二章第一話 協会騎士団のカトリ・デアトリス
ミルド共和国の首都レーデン、その東端にあるミルド協会騎士団本部。
神殿を改装して建てられたそこは、荘厳な雰囲気を残したまま、高い塀や堀で砦や城としての機能も持ち合わせている。
そしてその広い敷地内には、騎士達が休む兵舎や鍛練する為の練兵場など、騎士団の本部として必要な施設も揃っていた。
その中をカトリ・デアトリスは颯爽と歩き、すれ違う人々の振り返る視線を集めていた。
協会騎士団の騎士の中でも女性は圧倒的に少ない、元々騎士というものは男が志すものろいうのがこの世界の常識、その意味で目立つ存在であるのは仕方がない事。
しかしカトリは、それ以外にも目立ってしまう要素が二つあった。
一つはその美貌。華やかな金髪と金眼、凛々しい顔立ちと長身、鍛えている事で引き締まっている体形。それによって、男性のみならず秘書官の女史達の一部にも憧れている者が多い。
そしてもう一つは、良くも悪くも噂の絶えない聖騎士である、カタナ付きの従騎士であるという事。
人によって印象はまちまちだが、カタナは本部では変わり者ないし、怠け者として、騎士として望まれている人物ではなかった。
当然、そんな者が協会騎士団で八人しかいない聖騎士であるのだから、やっかむ者も多い。その敵意とも呼べる意識は、カトリの方に向かう事もある。
しかし当のカトリは、そんな様々な視線を気にも留めずに、それとは別の不本意な思いを募らせながら、とある場所に向かっていた。
(……まったく、いつもいつも)
そこは兵舎の中心にある中庭で、景観を良く保つため庭師まで付けられている、本部内の名所とも言われている場所だった。
だが、その者がそこを占領している時は、間違っても誰も近づきはしない。陽が最も高くなる時間、望まれない聖騎士カタナが惰眠を貪るその時間には。
その理由は『眠っている時に間合いに入ったら斬られた』や『物音を立てて起こしてしまったら、次の日に辺境に飛ばされた』等々の、嘘か本当か判断し難い噂が、兵舎で横行しているせいである。
「起きて下さい!!」
しかし、そんな噂も毎日聞こえるカトリの怒号によって、薄れていくのも時間の問題かもしれなかった。
「……もう昼か」
濁った灰色の瞳を瞬かせて、カタナが重々しく半身を持ち上げると、カトリは辟易として嘆息した。
「いい加減、私を時報代わりに使うのはやめて頂けませんか?」
「頼んでいる訳でもないのに文句を言われてもな、別に起こさなくてもいいんだぞ」
「貴方という人は、起こさなければ一日中寝ているでしょう!!」
「それの何が悪い?」
真顔でそう聞いてくるあたり、もう駄目かもしれなかった。カトリがカタナに付いて来た事を少し後悔する程度には。
それでもカタナの秘めた実力の程と、特殊な環境によって生まれた経緯を知っている分、何とか見放さずにいられている。
もしそれが無ければ、きっと他の騎士と同じように、カトリもカタナに軽蔑の視線を向けているのは間違いなかった。
「……もういいですから、とりあえず昼食を取りましょうか。昨日のように食べられなくなるのはもうコリゴリです」
本部の食事は全て食堂の厨房が賄っている。騎士と秘書官を合わせれば、かなりの人数が詰めているので、昼時にはそこはもっとも激しい戦場になる。
それだけに時間厳守は当然、もし破れば例外なく食事抜きになる。そのシンプルさは解りやすくも、もっとも酷な仕打ちであった。
「だな、起きてしまったからには食わないと持たないか」
「本当に一日寝ている気だったのですね……」
「そうでもない、用があったから夕方には起きようと思ってはいた」
「……そういうのを、一日寝ていると言うのですよ」
「小言は飯を食いながら聞いてやる、いいから行くぞ」
一応聞く気はあるらしいが、その効果は薄いという事を、カトリは既に知っている。
(……全く、こういう所を直す事が出来れば、少しは周囲の見る目も違ってきて、変な噂も減るでしょうに)
最近その数が急激に増えた溜息をもう一度吐いて、カトリはどんどん先を行くカタナの背を追いかけた。
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食堂の隅の席で、向かい合って食事を取るカトリとカタナ。普段はどちらとも会話を積極的に交わそうとしない為、黙々と食べている事が多いのだが、その日は違っていた。
「……前から不思議でしたが、どうやってカタナさんは聖騎士になったのですか?」
カトリは静かに食事を取りながら、そう切り出した。
「いきなり何だ?」
質問が唐突だったという事もあるが、内容的にも食堂で話すようなものでは無い。
