第二話 カタナとヤーコフ
「たたたた、大変です隊長!」
甲高い声を上げて息を切らせながら事務室に入ってきた男に、書類の処理に追われて精根尽き果てそうなサイノメと、居眠りをしていたのを起こされたカタナからの非難の視線が集中する。
「……ヤーコフ、よくも大したことでもないことで騒いで俺の眠りを妨げたな。万死に値する」
眠れる獅子を起こしたようにカタナは理不尽なまでに怒っていた。
普通はみんな額に汗して働いている時間だとか、サイノメの負担がとんでもないことになっているだとかという正論も、今のカタナには通用しないであろう事は、一目でわかるほどの闘気が滲んでいる。
「ちょ、隊長、まさかこんな真昼間に事務室で寝てるなんて夢にも思ってなくて! というか俺が持ってきた重大ニュースが聞かせる前から大したことでもない扱いは何気にひどくないっすか!?」
カタナの部下であるヤーコフは、理不尽な上司の怒りを鎮めようと、言い訳と話題転換で取り付く島を探す。
「お前の『大変です!』は聞き飽きた。つまりはその程度の事なんだろ」
「う、いや確かに、いつも冷静沈着な隊長からしたら、おれが目玉飛び出して驚くような事でも大したことない、で済ませられるかもしれないですけど……や! でも今回ばかりは隊長も目玉飛び出しますよ! 本当! 絶対! だからせめて聞くまではその拳骨を引っ込めて下さいってば!」
必死で懇願するヤーコフ。良い大人なはずの大男が若干涙目になっている。カタナ自身も含めてなんとも嘆かわしい光景だったので、ひとまず振り上げた手を腰まで下げるカタナ。
「……言ってみろ」
あまりの必死さに譲歩する姿勢をみせるカタナ。これ幸いとヤーコフは表情を崩す。
「へへへ、では存分に驚いてください隊長。実は……」
変な間を置き、溜めで演出するヤーコフ。それがハードルを上げていることに気づいていないのが、彼の残念過ぎるところだった。
だが話し始めるとさっきまでの怯えはどこへ行ったのか、興奮気味に表情を輝かせている。
「今日から新人が我が隊に配属されたんですが。その新人が! なんと! 超超超超超超超超超超超超……美人の! 女の子なんですよ!」
「……」
「ぜえぜえぜえ」
超をノーブレスで何度も言ったせいで酸欠になり、息を切らして膝に手をついたヤーコフには自分を見下ろすカタナの視線の色が見えていない。
「……それで?」
聞き返したカタナの声音はとても優しいものだった。
「ですから! 超超超……ちょ?」
聞いていなかったのかと言わんばかりに、非難するように顔を上げたヤーコフはようやく気付いた。
カタナとの温度差を。
「……美人な女の子が……我が隊に配属に」
「……からの?」
「からの!? ちょ、隊長。なんでそんなに笑顔なんすか!?」
「ああ本当だな。今まで知らなかったが、どうやら俺は笑って人を殴り殺せるタイプらしい」
「衝撃の事実!? 待ってください、もう一度チャンスを! 今度は! 今度はきっとうまくやって見せますから!」
「……そうだな。来世ではうまくやれよ」
「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう……」
「いい加減に仕事しろ!!」
ボゴン
鈍い音が響いて人が一人床に倒れ伏した。
「……」
「……」
「あのう、サイノメ秘書官殿?」
ヤーコフは地面に倒れているカタナから視線を外せぬまま、恐る恐るサイノメに声をかけた。
「何かな、ヤーコフ副隊長?」
返ってきた声音はとても優しい。
しかしそれが落とし穴であると先程体験したばかりのヤーコフは察していたが、それでも言わなければいけないことがあった。
「さすがに死んでしまうかと……」
倒れているカタナの傍らには文鎮が落ちている。そしてヤーコフはすごいスピードで飛来したそれが、カタナの後頭部に直撃する一部始終をしっかり見ていた。
ちなみに投げつけたのがサイノメだというのも見えていたが、場合によっては黙秘しようと心に決めていた。主に自分の身の安全の為に。
「シャチョーなら余裕で大丈夫だよ。むしろこの程度で死んでくれるのなら、私の仕事が大幅に減ってとても嬉しい」
淡々と積みあがった書類を処理していきながら、淡々と告げるサイノメに、言い知れぬ恐怖をヤーコフは感じた。
そしてその数秒後に何事もなく立ち上がったカタナを見て。ヤーコフは色んな意味でこの二人を敵に回してはいけないと、肝に銘じるのだった。