二章第六話 神童の溝
カタナが協会騎士団本部の正門前に行くと、そこには一目でフルールトーク家の物だと解る豪奢な馬車があった。
見せつけるような家紋もそうだが、屋形を引くのが普通の馬ではなく、一回り大きく迫力のある八脚馬を使っているのも、大富豪の威厳を表していた。
八脚馬は魔獣と大陸の馬が交わって生まれた新種であり、繁殖と調教がとても難しい。その為、それを所持する事は共和国貴族にとって、一種のステイタスになっていたりするのだが、それがフルールトークなら所持していて当たり前という気さえしてくる。
「あ! おにーさま! こちらですわ!!」
カタナの姿を認めると、フランソワは手を振って大声で呼んでくる。そんな事をしなくても十分に目立っているのが、更に際立った。
「遅れてすまんな」
約束していた時刻を少しだけ過ぎてしまっていた。それもこれもどっかの変態のせいだというのは言うまでもない。
「そのような事、気には致しませんわ。こうしておにーさまを待っている時間も、わたくしにとっては至福の一時なのですもの」
そう言いながら、カタナの腕にしがみ付くフランソワ。さっそく甘えだしているのは、言葉とは裏腹に不安に思っていたからかもしれない。
「でも今だけは、おにーさまの隣をわたくしに独り占めさせて下さい」
護衛が終わるまでで良いですから、というフランソワの言葉に、カタナは頷いた。
「今だけじゃなくてもいいぞ。どうせ、年中空いてるからな」
「まあ、それならば遠慮なく占有させて頂きますわ。ふふふ」
ただそれだけの事なのに、フランソワはやたらと幸せそうに笑っている。それを見て、カタナは少し照れたように頭を掻いた。
「お嬢様、そろそろ出発致しませんと……」
フランソワに懐かれるカタナを忌々しげに見ながら、執事のバークレーは促す。急いでいるというよりは、目の前の光景が気に食わないという様子であった。
「そうですわね……ではおにーさま、屋形にお乗りください。御付の方も……ご一緒にどうぞ」
「……では、失礼します」
フランソワは、ずっと無視をしていたカトリにも、ようやく声をかけた。カタナはその二人の間に壁のようなものがあるように感じていたが、会って間もないから慣れていないのだろう、というぐらいにしか考えていなかった。
屋形にカタナとカトリ、そしてフランソワが乗り込むと、御者台に座ったバークレーが手綱を取り、馬車を発進させる。
目的地のフルールトーク家の本邸までは、八脚馬の脚力と体力があれば半日もあれば到着するだろう。
しかしその半日の道程が、ある人物にとっては時間以上の長さを感じさせるものであった事を、カタナは気付いてはいなかった。
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(……これはきっと、どんな修練よりも厳しいものですね)
カトリ・デアトリスは目の前の光景にうんざりしながら、今までの人生で最高の忍耐力を今まさに発揮していた。
「さあ、おにーさま。お口を開いてくださいませ」
フランソワの小さな手には焼き菓子、それをカタナに食べさせようと手を伸ばしている。
「……よせ、自分で食える」
フルールトークの馬車には、軽食類や飲み物が完備されており。小腹がすいたと、カタナが食べてもいいかフランソワに尋ねた事で、その事態が引き起こっていた。
「守っていただく身ですから、この程度のご奉仕は喜んでさせて頂きます」
むしろそれはどちらにとってのご褒美になるのか。フランソワはカタナの食事の世話がしたくてしょうがない様だった。
「はい、どうぞ、おにーさま」
「いや、やめろ……恥ずかしいだろが」
カタナは拒否しようとするが、フランソワが相手だと強く出れない様子であり。中々諦めないフランソワの押しに今にも負けそうであった。
「おい、黙って見てないでお前からも何か言え」
フランソワを押さえながら、カタナはカトリに向かってそう助けを求めた。
「……食べて差し上げれば良いでは無いですか。そのお菓子も元々はフランソワ様の物なのですし」
カトリは投げやりに、カタナからの救援要請を拒んだ。もしそれが出発して間もない頃に起こった事ならば、おそらく助けに応じただろうが、今のカトリ・デアトリスにはそんな心の余裕はない。
