二章第五話 魔窟の天才(変態)
カタナはカトリ・デアトリスを連れ、法士棟と呼ばれる場所に向かっていた。
そこは協会騎士団本部内の一画にある魔法の研究施設で、共和国でも指折りの魔法士や魔戦大隊に所属する騎士達が、日夜魔法の知識を磨いている。
普段のカタナには縁の遠い場所だが、フランソワ・フルールトークの護衛を引き受けるに当たり、その準備の為に法士棟に用があった。
(あまり、あいつには会いたくないんだがな……)
法士棟に居る、ある人物。カタナとしてはかなり苦手な部類の人間で、用が無ければ一生会いたくない相手。
アクの強さで言えば、先日の聖騎士達と肩を並べる程。つまりはケンリュウやランスロー達と同じくらい個性が強い。
護衛を請け負ったフランソワと出発までは別行動を取る事にしたのは、その人物と会わせたくなかったからだ。
「あの、カタナさん。何の用があってこちらに?」
一応フランソワの事はある程度の説明をカトリにはしてあったが、これから向かう場所に着いてはおざなりな説明しかしてない。
「言ったろ、変態に会うためだ」
カトリを連れて来たのは、その変態からカトリに用があると散々通知が来ていた為、良い機会だからついでに連れて行こうと思ったからだ。
「へ、変態?」
フランソワは駄目で、カトリならばいいという結論は、カタナとしては贔屓している訳でなく。単純に自分の身を自分で守れるか、という基準を元に決められている。
「そう、変態だ。もしくは天才とも言われるが、割合は二対八くらいだな」
「……カタナさんは大雑把すぎると思います。少しはサイノメさんを見習ってみてはどうでしょう」
説明がおざなりな事を非難されているのだろうが、詳しく説明すればカトリは絶対に付いて来ないだろう事を、カタナは断言できる。
それでも最低限の警告として、あらかじめ変態だという事を教えたのはカタナなりの配慮だった。
「じゃあサイノメに聞いたらいい。だが、あいつもきっと同じようにしか言わないぞ」
何せ、大抵は笑って済ませるサイノメも、その変態についてはかなり引いている。他に用があるとか言って居なくなったのも、おそらく会いたくないからに違いなかった。
「……そんな人に何の用があるんですか?」
「言ったろ、それでも二割は天才なんだ。以前に俺が着ていた外套はそいつが作った物なんだ」
三連魔法印・守天導地の刻まれた外套。ゼニスの一件で失った物で、おそらく共和国では他に作れる者はいないと言われている。
「ではその方は、付加魔法士という事ですか?」
「いや、本人曰く『鍛冶師』だ。名前はリリイ・エーデルワイス」
「リリイ……エーデルワイス?」
聞き覚えのある言葉に、カトリは首を傾げる。それは腰に帯びた魔法剣の銘と同じ名だったからだろう。
おそらくはその一致が、リリイ・エーデルワイスがカトリと会いたがっている要因だと思われる。
「俺はあの変態について、その名前と、天才かもしれないという事と、変態であるという事だけしか知らん。興味があるのなら本人に聞け」
実際にそれだけしか知らないカタナには、他に言い様がない。カトリは腑に落ちない顔をしているが、それ以上教えられる事は無かった。
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法士棟の『魔窟』とも呼ばれる、端の端にある研究室。
そこが、リリイ・エーデルワイス個人に与えられている隔離部屋である。法士棟に個室を持つ者はリリイ以外にはいなく、他は全て共同研究室であるのは、おそらく人数によってあぶれたからでは無い。
誰も寄り付かない為、かなり静かな場所だが、カタナも絶対昼寝の場所にはしたくないと思っていた。
「……俺だ、入るぞ」
一応乱雑にノックをしてから、カタナは扉を開ける。
「やあ、よく来たカタナ。論理的に考えて、そろそろ来る頃だと思い、お茶を淹れておいたよ。媚薬入りだけど飲むかい?」
そう言って、椅子から立ち上がってカタナを迎えたのは、童話の魔女が被っているような黒い高帽子を頭に乗せ、着ているのは白衣という面妖な格好をした女性――リリイ・エーデルワイス。
見た目の年齢で言えばカトリと同じくらいだが、古株の話では少なくとも三十を超えているとか言われているので、その辺りの事はカタナもよく知らない。
「……そのお茶はいつ淹れた物だ?」
「さあね。でも変な物体が浮き始めるくらいには、時間は経っているみたいだ。お望みなら論理的に考えて計算してみるかい?」
「いや要らん」
計算もお茶自体も要らない、という意味。
「ところでカタナ、きみの今日の下着の色は何色だい?」
「え?」
カタナでは無く、その後ろに居たカトリが疑問の声を上げた。
「お前が勝手に想像しろ」
だがカタナには、その程度の変態の挨拶はもう慣れたもので、まるで日常の流れのように答える。
