二章第十三話 決着の行方
「簡単なものね。所詮は人間、魔術の前では手も足も出ないかしら?」
発現した『魔術陣・縛呪』に捕らえられ身動きを封じられたカタナに、勝ち誇るように近づくのは赤髪赤目の美女。
顔のつくりはリュヌと似ているが、背丈はカタナと同じくらいある長身。
その女はカタナの目の前まで来ると、瞳を覗き込むように顔を近づけた。
「姉さんの剣を破ったのは褒めてあげる。でも、目の前の事に精一杯で伏兵に気付かないなんてまだまだね」
「……誰だ、あんた」
「私はエトワール……」
ゴッ!!
エトワールと、そう名乗った女は言葉と同時にカタナを殴りつける。
「名前くらいは名乗ってあげるけど、今後私の許可なく口を開くことを禁じる」
自身が完全に上の立場であると理解させるように、エトワールは身動きできないカタナを更に数発殴りつけた。
リュヌはその様子を、少し離れた場所から傍観している。エトワールの介入により、戦場となっていたフルールトーク家の屋根上は、一転して一方的な様相を呈していた。
「場合によってはこの場で殺す、それを理解した態度を取る事ね。機嫌取りでもしてみたらどう? 私、貴方みたいな男の人は結構好みなの」
「……あんたは俺の好みじゃないな」
「私もそういう強がりは好きじゃないわ、でも……」
エトワールは一度言葉を切り、少しだけ嬉しそうにカタナを殴りつける。
「……そういう強がりを言う男を屈服させるのは、大好きなの」
まるで容赦なく、無抵抗のカタナを殴り続ける。
その一撃一撃の威力がかなり重い。素手であるのに、まるで鈍器で殴られているような衝撃がカタナの身体を揺らし続ける。
「エトワール、ほどほどになさい」
「解ってるわ姉さん。でも、連れて行くにしてもある程度は弱らせておかないと……ね!!」
そう言いつつも、エトワールのほどほどとは程遠い痛烈な拳打がカタナの頬にクリーンヒットした。
(……痛えな、くそ。好き勝手殴りやがって)
およそ人間のものとは思えない力で、カタナを一頻り殴り続けたエトワール。
見た所は女の細腕なのに、何処にそんな力が隠されているのか疑問であった。
「中々タフね……」
それでも呻き声一つ上げずに黙って殴られ続けるカタナよりも、先に根を上げたのはエトワールの方だった。
彼女は突き出した拳を引っ込めるが、しかし何か火がついたように浮かべた笑みは深くなっている。
「姉さん、貸してくれない?」
エトワールの視線はリュヌの持つレイピアを指していた。何に使うのかは言わずもがな。
「……殺しては駄目よ」
心配そうに見るリュヌの言葉に返事をせずに、エトワールはレイピアを受け取りカタナへと向ける。
「指、皮、目、どこからが良い?」
その目は明らかに悦楽に耽っている。
「……心臓」
「心臓? 駄目よ、まだ殺さない。貴方が死ぬのは私に身も心も屈服してからよ」
何がそうさせるのか、他人の嗜好としても理解しがたいが、とりあえずエトワールの一段上から見下ろすような笑みは気に食わない。
様子見で大人しくしていたが、そろそろその笑みを眺めているのも我慢の限界であった。
「『魔元心臓』、起動」
だからカタナとしては、その瞬間のエトワールの表情の変化は痛快であった。
「嘘!? どうして……何なのこの力は!?」
圧倒的な魔力の奔流、その干渉によってエトワールの組んだ魔術陣は瓦解する。
消えて行った魔光の上に、更に溢れ出すのはカタナの魔力。
魔元心臓によって生み出される黒き力であった。
「……首」
突然の事に動きを止めていたエトワールの首を、カタナの右手が掴みあげる。
「――う、ぐ」
「エトワール!?」
「動くな」
助けに動こうとしたリュヌの足を止めさせたのは、カタナが発した言葉ではなく殺気。
空気を凍てつかせるような本物の殺気に、リュヌは動けなくなった。そして気付く、今の今まで戦っていた相手がその中でわざと隙を見せていた事を。
それが簡単に解るほど、今のカタナには一分の隙も無い。
「……貴方、エトワールが潜んでいるって最初から気付いていたの?」
