第十九話 魔人と魔元心臓
周囲を黒い炎が満たす。
一たび触れれば骨まで焼き尽くされるほどの業火、その中心にいて未だカタナとカトリ・デアトリスは健在であった。
その理由は、
「……隊長、だけでも、何とか脱出できま……せんか?」
いち早くその罠に気付いたカトリが、防護魔法によって迫る黒炎を食い止めているからだった。
魔術と、それに対抗できる知識と技量がカトリにはあったからこそ成せた業。
元々、魔法とは魔術に対抗するために編み出された技法であり、同時に同じ理を流用し模倣したものでもある。
それが、人が扱うものでありながら『(魔)法』と呼ばれる由縁。
「お前……」
「もう……あまり長くは持ちません……私の、力不足です」
陣によって高められた魔術を、人一人がここまで防ぎ切っただけでも凄い話だ。しかもカトリの魔法は、自身以外にカタナを含めて四人もの命を守っている。
助けられなかった他の数名は灰になったが、カトリは敵であったはずの山賊達まで守ろうとしていた。
「……俺やこいつらに構わずにいれば、お前だけでも助かったんじゃないか?」
カタナからすれば、カトリのその行動は意外なものであった。目的の為なら手段を選ばず、他者の事よりも自分の事を第一に考える、そういう奴だと思っていた。
「そう、かもしれませんね……でもそうしたくは……ありませんでした……」
「何故だ?」
そのカタナの問いに、カトリは答えずに僅かに首を振る。
「そんな……問答を、している余裕は……もう無いです」
もはや限界なのか、息を切らせながらカトリは片膝をつく。
そんな状態でも、いまだ防護魔法は強固にカタナ達を守っている。カトリの身体から上る霊光は輝きを増し、それはまるで命の最期の灯のようにも見えた。
「――っ馬鹿が!!」
「……隊長に、そう言われるのにも……慣れてきましたね」
カタナから見えるのはカトリの後ろ姿なので表情は窺えないが、それはまるで笑っているようだった。
(……笑えない、本当に笑えない真性の馬鹿だ。なんで俺の周囲にはこういうのが集まるんだ?)
要領が悪く、不相応な志を持ち、その挙句が目も当てられない。
(だが、馬鹿でも悪い馬鹿じゃないな……本当に馬鹿なのは、最低なのはこの俺か)
一番安全な所にいて、何もしない。何もしないで、一番安全な所にいる。
誰が死のうが関係ないと。他者の事より自分の事を第一に考えているというのは、一体誰の事だったのか。
(殺さないのは協会騎士団という居場所を失いたくないから、力を使わないのもそうだ。そんな打算にまみれた奴が『聖騎士』なんて、本当に反吐がでそうだ)
それでいいと思っていた。そして、ずっとそういう生き方をするのだろう、という確信もあった。
しかし、既にカタナの内には、かつて失った思いがもう一度芽生えていた。
「……おい、カトリ・デアトリス」
「……え……今、なんて」
カタナに呼ばれなれていない、自分の名前で呼ばれて、カトリは僅かに狼狽して振り返る。
「……さっきの問いの答え、この場を打破したら聞かせろ」
応えを待たずに一方的にそう約束して、カタナは今まで秘めていた、自分の忌まわしき力を使う事を決意した。
(果てしなく面倒な事この上ないが、止むを得ない。『魔元心臓』を起動する)
「――え、そんな!?」
カタナの変化に気付いたカトリは、我が目を疑う。
黒い光がカタナから立ち上っていた、それは紛れもなく魔力の光である魔光。魔人の持つ、世界の理を捻じ曲げる黒い力。それがカトリの視界を覆い隠すほど溢れ出していく。
瞬間、猛昇っていた黒炎が漆黒に塗りつぶされ、消えていった。
++++++++++++++
「ハハハハハ、燃えろ燃えろ、この世の汚物を燃やし尽くせ」
山賊のアジトを包んだ黒炎を眺めて狂喜する男、名はベルモンド。黒い髪、黒い瞳、そして黒い力を持つ、人が魔人と呼び恐れ忌む存在。
人の持つ認識が間違いで無いように、ベルモンドは喜んで人を殺す。人が燃え散っていく様が何よりも心地よいと思っている。
だが逆にベルモンドは、人間以外のこの世界の全てを愛おしいと思っている。緑の自然、青い海、赤い夕陽、眺めているだけで心安らぐその色彩はベルモンドの世界には見られぬものであり、だからこそ彼はそれをもっとも大事にしている。
『魔術陣・境界の炎』の黒い炎はベルモンドの意志により、人間だけを燃やし尽くし、それ以外の一切には影響が出ない。
それがベルモンドにとって何よりも嬉しく、この黒炎に魅せられる理由だった。
「ハハハハハハハハハハハハ……は?」
だがその予想外の異変にベルモンドは目を丸くした。
力を侵食されるような感覚、それと同時に黒炎の勢いも目に見えて衰えていく。
「ば、馬鹿な……」
そして消えた炎の中から出てくる者。それを目にして、ベルモンドは背筋が凍るような戦慄を感じた。
(なんだアレは、何なのだこの恐怖は、これではまるで……)
ベルモンドの人生でそれを感じたのは二度目だった。
(……魔王ではないか!?)
