第十七話 受け売りと受け入れ
「御馳走さん」
「ありゃ? おかわりあんのに、もう食わねえの?」
スプーンと食器を置いたカタナに、残念そうな顔を向けるニール。
自信満々に多めの食事を用意したニールは、カタナの口に合わなかったのかと心配しているようだ。
「ああ、俺はそんなに大食じゃない。だが意外と美味かった」
一杯分で結構な量を盛られていたのでおかわりの必要が無かっただけで、カタナとしては充分満足のいく味だった。
「意外とは余計だけどな、でも口に合ったのなら良かった。作った甲斐があったぜ」
カタナが世辞などを言わない性格だと解っているのか、素直に嬉しそうにするニール。
その手の食器には既に三杯目のおかわりが盛られているが、食事のスピードは衰えていない。
いったい何人分のつもりで作ったのかと、最初鍋の中を見てカタナは思ったが、どうやらニールが自身の胃袋の大きさを計算して作ってあったようだ。
途中で休憩を挟んだりしたが、早朝から日暮れまでほぼ一日馬車を走らせたニールは流石に疲れが見えている。食事もここに至るまで軽い物で済ませていたから、その分まで満喫しているようだ。
「今日はどのくらい進めたんだ?」
「ああ、目標まで三分の二以上は来てるな。今日はここで野営するとして、明日は早くに出発すれば昼頃には着けるな」
カタナが聞いた話ではゼニスから目標の地点まで約二日の道のりだという話だった。
直線距離ではそれほど遠くないのだが、山岳地帯を迂回して進まなければならないのでそれだけかかるようだ。
とはいえ、ニールが言うペースで来ているのならかなり順調らしい。それもずっと馬車の手綱を握っていたニールの苦労の賜物だろう。
「明日も苦労をかけるが、宜しく頼む」
それがカタナなりの、ニールの苦労に対する労いの言葉だった。
「なにいいってことよ。こうなった元は俺達がヘマをしでかしたせいだからな」
ニールの言うヘマというのが、賊の討伐に失敗した事を言っているのだろうとカタナには解る。
「……そんな事はないだろ。魔人がいるなんて誰にも解らない事だった、どうしようも無かった事だ」
「それでもさ。俺らは……いや、俺は自分の役目を果たせないまま、逃げるしかできなかったんだ。命に代えても付いて行くと決めた人にまで、背中を守られて迄……な」
「……自警団の団長の事か?」
「そう、俺と自警団の内の何人かは元々、団長の作った傭兵団の団員だったんだ。でもうちの団長は腕は確かなんだが交渉事がへったくそで、その上お人好しだったから傭兵団は困窮して、給料の定まってる自警団に鞍替えしたんだ。まあ、それでも団長のお人好しに困ることはあったけど、俺はあの人を大好きだった……親父みたいに思っていた」
カタナからしても数度しかあった事は無いが、自警団の団長はニール同様に好感の持てる相手だった。
正直、自警団の団長として団をまとめる能力を言えば、残念な部分もあったが、それもニールの言うように人好きのする部分のせいだったのだろう。
「あの時、魔人の放つ黒い炎が隊列を包んだ時……俺は動けなかった。ただ死ぬのが怖くなって、足が震えて進むことも退くこともできなくなった。でも団長は恐慌状態の団員達を必死に鼓舞して、俺には最後に支持をくれた……『生き延びて、この危機を伝えろ』ってな」
「……そうか、優秀な指揮官だったんだな」
「どうかな? その時同行していた新人の若い奴も俺に託して、一緒に逃がすようにしたのは、結構お人好しの部分も出てたと思うけどな。撤退を確実にするなら経験のある古参を選ぶべきだったろう?」
ニールは冗談めかしてそう言ったが、その時の団長の判断は間違っているとは思っていない。
現にニールとその新人はゼニスの街に逃げ延びて、団長の最後の支持を達成できたのだから。
「まあ、だからこそ俺は団長が託した思いを忘れずに、その為にも今回の任務も全力でやり遂げる。だからカタナ……俺に労いの言葉は要らない、ただ約束してほしい」
ニールは食事の手を止めて、まっすぐにカタナを見ている。
その目は本気の戦士の目であり、挨拶した時に感じたお調子者の雰囲気は完全に引っ込んでいる。
