第二十一話 過去と現在
「まずシャチョーが帝国特務に入ったのは、シャチョーを作り出した研究者達がシャチョーを失敗作だと断じたからなんだよ」
「失敗作?」
「そう、シャチョーには一つ欠陥があってね。そのせいでシャチョーは作られてから五年もの間、研究者達から拷問のような実験を受けていたみたい。それでも結局は無駄だったみたいでね、最終的にシャチョーは処分されることになったんだ」
あっさりと言い放つサイノメだが、カトリにはその『処分』という言葉が許せなかった。
「……その研究者達の望むものにならなかったから、殺されると? 身勝手すぎます」
命をなんだと思っているのか、とカトリは怒りを露わにする。
「あたしに言われても困るけどもね。カトちゃんの意見には同意するけど、人間って理解の対象外には何処までも、残酷に無関心になれるものだからね……」
研究者達からすればカタナは研究資材の一つくらいにしか思われておらず、きっと一個の命とすら考えられていなかっただろう。
「ちなみにシャチョーの欠陥ってのは、魔術を使えない事なんだ」
「魔術を……使えない?」
「うん、シャチョーは確かに魔元心臓に適合していて、それが生み出す膨大な量の魔力を扱う事が出来る。けど、あまりに魔力の量が膨大過ぎてシャチョーには複雑な制御ができないんだよ」
膨大な魔力もそれを使う手段がなければ宝の持ち腐れ、研究者達がカタナを失敗作と称したのも道理だ。
「しかし魔人との戦いで、隊長は魔術に対抗していましたが?」
「あれは膨大な魔力による干渉力がなせる業だね。複雑な制御が出来なくても、意志を持って数倍の魔力で術式に干渉すれば無効化するだけなら可能らしいよ」
簡単にサイノメは言っているが、それによってどれだけの負荷をカタナの身体が負っているのかは計り知れないところだ。
さっきも小便などと言って離れて行ったが、本当のところは一刻も早く身体を休めたかったのだろうと、サイノメの目にはそう映っていた。
「それだけの事が出来るなら、充分すぎる力だと思いますが……」
魔術を無効化出来るというのは、半ば以上魔人の力を封じるに等しい事。
「そうだね。でも他が完璧なスペックだった分、研究者達の目にはその欠陥が目立って見えたんだと思うよ」
いささか完璧主義すぎるとは思うが、研究者というものは何処もそういうものだろう。
「それに結局シャチョーは、帝国特務に引き取られる形で処分を免れたんだ。過程はどうあれ結果的にはそれで良かったと思うよ」
カタナを処分しようとしたのは研究者達の一存であり、最終的にはその研究機関に出資している帝国特務が、その判断に待ったをかけた。
「帝国特務としては、シャチョーの現状の力だけで充分な戦力になると判断したんだろうね」
その判断も研究者達と同じように、命を物としか考えていないやり方ではある。
「ところで、帝国特務についてカトちゃんはどれだけの事を知っていのかな?」
サイノメが尋ねると、カトリは難しい顔で答えた。
「私がそれについて話せる事があると思いますか?」
「だろうね……」
帝国特務においてのカトリ・デアトリスの立場は、まだサイノメの推測の域を出ていない。カトリにとってこの場では迂闊な事は言えないという事だろう。
(知っていて言えないという事は、まだ今も繋がりを持っているという事に同義なんだけどね)
きっとカトリ・デアトリスという少女は、元来嘘が下手なのだろう。実直そうなイメージと同様に、腹芸に関しては向いていないのだとサイノメは判断する。
「じゃあ私が知っている帝国特務について適当に話すから、知っている事があっても適当に聞き流してよ」
帝国特務――そこは帝国軍に属してはいるが、表向きは非公認になっている公的な組織である。
設立したのは『帝国栄華五家』の内の一家であるゼルグルス家。その目的は魔人に対抗する力を保有する為に、優秀な人材を集めるというものだった。
魔人という種がいまだにこの世界に存在しているという事は、一般には知られていなくとも、国を預かる者たちの耳にはどうあっても入ってくる。
魔人については海を越えて大陸の外に逃れた者、大陸の各地に潜伏している者など様々だが。その中でかつて帝国と長らく敵対関係にあった、現在も大陸の北半分を領地にしているバティスト王国で怪しい動きがみられていた。
それは、王国では魔人を受け入れて自国の戦力にしようとする動き。
