二章第四話 突然の来客
散々な目にあった聖騎士会議から一夜明け、カタナはケンリュウと万が一にも出くわさないように、兵舎の自室に籠っていると、いつもより早い時間にカトリ・デアトリスが呼びに来た。
「カタナさん……いらっしゃいますか?」
控えめなノックの音と共に部屋の外から聞こえてくる声に、カタナは応える。
「ああ、居るが。何か用か?」
そう聞いたのは、まだ午前の内からカトリが呼びに来るのが珍しい事だったからだ。大抵は正午を目安に、昼寝しているカタナを起こしに来るのが常であった。
「ええ、カタナさんにお客様が見えているようです。応接室でお待ちのようで、すぐに行くようにと副騎士団長自らお達しがありました。ずいぶんと重要なお客様のようです」
「俺に客? ……嫌な予感がするが」
心当たりはいくつかあるが、どれも行けばろくな事にならない予感があった。
「重要な客なら俺が行くよりルベルトが対応した方が良いだろう、副騎士団長殿にそう言っておけ」
そういうお偉いさんの相手をするのが面倒という事もあるが、何よりカタナは今、ケンリュウと会わない為に出歩きたくない。
ルベルトに借りを作るのは癪だが、小言くらいで危険を回避できるのなら安いものだ。
「いえ、それがカタナさんでなければいけない相手らしく。困っている様子でした」
(俺じゃなきゃいけない相手か……)
それによって心当たりは一つに絞られた。カタナにとっては幾分か面倒の少ない相手だが、確かにルベルトや他の者が対応するのは難しい相手だ。
「解った、すぐに向かう」
責任感からでは無く、ルベルトの小言を減らす為にカタナは重い腰を上げた。
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「おにーさま!! お会いしとうございました!!」
応接室の扉を開けると同時に、開口一番でカタナの胸に飛び込んできたのは、上等なドレスに身を包んだ幼い少女。
綺麗に巻かれたブロンドの髪が乱れるのも構わず、上流階級の身のこなしも忘れてはしゃいでいるその姿は、齢十歳にも満たないからこそ許される振る舞いと言えるだろう。
「久しぶりだなフラウ。元気だったか?」
「勿論でございます。わたくしなどの事よりも、おにーさまこそ御健勝でございましたか? 聞けば、随分と危険な目にあわれたとか……フラウはとても心配で、胸が張り裂けそうでございました」
そう言って、少し涙目で頭を摺り寄せてくる少女に、カタナは優しく手を置いて撫でる。
「フラウが心配するような事は何もなかった。俺は見ての通りだ」
カタナがそう言うと、少女は顔を真っ赤にして俯いた。
「わ、わたくし如きが心配するのはおこがましい事でございました、申し訳ございません。大陸最強の勇名を轟かせるおにーさまに限って、そのような事がある筈ございませんのに……」
実際にはかなり死にかけたが、カタナは言わないでおくことにした。それと、大陸最強の勇名は誰も轟かせてはいない。
「泣くなよ……大袈裟な奴だ。そんなに心配だったのか?」
「あ、いえ、これはその嬉しくて……久しぶりに、おにーさまとお会いする事が出来ましたので」
「……そうか」
ポロポロと涙を零す少女を慰めながら、カタナは応接室の奥に佇む老紳士の非難の視線を流し続けていた。
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(……これは何でしょうか、夢?)
そうじゃなければ幻か、そう見紛う程にカトリの目の前の現実は衝撃的だった。
応接室を開けた途端に、少女がカタナの胸に飛び込んできたのも驚きだったが。その後の少女とカタナのやり取りは、カトリが呆然としてしまう程信じられない光景だった。
(しかも……呼び方がお兄様というのは、どういう事でしょう?)