なにせ道中ずっと、カタナとフランソワのそのような戯れを、すぐ目の前で見せつけられていたのだから。
いちゃつく二人からほとんど空気のように扱われ、カトリはかなりすさんでいた。
「お付の方もこう仰っておられます。さあおにーさま、そろそろ観念して下さいませ」
フランソワとカトリは一応自己紹介も済ませているが、あえてお付きの方という呼び方を選んでいるようだった。
フランソワがカタナに、並々ならぬ想いを寄せているであろう事は、カトリにも解る。いや、ここまでの道中で充分という程に見せつけられた。
(だからといって、ここまで私を敵視しなくても……)
フランソワとたまに目が合うと、すごく嫌な顔をされたりする。もしかしたら、恋敵とでも思われているのかもしれない。
ここまでべたべたと引っ付いて見せているのも、あるいはカトリに対する宣戦布告を意味している可能性もあった。
(もしそうなら……既に完敗ですよ)
積極的なのはフランソワだが、カタナも意外とまんざらではなさそうにカトリには見える。
それに時折カタナは、今までに見せたことのない優しい目で、フランソワを眺めている事がある。それがカトリには一番堪えがたい事だった。
(……駄目ですね、こんな幼い相手に嫉妬だなんて)
なるべくカタナとフランソワの二人が視界に入らぬように、カトリは外の景色を遠い目で眺めながらしみじみそう思った。
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「……眠ったか」
カタナの膝の上に頭を乗せたフランソワが、寝息を立てはじめた。どうやらはしゃぎ過ぎて体力を使い果たしたらしい。
何かいい夢でも見ているのか、幸せそうな顔で眠るフランソワの横顔。それをカタナが眺めていると、正面のカトリ・デアトリスが深い溜息を吐いた。
「どうした、お前も疲れたのか?」
「ええ、心労ですけど……」
どこか棘のある言い方と半眼で、カトリはそう訴えてきた。
「お前に対するフラウの態度の事を言っているのなら、悪かった。いつもはもう少し落ちついているんだがな」
「……意外ですね、貴方がそのように、誰かの為に気遣いを見せるのは。カタナさんは、子供の面倒をみるのが好きなのですか?」
「いや、面倒は大嫌いだし、子供は大抵嫌いだ。だがフラウは、嫌いにはなれないな……」
一息吐き出しながら、カタナは膝の上に乗った頭をそっと撫でる。フランソワは深い眠りについた様子で、ちょっとやそっとでは起きそうにない。
それを確認したのは、これからフランソワには聞かれたくない話をする為だった。
「フラウは、ある界隈では『神童』と呼ばれている」
「神童?」
優れた才能を発揮している子供に使う言葉だが、カトリにはピンとこないようである。それは今日のフランソワが、その片鱗も見せていなかった為だろう。
「卓越した商才と言うべきか、フラウにはそれがあるんだ。既にフルールトーク家の財閥は、ほとんどフラウの決定で動いていると言っても過言じゃない」
「――!?」
フルールトーク家を動かすという事は、共和国の流通のほとんどを動かすのとほぼ同義。それをフランソワのような、幼い年頃の少女が行っていると言われれば、誰だって驚く。
「そんな話、今まで聞いたこともありませんよ?」
「そりゃそうだろ。いくら正しい事でも、ガキの指示に従って動くのに、抵抗の無い大人なんていない。だから表向きは、全て当主が行っている事にしているんだ」
それは親が娘の手柄を奪うような、かなりプライドの無い行為であるが。だがフランソワの先の事を考えれば、才能を埋もれさせておくよりは、随分とマシな行いであるとカタナは思っている。
「フルールトークの当主はフラウの才能に頼りきっているが、逆に恐れてもいる。それがいつか自分を蹴落とすのではないかってな」
「……自分の娘なのに、ですか?」
「サイノメが言うには、自分の娘だから、らしいな。もっとも、大半は当主が小物なせいって事らしいが」
その辺りの家族というものの関係については、それを持たないカタナが完全に理解するのは難しい。だが、フランソワが自分の才能のせいで苦しんでいる事は、良く知っていた。
