第二十七話 自警団と魔竜
カタナは震える手を握り締めながら、夜空を見渡していた。
月も星も隠された夜闇、カタナが一番嫌いな夜の風景。
(縁起が悪いな、こういう時は少しでも良い事を考えたいところなんだが……)
闇に囲まれていると、嫌でも思い出したくない昔の事を思いだしてしまう。
昼夜を問わず薄暗い部屋、そこで行われた実験。
カタナが魔元生命体として作られた場所。
狂った研究者達の実験場。
(トラウマってやつか……もう五年も前の事なのに、情けない)
毎日来る夜の闇は、カタナがかつて居た暗い研究所を想起させる。そして毎日来るからこそ、それをカタナが忘れる事は出来ない。
地獄と言っていい日々、ただの物として扱われ、実験台にされた毎日。壊れる事も壊す事も出来なかった五年間。
その記憶はカタナから眠りを奪い取る。安心して瞳を閉じる事が出来るのは、あの時は無かった太陽の陽の下だけであった。
「ピイーー?」
カタナの震えが伝わったのか、クーガーが心配そうに声を上げた。
「大丈夫、少し寒かっただけだ。俺の事はいいから、お前は飛ぶ事だけに集中してくれ」
本当のところは隠して、カタナはクーガーにそれだけ伝える。
実際に言葉は理解できない筈なのだが、時としてクーガーは言葉の通じる相手以上に、鋭く察してくるから不思議だった。
そしてクーガーのその気遣いによって、カタナは下がり気味だった気分が、いくらか持ち直した事を実感する。
一人じゃない、それはカタナにとって重要な意味を持つ。
(……もしかしたら、それも糞野郎共の計算の内なのかもな)
研究所での地獄の日々も、カタナの支えになってくれる存在が居たからこそ耐えられた。
しかし、あるいはその時に植え付けられたのかもしれない。カタナが自分を支えてくれる者を必要とする弱さを。
そんな事が脳裏によぎり、カタナは大きく一息吐く。
(今は考える必要も無い事だ、それよりも目下の事態に対応しろ)
心の内でそう念じて、カタナは意識を切り替える。
まだ目標まで距離があり、空の上では何もできないカタナには無力な時間。それでも無駄な事を考えている余裕はそれほどない。
研ぎ澄まされたカタナの視界には、数キロ先の魔竜の姿が映っているのだから。
++++++++++++++
「くそ! 何とかならねえのか!?」
ダルトンは八つ当たりをするように、何ともならない事を理解しながらも、そう周囲に怒鳴り散らした。
「なるわけないだろ!!」
案の定、自警団の同僚から返ってくる言葉も、解っている通りの怒鳴り声。
それでもまだ、その同僚は返答する気力があるだけマシだった。あまりの恐怖でダルトンの言葉を聞いている余裕の無い者もいる。
現在、ダルトン達ゼニス自警団は魔竜に追われている。
眠っていた魔竜が目覚め、監視についていたダルトン達は、ゼニスの避難民の方に魔竜が向かわないように注意を引き付ける事に成功した。
それによってある程度の足止めの役目を果たせたのだが、ダルトン達に及んだ危険は代わりに請け負ってくれるものなど居なく、彼らの命は全力で走る馬の体力と同時に尽きてしまう。
魔竜の巨体が一歩踏みしめる毎に地響きが聞こえ、その咆哮は背筋を震わせる。時折開かれる咢の大きさは、人一人を飲み込むのに十分なもの。
解ってはいたが、辺境の自警団風情がどうにかできるような存在では無いだろう。
「このままじゃ、俺達全員お陀仏だぞ!!」
「魔竜の監視も陽動も、ダルトンが言い出した事だろうが!! 何も策がねえなら格好つけんじゃねえよ!!」
「う……」
不満をぶちまける同僚に、ダルトンは言葉を詰まらせる。後先の事は考えていなかったのは事実なので、それに言い返す事は出来なかった。
「……それじゃ、さっさと逃げ出せば良かったじゃねえか。無理して俺に付きあう必要は無かっただろ?」
「無理はしてねえよ! 俺が言いてえのは、付きあわせた奴が文句ばっかり言ってんじゃねえって事だ! 俺はダルトンが正しいと思ったから付いて来た、腹だってもうくくってる!」
ダルトンの同僚は力強く言った。
「市長が死んでゼニスがあんな状態じゃ、もう俺達は自警団でもなんでもないんだよ!! それでも一銭にならねえことに命張るのは、ダルトンと同じ気持ちだったからだ!!」
市長に踊らされ、知らぬ事とはいえ魔竜召喚の手助けまでさせられた事。それを知った後も何もできなかった事。そして反目していた騎士に、多くの借りを作ってしまった事。
ゼニスの事の責任の一端は自分達が担っていると、ダルトン達自警団の面々の誰もが感じている。
そして、それから逃げ出してはいけない事を、誰しも痛感していた。
