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魔剣カタナとそのセカイ  作者: 石座木
第一章 聖騎士と従騎士
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第二十六話 残ったものと残らないもの

「おや? カタナ様ではありませんか」

 カタナがある人物を探してブラブラしていると、嘘のような偶然で逆にその人物から声が掛かった。

「マスター、無事だったんだな」

 カタナが探していたのは、カタナの行き付けだった喫茶店の店主。名前は知らないので皆がそう呼ぶように、カタナはマスターと呼んでいる。

 こんな時でも、誰しもを穏やかにさせるような独特の空気と、落ち着いた身のこなしは健在で、周囲の悲壮な雰囲気とは真逆であった。

「ええ、何とか逃げてくることが出来ました。カタナ様も御無事で何よりです、御姿が見えなかったので心配しておりました」

「……少し街を出ていてな、俺は少し前に合流したばかりなんだ」

「そうでしたか、何にせよご無事だったのは嬉しい限りです」

「……そう思うか?」

「ええ、私にとってお客様方は家族のようなものですから。私の様な独り身の爺にはそれが全てでもあります」

 笑いかけながらそう言ったマスターには、少しも無理をしている様子が無い。相変わらず言葉使いは堅苦しいが、それすらもマスターらしさを表すような自然体であった。

「家族……か」

 そういうフレーズに慣れていないカタナには、少し照れくさい。

「はい、もう店は無くなってしまいましたが、私はずっとそう思っております」

 何故かそれに引け目を感じるように、申し訳なさそうに言うマスター。初めてその顔に陰りがさす。

 それを言う事で、カタナがどんな思いをするのかを、案じているような様子であった。

「……もう店はやらないのか?」

「どう、でしょうか……もし新たに始めるとしても、それは別の場所の別の店になってしまいますし。ゼニスがあの状況では、同じものは望めないでしょうから」

「そうか……」

 このままいけばゼニスは地図から消える運命にある、それはもう誰しもが理解している事なのかもしれない。

 しかし、誰しもがそれを納得しているわけでは無い。街があって人がいて、でもそれだけではない思いも、あの場所にはあった筈なのだから。

「なあマスター、前から聞こうと思っていた事があるんだ……」

「何でしょう? 私に答えられる事なら遠慮なくどうぞ」

 カタナは、かつて行き付けだった喫茶店を思い出しながら問いかけた。聞きたかったのはそこの看板に書かれていた文字の事。

「『コシーロ』ってどういう意味だ?」

 変わった響きのある言葉だと思っていた。カタナが知っている言語の中には無い言葉であり、それでいてどこか懐かしいと思っていた。

「ああ、私の店の名前ですね。コシーロは私の故郷の古い言葉で、『居眠り』という意味があります。お客様方に我が家で過ごすようにくつろいで頂けるよう、あの店にそう名付けました」

