第十六話 旅と道連れ
夜明けと共にカタナは、塒にしている安宿を出た。
格好はいつもと変わらず黒い外套に、黒い平服の黒尽くめ。片手には頭陀袋を持ち、その中身は着替えのみだが、その着替えも全て黒である。
大陸では一般的に黒という色が好まれない傾向にあるが、一部の高級品では他との差別化を図るためにあえて黒を使ったり、逆に黒い物が少なくなった為に価値が上がったものなどもある。
カタナの持ち物に黒い物が多いのは、単純に好みの問題だが。
カタナは鳥も寝ている早朝の静寂の中、そのままゼニスの中心である公道を歩き、南端の街の入口まで向かう。
そこには市長に頼んであったものが用意されていた。
二頭の馬と、それに連なる車輪のついた天幕付きの荷台……いわゆる馬車と、その傍らで煙草を吹かしている商人のような格好の男。
男はカタナに気付くと煙草をくわえたまま歩み寄ってくる。
「よう、久しぶりだな隊長さん」
「……アンタは、確か自警団のニール副団長だったか?」
「お、よく覚えててくれたな。呼ぶ時はニールで構わんぜ、俺もカタナって呼ぶからよ」
ニールは自警団の所属にしては珍しく駐屯騎士に対しても友好的だ。それゆえ二回程しか顔を合わせた事の無かった相手でも、カタナの記憶に残っていた。
「それで、アンタが市長に頼んであった案内役を務めてくれるのか?」
「おう、ついでに御者も俺が務めるから大船に乗った気でいな。いや、船じゃなくて馬車だったか、ガッハッハッハッハ」
ニールという男は結構なお調子者気質もあるらしい。カタナとしては苦手な部類の相手だが、替えはきかないだろうから我慢するしかない。
(それにしても、商人の格好が似合っていないな)
カタナの指定で、案内人と馬車には商人の偽装を施すように市長に伝えてあった。
理由としては、カタナが馬に乗る事が苦手であるという事と、騎士や自警団だと気づかれずに目標に近づく為。あるいは目標が山賊を率いている関係上、商人を偽装すれば目標の方から近づいてくれる可能性もあったからだ。
だが大柄なニールの体格では商人に見せるのは少し不自然であり、近くで見れば右目に古く大きな傷跡が走っていて、どう見ても荒事で生きてきた人種である。
「目標の場所までは二日くらいかかるはずだが、アンタ一人で大丈夫なのか?」
「任せな、体力には自信があるんだ。あと俺はニールだぜカタナ」
白い歯を見せながら親指で自身を指差ししてアピールするニール。
「……ああ、世話になるなニール」
「おうよ!」
ドンと胸を叩きながら任せろと言うニール。一々挙動がオーバーであるが、それもやる気の表れなのだろう。少し鬱陶しいとカタナは思ったが、馬車を動かす事はしたことが無いので、我慢しておくことにした。
「そういやお連れさんはもう馬車に乗って待ってるぜ、あれカタナのとこの新人だろ? 噂には聞いてたが、すげえ美人で驚いたぜ」
「連れ?」
ヤーコフにはカタナ一人で行くと伝えてある。他の隊員に伝える事すら止めてあったから、ここにカタナ以外が来るはずは無い。
しかしニールの言葉で、なんとなく誰が居るのかは想像がついた。
カタナが馬車の荷台の後ろ側から天幕の中を覗くと、その想像通りカトリ・デアトリスがそこに居た。
「おはようございます隊長」
「……どうしてお前がここに居る?」
「副隊長に頼まれました」
「あの馬鹿が……」
初めてのヤーコフの命令違反がよりによってこんな時だった事に、カタナは頭痛がする思いだった。
「とりあえず帰れ」
「……いきなりのお言葉ですね。私が居てはお邪魔ですか?」
「そういう問題じゃない。俺がこれから何処に何をしに行くか知っているのか?」
「ええ、もちろん。副隊長に全て聞きました」
「魔人の事もか?」
「はい」
「……あいつの口の軽さには本当にあきれ果てる」
「そう言わないであげて下さい。副隊長はただ隊長が心配だっただけですよ」
そうだとしてもこの判断はひどい、完全に余計な事だった。確かに魔人の対策等で、詳しい事を何も伝えずにいたカタナにも非はあるが、それは伝えられない事情があるからこそ。
こうして誰かが付いてくることで、カタナはかなり動きにくくなったと言える。
「遊びじゃないんだ。迷惑だからさっさと帰れ」
「私も遊びで付いていくと決めたわけではありません。むしろ命を懸けてでも、ここは退けなくなりました」
「……ヤーコフに頼まれたのがそんなに大事な事か?」
流石に大袈裟な表現だが、カトリの瞳は本気で言っているように見える。
「いえ、私的にはそれはあまり気にしていません。ただこれから隊長が行う事は私がここに来た目的でもあるからです」