カトリもそれは承知しているが、カタナといると何処に居ても目立ってしまう為、忙しない周囲の雑踏があるこの場所が適所だと思っていた。
入れ替わりの多い昼の食堂では、無遠慮な視線や聞き耳は普段よりも少ない。兵舎の個室なら二人きりで話せるが、それは流石に恥ずかしいのでカトリには無理だった。
「評判と普段の素行を見ていれば、普通は誰だって不思議に思う筈ですよ。協会騎士団の聖騎士というものは、それほど軽い物ではないと、帝国育ちの私にだって解る事です」
何せ八人しかいないのだ、協会騎士団の騎士は約一万であるらしいから、その割合で考えれば圧倒的に少ない。
それだけの実力と、尊敬されるべき人格、そして成した偉業、本来はその三つが揃ってやっと認められるものだと、カトリは思っていた。
「……そうだな、本来の聖騎士というものは、俺がなれるようなものじゃない」
そしてカタナ本人もそれは認めるところだった。
「いや、本当は俺もなりたくなかった。これは……まあ事故みたいなもんだ」
「事故?」
そのあたりの事情、カタナが聖騎士になったきっかけについて、カトリは何も知らない。
サイノメに聞いてみた事もあったが、その時ははぐらかされて終わった。最近特にカタナの噂話が耳に入ってくることが多くなったので、気になっていたのだ。
「端的言うと、以前にとある貴族を助けた事があってな。その時にいやに気に入られてしまって、その時の褒章が聖騎士の称号だったんだ」
「は?」
あっさりとカタナが言い放った事は、あまりにも単純で、そして事実だとすれば、他の騎士達が不憫に思えてしまうような出来事だった。
「……冗談ですよね?」
冗談を言っているようには見えないが、もしかする事もある。その期待もカトリの問いかけには混在していた。
「残念だが事実だ。あれは不愉快なほど、なし崩し的だったな」
珍しくその時の事を後悔するような物言いで、カタナは溜息を吐いた。
「なし崩しと言いますと、本当は聖騎士になりたくなかったという事ですか?」
「ああ、正直なところ返上できるなら今すぐ返上したい。俺が貴族に良い印象が無いのも、聖騎士と呼ばれるのが嫌いなのもそのせいだ」
根が深そうな話だった。カトリにとっては気になっていた事の確認に過ぎなかったのに、思わぬ所に話が飛び火してしまった。
「詳しく知りたいか? きっと面白い話じゃないぞ」
「……いえ、やめておきます」
ただの興味本位で聞くには、これ以上この場で掘り下げるべきではないように思え、カトリは身を引いた。
そのままいつもの調子で、無言のまま食事が終わるかと思われた時、横合いから声が掛かった。
「やあカタナ、奇遇だね。まさか君とこんな場所で会えるなんて、これも盟友の絆の成せる賜物かな?」
(……え?)
カトリが疑問に思ったのは、その言い回しでは無く。その声がカタナに向かって掛けられた事だった。
いまだかつて、ここ協会騎士団本部内で、カタナに友好的な態度を示したものはいない。そもそもカタナと進んで関わろうとする者が、まずいなかった。
「知らん、変な言い回しでいきなり現れるな」
「ああ、この偶然をふいにするのは実に惜しい。席も空いているようだし、御一緒してもいいかな?」
その声の主は驚くほどの美形で、繊細な顔立ちと長身、物腰と、どれをとっても一級品。白馬があればどこぞの王子様かと見紛うほどの美青年だった。
カタナは知っている様子だが、会話が噛み合っていない様子だった。そしてその美青年の言っている事に、カトリは違和感を禁じ得なかった。
(席が空いている?)
周りは満席に近く、そしてカトリとカタナの座る席は二人掛けなので、既に定員だった。
「……あのカタナさん、こちらの方は?」
「ああ、お前は会うのは初めてか……こいつはランスロー。見ての通りの変わり者だ」
カタナのその紹介に貴方が言うな、と言いたいのを堪えて、カトリは立ち上がって礼をした。
一応は直属の上官の知り合いになるのだから、常識的に失礼があってはいけない。特にカトリは協会騎士団では見習いの従騎士であるから、そのあたりは徹底するべきであった。
「カトリ・デアトリスと申します。以後よろしくお願いします」
余所行きの笑顔ときっちりとした敬礼、そのあたりの礼儀はきっちりと備えている。
そのカトリの挨拶に対して、ランスローという名前らしいその美青年は、涼やかな表情のまま応えた。
「……さっさと何処かに消えろって言ってるのが解ってなかったのか、見た目通りの空っぽな頭なんだなクソ女」
明らかにランスローの口から出たその美声は、決して綺麗な内容では無かった。
(え?……ええ!?)
