第十三話 隊長と副隊長
「それで、どうするんすか?」
市長が帰るのを見送った後、徐にヤーコフは尋ねた。
魔人への対処を自分達駐屯部隊が引き受けることになったが、どういう方法をとるのかという意味だ。
何せヤーコフが直面するのは初めてのケースであり、いくら考えても他人を頼る以外の明確な答えが出なかったからだ。
「どうするか、ね。なあヤーコフ、お前は魔人を見たことがあるか?」
「いえ、無いっすけど。話だけは、よくじっちゃんから聞きました」
「……なんと言っていた?」
「魔人には常識が通用しない、だから間違っても正面からは戦うな、もしそうなったら迷わず逃げろ。って言ってたっす」
ヤーコフは戦いを教えてくれた師でもある祖父の言葉を思い出しながら、唯一話していた魔人と戦う場合の対処法を口にする。
「それは正しい、いい爺さんをもったな」
「いや、それじゃ全然問題は解決しないっすよ。第一騎士が真っ先に逃げてどうするんすか」
「馬鹿だな、年寄りの話はしっかり聞くもんだ」
「な、なんすかいきなり、隊長だって市長相手に散々な態度じゃなかったっすか」
「態度がでかくて嫌味な奴はその限りじゃない」
何とも一方的な暴論だが、カタナが他人を褒める事の方が珍しい。ヤーコフは祖父が認められたことが少し嬉しかったからか、なんとなく納得してしまう。
「まあ、じっちゃんや市長の事はいいとして。実際、僕には魔人と対した事が無いっすから、どうするかなんて皆目見当もつかない訳っす。是非隊長の意見が聞きたいっす」
「意見も何も、もう決まってる」
この件に関してはカタナの中で既に答えが出ていた。
人が魔人に対抗するには、相応の覚悟が必要になる。そう、多くの犠牲を出す覚悟が。
五十年前の大戦で学ぶべきはそれ、数で遥かに劣る魔人の軍隊が、大陸にどれだけ多くの被害をもたらしたかという事。
駐屯部隊の隊長として部下に命令することがあるとすれば、魔人と戦って死ねと言うか、協会騎士団の本隊に逃げ帰り、救援を要請させるかのどちらかだ。
だが、最初からどちらも選ぶ気はカタナには無い。この件に関しては部下に何かをさせる必要はないのだ。
「俺が一人で直接出向いて、魔人を潰して帰ってくる。簡単な話だろ」
当然のようにカタナは言うが、それが如何に道理を外れているかは、ヤーコフのみせた反応で明確だった。
「へ? 隊長が? 一人で? 魔人を?」
いちいち一言ずつ区切って確認するヤーコフを、カタナは鬱陶しげに首肯して答える。
「それが一番被害の少ない方法だからな。それにお前も含めて、この部隊には魔人と戦った事がある奴はいないだろ?」
「そりゃもちろんいませんけど、それじゃ隊長はどうなんすか?」
あるわけがない、ヤーコフの口ぶりではそれが当然だと言っている。それもそうだ、五十年前から徹底的に排除された魔人は、世間的にはもうこの世には存在しないものとなっているのだから。
だが、ヤーコフにとっての常識が、カタナにとってもそうであるとは限らない。
「俺にはある。魔人と戦ったことも、魔人を殺したこともな」
かつてのカタナはそれが日常だった。戦いと言ってもまだ若く、五十年も生きているはずのないカタナが戦ったのは、歴史に名の残るような大戦ではなく。誰も知らない裏側の話だが。
帝国特務――帝国の暗部を一手に担うその機関は、存在するという事さえ最重要秘匿事項である。だからかつてその構成員の中に『魔剣』と呼ばれた男がいて、対魔人に関する役目を負っていたという事は、既に葬り去られた誰も知らなくていい過去の事。
「……いつもの、隊長が真顔で言うタチの悪い冗談じゃないんすね」
もちろんカタナにはその事を説明する気は無かったが、ヤーコフは何か察するものがあったのか、意外と簡単に信じた。
本当ならもう少し疑ってもらって適当に誤魔化す気でいたが、それならそれで仕方ない。知りすぎるという事は不幸な結果になることもままあるが、ヤーコフならばなんとかするだろう。
