第四話 カタナとカトリ・デアトリスの本音
駐屯所を出たカタナはカトリ・デアトリスを連れてゼニス市の貧民街を訪れていた。
貧民街は市民税の払えない貧しい者たちがゼニス市の郊外に作った集落で、本来はゼニス市とは呼べないが、市内外で立派に一部として認識されてしまっている。
理由はその労働力が街の維持に貢献していること、人は富を得れば堕落するが貧しければそれを脱するため懸命になる。その懸命さはいまだ発展途上のゼニス市で必要とされるものだった。そのため駐屯部隊や自警団の巡回ルートにも組み込まれていて治安も悪くない。
カタナがこの場所を選んだのは、やたら目立つ金髪と、白を基調とした騎士団の制服を着たカトリ・デアトリスを連れて、人通りの多い場所に行きたくなかったからだ。
もっとも灰色の髪色と、春の陽光の中黒い外套を身に纏うカタナもよっぽど目立つ風体だったが。
貧民街は南部端の駐屯所からそれなりに近く、昼の内は女子供も働きに出ている家が多いため人気がない。二人がゆっくり話をするのに適した場所だった。
「ここでいいな」
貧民街の更に人通りの少ない裏路地に入り、カタナは置いてあった用途不明の樽に腰掛けながら言った。
「ええ、結構です」
対してカトリは、立ったまま四歩分ほどの間隔をあけて答えた。
座れそうな樽はまだそこらに散らばっているのに座ろうとしないのも、会話するのには少し遠い距離もカタナへの警戒が見て取れる。
(こんなところまで付いてきて今更だと思うがな)
ちなみにここに至るまで二人の間に会話は一切なかった。
すれ違う他人には、一定の距離を保ちながら黙々と歩いている、相反する格好の二人には奇異の視線を送っていたが。流石に出刃亀根性を見せる勇者は存在しなかった。
「とりあえず。聞きたいことは三つ」
前置きなしにカタナはそう切り出した。元々面倒なのが嫌いな性質なので、会話の流れの作り方も簡潔になってしまうのだ。
「え?」
しかし返ってきた返答はさも以外といったものだった。
「何だ? 質問に答えるのは嫌か?」
「いえ、そうではなく……まさか『二人っきりで話がしたい』とは、本当にただ話がしたかっただけですか?」
「他にどういう意味がある?」
「いえ、てっきりコチラの事だと思いまして……」
「……ああ、なるほど」
カトリの疑問にカタナは心底理解不能だったが、彼女が指差すものをみて得心がいった。そして呆れた。
カトリが指差したものは腰に帯びた長剣。見たところ騎士団で支給されるものではなく、武芸祭でも使用していた自前のものだろう。
武人同士は時として剣で語り合う事もある。カタナは前に師がそう言っていた事を思い出してしまった。ちなみにその時カタナは生まれて初めて爆笑という体験をした。その後、静かな怒りの笑みを浮かべた師に訓練という名の拷問を受けさせられたが。
「お前……馬鹿だろ」
「なっ!? いきなりなんです!?」
「話がしたいを、=剣で語り合いたい、に変換する奴を世間一般ではそう言う」
世間一般の認識とか知らないが。少なくともそうであると信じたい。いや、そうじゃない世の中とか終わってるだろうと思う。
「し、しかし。先程の隊長の様子を見るにそうだろうと……」
確かに少し苛立ってはいた。
「俺はそんなに好戦的に見えるのか?」
自分では無力系とか怠惰系だと思っているカタナは、生まれて初めて他人の目というものを気にした。
「いえ、見た目ではそれほど……しかし武芸祭の時の印象が強かったものですから」
「ああ、あの時か。あの時はかなり苛立っていたからな」
できるだけ日陰で生きることを望むカタナが大観衆の前に晒され。いつもは威張り腐っているくせに、いざという時に不甲斐ない馬鹿な連中の後始末を任されたのだから。
だがその苛立ちを騎士団にぶつける訳にもいかず、結果としてそれは八つ当たり気味にカトリに向かってしまった。
「言っておくが、俺は戦いが嫌いだ。何よりも面倒だからな」
それがカタナの本音のところだ。勝っても負けても軋轢を生む、それが嫌にならない訳がない。
「聖騎士に認められるほど強いのにですか?」
「俺は強くなんかねえよ。一人じゃ当たり前のことすらできない、弱い人種だ。最弱と言ってもいいくらいのな。聖騎士の称号だって眉唾ものだしな」
「私には強者の詭弁にしか聞こえませんが?」
気に障ったのか、わずかに憮然とした態度でカトリは言った。
「やけに強さに拘るが、そんなに重要なことか?」
「ええ、私にとっては何よりも重要です」
キッパリと答えるカトリの目に迷いはなく、そこには確固たる意志がある。
「……理解できないな」
対するカタナの目は言葉以上に温度が低かった。
しかしそれも次にカトリが発した言葉により驚愕に変わる。
「……そうでしょうね、私を無手で圧倒し。いざとなれば『魔術剣』だって手にできる貴方には、強さなんてどうでもいい事なのでしょう」
「! 『魔術剣』だと……!? 誰に聞いた!?」
カタナにとってそれは聞き捨てならない言葉であり、同時にその時は聞き流すべき言葉であった。
なぜならカトリ・デアトリスには確信がなく、カマかけのようなものであったから。
「その反応、余程の物のようですね」
「………………」
(あー、やっちまったか?)
