二章第七話 フルールトークの本邸
フルールトーク家の本邸、それは一般庶民が見れば、卒倒してしまいそうな程豪奢な造りである。
邸宅という枠に収まらない、その派手な見た目と広大な敷地面積は、言うなれば宮殿。おそらく共和国でこれ以上の物を構えている貴族は、他に存在しないだろう。
それを目の前にしたカタナの感想は、只々呆れるというばかりであった。
(……ただ人が住むだけの場所を、こんなにでかくする意味があるのか?)
貴族の見栄だとかいうものを理解できない身からすれば、土地と金を無駄にしているようにしか見えない。
フルールトークの本邸には何度か訪れているが、その度に同じ事を思うカタナだった。
「カタナさん、どうかしましたか?」
初見の筈なのに、全く動じた様子の無いカトリ・デアトリスは、流石は元貴族という事なのだろう。
「なんでもない」
それだけ答えて、カタナは屋敷に入っていくフランソワとバークレーの後に続いた。
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「嫌ですわ!!」
それは屋敷に入って早々の出来事。フルールトークの筆頭執事であるバークレーに、フランソワが真っ向から逆らった場面だった。
「し、しかしお嬢様。これは致し方ない事、どうか御考え直し下さい」
窘めるように言うバークレーは、かなり困っている様子で、視線でカタナに助けを求める程だった。
「折角おにーさまがいらっしゃるのに、離れ離れになるなんてわたくし耐えられません!!」
カタナにしがみ付きながら首を振るフランソワ。まるで今生の別れを惜しむような勢いだが、決してそんな大したものでは無い。
「そのような事を申されては困ります。御召し物をお替えするのに、聖騎士殿も同伴させるなど……このバークレー、執事として承伏出来かねます」
そう、こればかりはバークレーが正しいとカタナも思う。いくら幼いとはいえ、フランソワの着替えする場にカタナが居るのは、どう考えても色々とまずい。
「それでもわたくしは、おにーさまと少しでも一緒に居たいのです。馬車の中では寝入ってしまったから……」
フランソワが我儘を言うのも、それが原因らしい。余程カタナと一緒に居たい様だ。
(……何と言ったものか)
フランソワから向けられる想いが、純真無垢なだけに。それを問題なく跳ね除けるには、口達者な方では無いカタナにはとても難しい。
視線でカトリに助けを求めてもみるが、苦笑を返された。おそらく力になれないという意味だろう。
(ぐ、役立たずめ……仕方ない)
後々の事を考えればあまり言いたくなかった事だが、カタナは意を決した。
「……フラウ、ちょっといいか?」
しがみ付くフランソワの頭に手を乗せ、なるべく優しく聞こえるようにカタナは呼びかける。
「おにーさま?」
フランソワは目に涙を溜めながら顔を上げた。その表情は拒絶される事を強く恐れているようで、それだけにカタナも細心の注意を払わなければならない。
「一人前の淑女は恥じらいも持つべきだ。言ってる意味、解るか?」
自分でも白々しいと思いながらも、カタナは真剣な表情を崩さずにそう言った。それを聞いたフランソワは少しだけ考え、その意味に気付くと、この上ないほど表情を明るくした。
「一人前!? おにーさまはわたくしを、一人前の淑女と認めて下さっているのですね!?」
「あ、ああ」
思っていた以上の反応が返ってきて、戸惑うしかないカタナ。好意を向けられることに慣れていない分、フランソワの相手をするのはいつも至難な事である。
「……そういう事でしたら致し方ありません。わたくしもおにーさまのご期待に添えられるように、精進致しますわ」
「ああ、ん?」
傷つけずに納得させられたのは良かったが、期待というのがどういう意味なのか、それをカタナが尋ねる前にフランソワは駆けていく。
「あ、お待ちください。お嬢様!!」
バークレーはその後を急ぎ追いかけて去って行き、そこにはカタナとカトリだけが残された。
「カタナさん、いまどんな気分ですか?」
「……うるさい」
あまりいい気分では無い事は確実だ、カタナの行為は取り方によっては、フランソワを誑かしているようなものなのだから。
「貴方がそれを、フランソワ様の為に行っているのなら大丈夫です。嘘偽りだとしても、誰も咎めたりはしませんよ」
「……フォローは要らん。それより何してるんだお前は、こういう時に動かなけりゃ連れて来た意味が無いだろ」
「え? あ!!」
そう、カタナでは駄目なフランソワの着替えの場でも、同性のカトリなら一緒に行動できる。
カタナがカトリを連れて来たのは、そういう部分の死角を無くすためでもある。
言われて気付いたカトリも、大慌てでフランソワを追い掛けて行った。
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「……確か、カトリ・デアトリスさんでしたわね」
侍女達の世話を受けて着替えをしている最中の事、フランソワは鏡越しに部屋の隅に立つカトリに向かって、初めて自分から声を掛けた。
