第二十八話 魔竜との戦い
急旋回、急上昇、一撃離脱のヒットアンドアウェイ。
今現在のカタナが討てる手はそれだけしかなかった。
「ちっ、クーガー!!」
「ピ、ピッ、ピ――」
カタナの号令で身を翻すクーガー、魔竜の爪が何度目かの空を切り裂いた。
魔竜にしても、四枚の翼を巧みに使い、空中を自在に動き回るクーガーを捉えるのは困難な事らしく、まだ唯の一撃も受けていない。
(……この体格差だと、受けたらその時点で終わりだがな)
一旦空に逃げ延びるクーガーとその背に乗るカタナ、魔竜は相変わらずその背にある翼を開こうともせずに、地の上で待ち受ける。
カタナとしては、いっそのこと空中戦に持ち込めれば楽になると踏んでいた。
魔竜も他の飛竜も持ち得ない四枚の翼、突然変異により天から授かったその力でクーガーの空中での運動性は随一である。
四枚の翼を個別に動かす事で可能になる急制動、そして瞬時の上昇力。最大全速は体格の問題で他の飛竜に及ばないが、接近時の小回りは追従を許さない。
もし魔竜が空中戦を挑んでくれば、障害の無い空中で上下からの攻撃手段も取りやすくなる為、今以上に翻弄できるはずだった。
(これだけつついても地上で構えているって事は、それに気づいているって事か。魔竜にしちゃ考えてやがる……いや、本能ってやつか)
厄介な、と毒づきながらカタナは再度の攻撃のタイミングを計る。
本来なら仕掛けるよりも迎え撃ちたいところなのだが、そうしなければならない理由があるからだ。
(自警団の連中に、意外な根性があったのが大きな誤算だ……)
視界の端にはまだ自警団の姿がある。離れたところからカタナ達と魔竜の戦いを見守っている様子だ。
さっさと逃げ帰ってくれたら、カタナとしてもかなり動きやすくなるのだが。そういう動きは全く見せない事から、当初の魔竜の監視という目的と、あるいはいざとなれば参戦して、カタナを援護するという気構えがあるのかもしれない。
どちらにしてもカタナには迷惑な事だが。
(……まあ、いきなり現れた見知らぬ奴に任せて、逃げ帰る事に抵抗があるのは解るが)
だが離れているとはいえ、位置的には充分危険な場所。よって魔竜の意識が自警団に向かないように、カタナが引き付ける必要が出てしまっていた。
(俺はまだいいが、問題はクーガーか……)
ここまでに何度も無理な動きを要求せざるを得なかった。戦闘中の息つく間もない状態で蓄積する疲労は、ただ飛行する時の比ではない筈だ。
そしてもう一つ、クーガーについて心配な事がある。
それは相手が魔竜であるという事。同じ竜族であるがゆえに、クーガーも相手が上位の存在であると解っているだろう。
敵わない存在と対峙している恐怖、それにクーガーが堪えている事を、カタナはその背で感じ取っていた。
(これは、もう手段を選んではいられないか……)
魔竜を討ち倒す手段は、今は無い。それでもクーガーはカタナを信用して共に戦ってくれている。
それに応える為に、カタナは覚悟を決めた。
「次は、これでいく」
簡単な手の動きでクーガーに意志を伝えるカタナ。
その手の示す先には自警団の姿があった。
++++++++++++++
「す、すげえ」
いきなり現れた飛竜と、その背に乗る謎の人物。それらと魔竜が互角のように戦っているのを見て、ダルトンは息を漏らした。
「協会騎士団の竜騎士か? いや、救援にしても早すぎる……何より一騎ってのがおかしい」
ダルトンの横では、自警団の同僚が思考を巡らせていた。
この状況をどう見るか、自警団の内でも答えの出ぬ議論が交わっている。
「ダルトンはどう思う? 魔竜と戦っている以上は、あれを味方と判断するべきだろうが。そうした場合、俺達は何をするべきだ?」
「そ、そりゃ加勢するべきじゃねえか?」
言ってみるも、ダルトンが自信なさげであるのは、それがどれだけ絶望的な事か、見ただけで解っているからだろう。
「あの中に俺達が行っても、魔竜に踏み殺されて即終了だろうな」
ダルトンがそれを解っているのは同僚も理解していたが、明確な考えを得る為に否定した。
「……だったらこのまま逃げ帰るってのか? また誰かに任せて何もしねえまま?」
それはできねえ、とダルトンは力強く言った。
「俺達にだって出来る事があるかもしれねえ、やっとそう気付いたってのに。ここで逃げて本当にいいのか?」
ダルトンはその場に居る自警団の仲間全員に問いかけた。
「……」
返答は沈黙、だがそれは否定ではないのだろう。皆がダルトンのいう事に反感は覚えなかった。
しかし、だからといって肯定するべき手段も提示できない。だからこその沈黙。
正解の無い禅問答をしている気分であった。