疑問は膨れ上がる一方で、カトリの混乱は極まった。だから現実から目を逸らすように、応接室からそっと出て行った。
「あはは、中々戸惑っているようだね、カトちゃん」
「――サイノメさん!?」
いきなり気配も無く隣に立っていたサイノメに、カトリは驚きで身を震わせた。
「あ、ごめんごめん。驚かせちったかな? でも流石に、目の前の光景よりは驚かないでしょ?」
「……いえ、それとこれとは話が別です」
本気で心臓が止まりそうになったというカトリの苦情を、サイノメはいつも通り笑って誤魔化した。
「まあまあ、そう怒らずにね。お詫びに情報料は無料でアレについて説明してあげるからさ」
サイノメがアレと称したのは、まさしく目の前の少女とカタナの事だ。
「それは助かります。正直なところ、目眩がしてきましたので」
「あはは、気持ちは解るよ。ああいう優しげなシャチョーは気持ち悪いもんね」
サイノメがそうはっきりと言った事で、カトリも違和感の正体に気付いた。少女に接するカタナの態度は、これまでに見たことが無いくらい優しいもので。それは普段のイメージからは想像できない程だ。
カトリの勝手なイメージでは、カタナは泣いている子供を睨み付けて黙らせるようなタイプだと思っていたので、頭を撫でて慰めるような事が出来るとは、思っていなかったのである。
「そんで、何から聞きたい?」
「……とりあえず、あの少女は何者ですか?」
「あの子はフランソワ・フルールトーク。財閥を束ねる大商家、フルールトーク家当主の令嬢で次期当主候補の一人だよ。愛称はフラウ、でもこれは一部の親しい相手にしか呼ばせていないみたい」
それはつまり、カタナが一部の親しい相手だという事。
フルールトークの名は有名で、カトリも知っていたが、一介の騎士と大商家の令嬢に繋がりがあるのは、些か不自然である。だが、カタナから聞いた話からその疑問の答えも導き出せるようだった。
「ひょっとして、カタナさんが聖騎士になった事と、フルールトークとは関係がありますか?」
「あれ? シャチョーから何か聞いていたの?」
「ええ、先日ですが。カタナさんが聖騎士になったのは、とある貴族を助けたからだと……何だかいい思い出では無いそうなので、深くは窺いませんでしたが」
「そう、なら教えてもいいかな。シャチョーが聖騎士になったのはね、あそこにおわすフランソワ・フルールトークの暗殺を防いだ事がきっかけだったんだよ」
「……暗殺ですか、いきなり物騒な話になりましたね」
「そうだね、でもシャチョーが関わる余地があるのなんて荒事くらいでしょ? 物騒なのは当然さ。まあ、関わってしまったのは偶然だったんだけどね」
偶然で暗殺を防いでしまうというのも凄い話だが、なんとなくカタナならばあるいは、と納得出来てしまうから不思議だ。
「それでさ、フランソワ・フルールトークの命を救った事までは良かったんだけど、それがフルールトークの当主から見ると気にくわなかったらしくてね」
「どうしてですか? 自分の娘が救われて、何が気にくわないのです?」
「暗殺騒ぎは、他の商家との問題でね。フルールトークは当初、自分のとこの私兵で対処する気でいたんだけど、それを協会騎士団の騎士が解決しちゃって、面目を潰されたと思ったんだろうね。自分の所の娘一人自分達で守れないと思われる、なんて感じたんじゃないかな?」
「……それは、かなり下らない発想ですね」
「でしょ、でも残念だけどそれが共和国の貴族の発想なんだよね。国自体の歴史が浅いから、一代で築いたって家が多いせいで、メンツに拘ってるところが大部分だね。シャチョーに対する褒賞を聖騎士に仕立てる事にしたのは、対外的に良く見えるって都合だったんだろうし」
「そんな一つの家の都合で簡単に、聖騎士に出来るものなのですか?」
「それはフルールトーク家だから出来た事かな。協会騎士団は国税で運営されているけど、それ以外に貴族からの援助も多く受けていて、中でもフルールトーク家は一番の出資者だからさ。一応、正当な働きもしている以上は断れない。まあ実際は結構な悶着があったみたいだけどね、結果は現在の通りだよ」
