二章第七話(裏) 水面下の思惑
大陸のほぼ半分を国土とするバティスト王国。女王の統治の下、豊かな土地と多くの民を抱えるその国は、以前から閉鎖的であった。
それはかつて、大陸全域を支配していた古代王国の血を純粋に受け継ぐとして、特に宮廷が他の国や民族に優越感を持っているが故の事。
かつて長くガンドリス帝国と争っていた事は、王国が持つ強い選民意識が背景にあった。
だが、魔人との大戦には帝国と同盟を結ぶなど、歩み寄る兆しもあり。現実、終戦から三十年程は国交も保たれていたが、それは前代の王までの話。
第一王女であったユヨベール・ケニス・バティストが女王として即位して以降は、大戦以前に戻ったかのように他国との国交を拒み、むしろ大戦以前よりも鎖国の意志は強固なものになったようである。
まるで何かを隠すような王国と女王の意向。その中心である王室では、未だ水面下で動き出している者達が居た。
「のう、ラスブートよ」
「如何致しましたか、女王陛下」
女王のユヨベール・ケニス・バティストの呼びかけに、恭しく頭を下げたのは、数年前から宰相として優れた手腕を発揮しているラスブートという男。
政策のほぼ全てを女王の代わりに執っている、誰もが認める女王の右腕であり頭脳である。
「そちが以前に言っていた、あの件はもう片付いたのかのう?」
「いえ、まだで御座います。しかし、現在は策を施しております故。今しばらくお待ちいただければ、良い結果が出るかと存じます」
そのラスブートの返答に、ユヨベール女王は不満を募らせているのか、つまらなそうな顔をしている。
「妾は待ちくたびれたぞ。そちに任せていれば間違いないのじゃろうが、早く小うるさい者共を黙らせたいのじゃ。愚か者の相手をするのも楽ではないでな」
「……心中お察しいたします」
内心でほくそ笑むラスブートに、ユヨベール女王はその愚か者の中にカウントされていると気づかぬまま、嘆息する。
「帝国の獅子と共和国の狸め……あ奴らさえ居なければ、妾の思い通りにいくものを。まっこと目障りな奴らよ」
大口をたたく割に、自分では何もできないユヨベール女王を、ラスブートは心底軽蔑している。
だが、ラスブートには女王に取り入らなければいけない理由がある、だからこそ世辞や諂いは惜しまない。
「女王陛下の憂いはこのラスブート、力不足を申し訳なく存じます。本来ならこの大陸は王国の所有物であり、人民の全ては陛下の名の元に統一されておらねばならない。帝国や共和国の者どもは、陛下の御威光の前に跪いてしかるべき。それは我々臣民全てが存じ上げている事でございますのに……」
心にもない言葉を、自分自身で反吐が出そうになるラスブートだが、その甲斐あってユヨベール女王は機嫌を直す。
「ほほほほ、そうじゃな。じゃが安心せい、妾は寛容であるからな。今しばらくはそちに任せて待っている事としよう」
むしろ待つ事しかできないユヨベール女王なのだが、娯楽にのみ耽っている毎日が忙しいと感じている彼女に、ラスブートは何も言う言葉は無い。
(……女狐め、今の内だけの玉座を堪能していろ)
ユヨベール女王をさす『女狐』とは、『虎の威を借る狐』からきており。王室の本質を知る者が使う隠語である。
(もうすぐ我々の時代が訪れる。巫女の予言を必ず勝ち取って見せる……)
水面下で動くのは、王国の為では無い。かつて倒れた同胞達の為、そして今現在を共にする同胞たちの為である。
(最後に笑うのは、黒の民……貴様らに魔人と恐れられた我々だ。その為に必要な事ならいくらでもしよう)
ラスブートは内心を押し隠しながら恭しく頭を下げ、本日も忙しい執務よりも苦難な、女王の機嫌を取る事に従事する。
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ミルド共和国の某所、とあるレストランにて、美しい女性が三人同じ卓を囲んでいた。
全員に赤い髪、赤い瞳という特徴があり、顔の面影も似ている事から姉妹だと思われるが、見るものが見ればそれ以外の別な事に、気が付くことがあったかもしれない。
闇に紛れ、闇に生きる者の雰囲気。あるいは人ならざる者の気配に。
「ねえ、エトワール姉さん。あのラスブートとかいう偉い人の、狙い通りになったみたいね」
三人の中でも一番幼く見える美女の言葉を皮切りに、会話が始まった。
「そうね、フルールトークのお嬢様を脅かせば『凶星』が出張ってくる。結構ギリギリになったけどその通りになったわね」
三人の中でも、一番背の高い美女が応え、妖しい笑みを作る。たまたまそれを見たレストランのウエイターが、あまりの美しさに赤面して目を逸らした。
「あら……あのウエイターいい男じゃない? 中々美味しそう」
「えー、どうせならあっちのウエイトレスの方がいいよ、可愛いもん。ねえ、リュヌ姉さまはどう思う?」
そう三人の中で一番幼く見える美女が話を振ったのは、会話に参加していなかった、三人の中で一番落ち着いた雰囲気を持つ美女。
「私は興味ないわね。そういう話はエトワールとソレイユだけでして頂戴」
リュヌと呼ばれたその美女は、あくまで会話に交わる気の無い姿勢を見せる。
「あー、つれない返事。駄目だよ我慢のし過ぎは、エトワール姉さまもそう思うよね?」
「ええ、私達の力の源ですもの。リュヌ姉さんには早くそれを取り戻してほしいわ」
一番背の高いエトワールと呼ばれた美女がそう言っても、三人の中では長女になるらしいリュヌは顔を背けるだけだった。
「……まあいいわ、姉さんがそうなのは今に始まった事じゃないし。さあ、ソレイユ、私達は行くわよ」
「行くって? ああ、そうか。戦いの前の腹ごしらえってやつね」
一番幼く見えるソレイユと呼ばれた美女は、納得したように手を叩き席を立つ。そしてエトワールもそれに続く。
「腹ごしらえはやめなさい。取って食べる訳では無いのだから」
「はーい」
二人が向かうのは、それぞれが目を付けたウエイターとウエイトレスがいる方向。それが何を意味するのか全て知っているリュヌは、ソレイユとエトワールの背を悲痛な面持ちで見送った。
その翌朝、同じ職場で働く二人の男女の変死体が発見され、町ではある奇怪な噂が流れる事になった。
それは王国の古い伝承にある『吸血鬼』が、現代に蘇ったという噂だった。