「ああ、狙いが本当に俺なのか見極める為に泳がせてみたが。その通りだったようだな」
カタナがその手に力を込めていくと、エトワールの口から苦悶の声が零れる。
「うあ、ああ……」
「エトワール!? 待って!! 妹を殺さないで!!」
リュヌは慌てて制止の叫びを上げる。肉親を思う感情は本物なのか、緊張した面持ちでカタナの様子を窺っている。
「……都合のいい話だ、優位に立っている時は好き勝手甚振り。劣勢になると命乞い、それで納得するとでも?」
相手は魔術を駆使し人を超えた力を持つ人外、そんな相手に遠慮はしない。する必要は無い。
「それに、俺が許しても……この世界はお前達を受け入れない」
だから殺す、そう言ったカタナは何処までも非情であった。
だが、次の瞬間カタナの手が掴んでいたエトワールの首の感覚が消える。
「――!?」
一瞬カタナは自身の目が信じられなくなった。
カタナに首を掴まれ、苦悶の表情を浮かべていたエトワールの首から上が、霧のように消え失せ。そしてまたその霧が集まり、エトワールの頭を形作る。
信じ難い光景だが、カタナの目に映った事実である。
エトワールは窮地を脱し、リュヌの隣まで下がった。その顔からひび割れが走り、血が流れているのは、今見せた力の影響なのか。
怒りに燃え血走る眼は、カタナのせいで間違いない事は言いきれるが。
「やってくれたな『凶星』!! アンタはここで殺す!! 私の糧になる価値も無いわ!!」
エトワールから魔光が上り、魔術が発現する。
『雷迅』
稲妻が屋根板を打ち砕きながら、カタナに向かって伸びていく。
しかし魔元心臓の魔力は、その程度の術式は一瞬で掻き消してしまう。
まるで捻じ曲がった理を逆に捻じ曲げて正すかのように、カタナはその有り余る力を唯一生かせる方法を取る。
「何で……何なのよ、アンタのその力は!! 魔術が通用しないなんて、聞いてない!! どういう事なのよ!!」
エトワールはヒステリーを起こしたように、感情を丸出しにして叫ぶ。
(……やはり俺の事は詳しく知られていなかったか)
魔元生命体である事、魔元心臓の事、少なくともこの二つは情報として洩れていなかったらしい。
フランソワとの付き合いは協会騎士団の聖騎士としてであるから、リュヌ達の知るカタナの中には、帝国特務の魔剣は含まれていなかったのだろう。
「……退きましょう、エトワール」
そして未知を前に、冷静に対処できるリュヌは、カタナにとって一番の難敵であるのかもしれない。
「何でよ!! こんな奴にしてやられたままで退けないわ!!」
おそらく姉よりもプライドが高いのだろう、エトワールはリュヌとは真逆の姿勢でカタナを見据える。
「冷静になりなさい。私達の望みは何? ここで死ぬ事じゃないでしょう? 今の彼はさっきまでとは違う、そう言い切れる程危険な気配がしてるわ」
「だから何? 力を失った姉さんが言っても説得力は無いわよ。怖いなら一人で帰ればいいわ、私は絶対にアイツをここで殺す」
撤退の構えを見せるリュヌと、抗戦を主張するエトワール。その意見の食い違いが、カタナにとっては明らかなつけ入る隙になった。
「……馬鹿が」
カタナが走り寄る、それだけで二人を分断できる。
リュヌは後方に退く形、エトワールはカタナに向かってくる形で、一瞬の判断はその時の各々の心情に忠実であった。
しまった、と表情を険しくしたリュヌの目の前で、カタナに掴みあげられたエトワールが宙を舞っていた。
「ちっ……妙な術を」
しかし頭から屋根上に叩きつける寸前。エトワールはまたしても、体の一部を霧のように変化させ、カタナから逃れた。
「一度ならず二度までも!! 凶星えええええええええええ!!」
エトワールの身体に走る亀裂は増え、更に怒りを高めた様に荒々しい叫びをカタナにぶつける。
「エトワール!! 落ち着きなさい!!」
怒りによって緩慢になっている動き、いくら速くともそれではカタナに通用しないとリュヌは理解していたのだろう。
(……まず一人)