「そうか……論理的に想像するなら好んでいる黒色かな。いやしかし、下着は下着で好む色が違うと聞くから、そうじゃないのかもしれない。ううむ、これは中々奥が深いぞ……」
ともすれば延々とリリイは考え続けていそうな気配であったが、カタナとカトリからの寒い視線に気が付いたのか、ふと我に返った。
「何だい? そんな目で見て……やめてくれよ、興奮するじゃないか」
何故か艶っぽい笑みを浮かべてそう言う変態。
「……何なのですか、この方は?」
呆れ顔で尋ねるカトリ、勿論その問いに対する返答は変態という言葉しかないし、みなまで言う必要のない言葉なので、カタナは答えない。
「お前と下らないやり取りをするために、来たわけじゃないんだ。慣れてない奴も居るんだから、変な事で時間を取らせるな」
「そんな事を言われても、ボクはありのままのボクを、誰にも偽らずに接しているだけだよ?」
そう、ふざけている訳でもなんでもなく、その変態さがリリイ・エーデルワイスその者の素である。それだけに余計に性質が悪い。
「……もういい、用件を言うからそれについてだけ応えろ」
相手にするだけ無駄という事は解っているので、そうするのが一番手っ取り早い。だが、それにリリイが応じるとは限らず。
「あれ? 後ろに居るのはカタナ付きの従騎士の、カトリ・デアトリスさんかな?」
カタナの言葉を無視して、リリイは興味の対象を移した。
「あ、はい、そうです。初めまして」
変態を相手にも、一応の礼は尽くすらしく。カトリは進み出て挨拶した。
「ボクはリリイ・エーデルワイス。見ての通り鍛冶師だ」
そして、どこをどう見ても鍛冶師には見えないリリイは、そう挨拶を返した。だが、その挨拶だけでこの変態が気を済ませる筈も無く。
「……うん、どれどれ」
リリイは鮮やかな動作で、カトリの胸に手を置いた。あまりに自然で予想外であったからか、カトリの反応はかなり遅かった。
「―――――――!?」
「少し小さいかな、鍛えていると論理的にそうなっちゃうよね。でも大丈夫、貧乳でもそれが好きな人はいるからさ……ちなみに、かく言うボクも貧乳派でね」
「…………斬る!!」
顔を赤らめて、腰に帯びた魔法剣を引き抜くカトリを、カタナは止めなかった。
因果応報、行動には伴った報いが返ってくる。何かと剣を抜くカトリの癖を直させたいカタナも、今回だけはそれを咎める気にはならない。
むしろ平打ちにしたカトリの配慮を、咎めたいとすら思った。
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「いてて、それがエーデルワイスか、良い剣だね。流石は名匠エーデルワイスの最高傑作だ」
白衣に付いた埃を払いながら、リリイはカトリの魔法剣をまじまじと見つめる。
「……名匠エーデルワイス?」
「知らなかったのかい? その剣を作ったのは、鍛冶師の世界じゃとても有名なエーデルワイスという人さ。ちなみにボクの師匠のそのまた師匠なんだけどね」
カトリはその事を知らなかったらしい。カタナがサイノメから聞いた話では、魔法剣はデアトリス家の家宝であったそうだが、作った人物にまで興味が無かったのだろう。
「リリイ・エーデルワイスのエーデルワイスは、師匠から受け継いだ名でね。家名では無く、職人としての流派の名前なんだ。つまりボクは、かの名匠エーデルワイスの業と志を受け継ぐ、三代目エーデルワイスって事だね」
「……」
もし本当に、エーデルワイスが名匠の名だとするなら、確実にそれを貶めている事にリリイは気付いているのだろうか。
(いや、貶めるという以前に……こんな奴に継がせた時点で推して知るべし、だな)
腕は良いが、性格が破綻しているのは駄目だろう。リリイの師匠は、他に居なかったとしてもリリイだけは選ぶべきじゃなった、とカタナは思う。
「カタナにカトリ・デアトリスさんを連れてくるように頼んであったのは、実はその魔法剣を一目見てみたかったからなんだ」
「名匠エーデルワイスの作った物だからですか?」
「それも勿論あるけど、ボクが興味を持っているのは魔法剣に使われている、今は失われた鉱石……ミスリライトについてさ」
リリイは魔法剣に触れながら、カトリの問いかけに答える。
「魔法武装の原料になる霊鉱石は希少だけど、ミスリライトは特にそう。どこで採れるのかも、どこで採れていたのかも不明で、ボクの師匠も知らなかった。論理的じゃないけどまさに幻ってやつで、ボクもこの目で拝める日が来るとは思っていなかったよ」
リリイの喜々とした表情はむしろ怖いくらいだが、それだけ嬉しいのだろう。変態的な部分が引っ込むほどに、その目が『鍛冶師』のものになっている。
「ねえ、これ分解してみてもいい?」
しかしリリイは魔法剣を指して、とんでもない事を言いだした。
「駄目です!! いきなり何を言いだすのですか!?」