かつてそれを感じたのは主君の御前、自らを魔王と呼称し、敵からも味方からも恐れられた魔人の王の脅威。それと同種の脅威が、今目の前に居る事を認識した。
「ハハ……ハハハハ、恨むぞ兄よ」
相対した時点で勝敗は決していた。既にベルモンドは屈している。
しかし、抗う事をやめる訳にはいかないのは、自身が一番良く知っていた。
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「あの不快な炎、やったのはお前だな?」
問いかけが断定系なのは、既にそれが揺るぎ無いものだから。
ベルモンドは魔光を立ち上らせている。カタナにはそれが臨戦状態に入っているのだと解っていた。
「……」
「だんまりか、まあいい。解っているみたいだが一応言っておく、俺はお前を殺しに来た」
カタナはベルモンドにそう通告する。文字通りの最後通告だった。
「……それがどうした? それで怖気づくとでも思ったか?」
「いや、ちょっとした礼儀みたいなものだ。法に守られていないお前らに対してのな」
この世に魔人を守るための法は無く、そして裁くための法も無い。それが異邦人に対するこの世界の答えだ。
「それは貴様も同じではないのか? その力、どう見ても我らと同じものだろう?」
「そう思うか? ふっ」
「……何が可笑しい?」
ベルモンドはカタナを指して同種だと言った。それがカタナにはたまらなく可笑しい。
「俺とお前らは全く違う。お前らは世界の敵で、俺はそれを殺す為の道具だ。一緒にするな」
「……飼われているのか? それほどの力を持ちながら、ニンゲンの言いなりになるのか?」
「好きで飼われてんだ、放っておけ。それにこんな力じゃ大したことはできねえよ」
「ぐ、ふざけるな!!」
ベルモンドは黒炎をカタナに向けて放つ。大蛇のようにうねり上げながら襲い掛かる炎を、カタナは高密度の魔力をぶつけるだけで消し飛ばした。
魔術ですらないただの魔力の放出で、ベルモンドの魔術は無効化される。それが力の差を歴然と表していた。
(力は更なる大きな力によって屈する。それがこの世の摂理、そして一人の力なんてたかが知れている)
それをカタナはよく理解している。嫌というほど理解させられた経験もある。
「お前には聞きたいことがある。こんなところでどうして山賊なんてやっていた? それにさっきの魔術陣、まるで俺達がここに来るのが解っていたようだった」
即興で用意したとは考えにくい。自警団の事と言い、誘い込まれたような違和感があった。
「フ……フフフ、いいだろう。どうせ貴様には勝てない。ならば最後に絶望だけは与えてやろうか」
「どういう意味だ?」
笑いながら不吉な事を言うベルモンド、既に勝敗は決しているがそれに囚われない不気味さがあった。
「既に貴様は敗北している。今この時この場所に貴様が居る事は、我らの勝利を意味しているからな」
「……我ら? 他に仲間でもいるのか?」
山賊達の事を言っているとは思えない。カタナ達ごと焼き払おうとしたくらいだ、元から仲間意識など無かっただろう。
「フフフ、どうかな? 我はただの捨て駒だったのかもしれん。だが貴様を見て確信したぞ、巫女の予言の意味するところがな」
「……解るように話せ」
「いずれ解る……その時になったら大いに悔しがってくれ、それが我の本懐だ……」
ベルモンドは満足そうに笑うと、魔力を全て使い、頭上に巨大な黒炎球を作りあげる。
まるで禍々しい太陽が出来たように、周囲に黒い影を作った。
「これならば!!」
「同じことだ」
カタナは高くかざした右手から、圧倒的な量の魔力を放出し、ベルモンドの作りあげた黒い太陽を飲み込んでいった。