それは微妙に信頼と呼ぶにはズレがあるカタナの偏見に近いものだが。
「ああ、だからこの件に関しては俺に全て任せろ」
「あ、いえ、だからって隊長一人に任せる訳にも……」
ヤーコフにとってカタナは何だかんだ言っても頼れる存在だが、だからといって自分の隊の隊長一人だけを危険にさらして、部下の自分達だけ安穏としているのは許せなかった。
「俺が信用ならないか?」
「そうじゃないっす。でも僕らにも誇りがあるっす」
そういうヤーコフの真面目な所をカタナは美点だと思っているが、今の今では邪魔なだけだ。
「いらん、誰が付いてきても足手まといになるだけだ」
「なら、せめて僕なら、僕だけでも……」
「馬鹿かお前、隊長が留守にするのに副隊長のお前がここにいなくてどうする」
「う、しかし……」
もっともなカタナの意見は、ある意味でいつも留守にしているからこそ説得力があったのか、ヤーコフは黙り込む。
「そもそも市長が話を持ってきたのは、直接俺に対してだったろ」
「それは、事態を重く見た市長が、隊の代表として隊長を指名しただけでは……」
「いや違うな、市長は一度も俺の事を隊長と呼ばなかった。頭を下げて頼んだのも俺に対してだけだったし、引き受けたのも俺だ。なら俺が行くのが道理だろ」
それはただの屁理屈で、実際に市長がカタナの事を理解して話を持ちかけたわけではないだろう。聖騎士殿という呼び名も、皮肉もあるだろうが一番は協会騎士団の本部への影響力を指して呼んでいたに過ぎず、むしろカタナに期待してるのはそちらであることは容易に想像できる。
魔人の事を理解していた風の市長は、今のゼニスの戦力では不安に思っているのだろう。
市長は帰り際に本部への援軍要請について気にしていたので、カタナは一応、それも行う旨を明言はしておいた。
「……まさかそんな無茶苦茶な事を言うために、市長に頭を下げさせたんすか?」
「いや、あれは趣味だ」
それもキッパリと明言しておく。単純に市長の事は嫌いだからちょっとした嫌がらせがしたかっただけである。
「……隊長の冗談は本当にタチが悪いっす」
嘆息しながら言うヤーコフはえらく疲れた顔をしていた。
「いいからごちゃごちゃ言わずに俺に任せておけ。まあ、どうしても俺を一人では行かせられないって言うなら……」
カタナは鋭い視線でヤーコフを射貫く。
「ついてこられないように、お前ら全員丁寧に病院送りにしてやるさ」
それがかなり本気で言っているのだと理解したヤーコフは、流石に頷くしかない。
「――わかりました、隊長がそこまでの覚悟なら、もう言わないっす」
一応カタナの言葉は死なせるくらいなら病院送りの方がまし、という変な優しさで溢れているが、本当にそれをされてはたまったものじゃない。
「それでいい。じゃあ留守は頼むぞ」
「はい……ってもう行くんすか!?」
自然に立ち去ろうとするカタナをヤーコフは慌てて呼び止める。
「ああ、明日の準備もあるしな」
市長に相手方を偵察するためという名目で、自警団から案内人と馬車を用意させる手筈となっている。用意はすぐできるという事だったが、カタナの方に準備が必要だったので、出発は明朝の夜明け頃とした。
「分かりました。ではまた明日、見送りには参りますっす」
「別に来なくていいぞ、あと解ってると思うが他の隊員には話すなよ」
「はい、それは勿論解ってますっす」
魔人が現れた事を知るのは今は一部の者達だけでいい。いずれ知らなければならないかもしれないが、大きな問題に発展する恐れもある以上、事が終わってからでもそれは構わないだろう。
「じゃあな」
「ええ」
本来なら万が一、カタナが失敗した時の事も、話し合っておかなければならない所でもある。しかし二人はそれをしない。
カタナは何だかんだでヤーコフの事を信任しているし、ヤーコフはそれを今する不吉さが嫌だったという甘さからそうなった。
だが根源的に重なっている理由としては、どちらも互いを信じているからだった。