「ええ、何か御用ですか?」
カトリはなるべく笑顔に見えるように、表情を作りながら返答する。馬車の中でカタナから仲良くするように言われていたので、一応出来る限りは実践するつもりであった。
(とはいえ、かなり威圧的な目で睨まれているんですけどね……)
フランソワから良く思われていないという事を、カトリは実感させられる。あれはどう見ても敵を見る目だ。
「単刀直入にお聞きしますわ。貴女はおにーさまと、どういう御関係なのかしら?」
フランソワからのいきなり抉るような直球に、カトリは咳き込みそうになってしまう。
「え、えーと。私は従騎士で、カタナさんの直属の部下という関係ですね」
「わたくしはそういう建前を、お聞きしているのではありませんわ」
誤魔化しは通用しないというように、フランソワには追及を緩める様子は無い。むしろカタナの居ないこの機会に、はっきりさせたいと思っているようだ。
「関係という言葉で伝わらないのであれば、おにーさまの事を、異性としてどう見ているか、どう思っているか、教えて下さるかしら?」
「それは……」
口ごもるカトリに、フランソワは話にならないというように、あからさまに首を振ってみせた。
「わたくしはおにーさまの事を愛しておりますわ」
カランと、何かが転がる音。それは侍女の一人がフランソワの髪を梳いていた櫛を、驚きで落としたものだった。
当然カトリも驚いていた。フランソワのカタナへの想いは、見てすぐ解るほどだが、それでもその告白を言葉にされるのとは、また別の話。
あるいは幼いからこそ、感情をそのまま言葉に出来るのかもしれないが、今のフランソワは先程よりも大人びてカトリには見えた。
「おにーさまは、優しく、気高く、知的で、強く、そして何よりもわたくしを見てくれる。フルールトークではない、フラウを見てくれる。本来ただの他人である筈のわたくしを、気に掛けて甘えさせてくれる……たとえそれが同情からくるものであったとしても、わたくしは構わない」
思いの丈の全てをさらけ出すように、フランソワは言葉を続ける。
「おにーさまはわたくしが、生涯をかけて愛し抜きます。だから貴方のような中途半端な者が、おにーさまの隣に居るのは迷惑ですわ」
「……」
カトリは圧倒されて、言葉も出なかった。そんな言葉が、幼い少女の口から出てきたこともそうだが、それ以上にフランソワが見透かしている事にも。
(中途半端……ですか。確かにそうです)
カトリには、カタナに対してわだかまっている思いがある。
初めて出会った時に大敗し、目標と定めた事もそうだが、それ以外にカタナに拘る理由も確かにある。そう感じている。
だがそれがどんな思いなのか、想いなのかすら、カトリには答えが出せていない。今までに経験した事のないそれは、自分自身で苛立つほどの中途半端なものだった。
(カタナさんの事は嫌いでは無い。駄目なところは多く見て来たのに、嫌いにはなれない。しかし好きかと聞かれると答えに困る、まして愛しているかなど……)
焦る事では無いと思っていたが、カトリには理由が解らない焦燥感が生まれた。フランソワの告白は、それを煽るのに十分な威力だったのだろう。
「お嬢様、よろしいですか?」
しかし、カトリがこの場で答えを出す前に、扉の外からバークレーの声が掛かった。当然の事だが、筆頭執事といえどフランソワの着替えにまでは立ち会えない。
「……どうぞ」
ちょうど召し替えの終わったフランソワが招き入れると、バークレーは侍女たちと入れ違いに部屋に入ってくる。その手にはいくつかの書類が抱えられていた。
「旦那様よりいくつかの案件が……」
そう言ってバークレーはカトリを一瞥する。おそらく出て行けという意味なのだろう。だが、カトリもカタナに任されている以上、おいそれとここを動く気は無かった。
「構いません、その方はおにーさまの代理としてここに居ます。それを追い出すような真似はおにーさまに対する非礼、わたくしはそれを許しませんよ」
あくまで基準はカタナであるのが、フランソワらしい言い方であった。
「……仰せのままに」
バークレーは苦々しい顔をしながらも、書類をフランソワに渡す。
フランソワはそれらをあっという間に流し読みすると、矢継ぎ早にバークレーに指示を出した。
「……セルグラン市の税率の上昇による売り上げの低下は、無理に戻そうとはせずに、まずは過剰在庫を他に回すところから。まだ住人が慣れていないだけで、いずれは落ち着きます、それまでここの仕入れを四千、この部分を二千五百にすべきですわ……次にダイサイ地区の雇用契約見直しについては、この条件では厳しすぎますわ。これではどんなに作業を効率化しても、ノルマには届きません、せめてここを二十人に変更して下さい。それと同じくダイサイ地区の第五商店について……」
カトリはそれを聞きながら、カタナが馬車の中で言っていた事を理解した。
(これがフランソワ・フルールトークの、『神童』と呼ばれる一面!?)