一瞬何を言われたのか解らず、どういう事か問う視線をカタナの方に送ると、目を逸らされた。
「何を呆けているんだ、間抜けな顔が更に見れなくなっているぞ。親愛なる友との語らいの最中に、間抜け面が視界の隅に重なるというのは事故だとしても僕は許せるものじゃないんだ。本当に、本当に腹立たしい、五秒待ってやるからさっさとこの場から居なくなれよ。ああ、それが出来ないほどのろまなら、いっそ床にでも這いつくばっていてくれないか。いやでも、それだと誰かの吐瀉物と勘違いされてしまう恐れもあるか……」
ランスローの口から次々と溢れる罵詈雑言。どうしてこんな事を、初対面の人間に言われなければいけないのか、カトリには解らず。そしてどんな対応を取ればいいのかわからない。
しかし無意識の内に、カトリは剣帯に手をかけていた。
怒りに任せたものか、それとも自分に敵意を向ける者に対する防衛意識だったのかは解らない。剣を抜くつもりだったのか、それとも威嚇するだけだったのかも解らない。
なぜならその瞬間、カトリは額を卓の上に打ち付けられていたから。
がごん! がらら! どしゃっ! ばりん!
卓の上に置かれていた食器類がひっくり返り、床に落ちて割れる。
その音を聞いて、額の痛みと、後頭部を押さえつける手の感触に、ようやくカトリは気付いた。
「~~~~つ、何をするのですか!!」
凄い力で押さえつけられ、カトリは頭を上げる事も出来ない。横目で見ると、カトリを押さえつけている手はカタナのものだという事が解った。
「いいから黙ってろ」
カタナはそれだけカトリに言うと、ランスローに向かい直った。
「悪いなランスロー。こいつもこうやって頭を下げている事だし、今日の所は勘弁してやってくれないか?」
どう見ても、カトリは頭を下げているのではなく、押さえつけられて、もがいているだけ。周りで食事を取っている者達も、流石にその騒ぎに気付いて騒然となっていた。
「そうかい? まあ、そういう事ならここはカタナの顔を立てて見逃す事にするよ。でも今後は僕に間抜け面を見せないようにするのと、耳障りな金切り声で話しかけ無いように、くれぐれもそのクソ女に言っておいてくれないかな?」
私が何をしたのかと、カトリはランスローに掴みかかりたかったが、カタナの押さえつける力は抗うほどに増していた。
「ああ、くれぐれも言っておく。悪かったな」
そして何故カタナもランスローに対してそんな対応なのか、カトリは納得が出来なかった。
「カタナが気にする必要はないんだよ。君は僕をいつだって理解してくれる、そのおかげで僕はいつだって救われているのだから」
そしてカタナに向かって話すときのランスローの語調の違いは何なのだろう、親しげなのは解るが、何か違和感をカトリは感じていた。
「それは知らんが。とりあえず俺達は飯を食い終わったからもう行く、一緒に食うのは次の機会にな」
「それは残念、でも今日の会議には出るんだろう?」
「まあな、サボると後々面倒だろうから」
「それならいいさ。君が居ないと今日の会議が始まらないだろうからね」
「……」
(……会議?)