慌ててカトリは、魔法剣をリリイから引き離す。リリイも拒否されるのは解っていたようで、特に気にした様子は無かった。
「まあ、そうだろうね。でもよかったよ、その剣がカトリさんのような使い手に巡り合えて。優れた武器は優れた使い手が持って、初めて輝くからね。きっと初代エーデルワイスも喜んでいるよ、それは一撃を受けたボクがしっかりと保障する」
「……そうでしょうか」
カトリが褒め言葉を素直に受け取らないのは、きっと照れている訳では無く、理想が高すぎるからなのだろう。
(あるいは、良い師に巡り合えば化けるのかもな……)
なんとなくそんな気がするが、そもそも協会騎士団においても、カトリと肩を並べられそうな騎士は少なく。それ以上ともなると、カタナの知っている中ではケンリュウとかランスローとか、絶対に師には向かない人選になってしまう。
もちろんカタナも自分がそんな器ではない事を良く知っている。だからいずれは、カトリと袂を分かつ日も来るだろう。一緒に居るのはカトリがカタナを物珍しく思っているからで、その内飽きた時にきっと去って行くと思っている。
(まあ、それまではこき使ってやるさ)
そんな事を考えながら、またリリイが変な行動を取らない内に、カタナは自分の要件を済ませる事にした。
「おい変態、お前の用が終わったのなら、次は俺の用を聞け」
「変態だって? カタナがボクにそんな蔑むような事を言うなんて……もっと言ってくれてもいいんだよ?」
何故か嬉しそうに、何か期待する目で見てくるリリイ。
リリイの変なスイッチを入れてしまった事を、しまったと思いながら、カタナは構わず続ける事にする。
「今すぐに用意できる最高の武器をよこせ」
カタナがリリイに要求するのは、その単純な一点のみ。それを聞いた時、リリイは目を丸くして驚いていた。
「カタナが得物を要求するなんて珍しいね。武器は持たない主義じゃ無かったかい? 論理的に考えれば、主義を変えるきっかけが何かあったんだろうけど?」
「……お前に関係ない」
「なるほど、それなら気にしないでおくか。でも何の為に、武器を欲するのかだけ聞いておきたいね。出来るだけ論理的に」
意外とそういうところに拘りがあるのは、一応は名匠の名を継ぐ鍛冶屋の誇りなのだろう。
「……フランソワ・フルールトークの護衛をする事になった。それで丸腰よりはマシになると思ったから、それだけだ」
「ふーーん、ふーーん……そっか。ちょっと待ってな」
カタナの瞳を覗き込みながら、リリイは何かを勝手に納得して、研究室の奥の方に引っ込んだ。
そして、戻ってきたリリイはさっきまで持っていなかったある物を、カタナにつきつけた。
「これは、短剣か?」
「そう、結構希少な霊鉱石であるブルーウーツを使った物で、結構な自信作だ。まあ、鉱石の量が少なかったから短剣にしかできなかった訳だが。論理的考えて、護衛にはこういう小回りの利く武器の方が、適しているかもと思った訳だ」
確かにそれはあるかもしれない。目に見える武器は敵に警戒心を抱かせる恐れもあるし、フランソワも見えるところに武器があれば不安に思うかもしれない。その点短剣なら懐にしまっておく事が出来る。
「お前も、たまにはまともな事を言うんだな」
「これでも鍛冶師の端くれさ。武器の事に関しては、適当な事を言った記憶も無いよ」
それは確かにその通り、カタナが嫌々ながらもここに来たのは、一応リリイの腕と誇りだけは信頼しているからだ。
「なら遠慮なく貰っていく……」
その青く光る刀身の短剣を、カタナが受け取ろうとした時、リリイはそれを後ろに隠した。
なんとなく、この後にリリイが言うであろう台詞が浮かんできて、カタナの表情は引き攣った。
「これが欲しければ、下着を寄こしたまえ。無論、脱ぎたて以外は認めん!!」
そう声高に言うリリイを見て、ここに来たのは間違いだったと猛省するカタナ。何だか疲れてしまったので、相手をする気も失せる。
「……だそうだカトリ、ここは頼む」
「え? ええ!? 私ですか!?」
だからカタナは後の処理を、カトリ・デアトリスに任せる事にした。
「何い!? カトリさんのが貰えると!? それならば、他にもこの鞘を付けよう!! ささ、どうぞボクの目は気にせずにお脱ぎください!!」
やたらと食いつくリリイ。もはや女とか男とか関係なく見境ない、それが変態たる由縁なのだ。
(……というか、鞘は別にするつもりだったのか。なんて奴だ)
呆れて物も言えない。リリイの武器に対する誇りだとかは、きっとカタナの勘違いだったに違いなかった。
「――――――ふ」
そして、肩をわなわなと震わせるカトリは、ちゃんとカタナの期待通りの仕事をしてくれそうであった。
「ふ?」
「――不埒者!!」
見事にカトリの魔法剣に、滅多打ちにされるリリイ。
そうして気絶した変態をその場に放り、カタナは望む物を手にして法士棟の魔窟を後にした。