カタナに対するフランソワの甘えっぷりから、あの時は想像もついていなかったが。先程の大人びた物言いと、今現在の落ち着いた物腰は、その貫禄が充分にあった。
「……以上です、残りは現地に直接赴いてから決める必要があります。スケジュールについてはいつものように頼みますわ」
「はい、旦那様にも私から確かにお伝えいたします」
そう言ってバークレーは、一礼して書類を受け取った。
あえて口頭で伝え、書面には何も記入しなかったのは、フランソワが関わっている事の証拠を残さない為だろう。おそらく当主の見栄のためだ。
(……『仲良くしてやってくれ』ですか。正直私には難しいですよ、カタナさん)
フランソワの事を知っていくにつれて、カトリは安請け合いしてしまった事を、半ば後悔した。
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カタナはフルールトーク家の本邸内を散策していた。
以前に訪れた際などにその機会はあったが、興味も意味も無かったでしていなかった。だが今はフランソワの護衛という任がある以上、この無駄にでかい邸宅の隅々までを把握しておく必要がある。
侵入経路や逃走経路など、その他諸々。一応フランソワに届いた予告状の通りだと、明日夜のフルールトーク主催のパーティーだという話だが、それまでに出来る事はやっておくつもりだった。
(……俺が動いた事で、相手側も行動を変えてくるかもしれないからな)
そう考えると、常に気を張っていなければならないので、しんどい話だが。引き受けた以上はやらねばならない。
それでも、いつものように面倒だと思わないのは、相手がフランソワであるからか。
(……あいつはもっと報われないとな)
馬鹿な大人に使われて、振り回されて終わる。そんな人生は認められない。誰かの都合で作られて、いつ死んでもいいと思っているカタナだが、それが他人の事ならば何故か許せなくなる。変な話だった。
(しかし、本当に無駄に広いな。やはり少しの時間で、見て回れるもんじゃないか……ん?)