すっかり抵抗を諦めたカトリの頭の上で話が進み、完全に置いてけぼりであった。会議と言うのも何のことか解らないが、話の流れからカタナもランスローもそれに出席するという事らしい。
「おい、もう行くぞ。暴れるなよ」
ようやくカタナの押さえつける力から解放され、カトリは頭を上げた。
もちろんそのまま大人しく引き下がろうとはしなかったが、ランスローはもうカトリの事は眼中になく、既に背を向けて食事を取りに行っていた。
追いかけようにも、カタナが襟首を掴みあげているのでそれも叶わない。
「放してください!! こんな侮辱、許せません!!」
「……お前は本当に馬鹿だな、俺が何故あんな事をしたのか解らないのか?」
「え?」
確かにカタナの態度はおかしかった、いわれのない事で謝っていたり、剣帯に手をかけたのはカトリが悪かったとしても、あそこまでの対応をする必要があったのか甚だ疑問だ。
「あのままだと、お前は死んでいたかもしれない」
だが真剣な様子のカタナの言葉は、カトリの疑問を覆す。
「それは……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ、喧嘩を買うのも売るのも相手をしっかりと見てからにしろって事だ。長生きしたければな」
つまりは、それだけあのランスローという男が強く、そして危険であるとカタナは言っている。その雰囲気で誇張とは感じられなかった。
「とりあえず、もう一度鉢合わせるのが面倒だ、さっさとここを出るぞ」
そう言ってカタナは半ば強引にカトリを引っ張って、足早に食堂を出た。
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「……あの人、何者なのですか? そもそも私は何故初対面で、あれほどまで嫌われていたのですか?」
暴言の数々と感じた敵意は並々ならぬものだった、それは何処から来たものだろう。ランスローから受けた仕打ちは、カトリにそんな疑問を植え付けていた。
「それは私が説明致します」
そんなカトリの疑問は、横合いから掛かった声が応えた。
食堂の出入り口に佇んでいた女性、またしてもカトリは知らない顔だったが、カタナは知っている様子。
「……メイティアか」
「お久しぶりでございますカタナ様」
恭しく一礼したその女性は、全体的に知性的な印象で、銀縁の眼鏡もそれを演出しているようであった。
侍女服の様なその服装から、秘書官でも騎士でもなさそうだが、腰には剣を帯びていてとても不釣合いの様子。
「私はランスロー様の従者でメイティアと申します。先程は主が非礼を致しました事を、代わってお詫び申し上げさせて頂きます」
その知性的な女性のメイティアは、カトリに向かって深く頭を下げた。
先程は初対面の相手に罵詈雑言を浴びせられて面食らったカトリだが、今度は初対面の相手から丁寧な謝罪を受け、逆に困り果てた。
「それは、何と言いますか……どう致しまして」
「主は女性に対してある種の苦手意識の様なものを持っておりまして、先程貴方様にとってしまった態度もそれによるものなのです」
メイティアは頭を下げたまま、ランスローの事を説明していく。
「苦手意識……って、あれがですか!?」
どう考えても、苦手とかそう言う次元の話では無かったように思う。
「他に何と言って言えばよいのか解りかねますが、主が貴方様にあのような態度を取ったのは、特別に貴方様の事を嫌っていたわけでは無く。主は女性全てに対してあのような態度を御取りになるのです」
「……それはメイティアさん、貴方に対してもですか?」
「その通りでございます。したがってお仕えするときは半径十メートル以内には入らないように、主から仰せつかっております」
どんな主従関係なのだろうか、むしろそれは意味があるのかが疑問であった。そしてそこまで徹底しているランスローという男がいったい何者なのか。
「……」
何といって良いか解らず黙るカトリ。妙な沈黙が流れた後、メイティアは顔を上げて少しだけ近寄ってきた。
「ランスロー様は繊細な御方なのです。ただ女性が苦手と言うだけで、決して嫌っているわけではございません。そうに決まっています!!」
「そ、そうですか」
そんな事を力説されても、カトリは困るだけだった。そしてメイティアの眼鏡の奥の瞳の圧力は凄まじいものがあった。
「あ、申し訳ございません。あまり長く主から目を離すわけにはいきませんので、これにて失礼をさせて頂きます」
すこし我を失っていた様子だったが、メイティアは思い出したようにそう言って、食堂の中に入って行った。
「……あの、カタナさん」
「アイツらに対しての質問は受け付けないが、何か用か?」
「……いえ、何でもありません」
まだ昼をまわった時間だと言うのに、カトリの疲労はピークに達していた。何のせいなのかは言うまでもない。
とりあえずこの協会騎士団本部には、一筋縄ではいかない人物がいて、それが一人二人ではない事を今日実感したという事だ。
(……訓練に支障が出なければいいのですが)
この後は、本部の集団訓練に参加する気でいたので、精神的な疲労と肉体的な疲労は別物だと思いたかった。
「あ、すみませんカタナさん。やはり聞きたいことがありました」
「何だ?」
「先程言っていた会議とは何ですか? 私はそのような事は聞いていませんが」
今日こそはカタナも訓練に参加させたいとカトリは思っていたので、その予定は寝耳に水だった。
「ああ、それな……」
かなり嫌そうな顔でカタナは答えた。苦虫を噛み潰すという形容がかなり似合っている。
「お前には関係ないさ、何せ『聖騎士会議』だからな」