「あのまま逃げても、クズ扱いでどっちみち生きていく場所はねえよ……同じ逃げるでも、こうやって誰かの役に立てれば俺達は英雄だ。そうだろ、ダルトン団長?」
「だ、団長?」
「おうよ、なりたかったんだろ? もう自警団なんてあってないようなもんだけど、譲ってやるよ」
そんな同僚の無責任な物言いで、ダルトンはかつて望んでいた団長の地位をあっさりと手に入れた。
「……すげえ虚しいな」
「ハッ、そんなの市長に取り入ってなるのと、対して変わらねえよ。重要なのは、今のダルトンになら任せてもいいって俺が思った事だ」
その言葉はダルトンの身に染みた。ちっぽけな野心で失敗し、今もまた自分のせいで仲間が危険にさらされている。それでもそんなふうに言ってくれる同僚の言葉に、ダルトンは救われた気分になった。
「団長……か」
呼ばれるまで気付かなかった重みが、その言葉にはあった。
ただ単純に上の地位であるだけじゃない、請け負うべき責任の重さだ。
(俺がなりたかったのは、団長という同じ呼び名でも、きっと違う別の何かだったんだな……)
ダルトンは気付くと同時に、今までの自分を恥じた。
自分の思うようにならない世の中に文句を言い、自分より恵まれている者には当り散らす。そんな生き方をしてきた事を、そんな生き方しかできなかった事を、許せなくなった。
そして今までの自分が求めたものが、如何にちっぽけなものであったのかを思い知った。
「おい、相棒」
「誰が相棒だよ。お前とは仲が良いつもりも、これから仲良くなるつもりも無いぞ」
ダルトンの呼びかけに、同僚はつれない返事を返した。
「……なんでもいい、とりあえず聞いてくれ。どうやら魔竜よりも馬の足の方が若干速いみてえだが、もう馬の方が限界に近い」
ダルトン達を乗せて走る馬は、既にかなりの距離を全力で疾走している。
騎士団で訓練されているような騎馬とは違い、自警団の所持していた馬の練度はそれほど高くない。このまま走り続ければ、もっても後数分で力尽きるだろう。
「そんなのはダルトンに言われなくても解ってるよ。ならあと数分で魔竜を巻いちまえばいい」
「出来ると思うか?」
「無理だな」
キッパリと答える同僚。それこそダルトンが聞くまでも無いようだった。
馬が人を乗せて走れる場所は限られる。山道は元より、森などの障害物の多い場所は無理だ。必然的に見通しの良い平野を走ることになる。
たとえ距離を数百メートル離したとしても、それではすぐに魔竜に見つかっておしまいだ。
馬を捨てるのは更に論外。森や山に逃げ込んだとしても、人の体力では逃げ延びるのは難しい。
それにダルトン達は、魔竜がゼニスを破壊する様を見ていた。
だから森や山に逃げ込んだとしても、そこが魔竜の力によって平野に変わる事が容易に想像できてしまった。
「まあ、俺達の悪運もここまでだったのさ。しょぼい死に場所だが、あの世で先に逝った奴らに言い訳できるくらいの仕事を、最後にできたからいいんじゃねえか?」
腹をくくったと言った同僚の言葉の意味が、ようやくダルトンに解った。
「確実に死ぬと解ってたのか?」
「むしろ俺としちゃ、死なねえと思ってる奴がいた事に驚きだな……」
どうりで冷静な訳だった。ダルトンが土壇場で慌てていたのも、他の奴らが恐怖で喋らないのも、誰一人死ぬ覚悟が出来ていなかったからだというのに。
「お前らと違って、俺はゼニス生まれだったんだ。街に対する思い入れも、自警団としての心構えも全然違ったのかもな」
同僚の言うように、ダルトンにはそういう気持ちが欠けていた。
市長の言いなりになっていたのも、ダルトンは野心を利用されたからだが、きっとこの同僚は、そのゼニスへの思いを利用されてしまったのだろう。
「だから自分が許せない。ゼニスが崩壊した事の一端を、自分が担っていたことがな。だから俺の安い命で、ゼニスの皆が助かるなら本望だ」
そういう言葉を恥ずかしげもなく言ってしまえるのだから、ゼニスが余程好きだったのだろう。
ダルトンはその同僚からそういう話を聞くのは初めてだった。思えば今までろくに話した事も無かった相手だったので、名前すら知らない。
「なあ、お前の名前を教えてくれよ」
ダルトンが尋ねると、同僚は笑って答えた。
「もうすぐ死ぬのに、今更知ったってしょうがないだろ? どうしても知りたきゃあの世で教えてやるよ」
「……そうか。じゃあ、俺はそうならねえ事を祈るぜ」
「あん?」
同僚はダルトンの様子がおかしい事に気付いた。そして、真横に並んでいた筈のダルトンの乗っている馬が、一馬身程後方にながれていた事も。
ダルトンは握る手綱を引いていた。
「お、おい! 何やってんだ!?」
走るのを乗り手に妨害されているダルトンの馬は、みるみる速度を落としていく。
