第一話 カタナとサイノメ
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
そんな師の言葉をふと思い出し、己というものについて少し考えてみようとカタナは思い立った。
己について考えるということを行うことは機会が無ければそうそうあることではない。己とは常に空気以上に当たり前に存在しているからそもそも考えるという考えに思い至ることもない。ゆえに大体聞き流していた師の言葉の中では思い出せたことが僥倖とも言えるためになる言葉だった。
逃避の思いつきとしては悪くないものだと自負できる。
さておき、とりあえずカタナは己――すなわち自分というものがどんな存在か考えて、二秒で悪い結果が出たので中断し、結局性格あたりから見詰めなおすことにした。
客観的に見た自分の性格を列挙すると、『怠惰、横柄、不遜、怠惰、傲慢、高圧、怠惰』というどう考えても人物評の中では最悪に分類されるものが占めて、それはもう笑いが込み上げた。笑うしかなった。
特に怠惰という単語が三回も上がった件についてが。
「何を笑ってんだよ、シャチョー。さっきから手が止まっているよ」
思考という逃げ道に旅立っていたカタナを現実に引き戻したのは、不機嫌そうに笑みを浮かべる少女の声だった。
カタナは浮かべた笑いを消し、つまらなそうに彼女のほうに向き直って言った。
「重大なことに気が付けたんでな、少し嬉しくなった」
「重大なこと? もしかして今のこの絶望的状況を打破できるようなことなの!?」
不機嫌そうな笑顔から一気に、キラキラ輝くような心の底からの笑顔に表情を変えた少女――カタナの秘書官を勤めるサイノメは何かを期待するように詰め寄った。
「いや、全然。でもまったく関係ないわけじゃないがな」
「ふーん、正直この絶望的状況を打破する秘策以外にはまったく興味が湧かないけど、でもまあ関係ないわけじゃないなら一応聞いておこうか。シャチョーは何に気付いたの?」
職業柄なのか、サイノメは期待を裏切られたことに落胆しつつも問い直した。
「俺はどうやら怠け者らしいぞ」
自分を省みて出た回答をそのまま口にした。
「ざああああああああっけんなああああああ!!」
平手が飛んできた。
それを難なく避けて、怒りで肩を上下させているサイノメを訝しげに見る。
「……なぜ殴る?」
「殴るわ! ていうか避けんな、殴らせろ! シャチョーが珍しく難しい顔して考え事してたから期待したのに。というかこれ見ろよ!」
サイノメはそう叫び、カタナが肘を置いている机の上を指差す。
わざわざ見なくても分かる、机の上には目を逸らしたくなるようなというか完全に逸らしている書類の束が山積み。
「少し落ち着け、小娘が」
「うるさい怠け者! シャチョーが全然仕事しないからこんなに溜まっているんだろが! しかも半分は始末書ってどういうことだ! というかわざわざ手伝ってあげている人間に向かって小娘とはなんだよ!」
ゼエゼエと息を切らして捲くし立てるサイノメ。
「俺はデスクワークが嫌いなんだ。知ってるだろ? だいたいこういうのは秘書官であるお前の役目だろ普通」
「そう言ってシャチョ―がやらなければいけない分まであたしに任せてたから、それがバレて書き直しの書類&始末書でこんなになったんだろうが!」
うん、そうだな。
でもほら俺はやはり自他共に認める怠け者だし、今度は上も折れてサイノメが書いたものでも受諾してくれるかもしれないし。
「……いや、シャチョー、そこまで怠惰を開き直られると怒りも湧いてこないってか、もう実家に帰りたくなるわ実際」
「お前には帰る家なんてないだろ」
「何をあっさり人の地雷踏んでんだ! 最低だな!」
「大丈夫、ここがお前の故郷だ。……仕事をしている限りは」
「最悪だ! 鬼畜! 悪漢! 人でなし!」
恨み言を言いつつも、無駄と悟ったのか、再び書類を処理しようと働き出すサイノメ。
嫌々ながら素晴らしいスピードで書類を片付けるサイノメを見ながら、よしよしと頷くカタナ。
「……って何してんのシャチョー、書類はもしかしたら誤魔化しきくかもしれないけど、始末書の方は流石にあたしが書くわけにはいかないと思うよ?」
そうだった、始末書は書くことが多い分、字や文に個人の特徴が出やすいから不正がバレやすい。
「どうしたもんか……」
考え込むカタナ。もちろんその思考の中には始末書を自身で書くという考えは無く、むしろいかにして自分で書かずに済むものかと怠惰な欲望を巡らせている。
いっそ更に開き直ってそれもサイノメに任せるというのもありだが、書類の量からして期日までに終わらせるのは難しいだろう。
「なあ、逃げてもいいか?」
何気なく聞いてみる。
「逃げたら刺す」
剣呑な返答が返ってきた。
「大体シャチョーは協会の聖騎士だという自覚が足りなすぎるんだよ。普通は聖騎士って言ったら、みんなの憧れの的で模範となるべき人格を持ってなきゃいけないのに」
「それは俺じゃなく、俺みたいなのを聖騎士に取り立てた団長に文句を言うべきだな」
「はあー、実力主義ってのも考え物だわ」
「それに、俺が協会のお抱えになったのはお前のせいでもある」
サイノメが愚痴・小言モードに入って手が止まっていたので、カタナ釘を刺すことにした。
「うっ、それを言われると何も言い返せない」
小さな体をさらにちぢこまらせて、いそいそと書類に手を伸ばすサイノメ。それを横目に嘆息しながらも、カタナもまた始末書の束に手を伸ばす。
ミルド共和国領ゼニス市にあるミルド協会騎士団駐屯所の、平和な一日の始まりだった。