第十四話 駆身と駆身
カトリ・デアトリスは長剣を正眼に構える。
一刀で防御も攻撃も全ての動作に対応させるものとして、カトリの始動は常にその構えが染みついている。
相対するヤーコフは半身になり、右手に持った長剣を前に突き出すような構え。
貴族が嗜む競技にフェンシングというものがあるが、ヤーコフはそれを実戦的に使っているようだ。
実際にヤーコフのその半身の姿勢は、急所の集中する胴体部分を相手側から隠し、突き出された剣で容易に間合いを詰めさせない。一対一の戦いにおいては相手からするとかなりやりにくいものになっている。
「いきます」
「いつでもどうぞっす」
カトリとヤーコフは互いに声を掛け合う。これは両者の準備ができた事の最終確認でもある。
それを意味するように、既に両者の全身からは霊光が上がっている。
構えと共に両者の戦いの基本となるのが、そこに発現している駆身魔法。超人的な動きを可能とするその魔法によって、その始まりも終わりも、光が集束するような速さを見せる。
先に動いたのがカトリ。
ヤーコフの突き出した剣を弾く為、最小の動きで剣を振り上げ、そのまま打ち下ろす。
ヤーコフはそれに合わせて一歩退きながらカトリの剣を受け流す。並みの剣士ならそこで体勢を崩すはずだが、カトリはそれを見越していたのか全く隙を見せなかった。
(読まれてた? いや、そうさせるように自分から動いたっすね)
歯噛みしながら守勢に回らざるを得なくなったヤーコフは、次の動きに備える。
するとカトリは間合いを詰めるべく、姿勢を低くして一気に踏み込んでいく。
それに合わせてヤーコフは剣を振り下ろす、リーチは元々の僅かに勝る体格とカトリが両手で剣を構えている事で、半歩分は勝っている。
カトリが間合いを詰め切るより早く、ヤーコフの剣が肩にとどくかと思われた、しかしカトリは剣から左手を放し、手甲をヤーコフの剣の平に打ち合わせ、それを弾く。
(なんつー反応っすか!?)
駆身魔法により高速化した戦闘の中で、それだけのタイミングを合わせるのは、それこそ超人的な集中力と、意志を反射に合わせる反応速度が必要になる。それを平然と目の前で見せつけられたら嘆きたくもなるというものだ。
そして剣を弾かれたヤーコフの懐はがら空きであり、カトリの間合いに入る。
カトリは右手の剣をヤーコフの胸めがけて水平に斬りつける。
手甲で弾かれた剣は防御に間に合わない。それで勝負ありかと思われた。
「っ危ない」
ヤーコフは左手で引き抜いた短刀で、カトリの剣をしっかり受け止めていた。
本来なら決め手か搦め手に使うはずなのだが、カトリを相手にするといつもこういう苦しい場面で使ってしまっていた。
とはいえこの体勢と近い間合いでは、ヤーコフの剣はカトリの手甲、カトリの剣はヤーコフの短刀で封じられるため、動きようがない。
「これは、仕切り直しっすかね?」
「いえ」
カトリは剣を引くが、それは言葉通りヤーコフの言に背く形で、必要な動作。
ヤーコフは気付いてなかったが、ものすごく隙だらけになっている所があるのが、カトリには見えていた。
「足元が隙だらけです」
カトリの蹴り出した左足はヤーコフの両足を刈り取り、両手に得物を持っていたヤーコフは受け身もろくにとれずに尻餅をついた。
「ぐっ、あいたた」
「勝負ありですね」
ヤーコフは鼻先に剣を突きつけられている状況、当然その宣言を受ける他ない。
「ええ、参りましたっす。デアトリスさんには、もう敵う気がしないっすね」
悔しくもあるが、負けを認める時は潔く相手を称える。それが騎士としての理想を常に求めているヤーコフである。
そういう騎士の礼儀のようなものにいまだ慣れないカトリは、少し照れながらも数歩下がって剣を構え直した。
「ではもう一本、御願いします」
「もうっすか!? 少し休憩を……」
「本当の戦いの場で、敵がそれを聞いてくれるのですか? 不調な時でも実力を出すためには、多少の無理は必要ですよ」
「う、はい、そうっすね」
最初はカトリがヤーコフに稽古を乞う形で始まったこの実戦訓練であるが、情けない事に一週間で立場がほぼ逆転していた。
それは最初は互角であった戦績が、今ではカトリにしか白星が上がらなくなった事に由来しているだろう。
「では、いきます」
「い、いつでもどうぞっす」
結局、この日の戦績も二十本行った内一本もヤーコフはとれずに終わった。
++++++++++++++
ここ一週間程、業務が終わるとヤーコフとカトリはゼニス市の郊外まで出て、実戦形式の戦闘訓練を行っている。
自警団とのいざこざで、ヤーコフが駆身魔法を扱えると知り。カトリとしては同じレベルかそれ以上の技量を持つと見て訓練相手に選んだ。
ヤーコフも駐屯部隊の中では、訓練の相手が居なかったのが現状だったので、喜んでその申し出を受けたのだが。今となっては少し後悔もしている。
「はあ、はあ、もう無理っす」
「そうですね、今日は終わりにしましょう」