「お前は生き残った方が良い。これは俺なりの落とし前だ……」
ダルトンなりに、この状況をどうにかする方法を考えた末の行動。
他の誰かを囮にすれば、自分が助かるのではないかという最低の考えを、逆に自らを囮にする事で行動に移す。
「ば、馬鹿野郎!! 何を格好つけてる、似合わねえんだよ!!」
ダルトンはこのまま皆死ぬよりも、自分が囮になる事で他の皆が逃げ延びられる可能性に賭けた。
(確かに似合わねえ。今まで誰かの為になんて、考えた事も無かった。誰かを蹴落とす事しか頭になかった)
自分の心境の変化には戸惑うばかりだが、ダルトンはその答えを本当はずっと知っていた。
(そういや昔、騎士になりたいって、思ってたな。協会の勇者の教えが大好きだったから)
やたらとヤーコフに突っかかっていたのも、ダルトンがその夢を捨てきれていなかったからかもしれない。
(『我が剣は我が為に非ず』か……騎士じゃなくても、そのぐらい実践できるっての)
どうせなら最後に、あの理想ばかり語る騎士に一言言ってやりたかったと思ったが、それも冥土の土産になるならいいかとダルトンは諦めた。
代わりに、何事か叫んでいる同僚たちに一言残そうと決める。
「あば……!!」
あばよ、と言いかけたダルトンの言葉は、頭上を通り過ぎた飛竜の起こした風で消し飛んだ。
++++++++++++++
捉えた魔竜の姿はカタナの予想以上だった。
特にその巨大さ、目算で全長三十メートルくらいはあるだろうか。飛竜にしても大きめのクーガーと比べても、五倍くらいの差は優にあった。
(でかいな、魔界最凶って呼ばれるのもよく解る……)
そして巨体の黒い体表の全てをゴツゴツした鱗……いわゆる『竜鱗』が守っている。更に牙や爪は、一体何がそこまでの発達を促したのか不思議に思えるほど鋭い。
だからといって尻込みするわけにはいかない。それと戦う為にカタナはここに来たのだから。
「クーガー、まずは一発挨拶だ」
軽いジェスチャーを交えてカタナは支持を出す。
クーガーは甲高い鳴き声を上げると、カタナの指示通り滑空して速度を上げながら、魔竜に向かった。
途中で自警団らしき集団とすれ違う、おそらく魔竜から逃げていたのだろうが、それに構っている余裕は無かった。
最高速で正面から向かってくるクーガーに魔竜は気付き、大きく咢を開いて鋭い牙を覗かせる。
「今だ、クーガー!!」
カタナの号令で、クーガーは四枚の翼を使って急旋回、掠めるように魔竜の牙を回避する。
同時にカタナはクーガーの背を滑るように降りる。右手にはクーガーの尾がしっかりと掴まれており、空中に宙吊りの体勢。
そしてカタナの左手には魔法剣、それを容赦なく魔竜の横面に斬りつける。
「……っつ」
キ――――――――――ン
耳を劈くのは金属の反響する音。
竜鱗に守られた魔竜の体には、カタナの全力をもってしても傷一つ付けられなかった。
だがその衝撃は魔竜の体勢を崩す。
相手が生物であるのは変わりない、ならば頭部を攻撃して、僅かでも脳を揺らす事が出来れば効果が出る筈。そのカタナの考えは間違いでは無かった。
「――!? クーガー!!」
しかし、魔竜が体勢を崩したのは一瞬。次の瞬間には魔竜の前足の鋭い爪がカタナに迫る。
クーガーが尻尾を振り上げ、カタナを逃がしていなければ切り裂かれていた。
そのままカタナはクーガーの背に戻り、一旦魔竜との距離を離すためにクーガーは高空に飛び上がる。
魔竜は完全にカタナとクーガーを敵と判断したのか、睨みあげるように竜眼を細めた。
動きを止めた魔竜は、カタナ達の出方を窺っているようだった。その背にある翼を開こうともせずに、地上から見上げている。
(どうやら、完全に敵だと認識されたようだな……)
獲物では無く、敵。食べる物では無く、殺す相手。
つまりは、それだけ本気にさせてしまったという事だ。
(さて、どうする。正直こんな鈍一本じゃ全く倒せる気がしない)
借り物にケチをつけるわけではないが、魔竜は魔法剣では荷が重い相手だ。
そもそも魔竜を相手にする事を許容する武器を、人の手で作るのは無理なのだろう。そんな物が作れるのなら、カタナのような存在は作られなかった筈だ。
(今はとにかく、時間を稼ぐことが先決か……場合によっては本当に逃げ回る事になりそうだ)
そう考えた矢先の事、カタナは視界の端に信じられないものを捉えた。
「――馬鹿が!」
逃げていた筈の自警団の数人が、離れた場所で馬の足を止めていた。
デュナミス15をやっていたら、あっという間に一週間経っていました。
ゲームはほどほどにしないといけませんね。
本当は今回もっと長くする筈でしたのに……。