誰しもが、その状況の行き詰まりを実感した時、魔竜と交戦していた謎の飛竜に動きがあった。
「おい、あの飛竜こっちに来るぞ!!」
「何?」
魔竜を引き離し、空の上から滑るように降りてくる謎の飛竜。
飛竜が目の前で止まった時、その背に乗っている人物に見覚えがある事を、ダルトンはようやく気付いた。
「お、お前はボンクラ騎士隊長!?」
ダルトンの第一声は、ボンクラ騎士隊長ことカタナの溜息を呼び起こすのに、充分な威力であった。
++++++++++++++
「……何でもいいが、こちらも余裕がないから手短に言うぞ。さっさと失せろ」
手短というか、遠慮のないカタナの一言が自警団の面々に浴びせかけられた。
「待ってくれ!! 俺達にも……」
「さっさと失せろ。俺は『ハイ』か『解りました』しか聞く気は無い」
食い下がろうとした誰かの声に、カタナは取り付く島の無い様子で言い捨てた。
だが、誰もカタナの言う通りに動こうとはしない。そしてよく見ると自警団の誰しもが、その中の体格の良い男に視線を向けていた。
「お前がリーダーか?」
それはカタナをボンクラ呼ばわりした男だったが、それはこの際どうでも良く(むしろ言われても仕方ない)。知りたかったのは、今この場の自警団を動かせるかどうかだ。
「そうかも……そうだ。だったらなんだ?」
微妙に自信の無いようなニュアンスであったが、周囲の反応からそう認められているようだった。
「どうしてここに留まる?」
カタナはあくまで簡潔に、必要な事だけ口に出す。無駄な事を口に出す時間も惜しい。
「俺達だって命を懸けてる。あんたに任せて逃げ出すわけにはいかねえ」
そう言ったリーダー格の男の目には、それだけの決意が滲んでいた。
周囲を見渡すと、数人は少し怯んだ様子だったが、同じだけの決意を持っている者もまだいた。
「……なるほど。どうやら命の懸け所を間違っているだけみたいだな」
微妙にがっかりしたような複雑な表情で、カタナは嘆息した。
「間違ってる? 何が間違ってるってんだ!? アンタに、俺達の何が解るんだ」
カタナの言い方は男の癪に障ったらしく、反抗する空気に拍車がかかった。
(逆効果か……面倒な)
二つ返事で命令を聞いてくれる部下達のありがたみを、カタナは実感した。
そして指揮の及ばない兵の厄介さも。
「俺が言いたいのは……待て、この音はまさか!?」
「音?」
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……
何かが震える音、唸り声。
その音が何処からくるのかはすぐに解った。
「おい!? 魔竜が!! 様子が変だぞ!!」
誰かが叫ぶ、だが皆が言うまでも無く気付いていた。だがその現象が何であるのか知っていたのはその場に一人、カタナだけであった。
「……『竜言語魔術』!! 追ってこないと思ったらこれか!!」
魔竜が『魔』竜と呼ばれる所以は実に単純。体内に魔力を宿し、そして魔術を発現する事が出来るから。
魔竜の発現する魔術は『竜言語魔術』。前兆として唸り声のような音が聞こえる事からそう呼ばれる。
魔竜と交戦経験の無いカタナがそれを知っていたのは、カタナが魔元生命体といして作り出される時、研究者達が古今東西の戦闘に関する記録を、カタナの脳に刻みつけたから。
普段は意識していないので役に立たない知識だが、必要な時にはしっかりと必要な分思い起こされる辺り、一応は意味があるものだったとカタナは実感した。
(とはいえ、対処法……『不明』。馬鹿にしてんのか!?)
自分の記憶の中にある記録を、思いっきり心の中で投げ捨て。カタナはクーガーから降りて飛び出していた。
自警団の中にそれだけ咄嗟に動けた者はいない。クーガーも、魔竜が何をしようとしてるかを、知ってか知らずか動かない。
魔竜は大きく口を開く。
どうやら魔竜が発現しようとしてるのは、ある意味でオーソドックスと言える竜言語魔術のようだ。
それならば対処できるかもしれないと、カタナは意を決した。
「――魔元心臓起動」
何かの信号が体を駆け巡るような感覚と共に、カタナの心臓から溢れんばかりの魔力が供給される。
耳鳴りが聞こえ、妙に息苦しくなるその感覚も慣れたものとし、右手を魔竜に向けて止めた。
一切の静寂、カタナは他の感覚を全てカットして、体内で蠢く黒い力を御する事にのみ集中する。
(耐えろ。相手は竜、並みの魔力では足りない……俺の身体の限界を以って余りあるものを……)
経験の無い事態、不完全な自身の力、それでも充分可能性は見出せる。
(糞野郎共の夢見た『無限の魔力』、たとえ失敗だったとしても竜の一匹くらいは超えて見せろよ!!)