魔人についてはかつての大戦で敗戦に次ぐ敗戦を味わった為、帝国と王国と共和国の三国において排除する為の条約が結ばれている。大陸では魔人の危険性を疑う者はいない筈だった。
「でも実際に、王国では条約を無視して魔人を受け入れていた。『オルトロス部隊』って聞いたことがあるかな? かつて王国が飼っていた、魔人だけで構成された部隊の名前さ」
構成員は十数名であったが、帝国では何よりもそれを脅威と取っていた。そして帝国特務の設立はそれに対抗する為の事だった。
かつての大戦では、数で圧倒的に勝っていた大陸側が魔人に煮え湯を飲まされ続けた理由として、魔人側の少数の遊撃部隊に対応できずに戦線が瓦解したという事が多かった。
それだけ魔人と人では、個人の戦力に差があるという事が実証されていたのだ。
「現在の王国を統治する王がどういうつもりでいたのかは知らないけど、そういうものが存在するというだけで立派な条約違反だ。そこで帝国と、そして共和国が行動に出た」
それは両国が王国のオルトロス部隊に対して一時的に共同戦線を張り、同じく少数精鋭でこれを壊滅させるというものだった。
五十年間続く平和というのはその時の当事者たちにとっては、笑えない冗談にしか思えなかっただろう。
その時の戦いは立派な戦争と呼べるものだったのだから。
「帝国特務と、共和国からは協会騎士団の聖騎士まで出張った戦い。ある意味で現在の大陸の雌雄を決する戦いだったのかもね」
決して表には出ない、裏側で繰り広げられた戦争。三年前に起こったその戦いは、発端となったオルトロス部隊の壊滅を持って幕を閉じた。そして王国側は白々しくも魔人との関わりを否定し続けている。
「その頃からシャチョーは帝国特務内で『魔剣』と呼ばれるようになった。オルトロス部隊との戦いで多大な戦果を上げたから、魔人を狩る剣という意味でね」
「魔剣……それが隊長のかつての名」
それまでじっと話を聞いていたカトリは、僅かに反応して見せた。
おそらくはここまでの話は全て知っていた事で、それが知らなかったという事なのだろう。
(まあ、シャチョーが『魔元生命体』だとという事もカトちゃんは知らなかったんだ。やはりシャチョーが帝国特務に居た頃には面識は無かったんだろうね)
「もっとも、そこまでがシャチョーにとって帝国特務に居た頃の、僅かな輝かしい期間だったのかな」
「どういう事ですか?」
「オルトロス部隊との戦いでシャチョーが上げた戦果は、きっと英雄と称えられてもおかしくない程だったと思うよ。もしシャチョーがただの人間であったならね……」
道理に見合っていない理屈。もし仮にカタナがただの人間であったならオルトロス部隊との戦いで戦果を上げる事は敵わなかったのだろうから。
「魔元生命体だったから、人間では無かったから、本来は評価されるべきところを、シャチョーは帝国内部では危険視されてしまった。ジレンマだったろうね、研究者達には失敗作として処分されそうになって、帝国特務でも役に立たなければ同じ結果になるから必死に頑張ったのに、結局は同じところに行き着いてしまうんだから」
あるいはその時の仕打ちが、カタナを今の様な怠惰な性格に導いてしまったのかもしれない。
「……ではもしや帝国特務も」
カトリ・デアトリスにとって帝国は祖国であり、表情の陰りから察すると、今でも愛国心は持ち合わせていたのだろう。サイノメから幻滅を覚えるような話を聞かされて複雑な思いのようだった。
「そう、シャチョーは魔人と同じように危険な存在として……いや、魔人以上に危険な存在として処分されることになった、それが二年前の事かな」
それが帝国においてのカタナの全てである。彼は身勝手な理由で作られ、そしてどうあっても人のエゴによって捨てられる運命を架せられていた。
「でもさ、そんなシャチョーにも救いはあったんだよ。オルトロス部隊との戦いで協会騎士団と共同戦線を張ってた事だね」
カタナのその時の活躍は、協会騎士団の騎士団長の目に止まっていた。
その為、サイノメは当時の帝国特務の『魔剣』についての調査の任を架せられていて、その頃からカタナの事は良く知っていた。
そしてカタナが処分されるという事を知った時、協会騎士団は彼を魔元生命体だと知ったうえで、受け入れる事を決意していた。
「共和国にとって、帝国のそのやり方も王国と同じように許容できるものでは無かった。命を道具のように扱う事、それはミルド協会の理念に反する事だからね」