カタナも魔元心臓という秘密を晒した以上、両者とも逃す気は無く。そのままいけばエトワールがその手にかかるところであった。
「はいはい、皆さん止まって止まって~。こんな夜更けに騒いでたら近所迷惑だよ、きゃはははは」
しかし、場違いな明るい声がその場の空気を止めた。
リュヌとエトワールと同じ赤い髪、赤い瞳を持つ少し童顔の美女の笑みは、まるでその殺伐とした場を嘲笑しているよう。
だがカタナが動きを止めたのは、視界に入ったある少女の姿。
「フラウ!?」
眠っている様子のフランソワ・フルールトークが、その現れた新たな美女の手に抱えられていた。
「そうそう、貴方の大事なフランソワ・フルールトークちゃん。この子の命が惜しければそのまま動かないでね」
当然のように人質となったフランソワにナイフを突きつけ、新たに現れた童顔の美女はリュヌとエトワールに視線を向けた。
「苦戦してるね、姉さま達」
「……ソレイユ、その子は」
「きゃはは、ちょっと攫ってきちゃった。姉さまは必要ないって言ってたけど、やっぱりそんな事は無かったね」
人質を取るという行為に悪びれる事も無く、無邪気に見える笑みを浮かべながら、悪意に満ちた言葉のソレイユ。
あっさりと乱された調和。
(……どうする)
そうなる可能性は考えられた。
そうならない為に、カトリを置き、侍従長に邸内の警備を増やすように頼んでいた。
カタナ自身も邸内に少しでも異常が見られれば、すぐに駆けつけるつもりであった。
しかしそんな腹積もりとは裏腹に、フランソワは敵の手に落ちた。
(……情けない)
人質を取るという相手の行いは卑怯だが、それ以上に間抜けなのは自分自身。予想していた事であっても、酷く動揺し決断を遅らせている。
それが何よりも情けない。
「さてさて、凶星さん。貴方が大人しくしてればフランソワちゃんに危害を加えるつもりはありませんよー。そして私達の要求を呑んでくれるなら、すぐに解放します」
お決まりの台詞で脅すソレイユの明るい口調に、緊張感は欠片も窺えない。だからこそ、もしもの時はあっさりと最悪の事態になる危うさもある。
「……要求は何だ?」
「そうねえ、とりあえずそれを決めちゃうから待っててよ」
カタナにそう言って、ソレイユは二人の姉に視線を向けた。
「どうする? 生かすか殺すか、どちらでも目的達成だけどー、私としては難しい方を選んであの偉そうなおっさんの鼻を明かしたいわ。姉さま達の意見はどう?」
カタナをどうするか決める相談を、そうしてリュヌとエトワールに問いかける。
「……私は無用な殺しは好まないわ」
まずリュヌがそう言うと、エトワールが猛反発した。
「ふざけないで!! コイツはここで殺す。姉さんやソレイユが何と言おうと、私に恥をかかせた事は絶対に許さないわ!!」
魔光を上らせて言うエトワール、今にも魔術を発現させてカタナに挑みかかる気配がある。
「エトワール姉さま、見苦しいわよ。忘れたの? 私達の間の約束を……」
エトワールに向かって、一転して冷たい眼差しを向けるソレイユ。
「私達三人は一緒の道を行く。その為に、意見が割れた時は多数決に従う、そうずっと昔に決めたよね?」
「……そう、だけど」
エトワールはソレイユのその眼差しに怯んだように、怒りの感情を揺るがせる。
「解っているなら幻滅させるような事を言わないで。もうすでにこの場は、私とリュヌ姉さまの意見が合致してる。だからエトワール姉さまにはそれに従ってもらうわよ」
「……解った」
納得したのかどうか、とりあえず表向きエトワールは怒りを鎮め、カタナに挑みかかる気配も消えた。
「うん、それでこそエトワール姉さま。折角三人だけの姉妹なんだから仲良くして行こうねー、きゃはは」
それに伴って、ソレイユも一転してまた明るい笑みを浮かべる。リュヌだけはその二人のやり取りに溜息を吐いていた。
「お待たせ、凶星さん」
カタナに向かってソレイユはそう呼び掛ける。『凶星』と呼ばれる事に何か意味があるのか知らないが、カタナはその呼び名がこの場で自分を指している事だけは理解していた。