既に自分で引いていた、限界を超える量の魔力を留めている。これ以上は今まで必要なかった、だが今はそれ以上を求められている。
オオオオオオオオオオガアアアアアアアアアアアアアアアア……
唸り声から、咆哮に、そしてそれ以上の轟音。
魔竜が発現したのは漆黒の業炎球、先の魔人が発現したものとは魔力の密度も規模も桁違いの熱量。
夜闇よりも更に暗い漆黒の炎は、その先にあるものすべてを焼き尽くすように進む。
「……消し飛べ!!」
カタナは業火球に向かって魔力を解き放つ。
黒き力の奔流は世界を捻じ曲げる力、自然の理を塗りつぶす力。
しかし、カタナが望むのは平定。
世界を捻じ曲げる力を、逆に捻じ曲げる事によって霧消させる。
それがカタナの最も望む魔元心臓の使い方。
(……!!)
黒炎に呑まれながら、叫びだしたい衝動を抑えながら、カタナはただ一つの事を求める。
(消え失せろ、お前らは、この力は、この世界にあっていいものじゃない……)
魔力には意思が宿る、その意思を複雑に組み合わせれば魔術となる。だがカタナにとっては一つの意思だけあれば充分だ。
(そう、この炎が消えればそれでいい――!)
真正面から受け止め、真正面から捻じ曲げ返した。
魔竜の力を、カタナは真正面から捻じ伏せた。
+++++++++++++++
獲物である内は、魔竜の真の脅威を体感したとは言えない。敵と認識されて初めてその脅威を存分に理解する。
竜言語魔術は獲物には使わない。これから食べる物をわざわざ灰にするほど、魔竜は雑食では無いのだから。
その点で自警団の面々は魔竜の認識を違えていた。
「……これで解ったか」
そこに居る全ての者にカタナは言った。短い一言であるが、多くの事をそれだけで物語っていた。
「あんたは、一体……」
当然の疑問であろうが、それについてはカタナは説明する気はない。
「良いからさっさと退け、アンタらの命を懸ける場所はここじゃない。ここは命を捨てる場所だ」
先程言いそびれた言葉をとりあえず伝えておく、今度こそ伝わってくれないと流石に面倒で殴り倒してしまうかもしれない。
「解った。ここは任せる、俺達は避難した市民の護衛に回る」
返事をしたのはリーダー格の、体格の良い男とは別の人物だったが、求めた返事が返ってきた事にカタナは安堵を憶えた。
カタナがさっさと行けと言う前に、号令によって自警団は去っていった。そうと決めた時の逃げ足は中々である。
「クーガー、お前もあいつらと一緒に行け」
「……ピ……ピ」
クーガーはカタナのその指示に頭を振った。気持ちは嬉しいが、クーガーがもう戦えない事をカタナは気付いていた。
竜言語魔術によって魔竜の真の脅威を悟ったのは自警団だけでは無い、クーガーもまた元々堪えていたものを、堪えきれなくなっているのが目に見えて分かった。
「充分だ、お前は良くやった」
「……ピー」
「いいから行け」
最終的に少し強い口調で命令を下す。こういう所でクーガーは扱いにくいとカタナは思った。
本来ならもう少し嫌な口調で突き放すのだが、どうしてかクーガーにだけはそういう態度が取れない。
(俺の周りで唯一純粋でいい奴だからか? ……かもな、思い返せば汚い奴らばっかりだ)
何がどう汚いのかは、心の内の事でも割愛すべきだと思ったのでそうしておく。
なお躊躇するクーガーだったが、地響きが聞こえると同時に飛び去って行った。
「無粋な奴だ、別れくらいゆっくりさせろよ」
地響きとともに向かってくる魔竜、竜言語魔術を破られた事がプライドに障ったのか、カタナしか目に入っていない。
(そういえば初めてだな、勝てない戦いをするのは……)
思い至ったカタナは、借り物の魔法剣を構える。
今までに感じた事の無い高揚感が、口の端を引き攣らせた。