「……目的だと?」
以前にカトリはカタナに強くなりたいと言った。
そしてカトリは強くなる事に対してあまりに貪欲だった。その理由はきっと普通に人が強くなりたいと思う事とはかけ離れたものだと、カタナも感じるところはあった。
そうでなければ武芸祭で優勝するような力を手に出来る筈は無い。
「お前が強くなりたいと願うのも、その目的の為か?」
「……はい、そうです」
この流れでカトリの目的に魔人が関わっている事はカタナに解った。そして協会騎士団で騎士になることもできたカトリが、尚も強さを求めるその理由もなんとなく想像がつく。
だがそれを認めるには想像だけでは無理な話だ。
「その目的とは何か話してみろ。それ如何によっては連れて行く事も許可してやる」
「……それは」
カトリは少し考える素振りを見せながら、決心を固めているようだった。それを話すのがカトリにとっては余程の事だろう。
「なあカタナ、まだ時間かかりそうか? そろそろ出発したいんだが」
そこでニールから声が掛かった。今まで空気を読んでか離れたところで煙草を吹かしていたが、出発が遅れるのもまずいと思って声をかけたのだろう。
「解った」
カタナが頷いて荷台に乗り込むと、ニールは御者台に向かう。
カトリに降りるそぶりは無く、カタナにもとりあえず降ろすつもりは無い。
「隊長……私は」
「移動中に聞いてやる。だが気に入らなければ途中で置いていくからな」
「……解りました」
そして荷台が妙な空気のまま、馬車は走り出した。
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「……」
「……」
世界で一番気まずい空間というのは、人と人が向かい合っている状態で無言がその空間を支配している時だろう。
互いに理解しあった仲であるならばその限りではないだろうが、残念ながらカトリとカタナの間にある静寂はそういったものでは無い。
「……おい、もしかして話さないつもりじゃないだろうな」
普段一人でいる事が多い分、実はそういう気まずさに耐性がないのはカタナの方であり
、自分からその妙な空気を打ち破った。
「いえ、違います。ただ……心の準備というか整理がつかなくて。今まで他人に話した事が無い事なので……」
「解った。一分だけ待ってやる」
「一分!? 短くないですか?」
「まあな、俺は気が短いんだ。さっさと決めろ」
「解りました……今、話します」
一分待ってもらったところで結局は変わらない。そう思うとカトリの決心も意外と簡単についた。
「私の目的……これは私が強さを求める目的ですが、それはある魔人を倒す為なのです」
「……ある魔人?」
「ええ、五年前にデアトリス家が没落した事は、きっとご存知かと思われますが。その元凶となったのは、その魔人によりデアトリス家の当主と、当家に連なる者が私以外全て殺されてしまったからなのです……」
カタナはサイノメから聞いていた情報と照らし合わせながら、カトリの話を聞いていた。
デアトリス家の者が記録上死んだ事になっていたのが、魔人の手によるものだという事は新事実だが、今一つ解せない事はあった。
「……」
だがそれを問うのは、カトリの話が終わってからにしようと思い直す。
「今でもよく夢に出ます。たった一人の魔人に、近しい者が殺されていく惨状が。駆け付けた使用人、私の剣の師でもあった父、そして女子供も容赦なく魔術で逃げる術を奪われて、最後には屍の山しか残らなかった……」
「どうやってお前だけ生き残ったんだ?」
「……それが私にも解りません。魔人は私以外を殺し尽くした後、震えで動けない私の前から何も言わずに去っていきました。見逃された事に意味はあるのか、ただの気まぐれなのか、考えても解らない事です……」
「……」
こうして本人の口から直接聞くのと、サイノメから情報として得るのとでは、やはり捉え方が随分と違って感じてしまう。他人事だと思っていたものが、現実問題だと実感させられる。カタナはそう思いながら、カトリの話を聞いていた。
「でも私がその時拾った命の意味は、復讐するためにあると思っています」
「……普通に生きる道は考えられないのか?」
「はい、それが私の生きている意味ですから」
揺るぎ無くそう言ったカトリ、その生き方が如何に悲しく、如何に無意味であるか解っていながらも、意味を自分なりに見出して信じている。
「無理だとは思わないのか?」
「思う時もあります、しかしそれでもやり遂げるまでは諦めないでしょう」
「そうか」
「ええ……」
それっきりしばし黙り込んだ二人。
それは気まずい無言とは違い、両者が思考を巡らせる為の時間だった。