「居眠り……か」

「特にカタナ様は、あの店の在り方の体現者でありましたね」

「コーヒー一杯で入り浸って、迷惑だったろ?」

「そんな事は一度も思いませんでしたよ、むしろ嬉しい事です。カタナ様は私の店をそれだけ愛して下さっていた、私にはそれだけで充分なのです」

 それを誇りに思うと言って、マスターは笑う。それが今はもう戻らぬ過去の事だとして、一抹の寂しさを感じながらも。

「……あの店を開いて良かった。今までの御贔屓、本当にありがとうございました」

 それが最後の挨拶であるかのように、マスターは腰を折って頭を下げようとする。

 しかし、カタナはマスターの額に手を押し当てそれを阻んだ。

「――!? ど、どうされましたか?」

 予想外の事をされたマスターは、驚きで目を白黒させている。常に落ち着いた雰囲気のマスターが、初めて見せる表情であった。

「いやな、勝手に店じまいにされるのは困るんだ。俺はまだマスターの店に満足はしていないからな」

 どこか意地の悪い笑みを浮かべながら、カタナはそう言った。

「あんたのコーヒーは、俺には少し苦い。次に行く時はもう少し甘くしてくれ」

「……次に、ですか?」

「そう、マスターの店で。俺が……いや、皆が愛したあの店でな」

 まるで決定事項であるように、カタナは言う。それがもう無理な事であるとは、微塵も思わせないような説得力がその言葉にはあった。

 それが幻だったとしても、マスターには否定することができない。

 誰よりもマスターの店を、喫茶店コシーロを愛していたのは、マスター自身なのだから。

「……ええ、解りました。次こそはカタナ様が望まれるものをお出しできるように、私も精進いたしましょう」

「ああ、約束だ」

 そう言ってカタナは手を差し出す。マスターはそれを固く握りしめた。



「……ところで、申し上げにくのですが。カタナ様には、折り入ってお願いしたい事があるのです」

「何だ? マスターの頼みなら大抵の事は引き受けるぞ」

「ありがとうございます……では遠慮なく」

 そうしてマスターからのお願いを聞き終えた後、カタナは安請け合いをほのめかした事を深く後悔した。

 


+++++++++++++++



 カタナの目の前には、泣いている女性の姿があった。

 その女性はカタナにとっては既知の人物であったが、弱々しく泣いている姿を前にしては、流石のカタナもおいそれと声をかける事が憚られる。

 しかも泣いている原因がカタナにもあると思われる事が、いっそう声をかけ難い思いを強くしている。

 結果、カタナは泣いている女性を前にして立ち尽くすという、醜態を晒す事になった。

(マスターめ、こんな無理難題とは聞いてないぞ……)