ベルモンドの最大の魔術はそれだけで、あっという間に霧消した。
そしてすぐさまカタナは駆る。
魔人の身体能力を凌駕した速度、そして反応を許さないままベルモンドの首を片手で掴みあげる。
「ぐ……ぁ……」
引きはがそうとしても、その尋常ではない膂力は決してベルモンドの首を放さない。
魔力、身体能力、共にカタナはベルモンドを上回っていた。
それがかつて魔剣と呼ばれた者の片鱗。魔人を凌駕する存在として作られ、その為に存在していた者の真の実力。
ゴキリ、と首の骨を砕く音と感触が、カタナの手を伝う。
ベルモンドの苦悶の表情はそれ以上変わることなく、見開かれた瞳は虚空を向いていた。
そうして一つの命を奪ったことにカタナは何の感慨を抱かずに、そのただの死体となったベルモンドだったものを地面に落とす。
(……我ながら嫌になるほど慣れたものだが、面倒なのはこの後だ)
カタナが振り返ると、カトリ・デアトリスが抜いた剣先をこちらに向けていた。
++++++++++++++
「単刀直入に聞きます、隊長は魔人なのですか?」
剣先をカタナに向けながら、カトリ・デアトリスは問う。その返答如何によっては斬りかかってくるつもりなのかもしれない。
(……やはりこうなったか、本当に面倒だ。疲れた、少しは休ませろ)
とりあえず一番言いたいことを飲み込んで、カタナは問いに応じる。
「……複雑な問題だが、魔人では無いことは確かだ」
本当に複雑すぎて説明はしたくないが、魔人ではない事に嘘は無い。
「では先程見せた力は……あれは魔力ではないのですか?」
人が持つ力が霊力と呼ばれ、白い霊光を帯びるのと対照的に。魔人の持つ力は魔力と呼ばれ、黒い魔光を帯びる。
「ああ、あれは魔力だ」
それも誤魔化しようのない事実。カタナが持つのは魔人と同じ力だ。
「では魔人では無いのに、隊長は魔力を持っていると?」
「……つまりは、そういうことだな。無理のある話だが、全部説明するのはとても面倒だ」
「面倒……そんな理由で誤魔化せるとお思いですか?」
ちゃんと説明するまで納得しない、そういう本気の目をカトリはしていた。
「じゃあ、聞くが。もし仮に俺が魔人だったならお前はどうする? その剣で切り捨てるのか?」
「ええ」
(言い切りやがった、コイツ)
それだけ魔人に対して思う所があるのだろう。だがそれはカタナからしたら完全なとばっちりだ。
こういう事態になる事はある程度は予測していたが、流石にそのカトリの態度には頭にくるものがあった。
「……もういい、面倒だからかかってこい」
投げやりな気分で、そう言ったカタナ。
「それはつまり、魔人であることを認めるという事ですか?」
「どうでもいいって言ってるんだ。お前がそう思うならかかってこい、だが剣を向けるからには覚悟はあるんだろうな? 稽古とは意味が違うぞ」
「……」
「……」
睨み合うカタナとカトリ、一触即発。だがその空気を読んでか読まずにか、割って入る者がいた。
「はいはい、ストーーップ。仲間割れはそこまでにして下さいな」
幼い少女の様な風貌の、残念な成人女性。
カトリとカタナの間に割って入ったのは、サイノメだった。
その登場に、サイノメとあまり面識のないカトリは大いに戸惑い、サイノメを良く知るカタナは嫌な予感を走らせた。
「サイノメ……どうしてお前がここに居る?」
「あはは、いやね、何というか非常に大変な事態になったから、シャチョーに伝えに来たんだよ」
そしてサイノメが語ったゼニスの街の惨状は、カタナの嫌な予感を的中させるものだった。
作業の敵、それはニコ動