「私達の方針としては、貴方に王国に来て貰うと言うのが決まったわ」
その辺りは、一応リュヌから聞いていた申し出と差異は無いらしい。
話の中から察するに、彼女たちの目的にカタナの生死は問わないが、あえて分けるなら生かしておく方がより良いらしい。
単純に報酬に関わる問題か、あるいは別の何かがあるのかは、少ない情報だけで理解する事は難しかったが。
「……良いだろう」
フランソワが人質となっている以上、カタナは従う以外に選べる道は無い。
人質というのは命があってこそ成り立つもの、いつでも隙があれば助け出せる。そういう意図もある決断であった。
「なら、そうねえ。一週間後に手紙か何かで改めて知らせるから、それまで凶星さんはこのフルールトーク家で大人しくしててよ」
「何?」
だがソレイユのその申し出は、カタナの意図したものをまたしても狂わせる。
「私って結構男嫌いなのよー。臭いし汚いし、存在自体がいやらしいし。そんなのと道中一緒だなんて考えたくも無いのよねえ、きゃはは」
「ソレイユ、それは……」
それに対しては何か思う所があったのか、リュヌは異を唱えようとしたらしいが。エトワールがそれを阻む。
「私はそれについてはソレイユに賛成。何しでかすか解らない奴と一緒にはいられないし、それに殺したくなるの我慢できそうもなくなるから」
それで、彼女達の意思は統一されたらしく、リュヌは仕方なさそうに頷くだけだった。
「待て!!」
「待たないわよ凶星さん。残念ながらもう決定した事なのよー、きゃはは。それじゃあさようならー」
それではフランソワが一週間も捕らえられる事となる。
巻き込んでしまった事と、そして守れなかった事の罪責感と共に、それだけは阻止しなければいけないとカタナは思った。
だがそれすらも嘲笑うように、ソレイユは思い出したかのように残した言葉でカタナを翻弄する。
「そう言えば、侍従長のロザリー・ローゼンバーグさんってお知り合いだよねえ」
「だからどう……何?」
カタナ達が立っている場所とは逆側の、中庭を挟んだフルールトーク本邸の屋根上。そこには、おぼつかない足取りでそこに上ったロザリーの姿があった。
「実は彼女は私の術中にあるのよー。凶星さんに気付かれずに色々動けたのは彼女おかげ。きゃはは、でも安心して、彼女本人には何も罪はなく私に操られていただけだからさー」
楽しげな無邪気にも聞こえるその言葉の中に、明らかな邪悪さ。
「さて、そんな可哀想なロザリーさんは、この後飛び降り自殺をしてしまいます。聖騎士だという貴方は、こんな時どういう行動を取るべきなのでしょうねーきゃはは」
言い残し、去って行くその後ろを追いかける事はまだ可能だ。
あるいはロゼリーを見捨て、去って行く三人を追えばフランソワを助け出す事が出来たかもしれない。
しかし、見てしまった。
(――くそ!!)
いつも明け透けな態度でいた侍従長の、見せた事の無い無表情から流れた涙の軌跡。
それを見てしまったカタナは、一瞬の躊躇を挟み、踏みしめた足の向きを変えた。
同時に、ロザリーはおぼつかない足で屋根の端に立ち。その身を空中に投げ出した。
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「……ごめんカタナっち。本当にごめん」
泣きじゃくるロザリーを抱きかかえ、フルールトーク家の中庭に力なく座ったカタナ。
返す言葉が見つからず、また消え去った気配の行方を追う気力も、何も湧いてはこない。
一つだけ解る確かな事は、一人の命を救った事の達成感などでは無く、心に影を落とした大きな挫折。
(本当に……情けない)
失敗によって知る、自身の無力さ。心のどこかで、自身の実力というものを勘違いしていた傲慢さ。
そういうものが抜け落ちて、空虚になった心を埋めるには成功を取り返すしかない。
だが今のカタナには、そんな未来は何一つとして見えず。伏せた瞼の裏側の闇だけが、心を蝕み広がっていった。