第三話 カタナとカトリ・デアトリス
「……それで、新人が来てるって?」
痛む後頭部を擦りながら、カタナは聞き覚えのない事実に疑問を口にする。
仮にも、本当に仮にもと言わざるを得ないほどの仕事ぶりであるが、一応はここの駐屯部隊の隊長である自分が、隊の人間の入れ替わりを知らないのはおかしな話だと思った。
「え? 聞き覚えのないって、十日ほど前の会議の時に報告があって、その場には隊長もいたはずっすけど?」
「……あー会議ね。なるほど、理解した」
疑問は解決したとばかりに、納得するカタナに、ヤーコフの疑問を深めた視線とサイノメの呆れたような視線が向けられる。
「……シャチョー、居眠りして聞いてなかったんでしょ」
「馬鹿にするな。単に面倒臭くて聞き流していただけだ」
「威張って言うなよ! どっちにしてもダメダメじゃん!」
そうしたサイノメの小言も華麗に聞き流し、カタナはヤーコフに向き直る。
「それで、俺に報告に来たってことは、その新人と面通しでもさせるからか?」
「ええ、まあ。それが筋でしょうし、新人の子も隊長には挨拶しておきたいと言ってますしね」
まあ、当然だ。しかし当然のことを言っているのに何か引っかかるのは、きっとさっきまでのヤーコフの異常なテンションのせいだろうか。
「それにしても面倒だな、ヤーコフの方で適当によろしく言っておいてくれ」
「ええー、それはちょっと……」
なんとなくそんな返答が返ってくることは予想していたヤーコフだが、そういうわけにもいかないだろうと、サイノメに視線で助言を要求する。そこは自分でこのダメ上司をなんとしようと思えないヤーコフの弱いところである。
「……まあ、シャチョーがあんまし人と関わりたくないのは知ってるけど。それでも同じ場所に働くんだから、結果としていずれ顔を合わせることになるんだったら早いうちに挨拶しとくのが、後々の面倒も減って良いと思うけど?」
「……まあ、それもそうだな。どのみちここじゃもう居眠りも許されなさそうだし」
サイノメの言い分に納得したというより、むしろ後者の理由が本命なのが解りきっている二人から、何とも言えない視線をもらいつつ、カタナは重い腰を上げる。
「それで、その新人はどんな奴なんだ?」
「それはもう超超超……」
「……それはもういい。サイノメ、お前なら詳しく聞いてるだろ?」
ヤーコフには聞いても無駄だと悟ったカタナは、即座にサイノメに疑問を向ける。
「うん、もうすでに色々調べてあるよ。中々面白い経歴の人だね。聞きたい?」
「……いや、今は遠慮しておく」
なんだか面倒な予感がしたので断っておくことにした。
問題を先延ばしにしているに過ぎないが、サイノメが色々(・・)と調べなければいけないほどの経歴で、しかもそれが面白いと評されたこと事態がカタナにとっては聞きたくなかった事実だった。
(まあ、俺の下に回される人材だ。どう見積もっても脛に傷はあるだろうしな)
それがどれほどのものか知っておくのと知らないのとでは大違いだが、それが良い方に転ぶか悪い方に転ぶのかは一概に言えないだろう。世の中には知らない方が良いことも多い。
「なんにせよ、とりあえずは顔を合わせればいいだけだろ? さっさと済ませるぞ」
本当ならそれも先延ばしにしておきたいところだが、されはそれで面倒な予感もするので自重しておくことにする。
「ほいじゃ、気分転換も兼ねてあたしもついていくよ」
疲れが見えるサイノメも、首をコキコキ鳴らしながら立ち上がる。
「では一階の応接室に待たせてますんで、そちらまで」
新人を待たせるのにわざわざ応接室を使うことに、わずかな違和感を感じるカタナだったが。女性に甘くて弱いヤーコフの点数稼ぎなのだろうと、特にその時は気にしないでいた。
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「本日付でミルド協会騎士団ゼニス市駐屯部隊に配属になりました、従騎士のカトリ・デアトリスと申します。以後よろしくお願いします」
敬礼を交えながら笑顔でそう自己紹介したカトリ・デアトリスを前に、カタナは滅多に感じない驚きという感情に戸惑っていた。
「あたしはサイノメ。ここの秘書官だよ」
サイノメの挨拶に、カトリ・デアトリスはお辞儀で返す。本来ならその行為に含まれる意味を追及してサイノメをからかうのだが、今のカタナにはその余裕はなかった。
「……駐屯部隊隊長のカタナだ」
なんとかおざなりに返答を返すことができたが、心の内では言葉の何倍も逡巡していた。
カトリ・デアトリスという新人は、確かにヤーコフが言うように超がつく美人だ。庶民には見られない金髪金眼はその美貌を際立たせているし、すらりと伸びた長身と長い手足に、芯の通るような姿勢の良さはまるで戦乙女の彫像をみているようだが、それはカタナを驚かせる材料にはならない。
そして貴族だけが持つ姓を名乗ったという事も、それほど気にはならない。あまり貴族というものに良い感情は持っていないが、協会騎士団に入ってからは接する機会も多くなったのでもう慣れた。
ただ、カタナが驚いたのは初めて会うはずだと思っていた新人が、知っている顔だったという事実だった。
一か月ほど前にミルド共和国の首都で、騎士選抜武芸祭というものが催された。
参加者はトーナメント形式で武芸による試合で勝敗を競い、観覧者は普段は見ることができない戦いというものをお祭り気分で観て楽しむ、そういうものだ。
