第二十三話 カタナとゼニス
「お、シャチョーもご到着だね。クーちゃんの準備はできてるみたいよ」
そう言ってやってきたカタナを笑顔で迎えるサイノメ。その横ではクーガーという名前の飛竜が独特の甲高い声を上げた。
「ピーーー」
「久しぶりだなクーガー、少し見ない内にまたでかくなったか?」
体長6メートルを超える、飛竜としてもかなり大型のクーガーは意外なほど人懐っこく。カタナとの再会を喜ぶように、長い首を伸ばして鼻先をこすり付けた。
一応はカタナの所有物という事になっているクーガーだが、普段はゼニス市ではなく、近村の竜舎に預けられている為、顔を合わせるのは一か月前の武芸祭の時に乗って以来の事だった。
「ところで、お前のそれは癖なのか? だとしたら最悪だな」
カタナとクーガーがスキンシップを取る横で、カトリ・デアトリスは奇怪なものでも見たような顔で剣を構えていた。
「これは……失礼しました」
カタナの非難の言葉に反応して、カトリは慌てて剣をしまう。
「もう、シャチョーはもう少し言い方に気を付けてよ。カトちゃんは飛竜を直に見たのが初めてだから驚いただけだよ」
帝国に飛竜は生息していない。そして共和国では国外での飛竜の取引を禁止していることから、帝国ではまず見る事がなく、話に聞く程度なのだ。
「俺は初めて見た時でもそんな事は無かったがな」
「シャチョーはいつも自然体過ぎるんだよ。心臓に毛でも生えてんじゃないの?」
サイノメから理不尽な事を言われるカタナだが、心臓には毛どころかもっとやばい物が付いているから反論できない。
「……それよりサイノメ、本部からの通達を報告しろ」
そんな重要な事が後回しになっていたのには理由があり、カタナには聞かなくても解るくらい予想がついていたからだが。
「シャチョーについてはいつも通りだよ、『自由にしろ』だとさ」
まさしくカタナの予想通り、そしてもっとも動きやすい通達だった。
「ちなみに魔竜に対する本部の対処としては、まず快速の竜騎士隊が尖兵、そして魔戦大隊が後詰として戦術魔法によって撃破、っていう流れを採用したみたい」
「……まあ、それがもっとも被害の少ない戦い方だろうな」
もっとも、この場合の被害とは協会騎士団についてしか考えられていないが。
(ゼニスは見捨てられたに等しい……いや、距離的な問題で初めから無理な話ではあるか)
むしろこの段階でそれだけ動きがあるのが僥倖と言える。本来は魔竜が現れた事が伝わるのはもっと後だったはずだし、伝えたのがサイノメだという事も大きい。
情報屋として広い顔を持つサイノメが、方々のツテやコネを利用しなければこれだけすぐに協会騎士団は動かなかっただろう。
「何だったらシャチョーはこの件に関わらないで、ここで逃げ出してもいいと思うよ。協会騎士団にはかつて魔竜と戦った経験者も多いし、任せておけば確実だ。むしろシャチョーが下手に動けば邪魔になる可能性もある」
サイノメのその具申に対し、カタナは首を振って応えた。
「それは無理だ……というより嫌だな。今回ばかりは譲れない」
「へえ、シャチョーがそんな積極的なのも珍しいね。どうしてかな?」
「俺はあの街がそれなりに気に入っている。理由としては、それで充分だろ」
カタナにとってゼニスの街は、故郷と呼べる場所であったのかもしれない。
色々な事柄から逃れ続けて、やっと見つけた安息の地。気の利く部下に仕事を任せ、行きつけの喫茶店で昼寝をし、長い夜を女性の愚痴を聞いて過ごす……そんな怠惰でどこか暖かい日々を、カタナは大切に思っている。
だからこそ、今は行かなければならない。
「うん、そうでなくちゃね。それでこそシャチョーだよ」
元々止める気は無かったサイノメは、嬉しそうにカタナの背を押す。
「待って下さい」