 心中で愚痴を零すが、そのマスターの姿は近くにはない為、恨みの念を発散させることもできない。

 本当なら今すぐにでもこの場を立ち去りたい所なのだが、マスターとの約束を反故にしない為にもそれだけはできなかった。

「……おい、ウェイトレス」

 どうにか決心を固めて、カタナが声をかけると、膝を抱えて泣いていたその女性が顔を上げた。

 泣きはらした目でぼんやりとカタナを見上げたその女性は、喫茶店コシーロのウェイトレスを勤めていたリーネ。

 マスターのお願いとは、理由も話さず泣き続ける彼女を、元気付けて欲しいという事だった。

「ぐす……あんたか……消えてよ」

 しかし開口一番に、そう切って捨てる台詞が出てくるあたり、ハードルの高さはとてつもないという事をカタナは実感した。

「本当はそうしたいが、お前の事を頼まれたからな」

「……頼まれたって……ヤーコフさんに?」

 どこか複雑そうに、それでいて少しだけ嬉しそうな顔で、リーネは訊いた。

「いや、マスターにだが……」

 ここは嘘を吐くべきかどうか迷ったが、カタナは真実を伝える。瞬間、リーネの顔がまた伏せられた。

「ぐす……そうよね……ヤーコフさんが、私の事なんて気にする筈ないわよね……」

 いじけた様に、ぶつぶつとリーネはネガティブな事を呟く。それにカタナは少しだけ違和感を感じた。

「いや、気にするだろ。一応はあいつの彼女なんだからな」

「……一応って言うな。あー、でもそうかもね……本命の超絶美人がいた訳だし」

「あ? 何の事だ?」

 違和感は更に深まった。ヤーコフは確かに数人と同時に付き合うという、健全とは言い難い異性交遊を構築している。

 しかし、ヤーコフはその中で本命というような、特別な相手を決めてはいなかった筈だ。カタナが知っている限りでの話だが。

「……さっきのあの子がそうなんでしょ? 金髪の女性騎士。ぐす……あんな美人、反則だよ……」

 だがその言葉で、カタナは違和感の正体に気付いた。そしてリーネがどうして落ち込んでいるのか、正確に理解した。

 カタナはリーネが泣いている理由を勘違いしていた。邂逅した時のように、ヤーコフの怪我の事か、ゼニスの今後の事について、その事を考えていると思っていたのだ。

 それが全くの見当違いだと分かった時、カタナの腹から笑いが込み上げた。

「くくく……ふははははは……」

 カタナが声に出して笑うのは珍しい事。それは本当に久方ぶりの事だった。

「ちょ!? なに笑ってんのよ!! 私がフラれたのがそんなにおかしいわけ!?」

 泣き顔だったリーネも、流石にカタナに対して怒りを向けた。

「くはは……っと、悪い。お前の勘違いがあまりに可笑しかったんでな……」

 口元にはまだ笑みの残るカタナは一応弁解する。そして誤解を解くためにリーネに説明を始めた。

「あの女騎士とヤーコフは、そういう関係じゃ無い」

「……なんであんたにそんな事が言い切れるのよ」

 信じられないと言った様子で、怪訝そうにリーネはカタナを半眼で睨む。

「あいつは、俺の女だからな」

「は!? 本当に!?」

「冗談だ」

「最悪……もう、死んでよ……むしろ殺したい」

 本気で殺気を向けてくるリーネに、冗談が過ぎたと反省し、カタナは説明を続けた。

「今のも悪かった。こういう時に冗談を挟むのが癖なんだ、だが最初に言った事は冗談じゃない」

「……あの金髪の美人騎士とヤーコフさんは恋人じゃないって事?」

 リーネは希望を手繰り寄せるように問う。

「そうだ。どうしてそう思ったのか知らんが、それは絶対にない」

「……だって今、あのテントに二人っきりでいるし、私を追い出したのだってそういう事じゃないの?」

「全然関係ない。あの女がヤーコフと一緒に居るのは、怪我をしたヤーコフの補佐する為であって、それは俺が決めた事だ。それと、ヤーコフがお前に席を外すように言ったのは、俺達だけで留めておきたい話があったからだ」

 カタナは一点だけぼかして言ったが、伝えたいのはカトリとヤーコフが恋仲ではないという事実だけなので、それで充分だ。

 もっとも、理由が下らなさすぎるので、言いたくなかったという事もあるが。

「でも、あんたが知らないだけで、そういう可能性も……」

 そこから先は言いたくなかったのか、リーネは口を噤む。しかし、その心配は無いと、カタナは首を横に振った。

「あの女……カトリ・デアトリスにはやるべき事がある、今はその為にしか生きられないと言っていた。それにヤーコフも気が多い奴だが、今はその心配もなさそうだ。お前になら解りそうなものだが」

「……どういう意味よ?」

「ヤーコフの事、ここまで支えてきたんだろ? 俺達が来るまではあのテントに、お前とヤーコフしかいなかった。つまり、そういう意味だ」

「あ……」

 それとカタナは気付いている。ヤーコフに巻かれた包帯が、少し不器用に巻かれていた事を。

 あれだけの傷と素人が向き合うのは辛かった筈だ。応急処置はヤーコフが自分でやったのだとしても、血を見るのに慣れていない者が、その場に居る事はそうできる事では無い。

「解ったか?」

「解った……ような気がする。正直あんたの言っている事だから信憑性は薄いけど……でも、なんとなく自信はでてきた、かな?」

 言葉は微妙だが、さっきと比べてリーネは随分持ち直したようだった。カタナとしても、ここまでフォローしたのだから、その労苦が少しでも報われた事に満足感を感じた。

「……しかし、勘違いとはいえ、こんな時に色恋沙汰で悩むとはな」

「こんな時だからよ。こんな時だからこそ、信じているものには……裏切られたくないに決まってるじゃない……」

「……なるほど」

 納得できる理屈かもしれないとカタナは思った。そして昔に聞いたある言葉を思い出した。

(『女は一途』……確か帝国に居た時に、風神が言っていた気がするな)

 そう考えれば、カトリ・デアトリスもリーネにも当てはまる事だ。自分の決めた道からは外れようとはしない。

 だからこそ、さっきのリーネのように、道が無くなったと思った時には進めなくなってしまうのだろう。

(道が無くなれば別の道を探せばいい……そう思うのは、人でなくとも俺が一応は男で、気が多いという証拠なのかもな)