「必ず魔人を殺してくれ……死んでいった団長と自警団の奴らに報いるためにも」
「……俺がその為に行く事に、気付いていたのか?」
「まあな、賊と魔人の動向を調べるための偵察ってのはそれっぽい理由だが、それに駐屯部隊の隊長が一人で出るってのはおかしな話だ。それにカタナがものぐさなのは有名だし」
「……ものぐさなのは否定しない」
というよりも否定できない事実である。
「だが、俺に魔人を殺せると思うのか? ニールは身をもって魔人の力を感じたはずだ」
部隊としてならともかく、個人で対処できるとは考えられなくなったはずだ、それだけ人と魔人では個体の能力に差がある。
「……それでもカタナなら出来る気がする、いやそう思いたいという気持ちもあるが、なによりカタナは出来ると思っているんだろ? そうじゃなけりゃここに居ないからな」
「まあ、出来ないとは思っていないが」
「それなら俺もそれに賭ける理由になるだろ。どうだ、さっきの事約束できるか?」
「……約束するまでも無い。と、言いたいところだが」
カタナには何故ニールがわざわざその話題に拘るのかが解っていた。
だから誤魔化そうとはせずに、本音を語る。
「正直なところ、予定外の事があってな。どうすべきか迷っている」
「……付いてきた新人の、あの娘の事だな」
「馬車の中の話、ニールにも聞こえていたんだろ?」
「ああ、聞きたくなかったがな……聞こえちまった」
馬車の中でカトリ・デアトリスが語った過去と、そして魔人の対処を任せてほしいという願い。
「なあカタナ、あの娘が話していた事は俺には正直ついて行けない話だった。だが一つだけ共感したところがあるんだ……魔人に家族を殺されて復讐したいってところな」
「……お前」
「俺も叶うなら復讐したい。親父みたいに思っていた団長と、兄弟みたいに思っていた自警団の奴らを殺したあの魔人に……」
悔しさを噛み締めるようにニールは言う、それはどう足掻いても無理な事を自覚している故の感情だろう。
「でもな……そんな事はお前には関係ない事だ」
「あ?」
唐突にニールはそんな事を言い出した。
「俺の事も、あの娘の事も、お前が考える事じゃないだろ? そんな事を考えて迷っていたら、出来るもんも出来なくなるぜ」
「……おい、さっきは約束してくれとか言ってなかったか?」
「約束するまでも無い事なんだろ、本来は。カタナが迷っているようだったからな、ちょっとだけ試してみたのさ。でもまあ、あんたも意外にお人好しなんだな、あの娘の事もそうだが、俺の話を真摯に聞いてくれたりして、意外だったぜ」
「放っておけ」
「はは、まあでも俺が話した事が本音なのは違いないさ。だからってそれをカタナが気にする事じゃない、カタナはカタナのやるべき事をやりたいようにしたらいい。本当はそれが言いたかったんだ」
一転して軽快に笑うニール、無理をしてるわけでも無くそれが自然体なのだろう。
「……考えすぎか、なるほどな」
カタナにはニールが何が言いたかったのか、ようやく解った。
(カトリ・デアトリスの話を聞いて、覚悟を知って。どうするべきか、どうさせるべきか考えたが、結局無意味な事だ)
「そう、あの娘の復讐はカタナには関係ない、俺の思いもカタナには関係ない。邪魔になるなら切り捨ててもいい、もっともお人好しのカタナはそうしないと思うがな」
「勝手にお人好しを定着させるな」
「少なくとも、その素質はあるな。きっと苦労するぜ、カタナの周囲に居る奴らは」
「……それについては大丈夫だろう。俺の周りにいるのは、面倒を押し付けられるのに慣れた奴らばかりだからな」
「それはもしかして……カタナが押し付けてるんじゃないのか?」
ニールが怪訝な顔でそう問うと、カタナは誤魔化すように水筒の水を煽った。わざとらしいその様子に、呆れたように嘆息するニール。
「そういやあの娘、どこに行ったんだ? 俺が飯作っている間に居なくなっていたが」
今気づいたわけではないだろうが、ニールはこの場にカトリが居ない事を指摘した。話題の内容も、カトリが居ない時の方が都合が良かったので言わなかっただけだろう。
「あいつなら川の上流の方に行くと言っていたな」