「だからフラウには甘えられる相手が居ないんだ。当主がそんなだから他の家族も使用人たちも距離を置いているし、何よりも財閥を動かす事に埋没する日々がそんな暇を与えていない」
だからカタナに対するあれは、フランソワなりの息抜きなのだろう。カタナに対するあの呼び方も、家族に期待するものをフランソワが欲している証拠だった。
カタナの話からカトリもそれを察したのか、憐憫を浮かべた表情でフランソワの寝顔を見る。
「言っておくが、間違ってもフラウの前でそんな顔を見せるなよ。こいつはそういう周りの目に良く気が付いて、かつそれをうまく隠すからな。誰も見てない所で一人で落ち込む可能性もある」
「わ、解りました」
そうは言っても、カトリはそんな簡単な腹芸さえもしくじりそうで困る。
「……ところで、その話を何故私に?」
「今回の件に関係がありそうだと思ったからだ。以前にフラウが暗殺されそうになったというのは知っているか?」
「はい、サイノメさんからお聞きしました」
カタナが聖騎士になるきっかけとなったその事件。他の商家の目論見で、フランソワが暗殺の対象になったのは、当主への脅しや警告の為では無い。
神童と呼ばれるフランソワの商才を、他の商家が危惧しての行動だった。
「あの時はフラウ一人が対象だった。そして今回も、やり方は違うがフラウのみを対象にしている……」
隠呪文字でフラウにしか読めないようにした予告状。それを予告する意味は無いかと思っていたが、今カタナの中にはいくつかその理由が浮かんでいる。
「あの予告状……あれはひょっとしたら、フラウとフルールトーク家との溝を更に深める為の物だったのかもしれないな」
フランソワがいくら予告状について訴えても、当主や使用人を含めて誰も耳を貸さなかった。あえて隠呪文字で他の者に見せられないようにしたのは、その状況を作りあげ、フランソワが持つ周囲への不満を大きくする事に繋がる。
「あの予告状が、読んだ通りの誘拐予告ならば。フラウを狙ったのはその商才を活用する為……そうとも考えられる」
「……なるほど、確かにフルールトークの財閥を動かすほどの才能なら、暗殺よりも懐柔を選ぶ方が良い、そう考える者はいるかもしれませんね」
如何に神童とはいえ、まだまだフランソワは幼い。そしてそれ故に孤立しているから、つけ入る隙は多い。
「目当てがフラウの才能なら、相手は商家の者の可能性が高くなる。そして予告状の日付と一致する日に行われるパーティー、当然フルールトークの来賓は商家が多いだろうからそこが山場だろうな」
「ですね」
問題は、隠呪文字が魔人の技術だという事。だが、魔人と人間が手を組む事が無いわけでは無い事を、これまでの経験でカタナは知っている。
「フラウの背負っている物は大きい……それが護衛するうえで必要だと思ったから、お前にフルールトークとの事を話した。それともう一つ……」
「もう一つ? 何でしょうか?」
「フラウと仲良くしてやってくれ。コイツは見て分かると思うが、甘え性で寂しがりなんだ。女同士なら、俺とは違った接し方もできるだろ?」
これはただのおせっかい。護衛とは何の関係も無い、カタナの余計な頼みごと。
それは真剣だったカトリの表情を破顔させた。
「…………ぷ、く、ふふ。ちょっとカタナさん、わ、笑わせないでください」
カトリは眠っているフランソワを気にしてか、顔を真っ赤にして笑いを抑えている。
「いや、笑うところじゃないだろ……」
「ですが……それではまるで本当に、妹を気にする……ふふ、お兄様みたいですよ?」
余程可笑しかったのか、まだまだカトリは笑いを堪えていた。
そしてそれがようやく治まった時、カトリはいい笑顔でこう言った。
「善処します。お兄様」
「……お前いつか殴る」
とりあえず今は膝にフランソワを乗せているので無理だが、いつか殴る。
「もういい。俺も寝る、着いたら起こせ」
「解りました。お兄様」
もはや何も言う気になれず、不貞寝を決め込むカタナ。起きた時にもその呼び方を続けていたら、必ずカトリを殴る事を心に決めながら、僅かに揺れる馬車が誘うまどろみに身を任せる。
(……兄か)
それはカタナにとって、感慨深い意味を持つ。それはフランソワ・フルールトークにも、カトリ・デアトリスにも関係の無い、カタナの記憶の中にある思い出。
それに近い存在がかつて居たという事、今はただそれだけだった。