クーガーの背に乗ろうとしたカタナを阻むように、カトリ・デアトリスが立ちふさがる。
「……また、お前か。邪魔するな、今は構っている暇が無いんだ」
カタナが鬱陶しげに手を払うと、カトリは腰を折って深く頭を下げた。
「何のつもりだ?」
「先程の謝罪です。サイノメさんから隊長の事情についてはお聞きしました。隊長に剣を向けてしまった事をお許しください」
素直に謝罪するカトリに、対応に困ったカタナはサイノメの方に目をやる。
サイノメは笑ってしきりに頷いていた。
(……面倒だったからサイノメに任せたが、あいつ何か変な事言ったんじゃないだろうな)
カタナが睨んでいるのに気付くと、サイノメは視線をそらしてわざとらしく口笛を吹いた。それで誤魔化しているつもりなのだろう。
カタナは嘆息してカトリに向き直る。
「もういいから頭を上げろ。ちゃんと説明しなかった俺の手落ちでもある」
「許しを頂けるのですか?」
「……そうだな、とりあえず土下座して一発殴らせろ」
「ええ!?」
まるで許す気が無いようなカタナの態度に、カトリは困惑する。
だがカタナは鼻を鳴らして口元を歪ませる。それは笑いを堪えるのが我慢できなくなって漏れ出したという合図だった。
「冗談だ」
「……真顔で冗談を言うのはやめて下さい」
「お前の無礼は今のでチャラだ、それでいいだろ」
恨めし気なカトリの視線を受け流し、カタナは勝ち誇ったように言った。カトリは思いっきり肩を落として頷く。
元来素直でないカタナなりの気の使い方であるのだが、それに気付いたのは傍で見ていたサイノメだけだった。
「うんうん、仲直りできたみたいであたしも嬉しい限りだよ」
サイノメは満足げに言ってカトリの背を押した。
「え?」
「ほらカトちゃん、このままだと置いて行かれちゃうよ?」
心中を見破ったかのようなサイノメの行動にカトリは驚くが、それをきっかけにして真剣な顔でカトリも行動に出た。
「あの、隊長。お願いがあります……私も、どうか一緒に行かせてください!」
「……」
そのカトリの申し出はそこまで意外なものでは無かったが、カタナは逡巡を見せる。
(もう一人くらいならクーガーも楽々乗せれるが……しかし)
カトリを連れて行く事で僅かでも遅れは出てしまうだろう。それ以上の見返りがあるのなら良いが、その価値をカトリ・デアトリスという従騎士に、カタナは見出していない。
だが気になったのが、サイノメがそれを後押しするような行動に出た事だ。
(サイノメは無意味な事は元より、不利益になる事は絶対にしない筈だ……)
人情という言葉がこの世で最も似合わない女なのだ。逆に金には絶対の信頼を置く、現実というか現物主義者である。
そんなサイノメの心中に問いかけるように、カタナは視線をサイノメに送る。
サイノメはそれに気付くと、いつも浮かべている笑みを消して、ほんの僅かだけカタナに向かって頷き掛けた。
サイノメがいつも浮かべている笑みは、ポーカーフェイスを形作るものであり、本当の感情を悟らせない為のものだ。
(笑みを消したという事は……それだけ本気ということか)
意図は知れないが、それによってカタナの腹は決まり、カトリに一つ問いかける。
「お前の覚悟を問いたい」
「覚悟?」
「そうだ、お前にとってゼニスはまだ一週間程度の付き合いしかない街のはずだ。あの場所の為にお前はどれほどのものを懸けられる?」
その問い如何によっては、サイノメがどう出ようがカトリを置いていくとカタナは決意していた。
カタナのゼニスに対する思いが強い分、生半可な覚悟で付いてこられるのは邪魔でしかない。許すとすれば、何でもいいから自分と同等以上のものをカトリが持っている事。
カタナが覚悟と言ったのは、それをカトリの口から直接聞くためだった。
そしてカタナの問いに、カトリは迷いなく答えた。