ニールが野営にこの場所を選んだ理由として、近くに水場に出来る川があった。
「へえ、何をしに……ってまさか!?」
ニールは何か勘ぐったらしく、大声を上げて鼻息を荒くした。
カタナにはニールが何を考えたのか手に取るように解ったので、変な期待を持たせないように即座に否定しておくことにする。
「水浴びとかでは無いぞ、きっと」
予想だが、ほぼ間違いのない自信がある。
「……じゃあ、何を?」
わざわざこんな夜更けに川の上流に行く理由が解らないのだろう、ニールはカタナの言う事が信じられないように怪訝そうに聞く。
「知りたいなら見に行って来ればいい。ないとは思うが期待するものが拝めるかもしれなしな」
意地の悪い笑みを浮かべながらカタナは言う。
「い、いや、やめとく。そうなっても困るしな」
そう言いつつも、ニールは少し迷うように視線を泳がせている。それが男の性というものなのだろう。
「じゃあ俺が行こう。飯が出来た事伝えてなかったしな」
「お、おう……あ、やっぱり俺も」
諦めきれなかったのか、ニールは便乗するように立ち上がった。
「いや、ついでに少しあいつと話しておきたいこともある」
「……そうか、そんなら俺はここに居るわ」
そういう所はしっかり空気の読める奴らしい。それでも肩を落としながら座り込んでいる様は少し残念そうだった。
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川の流れに逆らうように、白い光が波を作りあげる。
流れの速い上流の川の中、カトリ・デアトリスは日課とも言える型稽古を行う。当然ながら強い抵抗を受ける分、いつもよりも疲労の度合いは大きい。
更に腰ほどの深さのある水の中を着衣のまま入っているから、水を吸った衣服の重さも加わり、気を抜けば川の流れに足を取られそうになる。
それでもそれを感じさせぬほど、カトリの型稽古は淡々としたものだ。
振るう魔法剣の剣先はぶれず、白い光の斬線が夜闇と急流を切り裂いていく。
ただ斬り続ける、まるで何かに憑りつかれたように。カトリの瞳は閉じられているが、その瞼の裏にはカトリが憎悪を向ける対象が映っている。それをめがけてただ斬り続ける。
川のせせらぎの代わりにカトリの息遣いと、剣の切り裂く音が支配していたその場が、不意にその音色を変える。
「ふう……誰ですか?」
人の気配と共に草木をかき分ける音、その中から現れたのは闇と同じ外套に身を包んだカタナだった。
「ずいぶんと熱心だな。いつもそんな事してるのか?」
「隊長でしたか……いえ、今日はほとんど馬車の中に居たので体が鈍らないように、軽い運動程度です」
「……そういうのは軽い運動とは言わないが。まあいい、明日も早くに出発するから疲れは残すな」
「ええ、今日はもう充分でしょうから、早くに休んで明日に備えようと思います」
言いながらカトリは川の流れと足元に気を付けながら川岸まで歩いていく。
「あの……隊長」
かけてあった手拭いで汗を拭きながら、カトリは少し言いにくそうにカタナに声をかける。
「何だ?」
「着替えをしたいのですが……」
着衣のまま川に浸かったままの濡れた姿でいるのは気持ち悪い。だが着替えをするのに視界に邪魔な人が居ると、カトリは暗にそう言っている。
「ああ……どうぞ、俺の事は気にするな」
「は、はあ!? 気にします! 何を言っているのですか!」
カタナの突拍子もない発現に、人並みに羞恥心のあるカトリは当然ながら激昂する。
「冗談だ」
「……やめてくれませんかそういうの、真顔で性質の悪い冗談を言わないでください」
さっきまでの修練よりも数倍疲れたように、深々と溜息を吐くカトリ。
「悪いな、だが悪いついでに話がある。背を向けてるから、着替えながらでも聞いてくれ」
そう言ってカトリに対して背を向けて座り込むカタナ。
「……いえ、それでも気になるので、隊長の話が終わってから着替える事にします」
「そうか……風邪ひくなよ」
「これでも体は丈夫なんですよ私。生まれてこれまで風邪や病気の類はしたことがないです」
それを聞いてカタナは、ナントカは風邪をひかないという言葉を思い出したが、言うのだけは流石にやめておいた。
