借りなければ己を完全に自覚できない不器用さは、きっと一生付き合っていかなければならないのだろう。
気付けば、背を向けていた筈のサイノメは振り向いてニヤニヤしていた。
「どうやら、いつものシャチョーに戻ったようだね。あるいは一皮むけたのかな? まあ少なくともさっきまでの腑抜けじゃなさそうだね」
「……」
カタナはにやけ顔で好き勝手言ってくれたサイノメに、御礼として手刀を叩き込む。
「痛あああああああああい!! 酷くない!? あえて悪者として、普通は思ってても言えない事を無理して言ってあげたのにこの仕打ち!!」
「嘘を言うな、お前は何だって思った事は口に出すだろ」
「う……まあ、ねえ」
額を涙目で押さえながら、サイノメは言葉を濁す。やはり結構本音も混ざっていたらしい。
「……だが感謝はする、おかげでやるべき事は見えた。もう無様に落ち込んだり愚痴を言ったりはしない」
寝そべりながらも、カタナの天井を見上げる目には力が滲んでいる。それを見て、サイノメは笑みを深めた。
「それならいいんだ、そうじゃないとあたしのやる気も出ないからさ。それで、具体的にはどうするつもり?」
愚問だが、あえて答えるのも悪くない。
「壊して奪う、ただそれだけだ。俺の得意分野だからな」
もう無理して守るだのなんだのを言う必要は無い。守る者は奪われたのだから。
そして奪われたのなら奪い返す、騎士と言うよりも蛮族の発想だがカタナのようなはみ出し者にはそれが一番似合っている。
「あはは、それがうまくいくようにフォローするのがあたしの仕事かな?」
サイノメは立ち上がると、伸びをして最後にカタナに確認する。
「兎にも角にも、まずはフランソワ・フルールトークの居場所かな? とりあえずあたしは情報を洗い直してみるよ」
「ああ、俺は明後日まではここで待つ事にする。奴らからアクションが無ければ、その時は俺も動く」
「やる気だねえ。シャチョーなら、王国に単身で乗り込むくらいはやりそうだから困るよ」
手がかりが何もなければ、それも選択肢の一つではある。それこそ最終手段に近いが。
「ところでサイノメ、俺が狙われる理由については何か掴めたか?」
王国にカタナに用がある者が居るという事が、あの夜の断片的な会話から伺いしれた事だが。サイノメに聞いても解らないとの答えだったので、それも合わせて調査を依頼していた。
「それも未だに不明だね。シャチョーの身体は特殊だから、魔法の研究者とかそういう分野の人達は欲しがるかもしれないけど。魔元生命体や魔元心臓の事は知られていなかったんでしょ?」
「ああ、俺と戦った相手はむしろ驚いていた」
生死を問わずという理由から、カタナもその推論を立てていたのだが、それが引っ掛かって結論が出ないでいる。
「うーん。いずれはそれも知っておきたいけど、今は後回しでいいよね?」
「そうだな」
まずはそう、フランソワを取り戻し、自らを『吸血鬼』と称したあの者達と決着をつけてからだ。
(『黒死病』により、魔人の力を得た人間。それが『吸血鬼』か……)
カタナの頭の記録に残っていたその情報、間違いがなければ五十年前の大戦から生き続けていた事になる。
(境遇がどうあろうと、敵である事にかわり無い)
敵として相対するならば、迷わない事だけは確かであった。