「隊長と同じものを懸けます」
模範解答のようなつまらない答えだが、カトリはそれを考えて答えたというよりは反射的に答えを出したようで、それがカタナの興味を引いた。
「……何故だ?」
「以前に私は私自身に誓ったのです、貴方を超えて見せると……」
続いたその答えを聞いて、カタナは愕然とした。
「その為ならどんな事も覚悟して見せます。貴方に近付くというのなら、どんな事もやり遂げて見せます」
そしてカトリの様子から、それを本気で言っているのが解ると、カタナは大声を上げて笑い出したい衝動にすら駆られた程だった。
(……久しぶりに見た。本物の馬鹿を)
ある意味で敬意すら覚える。
カトリの目にはカタナしか映っていない。魔竜もゼニスも関係なく、カタナの事にしか頭にない。
この大事にあっても、自身の定めた一つの事に執着し、そしてそれを偽らない。
何よりも厄介なのが、そのカトリの覚悟の強さがカタナの定めたものを超えている事。
(こんな奴に目を付けられるとは、俺もつくづく運がないな)
カタナの力を目の当たりにして、カタナの事を知って、その上でなお超えると言い張る。
それを面白いと感じたのは、あるいはサイノメあたりに毒されてしまったからか、
「良いだろう、乗れ」
「はい!」
カタナはカトリを認め、連れて行くことを決めていた。
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クーガーの背に跨ったカタナはカトリの手を取り、自分の後ろに座らせる。
サイノメはその光景を満足そうに眺めた後、最後にもう一つカタナに告げる。
「気を付けてね、アレの準備にはもう少し時間がかかるから、それまでは我慢する事。終わり次第すぐに知らせるからさ」
「ああ、解っている……頼むぞクーガー、ゼニスまでだ」
サイノメとの二人の間でのみ理解できる言葉を交わした後、カタナは自分の跨る飛竜に声をかけた。
「ピイーーー」
カタナの言葉が解るかのように、クーガーは鳴き声を上げ、四枚の翼を大きく広げ。それがクーガーの巨体を更に倍以上にまで見せつける。
クーガーがその四枚の翼を交互に羽ばたかせると、まるで突風のような風が吹き荒れた。
それが飛竜種の持つ力であり、クーガーのような巨体でも空へ持ち上げる事ができる秘密である。魔獣として備わっていた力が退化したものだが、それは人が行使するものと同じように魔法と呼ばれている。
「……凄い」
飛竜を直に見るのが初めてだったカトリは、当然ながら乗るのも初めてであり、地面が遠くなっていく様子に感動を覚えているようだ。
「おい、そんなに離れていたら飛んでいる時に落ちるぞ。もう少し寄って俺に掴まっていろ」
クーガーの背には鞍が無く、乗り慣れていなければ結構危険な事を知っているカタナは忠告する。
「う、しかし……」
それに対してカトリは少しだけ躊躇するような素振りを見せたが、高度がシャレにならないものになってくると恐怖が勝ったのか、カタナの背にしがみ付く形になった。
そして最悪のタイミングで、カタナは最悪の一言をカトリに告げた。
「言い忘れていたが。俺は飛竜の搭乗許可証を持っていないし、そういう訓練も受けていないから万一の事があっても恨むなよ」
「え?」
現在カトリが感じているように、飛竜に乗る事には相応の危険が生じる。その為に共和国では、訓練を受けたものだけに飛竜の搭乗許可証を発行して、搭乗者並びに同乗者には最低一人認可された者を乗せるという義務がある。
理由は当然、カタナの言うような万一の事が当たり前に起こるからだ。
「ええ!?」
カトリの頭の中が真っ白になっていくのとは裏腹に。
最高度まで達したクーガーは一際大きな風を起こし、巨体を不安定に揺らしながら。ゼニスに向かって全速力で進みだした。