その沈黙を先に破ったのはまたしてもカタナだった。
「もう一つだけ、聞きたい」
「何でしょうか?」
改めて聞くのは解せないと思っていた一点。サイノメから情報を得た時から保留にしていた事項だった。
「デアトリス家の当代の娘、カトリ・デアトリスは記録上では死んだ事になっている。これはどういう訳だ?」
サイノメの事を話すわけにはいかないが、その情報は公開されているものなのでカタナが知っていても不自然じゃない事だ。
「……それは」
口ごもるカトリ。カタナとしては今までそれはさほど気にしなくてもいい事であったが、カトリから話を聞いた今となっては違う。
デアトリス家を魔人が襲ったという話では、その場にカトリ・デアトリスが居たという事であった。
「もし、カトリ・デアトリスが記録の通りに死んでいるのなら。お前の語った話の信憑性は無くなるな」
「そう……ですね。ですがそれについて私が言える事は、カトリ・デアトリスは今ここに、生きて隊長の目の前に居る。それが事実だという事です」
「……記録が間違いだと言うのか?」
「それについては複雑な事情も絡みまして、私は一度死んだ事にしなければならなかったのです。理由は残念ながらお教えできませんが……」
ここまで言って何を隠すのか、カタナは納得できない所だが、カトリが本当に困っているようなので、今のところは追及をしない事にする。
しかし譲歩する代わりに一つだけ決めた。
「では、お前がカトリ・デアトリスであると証明できるものはあるか?」
もしこれで証明できるものがあるのなら、カトリの話を信じてみる事にした。もちろん証明できなければここで馬車から降りてもらう。
「証明ですか……」
「ああ。言っておくが、その魔法剣じゃ駄目だ」
「これがデアトリス家の家宝だったと知っていたのですか?」
「ん……まあな、知り合いにそういう武器に詳しい奴がいるんだ。いや、そんな事はいいからさっさと証明して見せろ」
カタナは少し口を滑らせるが、それも知っている者には解る事なので、カトリはさほど気にしなかったようだ。
それよりも自分をカトリ・デアトリスだと証明する方法に真剣に悩んでいる。
本来ならエーデルワイスでも証明する材料にはなるだろう。だが、カタナが求めるのはサイノメが調べても得られなかった程の何か。それが警戒心は低くとも猜疑心は高いカタナが、信じてもいいと思えるボーダーラインだった。
「……エーデルワイスではダメとなると……あ、これならば」
カトリは何か思いついたようで、傍らの荷物からある物を取り出した。
「何だそれは?」
「懐中時計ですが、こちらを見てください」
カトリは取り出した懐中時計の裏側をカタナに見せる。そこにはある図形が描かれていた。
五芒星を元としているようだが、かなり妙な意匠を凝らしてあり、蛇が巻き付いていたり、変な所から羽が生えていたりと、カタナには悪趣味この上ないように見えるデザインだ。
「これはかつての帝国栄華五家の、それぞれの家紋を合わせた紋章です。それぞれの当家の者のみ、持ち物に装飾することが許されていました。当然複製することは重罰に当たります。もっとも、デアトリス家が没落した今となっては、これがどう扱われているのかは解りませんが……」
「……なるほど、逆に考えればそれを今も持っていることが、デアトリス家の当家の者の証明だと言えるかもな。だが可能性を指摘すれば、重罰を受ける危険があってもばれなければ複製は可能だとも言える」
「それについては今ここで証明ができませんが、目の利く者に見てもらえれば複製品ではない事は解るはずです。この紋章にはいくつか仕掛けが施してあり、それを知らない者には完全な複製ができないはずですから」
「……流石貴族、そういう無駄な所にだけは拘りがあるんだな」
「私が考えた訳ではないのに、そういう一括りにされた言い方は心外です」
カトリは若干不機嫌そうにしながら懐中時計をしまう。既に貴族では無くなっているカトリはその一括りには入らない筈だが、元貴族として思う所はあるらしい。
「とはいえ……そうだな、お前がカトリ・デアトリスであると信じよう。もちろんさっきの話も込みでな……」
本当はまだ指摘しようと思えばいくらでも思いつくところだが、それこそ疑い出せばキリがない事になる。カタナとしては納得のいく条件を充分に満たしたと判断した。
「ではそれを踏まえて最後にもう一つ聞く、お前は俺に付いて来てどうする気だ?」
カタナはカトリに問う、目的に対する決意と真意を。
カトリは唇を引き結び、いつも以上の真剣な表情で答えた。
「私に……現れた魔人の対処を任せて頂きたいのです」