二章第十一話 屋根上の決闘
無駄に広いフルールトーク家の本邸、その東棟の屋根にカタナは腰を下ろす。
深夜を回り闇に包まれた敷地内を見渡すと、警備の者の灯すランプの光がいくつか視界に入ってきた。
流石はフルールトークと言うべきか、この時間でも見回る者が居るというのは、常日頃から外敵に対する意識は高い事を示している。邸内も使用人達が交代でそうしているようだ。
だが、足りない。カタナから見れば、その警備は万全とは言い難く穴は多い。現に、屋根の上に勝手に居座っているのにもかかわらず、誰一人気付く様子が無い。
(特にこの東棟付近は警備が薄いな。なるほど、ここを指定したのはその為か……)
パーティーでカタナに接触してきた、リュヌと名乗る美女。その真意は定かではないが、少なくともフルールトークの警備の状況については熟知しているようだ。
その事が皮肉にも、狙いはフランソワではなくカタナというリュヌの言葉に信憑性を与えていた。
(フラウを狙うなら、この隙をいくらでもつける。特に今日はパーティー会場の警備に人員を裂いたせいなのか、普段より若干本邸の警備が薄い。大きな催しが終わった事で気の緩みもあるんだろう)
少しばかり外部に情報が洩れ過ぎな気もするが、それについては事が終わった後でサイノメに洗わせる。
カタナが今できる事は、考える事では無く待つ事だけ。
(……俺が狙いならば、鬼が出ても蛇が出ても受けて立ってやる)
いつもは逃げも隠れもするが、今だけはカタナにそんな気は毛頭ない。
誓いを交わした者に、危険が及ばない為に固めた決意を。似合わないと自分自身で笑いながら、その時を待っていた。
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カトリ・デアトリスは居心地の悪さを感じながら、フランソワ・フルールトークの訝しげな視線に耐えていた。
場所はフルールトーク家本邸の使用人部屋。カタナの指示でいつもの寝室とは別の、窓の無いその部屋に押し込まれた事は、カトリもフランソワも不満に思ってはいない。
むしろフランソワを護衛するという理由から、それが当然であるとしっかり認識している。
だがパーティーの後から、少しだけカタナの様子がおかしいという事も、カトリとフランソワが感じていた事だった。
何がどうと、言葉で言い表せるようなものでは無く。元々感情を表にあまり出さないカタナであるからこそ、生じた微々たる違和感に二人は気付いた。
そしてカトリがフランソワから向けられる追及するような視線は、その違和感が何からくるものか解らない為だった。
「本当に、何も知らないのですわね?」
「はい、私もカタナさんからは何も……受けた指示はフランソワ様から離れない事、緊急時以外はこの部屋を出ない事だけです」
それだけ指示して、カタナは「屋敷の周りを見回ってくる」とだけ言っていなくなった。その行動も、警備上の観点から特には不審に思う事では無い。
だが、可能な限りは近くで守ろうとするのがカタナのやり方であり、それが一番フランソワにとって安心を与えるものでもある。
昨日も寝室に入る事は流石に無かったが、一晩中ドアの前にカタナは居た。それが今日はどんな心境の変化かカトリに任せて別行動、特にフランソワはそれを気にしている様子であった。
「……では、なにかあるとすれば、あの女性ですわね」
「あの女性?」
「パーティーでおにーさまの隣にいた、赤髪で胸の大きなあの女ですわ」
フランソワがそう言うと、カトリもすぐに思い至った。パーティーの最中カタナと接触する者は何人か居たが、何か会話しているように見えたのはその人物だけ。そしてあの女性が印象に残っているのは、見た目のインパクトだけでは無い。
「……あの女と話している時、おにーさまは一瞬だけ、わたくしの知らないおにーさまに見えました。うまく言えませんけれど……」
「……」
おそらくそれは、あの時カタナが発した身も凍るような殺気のせいだろう。カトリはそれに気付いていたが、まさかフランソワが気付いているとは思っていなかった。
神童と呼ばれる少女の観察眼は、会場に居た誰もが気付かなかった変化を、しっかりと見抜いていたようだ。
「わたくしはおにーさまを信じていますわ、けれども……いえ、貴方に言うべきではありませんわね」
フランソワはそう言って毛布を被り、視線を外した。
言わなかった言葉の中にどんな葛藤があったのか、それを聞けなかったカトリには解らない。
しかし確実に解る事がある。
(不安なのですね……きっと、どうしようもなく)
時間も深夜を回っている。まだ幼く、パーティーの後で疲れている筈のフランソワは、とっくに睡眠を欲している時間だ。
それが寝付けずにいるというのは、相当なものだろう。
「……大丈夫です。フランソワ様がカタナさんを信じているなら、きっとそれに応えてくれます。あの人はそういう人です」
特に気を遣ったつもりも無い。ただフランソワを安心させることが出来るのは、カタナしかいないという事を、カトリは知っている。
だから代りを任された自分が伝える、それだけだ。
「カトリさんに言われなくても……それくらい存じておりますわ」
だから強がるように言ったフランソワの言葉を聞けただけでも、今は充分であった。
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(……来た)
フルールトーク家の敷地内に揺らいでいたランプの明かりが、その数を減らした。
カタナの夜目は、その中を向かってくる影を捉え。その影も、闇の中をまるで自分の領分のように俊敏な動きで向かってくる。
途中で遭遇する警備を無視するわけでも無く、影は打ち倒し警笛を鳴らす暇も与えない。その動きは人間離れしたもので、おそらくカタナでなければ目で追う事も難しかっただろう。
影は本邸までたどり着くと、近くの木の枝に飛び乗り、そのまま屋根の上まで一飛びで乗り移った。その跳躍も、人間業には思えない。
だが、カタナの目の前に現れたその影の正体は、鮮血のような赤い髪をなびかせ、闇夜でもそれと解る赤い瞳を光らせた美女。
ドレスでは無く、黒いマントで身を包み、赤いルージュの口元だけで微笑するのは、パーティーでカタナに接触してきたリュヌに間違いなかった。
「……あんた一人か?」
「誰か他に居るように見えるかしら?」
「いや……ただの確認だ」
カタナはブルーウーツの短剣を引き抜き、立ち上がった。屋根の上とはいえ、足場は広い、戦いの場には充分な程だ。
「せっかちね……こういう時、普通は一言二言会話があるものではないかしら?」
リュヌは首を振りながら、やれやれといった様子を見せる。カタナはそれに目を細めて、鼻を鳴らした。
「質問は受け付けないと言ったのはあんただ」
「確かにそうね、でも……」
リュヌはマントの中から赤い刀身のレイピアを覗かせた。その薄い輝きは紛れも無く霊鉱石によって作られた魔法剣。
「私の目的は、貴方を王国まで連れて行く事。依頼人からは生死を問わずと言われているけど、殺しは本意じゃないわ」
「依頼人?」
「……とにかく、戦わずに済むならそうしたいわ。どうかしら、今からでも考え直さない?」
依頼人については話す気は無いらしい。様子から察するに口を滑らせただけのようだ。
「答えは変わらない」
「……そう」
リュヌは半身になり、レイピアの剣先をカタナに向けた。
「気が変わったらいつでも言って頂戴、殺してしまう前なら止めるから」
そして屋根の上を音も無く走り出し、リュヌはカタナをレイピアの間合いに捉える。
「殺す、ね……」
カタナはその中を臆することなく踏込み、短剣を持った腕を突き出す。
剣戟の音を響かせることも無く両者は一合斬り結び、流れだした血が戦いの火蓋を切る合図となった。