それはすなわち共和国と協会騎士団の理念に反するという事、それを許しては存在する意味すらない事になる。
「そういうわけで、処分を待つ身だったシャチョーは救い出され、協会騎士団の騎士団長の後見の元に立派な協会騎士になりましたとさ、めでたしめでたし」
「……最後は随分と省略しましたね」
帝国特務から救い出されたというのは、きっと正規の方法で引き渡されたのではない事を重々理解しているカトリは指摘した。
「その辺は言わなくても察してくれると嬉しいな」
当然の事ながらカタナを救い出したのもサイノメであった。その頃からカタナと帝国特務とは腐れ縁が続く結果となる。
何も言わずに笑顔を向けるサイノメに負けたのか、カトリは嘆息してそれ以上の追及をしようとはしなかった。
「解りました。概要は聞けましたし、むしろ充分すぎる程の事を聞けたように思います。ただ一つ気になった事があります」
「何かな?」
カトリの疑問は至極単純であった。
「どうして私にそこまで詳しく隊長の事を聞かせたのですか? 尋ねておいておかしいもの言いかもしれませんが、隠しておくべき事のように思いましたが」
普通はそれだけの情報を提示するのは、それに見合った情報を聞き出せるという心算がある場合だろう。
しかしカトリは自分の事は、特に帝国特務に関しては何一つ話す気はない。それではサイノメやカタナにとってはデメリットしか生まないのではないのかと、カトリは思ったのだ。
「なあに、簡単な事さ。あたしはカトちゃんにシャチョーの味方になって欲しいと思ったから話しただけだよ」
「味方……?」
その理由は想定外だったようで、カトリは呆気にとられてしまった。
「シャチョーはさ、これまで大変な目にあってきた、そしてこれからも意志とは無関係にそうなると思うんだ。そうなった時にシャチョーを理解している人がいないのはシャチョーにとってきっと辛い事だと思うから……」
サイノメから見て、カタナはとても強く見える。しかし完璧とは程遠い……どう見てもただの一人の人なのだ。
「だからカトちゃんにはシャチョーの味方になって欲しいんだ。ずっとじゃなくていい、今この時だけでもいい、支えてあげて欲しいんだよ」
かつてカタナから唯一無二の味方を奪った事に対する自責の念からか、サイノメは筋違いだと思っていても、それをカトリに求めてしまった。
「どうして、私なのですか?」
「……なんとなくシャチョーとカトちゃんは似ている、そう思うんだ。それにあたしには残念ながら無理な事だから」
「……」
カトリは返答をしかねている。当然だ、いきなりこんな事を言われても困るだろう。それはサイノメも重々承知している。
「ごめん、いきなりこんな事言われて困っちゃうよね。でもこれがあたしの気持ちなんだ、さっきの伝えたシャチョーの情報はどう扱っても、どうとってくれても構わない。けど一つだけお願いしたいのはさ、シャチョーを敵だと思わないでほしい。それがきっとシャチョーを一番傷つけることだから」
裏切られ続けてきたカタナには、諦めがつくことかもしれない。それでもきっと、何も感じないという事は無いはずなのだ。
「それは……いえ、解りました。味方になるという事はまだ約束できませんが、私から一方的に敵視するという事は金輪際いたしません」
「うん、ありがとう」
カトリが結んだ約束を、サイノメは満面の笑みで受け取った。今はその約束を取り付けられただけで充分な結果だった。
「ところでもう一つ疑問を思い出したのですが、先程のお話の中に隊長が聖騎士になった事について触れられませんでしたが、どうしてですか?」
「ああ、それについてはまた別の話でね……っと、おしゃべりはここまでみたいだ」
サイノメは途中まで話しかけた言葉を切って上を見上げた。カトリもつられてサイノメと同じ方向に顔を向ける。
「な!? あれは!?」
驚愕するカトリの視線の先には、翼を広げた鳥よりも大きい何かがこちらに向かってくるのが見えた。
「まさか、あれが魔竜ですか!?」
サイノメから聞いたゼニスの街に現れた異界の獣、それが現れたのかと思いカトリは臨戦態勢に入った。
「いや、あれは『飛竜』だよ。あたしが呼んでおいたお迎えさ」
言いながらサイノメは飛竜に向かって手を振った。
四枚の翼を羽ばたかせている飛竜は高い声で鳴くと、サイノメの遥か頭上からゆっくりと降り立ってきた。
カトリは抜いた魔法剣の仕舞い所が解らぬまま、その飛竜の様子を呆然と眺めていた。