カタナが元の場所に戻ろうかと、引き返そうとした時。通り掛かった窓の外に煙が上がった。
何事が確かめる為に窓を開くと、眼下には人影。煙もそこから上がっていた。
「……あいつは」
カタナはとりあえず三階のその窓から飛び降り、その人影のすぐ近くに降り立った。
「おい、侍従長」
「げえ!? ……って、カタナっちかよ。バークレーの奴、ちゃんと連れて来たんだな、あいつもたまにはいい仕事するわ」
そう言って、吹かしていた煙草の火を消したのは、フルールトーク家の侍従長であるロゼリー・ローゼンバーグ。侍従の鏡と言われる外面とは対照的に、中身はがさつで適当なおよそ侍従には向かないような人物。
カタナの認識では、フルールトークの関係者では数少ない、フランソワの味方でもあった。
「ていうか、いきなり空から降ってくるとか、心臓に悪い事やめてくんない? 危うく煙草飲み込みそうになったわ」
「……何してたんだ、こんなところで」
「サボってたに決まってんだろ。パーティーの会場になる別邸じゃ準備で戦場だし、あー腰痛え。侍従長なんてホントやってられんわ」
そんな事を堂々と、外部の者にのたまうのはどうなのだろう。カタナには他人の事は言えないが。
「ちょうどいい、あんたに聞きたいことがあった。フラウについてだ……」
「なになに? もしかして求婚でもされた?」
「……予告状の事は聞いてるか?」
変な茶々を入れてくる相手には、構わず話を進める。それがカタナがこれまでに学んだ処世術である。
「あっさり流すとは、やるなカタナっち……ああ、予告状ね、知ってる知ってる。あたしには読めなかったけど、フランソワ様だけに見えるってやつでしょ?」
「知っていたか、ならどうしてフラウの味方をしてやらなかった?」
カタナは責めるようにロゼリーに言った。いや、実際責めていた。
フルールトーク家で当主に意見出来るものは少ない。その内でフランソワの味方をするものは更に少ない。その貴重な存在として、ロゼリーの事は買っていただけにカタナには残念であった。
「あんね、ロゼリーさんはフランソワ様の味方だけど。立場上、当主に刃向かうなんておいそれとできないし。もしロゼリーさんがクビになったら、フランソワ様がここで独りぼっちになっちゃうでしょ……」
「……」
正論を返され、カタナは何も言えなくなるが。ロゼリーはそれだけじゃないと、言葉を続けた。
「それに、ロゼリーさんも出来る事はやってるつもりだよ。フランソワ様にカタナっちを頼れって言ったのは、何を隠そうこのロゼリーさんだしさ」
そう言って、腰の痛みはどこに行ったのか胸を張るロゼリー。
「あんたが?」
「そうさ、フランソワ様はカタナっちの事好き好きのくせして、変なところで気を遣うからね。最初は『おにーさまに、迷惑はかけられない』って、そう言ってたよ」
確かにフランソワの性格ならば、そう言うかもしれない。カタナが頼みごとをされたのも、今回が初めての事だった。
「……そうだったのか。悪かったな、嫌な言い方をして」
「いいんだよ、何もできなかったのは事実だし。侍従長なんて言っても、フランソワ様の世話をバークレーにとられてからは、接する事が出来る機会も少なくなってるし。実際、心配くらいしか出来る事がなくて困ってるよ」
そう言ってため息を吐き出すロゼリーだが、その後一転してカタナを睨みつけた。
「ていうか、カタナっちこそ、こんなとこで何してんの? そっちこそフランソワ様に付いてないとだめじゃんよ」
「フラウは着替え中だ、俺がそこに居る訳にはいかないだろ」
「はあ? 別にいいだろ、減るもんじゃないし。それとも、あんなちんちくりんを見て欲情するほど、カタナっちは変態なのか?」
侍従長だとか超越して、無茶苦茶な事を言いだすロゼリー。外面で侍従の鏡と呼ばれている事が、本当に信じられない。
「前にも言ったけど、フランソワ様の素はカタナっちに甘えてる時なんだよ? 神童だとか、当主の顔を立てていい子ちゃんしてるのも、フランソワ様の一部であるけど。それはやっぱり無理してるだけのフランソワ様であって、フラウじゃない。あの子の大元は年相応の少女で、特別な事なんて何もないんだから」
「……解っている」
「だったら、いつまでもこんな所で、こんなおばさんの相手してないで、さっさと若い娘の所に行け! じゃねえと求婚するぞ!」
そう言って、言葉と物理の両面でカタナの尻を叩くロゼリー。正直サボっていた奴にされるのは腑に落ちないが、それ以上の用も無いのでカタナは去ることにする。
「あ、待った。そういや、一度聞いてみたい事があったんだよ」
「何だ?」
呼び止めるロゼリーの声に、カタナは鬱陶しげに振り返る。
「カタナっちは、何で騎士なんてやってんの?」
「何でそんな事を聞く?」
「好きでやってるようには見えないからさ。ロゼリーさんも好きで侍女やってるわけじゃないし、だから気になった」
唯の好奇心だと言って笑うロゼリー。本当に何でこんなのが侍従長になれるのかが不思議でならない。
(騎士をやっている理由か……)
騎士になったきっかけ、聖騎士になったきっかけはある。だが、騎士をやっている理由とは少し違う気がする。
前提として、カタナは協会騎士団に属さなければならない理由はあるが、それを抜きにした場合の事は、少し考えただけでは見当たらない。
だからカタナはこう答えた。
「……ただの惰性だ」
何故かその答えが、ロゼリーを大笑いさせていた。