息を切らせて大の字に倒れたヤーコフ、カトリも流石に疲労を感じたのか腰を下ろしている。
駐屯所から持ち出した、訓練用の武器防具が投げ出されたままだが、今の二人には片付ける体力は残っていない。
「それにしても本当に凄いっすねデアトリスさんは、まさか一本も取れなくなるとは思ってなかったっすよ」
十数秒息を整えることに苦心したヤーコフが、やっと発した言葉がそんな賛辞だった。
「そんな事はありませんよ、ヒヤヒヤする場面は何度もありました。今日二十本全部とれたのはまぐれのようなものです。それに副隊長は危険だからと言って、突きを禁止にしましたが、これは結構副隊長の方に不利な条件ですよね?」
「いや、それはないっすよ。だってデアトリスさんに突きまで使われたら、僕は受けきる自身は全くないっすから」
ヤーコフは本心からそう思っている。だいたいそれ以前に刃引きされている訓練用の物とはいえ、剣先が超速で突き出されるのは怖すぎて話にならない。
「そうですか、でも勝敗とかに関係なく、副隊長との訓練は得るものが多いです」
「へえ、そうなんすか? 例えばどんな?」
ヤーコフは純粋に興味があった。ヤーコフ自身、カトリとの訓練はかなり得るものが多かったので、相手がどう思っているのかは気になっていたのだ。
それに他人の意見を聞いて、気付かなかった事を知る事は時としてある。
「まず、駆身魔法についてですが。関節などの運動に直接かかわる部分と、そうでない部分には、状況によって使う霊力量を変えてますよね」
「ええ、そうっす」
それはヤーコフが師である祖父に一番最初に教わった事。どうやっても限りがある霊力を節約して、少しでも魔法を保つために行っている事だ。
「正直それだけ細かな事象の変化を、戦いながら無理なく行えるのは感服しました。私も真似をしようと試みましたが、現状はまだ無理なようです」
「まあ、僕は子供の頃からじっちゃんに叩き込まれたっすから。むしろ僕としちゃ、常に霊力全開でも僕以上に長い時間持続できる、デアトリスさんが羨ましいっすけどね」
それは覆しようのない地力の差なのでどうしようもないことだが。
霊力は大気に満ちる霊子が呼吸などで取り込まれ、体内で常に生み出されているが、一度に使える分が霊力量として個人の差となり。それによって霊子と反応する量も比例するのだから発現する魔法に大きく差が出てしまう。
霊力量が多ければ、それだけ使い果たした時に回復するまでの時間はかかるが、だからといって霊力量の少ないものが回復するのが早いというわけではなく、単純に器が小さいから満ちるのが早いというだけの話である。
「でも長期戦になれば、私と副隊長の霊力差は微々たるもののようです。何戦か続けて行った場合は、むしろ調節ができる副隊長の方が長い時間持続可能なようです」
「ああ、確かに。あ、それで無理して休憩無しで、訓練続けてみたんすか?」
「ええ、霊力量ではなく単純な技量と力量で、どこまでその差が埋まるのか知りたかったので」
結果としてカトリが全て勝ちはしたが、危なげなく勝ったのは最初の内だけだった。それだけ差が無いという事だろう。
「そうすると僕も捨てたもんじゃないっすね」
「いえ、充分凄いと思います。以前に武芸祭の本選であたった協会騎士の中にも、副隊長以上の使い手はいませんでしたし」
「まあ、駆身魔法を使う騎士はあまりいないっすからね」
「いえ、単純に剣技だけでも副隊長以上の使い手はいませんでした」
「そ、そうすか」
慣れない事を言われて照れくさくなったヤーコフは、唐突に話題を変えたくなった。
「そういえば僕は観てなかったんすけど、デアトリスさんは武芸祭で優勝したって聞きました。たしか規定では優勝者は騎士になれたはずっすよね」
少しだけ気になっていた事だが、いい機会だと思ってそれを聞くことにした。
本来なら騎士になれたはずのカトリが、現在その見習い職である従騎士として、ヤーコフ達の隊に居る理由。
「騎士の位は自分から辞退させてもらいました。でも協会騎士団には入りたかったので、代わりに従騎士として、おいてもらう事になったのです」
「それは、なんでまた?」
どうせ協会騎士団に入るならば、待遇の良い騎士になる方が得だろうとヤーコフは思う。特に給料が段違いだし。
「……私には、騎士になる資格がありませんから」
「え? どういうことっすか?」
騎士になるのに資格がいるとすれば、それはカトリが武芸祭で優勝した事でその資格を得たはずだ。
通常なら騎士となるためには、協会騎士団の設けた試験を通らなければならないとはいえ、武芸祭の規定も協会が定めた正規のものだ。
それが資格にならないというのはヤーコフには理解できない。
「副隊長を見ていると余計にそう思います。私がここに居る事さえ間違っていると……」
「ど、どうしたんすか。話が見えないっすよ」