なんとなく、カタナが貴族を嫌いだと言ったのも、聖騎士と呼ばれるのを嫌がるのも、理由が解るような話であった。
「今の話の事、あの少女は知っているのですか?」
「多分ね。ああ見えて賢い子だし、そのせいで色々と苦労しているから。シャチョーがあの子に優しいのは、家の都合に振り回されている事に同情しているからなのかもね」
大きな家に生まれた事に対する苦労、それはカトリも知っている。いや、知っていたというべきか。
「カタナさんも、情に深いところがあるようですね」
「シャチョーはああ見えて結構そういうところがあるね。カトちゃんにだって内心では感謝してる事も多いと思うよ」
「そうですか? 邪魔者のように扱われる事が多い気がしてますが……」
「それだけ素直じゃないって事さ。カトちゃんもフランソワみたいに抱きついてみたらどう? 面白い反応が返ってくるかもよ?」
「それは無理です」
死んでも無理、あれはフランソワぐらいの幼さが無ければ、許されない振る舞いだ。
「うーん残念。でもこれであの二人の事は温かい目で見れるでしょ?」
「いえ、まだ一つ問題が……」
まだサイノメに聞いておかなければならない事が一つあった。それはカタナに対するフランソワの呼び方について。
「……お兄様というのは、愛称としてもどうなのでしょう?」
「……それはあたしもそう思う」
結局それについてはサイノメも弁護のしようが無かった。
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「それで、何の用だ?」
カタナは、自分に抱きついたまま離れないフランソワではなく、応接室の隅に佇む老紳士……フルールトーク家の筆頭執事であるバークレーに問いかけた。
バークレーは一礼して答える。その礼は、見た目は恭しいものだが、実際には敬意の欠片もない事をカタナは理解していた。
「私はお嬢様の付き添いでございます故、聖騎士殿には如何様な御用もございませぬ」
「……フラウの用が何かを、聞いているんだ。主が言い難い事を代弁するのも、従者の役目だろ?」
カタナがそう言うと、バークレーは僅かに苦い表情をした。また一つバークレーに嫌われる要因を作った事を自覚するが、元々からかなり嫌われているので気にしない事にする。
「お、おにーさま、申し訳ございません。わたくしが舞い上がったばっかりに……要件については、わたくしから申し上げますわ。バークレーの無礼についても、謹んでお詫びさせていただきます」
申し訳なさそうに言うフランソワ。執事よりもよっぽど気を回している。
そもそもカタナが話を振ったのは、フランソワが要件について話し出さないのをバークレーが苛立っている様子だったし、時間を気にする素振りをちょくちょく見せてくる事から、急いでいるのだろうと判断したからなのだが。
(……嫌味な所をフラウに見せる為だったのか、せこい奴だ)
間接的にフランソワを責めるような言い方になってしまったのは失言だったが、そう誘導するような挑発も、バークレーから過分に感じられた。
おそらくバークレーは、フルールトークの当主から言い含められているのだろう。フランソワとカタナが親しく接する事を、当然ながら快く思っていないから、普段は会う事も禁止されているようだし。
「……実は、こんな物が届いておりまして」
フランソワはおずおずと、紙切れを一枚差し出した。
「これは何だ?」
何か書いてあるのかと思ったが、裏も表もただの白紙であり、それが何を意味しているのかカタナには解らない。
「やはり、おにーさまにも見えませんか。それはフルールトークの本家に届いていた手紙の中にあったのですが、ただの白紙では無く文字が書いてあるのですわ」
書いてあるとフランソワは言うが、カタナには何か書いてあるようには見えない。だが、フランソワが嘘を言うような事は無いだろうし、表情は少し不安げであるが真剣だった。
だからカタナも、真剣に考える、そうする事で一つ思い当たる事があった。
「……もしかして隠呪文字か?」
「知っているのですか?」
「実際に見た事がある訳じゃないが、魔人の使う技術に読む者を選ぶ文字がある、という話を聞いたことがある」