「……話ってのは、察してるとは思うが、馬車の中で保留にした事だ」
「私が隊長に頼んだことですね……」
そう、カトリがカタナに頼んだ「魔人の対処を任せてほしい」という事を、カタナは保留にしていた。
本来なら二つ返事で却下なのだが、カトリが語った過去と決意に対して、カタナはその時に答えを持っていなかった。
だから返事は保留にして、とりあえず同行だけは許していた。
「結論から言うと、却下だ」
「……私では役不足だと、そう仰りたいのですか?」
そうなるとは思っていたが、カトリは不服を申し立てる。簡単に割り切れたり、諦めのつく事ではないのだ。
「いや、違う」
「では何故ですか?」
「……逆に聞くが、お前はそもそもなぜここに居る?」
「私が……ここに居る理由?」
「そうだ、お前はヤーコフに言われたからここに居る訳じゃない。俺の手助けをする為でもない。まして騎士として街を守る為なんてこともないだろう。根底にあるのは復讐という目的達成の為の礎を気付くこと。今回確認された魔人がお前の過去に関わりがある者かどうかは知らないが、お前にとっては関係のない事なんだろ?」
「……」
「ただ、自分が魔人に匹敵できる力があるのか試したい、それだけだ。何とも身勝手で周りの迷惑を考えない子供のような我儘だ」
「それは……」
「俺がこの事を保留にしたのは、そうした子供の我儘を言い聞かせる術が無かったからだ。俺がお前に何を言っても、お前は自分の我儘を通すだろう?」
辛辣な言い方だが、それは的を射ていた。カトリ・デアトリスが復讐という誰も望まない、自己満足とも言える生き方を選び続ける限り、それは付いて回る事。
復讐の為に強くなる事は、他人の為では無く自分の為に強くなる事。復讐の為に生きる事は、誰かを想うことなく自分の為に利用して生き続ける事。
その生き方が如何に醜い物かカトリ自身自覚もある。
だからカタナの言葉に反論はできない。
「……だから俺は決めた。お前の好きにさせるってな」
「は?」
カタナの意外な言葉に、黙り込んでいたカトリは間抜けな声を上げてしまった。
どういう流れでそうなったのか、どういう思考をすればそうなるのか皆目見当もつかなかった。
「我儘なガキを黙らせることができないなら、いっそ放っておくほうがいいと、そう思ったんだ。どうしたって決意は変わらないのなら、それはもう俺には関係ない事だ」
「……隊長、滅茶苦茶を言いますね」
「先に無茶を言ったのはお前だ」
「それはそうですが……ところで好きにさせるとは、具体的にはどういう事ですか?」
「煩わしいし迷惑だから、そうやって伺いを立てるなって事だ。我儘な生き方を選ぶなら、それを通してやり遂げろ。その覚悟はあるんだろ?」
「……つまりこの一件、私は自由に動いて良いと。そういう事ですね」
「ああ、魔人と戦いたいならそうしたらいい。そのかわり俺も好きにさせてもらう、まあそこはいつもと変わらないがな」
もとより我儘度で言えばカタナも相当なものだ。今まで周囲に迷惑をかけた回数で言えばカトリの比じゃないだろう。
「だが俺の邪魔をする事だけは許さない。その時は容赦なく潰す、それだけは憶えておけ」
「……心得ておきます」
カタナは背を向けたままだったが、僅かに見せた気迫がその本気さを物語っている事にカトリは気付いていた。
「それならいい、話は以上だ。と、そう言えばもう一つあったな。飯が出来ているぞ、ニールが作ったから不安だったが、これが意外と美味かった」
「……そうですか、では着替えたらすぐ戻ります。言われてみると空腹でした」
「ん、じゃあ先に戻っている」
言いたい放題言い残し、背を向けたまま片手を挙げてそのまま立ち去るカタナ。
その背を見送りながらカトリは思う。
(本当に掴めない方ですね……単純なのか、そうでないのか、判断が付きません)
とはいえ結果的には、カトリの望み通りになったとも言える現状。その期を逃すわけにはいかない。
(好きにして良いのなら、そうさせて貰いましょうか。隊長がどういう気であるとしても、私がなすべき事は変わらない)
カトリ・デアトリスは改めて、決意と覚悟を固める。
(私は……私の全てを持ってして魔人を討つ)