騎士選抜と冠してある通り。参加者の内で上位の成績を収めたものは、大陸最強の呼び声が高いミルド共和国のミルド協会騎士団に無条件で騎士として入団できるとあって、参加者の数はかなりのものに昇った。
しかし参加者の中で、既定の成績まで上り詰めることができるものはいないだろうとも言われた。
それはあまりに低い水準の大会にならなくするため、あるいは八百長などを防ぐために、協会騎士団の騎士が参加するという既定があったため。結果としてハードルが上がりすぎてしまったからだ。
大会としては企画倒れに終わるかと思われたが、予想に反して波乱が起こることになった。
参加者の内でただ一人、並み居る騎士を打ち倒し、あろうことか優勝したものが現れてしまったからだ。
それがカトリ・デアトリス。
その姓から、かつて帝国で栄華を誇った武門の名家であり、とある事件により没落したデアトリス家の息女だと噂された。
実際にその戦いぶりは噂を裏付けるものであり、使用する魔法も帝国で使われているものに近いことから、確実視された。
ダークホースの登場に大会は盛り上がったが。一部の、主に協会騎士団の重役達の中には快く思わない者もいた。
完全にメンツを潰されたのだから当然であるとも言えるが、そもそもそれは主題に反した事なのでやはり間違いと言えるだろう。
それでもその歪んだ思惑は、武芸祭の既定のとある一説に目を付けた。それは『優勝したものは聖騎士の称号を持つ者に、その称号をかけて挑戦する権利を得る』という一説。
元々どうせ騎士が勝ち上がるのだからと、参加者の呼び水として用意された既定だが、こうなっては騎士団のメンツを保つにはこれに賭けるしかないと考えたのだ。
武芸祭の優勝者であるカトリ・デアトリスに、協会騎士団の聖騎士が完膚なきまでに勝利する。単純な構図だが、それだけに印象にはよく残る。
そうした思惑に踊らされる形で、カタナはカトリ・デアトリスと聖騎士の称号をかけて一戦交えることになり。
その結果は一部の人間の望む形となってしまい。騎士選抜武芸祭は幕を閉じた。
それが一か月前の全容のはずだ。
「なあ、サイノメ」
実はちゃんと聞いたり体験した事に関しては、かなりの記憶力を誇るカタナは。一か月前の顛末を思い出しながら、自分の右後ろに立つサイノメを見下ろして話しかける。
「何?」
見上げるサイノメの笑顔が、何故かやたら憎らしく感じる。
「配属された新人が、以前に一戦交えて完膚なきまでに叩きのめした相手なんだが、俺はどんな態度で臨めばいいんだ?」
「ちょっ! 本人の前で何てこと言ってるの!?」
途端にサイノメの顔に焦りが滲む。なんだかんだで面倒見が良かったり、ちゃんと空気が読めるのがサイノメの良い所だ。
「私は気にしませんよ。それにカタナ隊長には普段通り皆様に接するようにしていただければ嬉しいです」
「……そうかい」
カタナのサイノメへの問いに答えるように、カトリ・デアトリスは笑顔を崩さず口を挟む。サイノメをからかっていつものペースにしようとしたカタナは、それでまたバツが悪くなった思いがした。
ちなみにヤーコフはこの場に居ない。サイノメによって書類処理地獄の任に就かされている。
(……とりあえず、面倒事の予感は当たってしまったわけだ。しかしこれは……どうすればいい?)
実際のところ、カトリ・デアトリスがここにいることには何の問題もない。
武芸祭で優勝した事で騎士になる権利を得て(自己紹介の時に従騎士と名乗ったのは気にかかるが)、協会騎士団の一員になったのだから問題はないのだ。
しかしそれ自体には問題がなくても、カタナは問題があることを感じている。
それはカトリ・デアトリス本人に対して。
(態度は友好的、礼儀もなってる、おまけに美人。だが……)
棘を感じる。表面には出ていなくても何らかの黒い感情を隠しているように感じるのだ。
(これが武芸祭の事を恨んでいるっていう感情なら、解りやすくていいが)
だがそれがカタナに向いているかといえば、そうではなさそうで、だからこそ対応に困るのだ。
「どうかしましたか隊長?」
カトリ・デアトリスは心配そうに尋ねる。
その態度にも演技めいたものを感じて。
そんな調子に合わせるのが面倒になり。
「ちょっと表に出ろ新人、二人っきりで話がしたい」
気が付けばそんなことを口走っていた。
「え! ちょっとシャチョー!?」
サイノメが驚きの声を上げた。カタナの剣呑な雰囲気は誰の目から見ても明らかだった。
実際カタナも自分自身で驚いているほどだ。
しかしカトリ・デアトリスは笑みを崩さず。いや深めたようにも見える。
「はい。私もちょうど、隊長と二人っきりでお話がしたいと思っておりました」
「そっちも何!? 何なの!? 私って邪魔者なの!?」
もし傍目からみればサイノメはそんな扱いになるのだろうが、カタナからすればそれは違うと言える。
本来ならこんな面倒事は、サイノメに任せてさっさと逃げたいところなのだ。
しかしそれができない。なぜならカタナに向いていないカトリ・デアトリスの棘は、サイノメに向いているのかもしれないのだ。
(……難儀なもんだな)
逃げたいのに逃げられないというのは、とサイノメの苦労が少しは解ったような気がして、カタナの口元は自然と歪んでいた。
「じゃあ少し出てくるぞ。サイノメはヤーコフと留守番な」
「書類地獄の間違いだろ!!」
そうとも言う。ん? 結果的に始末書から解放されて得したのではないだろうか?
そうしてカタナはサイノメからの罵詈雑言を背に、カトリ・デアトリスを連れ立って駐屯所を出た。