術式によって文字に魔力を込め、特定の者にしか読むことができないようにする技術。大戦中は主に、暗号と同じ用途で魔人側が使っていたという記録がある。
「フラウには文字が見えるのか?」
「はい、見えます。そして、わたくし以外には誰にも見えないようですわ」
「内容を教えてくれ」
「え? 信じて頂けるのですか!?」
「疑う理由なんかないだろ、俺なら信じると思ったから、ここに来たんじゃないのか?」
「は、はい、でも嬉しいです。う、お、おにーさまに信じて頂けて、ホッとしましたですわ」
「……泣くなよ」
他人に見えないという事は、それだけ不安を抱える事になる。これを送ったのが誰かは知らないが、フランソワにそんな思いを抱かせただけでも、カタナの怒りに触れるものがあった。
「とりあえず内容を聞かせてくれ。何をするにもそれ次第だ」
「はい……『一週間後の宴の夜、フランソワ・フルールトークを奪いに行く』、紙にはこう書かれております」
曲解しなければ、文章通り誘拐予告だろう。わざわざそれを出す意味は理解できないが、本当に隠呪文字ならば、魔人が現れる事を警戒しなければならない。
「一週間後の宴というのが何のことか解るか?」
「おそらく当家主催のパーティーの事だと思われます。実は今日を含めてあと二日しかないのですが……」
「二日……差し迫っているな、どうしてもっと早くに……いや、なるほどな」
カタナが視線を向けると、バークレーは慌てて逸らした。
「おい執事、お前は当然フラウからこの手紙の内容を聞いていたんだよな?」
「……はい、窺っておりました」
「聞いていて、信じなかったのか?」
「最終的な判断は旦那様に委ねておりましたので、私共はそれに従う形で……」
「……あの無能め、金儲けは自分の娘を頼っておきながら、何してやがる」
カタナの静かな怒りの矛先は、フルールトークの当主に向けられた。バークレーは自分の主を無能呼ばわりされた事に対して思う事があったようだが、その怒りを前にしては押し黙るより他ない。
「おにーさま……」
だが心配そうに見上げてくるフランソワの視線を受けて、カタナも冷静にならざるを得なかった。
(全く、こいつは自分の事なのに……)
カタナは大きく一息吹き出すと、バークレーに改めて尋ねた。
「そのパーティーには、フラウは出なければならないのか?」
「旦那様は不参加を御認めにはならないでしょう。お嬢様もそれは承知していただいております」
「……警備はどんなものだ?」
「厳重です、主催のパーティーで万一の事も無いように、それはいつも以上に」
その万一をフランソワの為に考えているのかは疑問だが、どちらにしても魔人が出てきた場合は、それで足りるかどうかは怪しい。
「協会騎士団から兵を派遣する事は出来るか?」
「それも旦那様は御認めにはならないでしょう。パーティーが物々しくなりますし、急増の警備では危険も増えます」
人数は大いに越したことはないと思うが、当主が認めない限りは、どのみち兵を動かしたとしても無駄な事ではある。
「もういい、解った。ならせめて、俺がフラウの警護に就けるように手を打て」
「それは……」
それすらもバークレーは渋りそうな態度を見せたが、それだけはカタナも絶対に譲れない事であり、そしてフランソワもまた同様だった。
「お願い、バークレー。お父様にはわたくしからお願いしますから」
「…………解りました」
結局バークレーが折れて認める形になったが、カタナの中では一抹の不安もあった。
それはゼニスの一件が起因する、無力な自分の一面。守れなかったものの後悔が今でもまだ燻っている。
「おにーさまが居て下されば、フラウは何が起こっても安心です。我儘を聞いてくださってありがとうございます」
だが、そう言ってすり寄ってくるフランソワを見て、情けない事は言っていられないと、カタナは決意を新たにした。
(曲がりなりにも聖騎士だ。せめて俺を認めている奴の前では、そう振る舞ってやるさ)
そしてもう一人、いつの間にか居なくなっていたカトリ・デアトリスが、応接室に戻ってきた。
「……フラウ、あいつも連れて行っていいか?」
「「え?」」
そしてカトリもまた、巻き込まれる形となった。