少し考えれば秘匿されている魔剣の情報がまるまる洩れているはずなどない。
しかし、協会騎士団でもほんの一部しか知る者がいない、その存在や所在が知られていただけで問題なのだから、カタナの反応は正当とも言えた。
「知ったのは、たまたま小耳にはさんだ噂話からです。魔術剣と呼ばれる超常の武器と、その使い手が協会騎士団にいるらしいと。噂話らしく抽象的なものだったのでどれほどのものか測りかねてましたが。私の想像以上かもしれませんね」
「……そんな噂話から、どうやって俺と魔術剣を結びつけた?」
黙秘しておくべきかとも思ったが、それ以上にそんな曖昧な噂で真実に限りなく近づいたカトリにカタナは興味を覚えてしまい、隠す事を忘れてそう聞いていた。
「たまたま、ですかね? 本来ならそんな噂話を信じて行動してみようなんて誰も思わない。それでも私は信じるしかなかった、たまたまその結果が当たっただけ。そんな感じです」
カトリはあっさりとそう答えた。
「馬鹿な、そんな思い付きのような行動で……」
「言われてみれば確かに馬鹿なことかもしれませんね。武芸祭に出たことも、こうして貴方の元に訪れたことも。無駄足に終わる可能性もあった、しかし行動しなければ何も解らなかったことは確かだったのです」
だからといって普通は行動には移さないだろ、とカタナは思う。
(そもそも普通の人間が武芸祭で優勝するなんて無理か。しかし馬鹿に実力を持たせるとこういう結果になるのか)
「武芸祭で優勝して騎士になったのは魔剣の事を探るためか?」
「そうです。大陸最強といわれる協会騎士団の実力を見ておきたいという意味もありましたが、本筋の目的としては協会騎士団の内部から魔術剣について調べるためでした」
「俺にあたりを付けたのは……」
「騎士団に数人しかいない聖騎士の称号を担うもの。魔術剣というものが本当に存在しているのなら、使い手はその内の誰かであると考えるのは、単純ながらあながち間違いではないと思ったからです」
おそらくはカタナを選んだのは、他に接触できる聖騎士がいなかったからだろう。カタナ以外の聖騎士は重職に就いていたり、国外で忙しなく活動する者ばかりだから。武芸祭で顔を合わせてしまったのがとても大きい。
そう思えばそんな消去法的理論で言質を取られたカタナは、かなりの失態を犯したことになる。
「……まったく、やはり慣れないことはするべきじゃない」
「それで、魔術剣の存在は解りましたが。所在についてはどうなのですか? やはり隊長が所有しているのですか?」
「……言うとでも?」
今更だがそこはきっちり秘匿しておかなくてはならない。
「でしょうね」
カトリは苦笑いをして肩を竦めるが、諦めた様子もなさそうだ。
「魔術剣について探ってどうする? 手に入れる気でいるのか?」
「可能ならば」
「それはお前が強さに拘ることに関係しているのか?」
カタナにはカトリの行動理念が、なんとなくだが解ってきた。
「……ええ、その通りです」
そう、きっと強くなるというただ一点のみ考えて、そのための行動を選んでいる。
「言っておく。魔術剣はお前が考えているよりも便利な代物じゃない。手に入れたところで扱えないし、強くなれるわけじゃない」
「扱えない? どういう事でしょう?」
やはりカトリは魔術剣が実際にどういうモノなのかまでは知らない様子で、疑問を呈した。カタナはそのことに軽い安堵を覚える。
「言葉のままだ。詳しくは言えんし、もし知ったら殺さなくてはいけなくなるかもしれない」
「肝に銘じておきましょう。しかし実際に見てみるまでは諦めるつもりはありません」
カタナの物騒な物言いにカトリは動じた様子もない。
「それならそれでいい。一応警告はしたからな」
面倒は増えるが、言って聞くような相手じゃないともよく解ってきた。
詳しく理由を聞く必要もないだろうと思い、カタナは話を打ち切ることにした。元々知りたかったカトリの目的は最低限知ることができたし、それはカタナの周囲には影響を及ぼさないということが解った。
カトリにとってカタナは何らかの目的を果たすための通過点なのだろう。それは魔術剣を手に入れるという目的も同義だと思う。
おそらく駐屯所で感じたカトリ・デアトリスの黒い感情はその先の何らかの目標に向いている。こうして二人っきりになっても敵意や害意というものは感じなかったから、それも無視していい事柄だと判断した。
「じゃあ駐屯所に戻るぞ、あんまりサボっていると怒るやつもいるしな」
「え? 私もですか?」
「お前……初日からボイコットする気とは、俺への挑戦か?」
自分はサボってばかりだが、他人にはそれを許さないというカタナの理不尽な物言いだった。
「そうではなく。私を近くに置いておくことに、何も思わないのですか?」
カトリ自身、協会騎士団の秘密を狙っているという事に自覚があるからか、それを何とも思っていないという様相のカタナには疑問を感じたようだ。
「別に追い出したところで諦めないのなら、その必要も無いだろ。それに部下が増えるのに越したことはないしな。でも出ていきたいなら好きにしろ、去る者は追わない主義だ」
「いえ、許されるのならいいのです。元々の目的は魔術剣でしたが、武芸祭以来の私の当面の目標は隊長に勝つことでもありますから」
「なんだそれ? そんなことが望みなら今ここで決着をつけてやってもいいぞ」
「……嫌です。隊長、手を抜く気でしょう?」
面倒は早いうちに減らすに限ると思ったが、そう簡単には許されなかった。
うんざりしたような様子のカタナとは対照的に、カトリは笑っていたが、その笑みに不自然さはない。
「なんとなく隊長の考えている事が解った気がします」
「……俺にはお前の事はさっぱり解らないがな」
樽から腰を上げたカタナはぼやくように呟いた。
そうして駐屯所に戻るために歩き出した二人の距離は、来た時よりもわずかに縮まっていたが本人達は気づいていなかった。
その後、駐屯所で地獄のデスクワークが待っていたのは言うまでもないが。