 なんでそんな事を思ってしまったのか、なんとなく浮かんできたそんな考えを、カタナは心の奥底に沈める事にした。

「それじゃ私は行くわ、ヤーコフさんの所に」

 そう言って、さっきまで塞いでいたリーネは、少しばかりの笑顔を浮かべて立ち上がった。

「さっさと行け、そして絶対にフラれるなよ。こんな面倒は二度とごめんだ」

「……言われなくても、そのつもりよ!!」

 捨て台詞を吐いて、リーネは走り去っていった。

 何とかマスターからの頼みごとを達成したカタナは、遠くなったリーネの姿を一度確認してから、後ろを振り向く。

「呼ぶまで隠れてるつもりか、マスター?」

「ばれておりましたか、さすがですね」

 少し離れたところにあった太い樹の陰から、マスターがひょっこりと顔を出した。

「……マスター、こんな頼み事はこれっきりにしてくれ」

「はは、申し訳ございません。この年になっても、やはり女性の涙というものは苦手なものでして……」

「得意な奴はいないだろ。それに別に俺じゃなくても、ヤーコフに任せた方が良かったんじゃないのか?」

 終わった事を蒸し返すわけでは無いが、その事にカタナは今更気付いた。

「理由が解らなかったので何とも言えませんが、きっとカタナ様ならどんな場合でも、リーネちゃんを元気付けられると思っていましたから」

「……なんだその理由」

「前に言いませんでしたか? リーネちゃんはカタナ様に対してだけは遠慮がないと……」

 そういえば、前に店に行った時にそのような事を言われたと、カタナは思い出した。

「つまり、ストレス発散に使ったと?」

「いえいえ、きっとあれはリーネちゃんなりにカタナ様に甘えたのでしょう。私と同じように、リーネちゃんもカタナ様の事を、家族も同然に思っているのかもしれませんね」

「……そういう誤魔化しは……ん?」

 言葉の途中で、何かに気付いたようにカタナは周囲を見回した。

「如何されました?」

 マスターの問いかけにカタナは曖昧に首を振りながら、やがて方向を見定めて耳を澄ませた。

「これは……」

 カタナの耳には僅かに笛の音が届いた。そしてその音が聞こえてくる先には、ゼニスがある。

 それは、想定していた最悪の事態が起こった事を意味していた。



++++++++++++++



「魔竜がこちらに向かっているぞ!! 早く避難を!!」

 警笛を鳴らしながら、自警団員が早馬で急報を知らせる。しかし、数分ほど前に、その急報にいち早く気付いた者が居たおかげで、既に避難の準備は完了していた。

 そして逃れていくゼニスの市民達とは別に、周囲には誰もいない森の中。

 カタナは魔竜の方に向かうべく、クーガーの背に乗った。

 そしてそこにはもう一人、カトリ・デアトリスの姿もあった。

「……お前は連れて行かないと言った筈だぞ」

 少し呆れたようにカタナが言うと、カトリは首を横に振った。

「解っています。ここに来たのは隊長に渡す物があったからです」

 そう言ってカトリは、腰に帯びた剣を鞘ごと外した。

魔法剣エーデルワイスか。俺が使って良いのか? 家宝だったんだろ?」

「無手では手に余る相手でしょうから。それと、貸すだけですのであしからず」

 カトリは『貸す』という部分を強調して、エーデルワイスをカタナに手渡す。

カタナは口元に笑みを作り、カトリの言葉の意味とエーデルワイスを受け取った。

「恩に着る……行くぞ、クーガー」

「ピーーーーーーーーーーーー!!」

 月が雲に隠れる夜空に、飛竜の甲高い声が響き渡る。

「御武運を」

「……」

 高く飛び立ったクーガーの背で、カトリの言葉に答えるように、カタナは一度だけ頷いた。


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