なにか変な方向に話が進んでいると感じたヤーコフは、今更ながらに慌てだす。もしかしたら聞いてはいけない事だったのかと思い、話題を変えるべきかと逡巡する。
しかしそうしている内に、先にカトリが口を開く。
「……やっぱり、何でもありません。最近少し自信を無くすことが多かったせいか、不安定なのかもしれませんね」
「もしかして、隊長っすか? あ、前に稽古つけてもらった時に、辛辣な事言われたとかっすか? そうだとしたら気にしない方がいいっすよ、あの人の口の悪さは挨拶みたいなもんっすから」
「そういうわけではありませんが、ただ隊長に関係はあるかもしれません。武芸祭の時もこの前の稽古も、完膚なきまでの力の差を見せつけられましたから」
「それこそ一番気にしちゃいけない事っす。なにせあの人は色々と規格外っすから」
「……ええ、確かに普通じゃありませんね」
カトリが知っているカタナという男についての事柄に、何一つとして普通という言葉は当てはまらない。
どこをとっても異常で異質、
「でも……私は超えて見せます」
もしかしたらそう宣言することは、単なる強がりであって、本当は諦めがついてしまっているのかもしれない。認めたくない事から、目を背けているだけなのかもしれない。
(そうしなければ、私は……私という存在が生きている意味を失う)
立ち止まらずに、上だけ見つめ続けて上り続ける。カトリはそう自分に課していなければ自己を保つことすらできない。
(そうでなければ、死んだあの人達に顔向けができない)
地獄のような血の海、大好きだった人達の屍の中心。
血塗れの、まだ少女だったカトリ・デアトリス。
思い出したくない、しかし、決して忘れてはいけない過去。
幾度も刻み付け、既に傷だらけの心に、また新たな誓いの刻印をする。
「デ、デアトリスさん?」
「……すいません、考え事をしていました」
心配そうなヤーコフの問いかけに、我に返ったカトリは苦笑を浮かべる。
「ひどく怖い顔してたっすけど、何か悩み事っすか?」
「いえ、大した事ではありません。それよりも怖い顔とは失礼ですね……」
「あ、いや、でも怖い顔でも美人っすよ、デアトリスさんは」
「そういう冗談は好きではありません」
「……冗談じゃないんすけどね。でも凄いっすね」
「はい?」
また脈略なく褒めるヤーコフを、カトリは不思議に思って見つめる。
するとヤーコフは嬉しそうに語り出した。
「だって隊長を『超えて見せる』なんて、普通は言えないっすよ。僕なんかは一回稽古つけてもらった時に心を折られたし、隊長の強さを知ると大抵の人は忌避するっすよ」
「……その割には、副隊長は慕ってますよね。隊長の事」
「はは、まあ恩人っすから。それに、なんだかんだであの人から学んでることも多いっす」
「いいですね、私は何一つ隊長から教わったことはないです」
「いやいや、『教わる』ではなく『学ぶ』っすよ。隊長が自分から何かを教えてくれることなんて、まず無いっす。だけど背中を付いて、その背が語る言葉を聞けば、見えなかったものが見える時があるんすよ」
「背中が語る……なるほど、そういうこともありますか」
「もしかしたら騎士とはそういうものかもしれないっすね。敵に後ろを見せず、味方を其の背に守る、みたいな」
「……前から思っていましたが、副隊長は少し、騎士という職に理想を求め過ぎている気がします」
「う、否定はできないっす」
「でも、そういうの、私は結構いいと思います」
カトリは素直にそう思う。ヤーコフという男が騎士という職に持つ志は本物で、それは万人の救いとなる素晴らしいものだ。
だからこそ眩しく、同時にそうはなれない自分がとても汚く思える。
どうせならそういう生き方をしたかったと、カトリの言葉に照れているヤーコフの横顔を見ながら思った。
「デアトリスさんにそう言ってもらえると、やる気が出るってもんす」
「でも意中の女性は一人に絞るべきですよ」
「……やっぱりオチは、そこに落ち着くんすね」
胸を張った体勢から、一気に肩を落としたヤーコフの挙動が可笑しくて、カトリは自然と笑みを零していた。
ヤーコフもつられて笑ったが、ふとその表情が陰る。
西の空に太陽が落ちたせいかと思ったが、実際に神妙な顔つきになっているにカトリは気付いた。
「どうかしましたか副隊長?」
「いや、本当は言うべきか言わざるべきか迷っていたんすけど……」
ヤーコフは歯切れ悪く、何かを言いあぐね、カトリは不思議に思いながらも言葉を待つ。
やがてヤーコフは意を決したように、唐突に頭を下げた。
いや、それどころではなく、地面に両手と額をつける、いわゆる土下座の体勢をカトリに向けた。
「わ、どうしました?」
いきなりそんな体勢を目の前で見せつけられ、戸惑うしかないカトリ。
しかし、ヤーコフは頭を上げずに一言絞り出す。
「……僕の御願いを聞いてもらいたいっす」
そして訥々と、ヤーコフは今日の昼、市長が持ちかけた一件の事を語り出す。
それは最初で最後、副隊長が隊長の命令に背いた瞬間だった。